第31話 ……それ、凌佑が言う?

「……ちょっと、一回家帰ってお風呂入ってくるね」

 晩ご飯の後片付けが終わると、一般的な高校生が帰宅するには十分遅すぎる時間になっていた。さすがにこれ以上両親に何も言わずに僕の家にいるわけにもいかないようで、梓はそう言い一度自宅に戻っていった。


 僕もその間にお風呂に入ったり歯を磨いたりと、いつでも寝られる用意だけはしておく。

 部屋着のシャツと短パンでリビングに戻り、ひとりコップに注いだサイダーを飲んでもの思いにふけていると、やがて玄関の鍵が開けられる音がする。


「……ごめんね、お風呂入ってたら気持ちよくて、つい長湯しちゃって」

 と、若干頬が赤く火照っている、同じく部屋着の梓がにたびリビングにやって来た。


「あ、サイダーいいな、私も飲んでいい?」

 梓はテーブルの上のコップに目をつけては、台所からコップを持ってきて僕の正面に座る。


「一応、お母さんに言ってきた。遅くなるって」

 トクトクと仄かに泡立つサイダーを注ぎながら、梓はそう話す。

「そっか」

「……だから、その気になれば、夜通し話すこともできる、というか」

「……オプションとして把握しておきます」

「そ、それで……これから、どうしよう?」


 彼女はサイダーをひとくち口に含み、か細い喉を鳴らしては、小動物みたいに窺うような目をしてみせる。

「……目標はさ、そ、その……平穏無事に、僕と梓が、付き合えるようになる、ってことでいいんだよ、ね?」


 まず前提を確定させておきたいので、少々恥ずかしいけれど、我慢する。それは、梓も同じだったようで、ポッと、もともと赤く染まっていた顔色が更に赤くなって、

「えっ、あっ、えっと……う、うん、そ、そうだよ」

「お互いがどちらかのために犠牲になる、っていうのはナシ、でいいよね」

「……それ、凌佑が言う?」

「梓こそ」


 顔を見合わせ、クスクス笑う僕ら。そういう意味で言えば、似た者同士なのかもしれない。

「で、じゃあどうするのか、って話だけど……。要するに、僕が死んだって過去をなかったことにした辻褄合わせが発生しているんじゃないかってことなんだよね? それなら、そもそもその過去さえもやり直すことはできないの?」

 僕は佇まいを直して、そっと彼女に尋ねる。


「……ううん。何度か試してみたけど、できなかった。そもそも、どの地点からやり直すかは私には選べないし……。凌佑も同じだよね?」

 確かに、過去に戻るといっても具体的に何月何日に戻れるわけではない。僕の場合だと、梓の告白を回避できるターニングポイントで戻っていたわけだし。

 僕は首を縦に振って同意すると、


「それに……そもそも異なる世界線の出来事を同一に過去として捉えられるかどうかも怪しいし……。あまり現実的な案じゃないと思う」

 俯いた状態で梓は続けた。


 ……なるほど、確かに、一度目の世界で僕と梓は喧嘩をして、仲直りすることなく僕が事故死した。それを悔いた梓が過去をやり直した。

 それで、今が二度目の世界、ということになるのだけど。

 二度目の世界で一度目の世界の過去はやり直せるのか、ということに行きつく。


 答えは恐らくノーだ。だって、存在しない過去なんだから。いや、よりわかりやすく言うなら、梓の記憶にしか残っていない「思い出」か。

「……なら、他に考えられる原因を探したほうがいいんだろうけど……。梓、何かあったりする?」


「……いや、ないよ。特に取り立てて私が大きな決断したのって、ほんとに凌佑が死んじゃったとき、くらいだったから……ふぁ……ご、ごめん。じ、実は昨日寝不足で」

 梓がそう答えたことで、一度この議論は結論未定で着地させることにしようと決めた。


 小さく漏らした欠伸もそうだし、正直僕もそろそろ眠くて仕方がない。

「よし、じゃあ今日はもうこのへんにしておこう? とりあえず、何かないか考えておくよ。それに、この状況を放置しても、僕に影響があるくらいなんだよね?」

「う、うん。これまでだと、所沢さんが告白してきて……凌佑がクラスで浮いて、って流れだから」

「最悪それでもなんとかなるからさ。だから──」


「……凌佑の嘘つき」

 話を締めようとすると、梓は拗ねたようにわざと唇をとんがらせる。

「え、え?」

「……さっき自分で自己犠牲はなしって言ったのに」

「あっ、いや、べっ、別にそういうつもりじゃ……」


 僕が一時間も経たずに起こした自己矛盾にあわあわとしていると、梓はやがて尖らせていた口をすぼめては、

「……しょうがないなあ」

 少しだけ頬を緩め、小首を傾げてはそう囁いた。


 彼女の仕草に僕が心臓を跳ねさせると、僕と梓のスマホが同じタイミングで同じ通知音を鳴らした。

 ふたりしてスマホを確認すると、それは佑太からのラインだった。


ゆーた:今週末、なんか予定あるか?

ゆーた:夏祭り行かね? 夏祭り


 僕、梓、羽季、佑太の四人が入っているグループラインに、そんなメッセージが投下されていた。

 ……未来が、また変わった。

 佑太からのラインを眺めつつ、僕はそんなことを考える。


 今日あったはずの梓の告白を聞いた場合、このラインは飛んでこなかった。なのに。

「凌佑? どうかした?」

 僕が画面とにらめっこしながら固まっていたので、梓が心配そうに僕の顔を覗き込む。


「あっ、えっと……未来、変わったなあって思って」

「え?」

「……梓が告白したときは、夏祭りは僕と梓のふたりで行ったからさ」

「あ、そ、そうなんだ……。それで、行く、よね? 練馬君からのお誘い」

「……断る理由はない、かな」

 すると梓は、ポチポチと画面を操作し、


たかのあずさ:いいよー。あと、凌佑も行くって


 と返事を送る。が、

「ちょ、梓、そうやって送ると」

「へ?」


ゆーた:もう日付を跨ぐ時間なのにまだ一緒にいるなんて

ゆーた:仲がよろしいことで

ゆーた:ねえ? 石神井さん

羽季:そうだねー、ラインでもイチャイチャしてくるあたり、ほんとさっさとくっつけって感じだよねー


 一分も経たないうちにポコポコメッセージが連投される。

 ああ……やはり気づくよなあ……。なんで梓が僕の動向を知っているんだって話になるよなあ……。


「……あっ、ごっ、ごめん、そんなつもりじゃ」

 それからも梓は佑太と羽季にいじられ続け、結局深夜のラインのやり取りは二時くらいまで続くという有り様に。


「……それじゃ、また、明日ねー……おやすみ、凌佑―」

「お、おお……おやすみ……」

 酔っ払っているわけでもないのに千鳥足になっている梓を玄関で見送った。念のため、家に入るところまでは見ておいたほうがいいかもと思い、ドアを半分だけ開けて様子を見ると、なんとかふらふらとした足取りで自宅に戻っていた。


「なら……大丈夫か」

 こそばゆい気持ち半分、これからの不安半分といった調子で、僕も部屋のベッドに潜り込んでは、意識を暗闇へと放り投げていった。


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