第91話 決別

 朝部屋から出てきた2人はさすがに疲労が目に見えた。

 2人の様子からして、話し合いが難航しているのが分かる。

 

「…………おうおはよ巧」


 親父は目の前の俺に気づくと、空元気の笑顔をうかべる。


「……おはよ、相変わらずか?」


「……ま、まあ難航するとは思ってたから想定通りちゃ想定通りだ」


 はははと薄く笑う。

 元気を取り繕う余裕もそんなにないらしい。

 

「……これからまた話し合うのか?」


「いや一旦、お互いに寝ることで話が止まった。お互いにちょっと疲れちゃってな。そのうち母さんも出てくるんじゃないかな?」


 じゃあ先に寝させてもらうよ、と

 親父は貸してもらった部屋へ。


 親父もいない、か。

 ちょうどいいな。

 

 親父が今出てきた部屋に入ると、窓の外を眺めながら、白い錠剤を水で飲む元母親の姿。

 

 「まだ終わらないんだってな?」


 「っ?!…………あんたいつはいってきたの?」


 何か不味いものを見られたかのような母親の姿。

 なぜそんな焦る必要が?


 「なにのんでんだんだ?」

 

 「……別に? ただのビタミン剤だけどなに? あなたに関係なくない?」


 「ただの興味だ、深い意味はない」


 本当にそう。

 病気か何かなのかと思ったわけではない。


「興味……ねぇ。あんたがまだ私に興味持つなんて、ね。てっきり私とは顔も会わしたくないし、ましてや雑談すらしたくないと思ったわ。だってあの時最後に【私から生まれたくなかった】っていったんだから」


 言ったなそんなことを。

 

「今でもその気持ちは変わらねぇよ。あんたから生まれたことは未だに嫌だよ」


 一瞬驚き、そしてまたこの女はふふと笑った。

 

「ふふ、まぁ理解は出来るわ、私があんたの立場だって同じように思うしねきっと」


「そこまで理解できるならさぁ――」


 なんでこんなことを……


 そう言おうとしたが、その言葉は遮られる。


「――だからと言って私は何も後悔はしていないし、今もこの選択は正しいって思ってるわ」


「…………は?…………なんでだよ、なんでそうなるんだッ!何があんたをそこまでそうさせるんだ!」


「だから何度も言わせないの、新しい人って」


「嘘言うなよ! 分かってるんだよ、新しい人なんていないっていうのは。だから前聞いた時もあやふやな反応したんだろ?いなかったから反応に困ったんじゃないのか?なぁっ!」


 あくまで俺の推論。

 しかしこの女はそれを一笑に付し、


 「興奮しないの、そんなの考えすぎよ、いるって言ってるでしょ?」


 「親父も言ってたよ、探偵で調べたって。それでいなかったって。あんたはいつも通り生活してただけだって。なんでだよ、理由を教えてくれよ!」


 「修もそう言ってたけどね? 雇った探偵が節穴だったか、私が隠すのがうまかったのか、そのどっちかじゃない?……でもそうね、仮にそれが嘘だったとしても、他の人がいたから、って考えたらあなた達も私を忘れやすいんじゃないの?」


 違う。

 違う違う。


 俺が聞きたいのはそう言うことじゃない!


「違うだろ!それはあくまで、あんたが出ていった時の俺らの心の持ちようの話でしかないだろ!そうじゃなくて!……浮気したでもなんでもないなら、出ていく決定的な理由を教えてくれよ!それなら納得できるから!理解できるから!」


「…………」


「別にあんたに戻ってきてくれって言ってるわけじゃない、こんな状態になって戻ってきてほしいとも思わないからな。ただ理由が知りたいんだ」


「…………理由、ね」


 ぼそりと一言。


「まず一つ。なんにでも理由があると思わないこと。男はみんな理屈理屈って言いたがるけど、女は頭じゃなくて論理じゃなくて、感情で考えるもの生き物なの。だからなんにでも理由を求めないこと。……これは今後あんたに彼女とかお嫁さんとかもらってもそう。基本女性はそう言う風に考えるって考えなさい?」


「それのなんの関係が……」


「いいから聞きなさい? 私だって眠たいんだから、言いたいことは先に言っちゃうわ」


 矢継ぎ早にそのまま言い切る。

 

「それと世の中のことは単純じゃないから。全てのものは複雑に絡み合っていて、表と裏があったり……だからまぁなんていうのかな。自分でしっかり考えて……そう。目の前にあるものがすべてじゃないから。それも覚えておいて?」


「そ、そんなこと」


「ううん経験則よ。女は嘘をつく生き物だから、いい意味でも悪い意味でもね? 覚えておきなさい。…………これがきっと私が言える、教えられる最後のこと」


 最後。

 その言葉を言った時、いつもと違ったが。


 でもそうか、最後なのか。


 最後、それを聞いて安堵した。


「言いたいことはいった?」


「ええ、ま。さ、どうぞ?」

 

「さっきの話だが…………もう会うこともないのか……そっか」

 

 そうかそうか。

 もう会うことは無いのか。

 それはそれは本当に…………

 

「よかった」

 

「……?」


「親父と話していて、あんたが絆されるんじゃないか、と心配していたんだ。どうやら元に戻る気はないんだな?」


「……そうね」


それが不安で不安で眠れなかった。

 

「この半年死ぬほどあんたのことが嫌いだった、裏切られた気がしたから」


「でしょうね」


「…………全部が嫌いになりそうだった。あんたのすべてが」


本当にすべてが嫌だった。

この女との記憶が。

今までのすべてが。


浮気していないなら、と思った。

でも何度聞いて答えは言わない。


だからもういい。

もうあんたには何も期待しない。


あんたはもう、過去だ。

切り取るべき過去だ。


これ以上過去を汚したくない。

 

「嫌いになれなかったの?」


 この人の眼を見ても、何もわからない。

 何を考えてるのかも。


 昔はもう少し喜怒哀楽分かったのにな。

 それでさえも嘘だったのかもだが。

 

 「あんたはもう別人だ、俺らの知っているあんたではない、変わってしまった。だからもう赤の他人だと思うことにした」


 「……それ前も言ってなかった?」


 「前のは売り言葉に買い言葉で……だ。今回はけじめだ。あんたはもう赤の他人だ。勝手に野垂れ死んでくれ」


 「野垂れ死ぬ……ね」


 このくらい強い言葉を言わないと俺は振り向くから。

 この人とまた、なんて首をもたげてしまうから。

 だから!!

 

 「ああ。可能なら苦しみながら、苦悩しながら、孤独に、終わってくれ」


 俺はいまどんな顔をしているのかな?

 笑っているのか、泣いているのか、もう知らない。


 「……あんたはホント」


 下に向けていた顔をこの人は上げる。


 

 「…………ほんと不器用だね」


 この人は 

 昔のように。

 無邪気に。

 困った息子を見るかのように。

 

 「…………ほんと不器用だね」


 2度いった。

 それはあたしも修も言えないか……。


 そんな風にこの女はぼそりと呟いた。

 だからって俺はもう振り向かない。

 前を見る。

 自分の未来のために。


 「さよなら、昔ののままだったらよかったのにな」


 返事を求めたものじゃなかった。

 彼女は去っていく俺の背中に一言だけ。


 「……精々幸せになりな、こんな糞みたいな母親のことは忘れて、さ」


 あんたはそれをどんな顔で今言っているんだ。

 どんな口で呟いているんだ。


 だが振りかえらない。

 もう決めたから。


 部屋を出ると、親父が外にいた。


 「……巧」


 「俺は決めた、でも親父たちのことは親父たちの話だからどうしようと知らない。言いたいことは言ったし、もうここに用はないから先帰るわ、親父も気が済むまで話しな?それでよりを戻すならそれはそれ。戻さなくてもそう。どっちにしても俺の対応は変わらないから」


 この時間ならもう電車とかあるよな?


 「……じいちゃんばあちゃん久々にあえてよかったよ」


 「あ、ああわしらもじゃ」


 「……また会えるといいわね」


 ばあちゃんのその言葉は多分もうかなわないともう。

 そんなことはばあちゃんもわかってるだろうけど。


 だから俺は微笑みを返すだけ。


 「じゃあね」


 そうして玄関のを出る。

 終わった。

 全て。


「きついものはきつい、か」


 さてさて親父はどうするのかな。

 より決断が難しくなったか。


 空模様は曇天で。

 今にも雪が降りそうだ。


 この肌を傷つけるような寒さも心地いい。


 電車に乗って、音楽聞いて、風呂に入って。

 それでかすみにでも話そうかな。


 さぁ帰ろう。

 家に。

 俺と親父の家に。

 

 そうして歩いて10分ほど・

 

 ププっ?!

 


 不意に近くでクラクションが鳴らされた。

 

 うん?


 振り返ってみると1台のSUV。


「久しぶりだね、巧君。大分大きくなったね」


 運転席から声をかけられた。


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