死神を照らす太陽
@rinme
プロローグ
第1話 暗殺者から人形へ
「ダメよ、エトレ。ナイフはしっかり持ちなさい」
7歳の私にもわかるくらい、父と母は厳しい人だった。
「怒りを抑えて。目を凝らしなさい。どこを突けば命を絶てるかだけを考えて」
「体の小ささを活かせ。自分を人だと思うな、お前は鼠だ。森を這え」
暗殺と諜報を生業とし、ウォンドール王国の懐刀たるウルキネス家。
その末女に生まれた私には、強く在る義務があった。
「気配を消せ、殺気を断て! それができるまでは森から出てくるな」
「飢えを経験しておきなさい。今日から三日、何も口にしてはいけません」
何度も死にかけたが、辛くはなかった。
日々の中でずっと、両親の愛を感じていたからだ。
私が夜の森で震える時は、父も母も一緒に茂みに隠れて寒さに耐えていた。
私が飢えに耐えている時、二人もまた何も口にしなかった。
私を苦しめるだけでなく、共に同じ苦楽を共有してくれた。
その暖かみが私にも伝わっていたから、父と母とはわかりあえていた。
それに、境遇を同じくする仲間や兄弟たちもいた。皆で切磋琢磨し、喜怒哀楽を共にして、山の中で慎ましく暮らす。
それが私にとっては、何物にも代えがたい幸せというやつだった。
だから、その幸せが壊れた日の事は今でも鮮明に思い出せる。
『山を降りて。逃げなさい、エトレ』
早朝、母に叩き起こされてそう告げられた。
何故、と問う前に、集まっていた仲間たちも口々に言う。
「お嬢、言う事聞いてくだせえ。時間がありません」
「皆で話し合って、誰が生き残るべきか考えたの」
「お前の足なら逃げられる、早くしろ」
畑が魔獣に荒らされたわけでもないのに、皆武装していた。
それに、父がいない。
数日前に隠れ里から出て行ったきり、帰ってこない。
事態を吞み込めないまま首だけ横に振り続けていると、母は観念したように口を開いた。
「————ウルキネス家は、根絶される」
依頼さえあれば、誰だろうが必ず殺す死神。それがウルキネス。
それだけの実力がありながら、相応の地位も金品も求めない。山奥に篭って人材を育成し、依頼が来るのをただ待つ。
その生き方は最早、戦争の終わった現代では不気味すぎたのだ。
国の中央にいる貴族たちは、そんな気味の悪い集団を残しておく価値はないと判断したのだろう。
「我らはここで首を差し出し、あなたを逃がす。お前は落ち延び、ウルキネスの技と志を繋げ。あなたには我らを凌駕してなお余りある才がある」
当時の私がそんな事情を知る由もなかったが、自分以外の全員がここで死のうとしているのは理解できた。
嫌だ、私も戦う。そう叫ぼうとした時、私は意識を失った。
次に意識を取り戻すと、山の麓にいた。
暗示をかけられたのだ。
全速力で家まで引き返した。
風が熱い。
木々が焦げた匂いが漂ってくる。
生まれて初めて感じる焦燥感を振り払うように山を走り、隠れ里を目指す。
「————え」
辿り着いたそこは、地獄だった。
家は燃え上がり、そこら中から怒声と剣戟の音が鳴り響く。
不意に、自分の足元に人間の首が転がっていることに気づいた。
兄だった。
そこからのことは、はっきりと記憶していない。
ただ全力で動き回って、人間の首を十三ほど跳ね飛ばしたところで地面に抑えつけられた事だけははっきりとしている。
抜け出そうともがいたが、5歳の小娘が成人男性に力勝負で勝てるわけもなかった。
それでも必死に身体を動かしていると、目の前に後ろ手に縛られた母が連れて来られた。
その後ろには、剣を持った鎧騎士が立っている。
何をしようとしているのかなど、考えずともわかった。
やめろ、と必死に叫んだが、何の意味もなかった。
剣が振り下ろされる。
『エトレ————————』
滲む視界の中で、母は確かに微笑んでいた。
初めて見せた母の笑顔は、息を呑むほど美しかった。
どっ。
母の首は地に落ちた。
その時、涙はピタリと止んだ。
自分の心を絶望が覆っていく。
それと同時に、私は舌を噛み切っていた。
◇
次に目を覚ました時は、私の身体はベッドの上で横たわっていた。
穏やかな空間だった。
だからここが死後の世界なのだと思った。部屋の奥の扉が開いた時、父と母が現れて自分の目覚めを祝福してくれると思っていた。
だがこれはもう過ぎ去った日々のことであり、父と母はもういない。
現れたのは、見知らぬ初老の男だった。
礼装に身を包み、シワの深い顔には独特の厳格さがある。
「無駄な抵抗はよせ。動ける身体ではあるまい」
老人はベッドの上に腰を下ろすと、私の顔を見つめて語り始めた。
「お前には悪いが、ウルキネス家には感謝している。お前たちが我らロンフィット家の領内近くに居てくれたおかげで、我々にも討伐の援助が依頼され……報奨を得ることができた。子供のお前に言っても、分からぬ話だろうがな」
その言葉で、この老人がウルキネス家を襲った実行犯の一人だと理解できた。
だが最早、何も感じない。
感情を生み出す機能が完全に壊れている。
「しかし、中央でふんぞり返る豚どもの一存でウルキネスの血を絶やすのは惜しい。そこでお前を生かした。儂はマイツァー・ロンフィット。これからは儂がお前の主だ。今日までの人生は忘れ、我が家族として新たに生きよ」
一瞬だけ心で何かが燃え上がった。その熱は老人にも伝わったらしい。
「儂を、殺すか?」
「…………いいえ」
「そうか」
殺さなかったのは、すぐに無駄だと分かったからだった。
この老いぼれを殺しても、父と母は蘇らない。
「娘よ。名は」
「エトレ、ウルキネス」
「今日からはエトレ・ロンフィットだ」
「はい」
その時私は、取り返しのつかない敗北を喫したのだと理解した。
力は通用せず、守るべき者は全て殺され、自分はその後を追う事さえ許されなかった。
そしてどう足掻いても、自分が奪われたものを取り戻す事はできない。
存在意義は全て打ち砕かれた。
であれば今の私は、エトレ・ウルキネスの残骸。
勝者の言いなりになるだけの人形。
それが今の私、エトレ・ロンフィットである。
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