第18話 ルーベン・バーナー


 ルーベン様、と心配げに寄って来た従者達に対し胸を押さえていた左手を離して軽く振り、心配ない大丈夫であると示す。

そのまま口元の手も離して目を閉じ、ゆっくり。ゆっくりと息を吸う。


「何してるの? 変な人ね。そうそう、私、今一番欲しい物があって――」


 目を開けてルルを見る。僕の前に居るのは、実年齢よりも幼く見える可愛いタイプの一人の女性。元婚約者で、かつては愛した女性。だが今、僕の目には、自分の欲を叶えるためだけに存在する醜悪な悪魔に見えた。

 吐き出した息と共に、はっきり告げる。


「婚約破棄の撤回はない」


「――がいいから、私……え?」


「そもそも、破棄された側からの申し出を何故、僕が受け入れなければならない?」


「何の事?」


「説明だって受けただろうに、未だに理解していないならはっきり言う。君との婚約を破棄したのはだ。君じゃない。君こそが破棄された側…つまり君は、僕に見捨てられた人という事だ」


「え? 何を言って」


「僕が、君を、捨てたんだ。これからの僕の人生に君なんか必要ないからね。そんな君と結婚? あり得ない、なんてバカバカしい話だ。君にとって都合のいい夢と現実をごちゃまぜにしないでくれ」


 ぽかんとしたマヌケな表情を晒す彼女に対し、鼻で笑って見せる。


「…な、何を、さっきから何を言ってるのよ?! 貴方が、捨てた? 私を? あり得ないわ! 私を捨てるなんて、そんな事許されるはずない――」


「捨てられた理由を知りたいのかい? 何度も注意したけど直さなかった、君の度重なる異性交流、つまり君の浮気が原因だよ。婚約期間は特に貞節を男女共に求められるのに、破棄に至る理由はそれだけで充分だった」


「そんな事で?! ルーベン、私も前に貴方に教えてあげたわよね? 私が愛されるのは当たり前なの、当たり前の事だから浮気じゃないのよって。もし愛されることが浮気になるなら、貴方だってその一人になるでしょう?」


 そうだね、婚約者であった時に何回も聞かされた君の自分勝手な理論。その都度、僕達の婚約について説明したけど、今となっては僕の無駄に使ってしまった時間を返してほしいとさえ思う。


「君の言い分なんてどうでもいい。もう一度言ってあげようか、婚約破棄の撤回はない。破棄となった過程も君が何と言おうと変わらない。君が浮気した事実があった、婚約破棄すると僕は決断した、問題なく破棄は成り、君は僕に捨てられた……あぁ、君を捨てたのは僕じゃないか」


 今になって彼女が僕に会いたがった本当の理由が読めた気がする。


「愛されて当たり前だと言っていたけど、本当にに愛されていたと思っているのか? 手紙、君に愛を囁いていたにも送ったんだろう? 君を満足させるような返事はあったかい?」


「…っ!!」


 途端に、彼女の顔はひどく歪んだ。


「……返事は、来たわ」


「全部、別れの手紙?」


「違うわ、今すぐには会えないと言うだけよ。今もずっと私の事を想ってくれているわ!」


「でも、君をキャメル伯爵家の離れそこから救い出すような男は誰一人いなかった」


「それは……」


「そんな時に、君は近く領地に連れて行かれる話を聞いた」


 彼女は焦っただろうな。病気を患った時に領地内で養生していたと聞いた事があるから、彼女自身、北の領地にいいイメージがないのかもしれない。頼りになる祖父母とも連絡がつかず、愛されていると信じている彼らからの返事は良いモノではなかった。両親も姉も彼女の力にはならない。

 そこで追いつめられた彼女は思いついたのだ、元婚約者の僕を利用することを。婚約破棄の撤回話もそう、結婚話もそう。僕と会って彼女の都合のいい様に動かしたかった訳だ。


「まさか、この僕が、君の言いなりになると本気で思っていたのか?」


 彼女は、僕ならば何をしてもどんなことでも許されると思っていそうだ。ハハハ、どれだけ嘗められているのやら。

 僕は、ルーベン・バーナー。バーナー伯爵家の嫡男であり、次期当主として育てられてきた。貴族としての在り方、領地や領民の治め方は基本として、南の領地にある海を制する為の知恵と政策、海賊や他国からの干渉を避ける海での守り方と闘い方等を学び、海と共に生きる事が定められている。その為かバーナー伯爵家わがやは『大らかな海の民』とも呼ばれているのだ。一度怒らせたら荒れ狂う海同様、そう簡単には収まらない事も合わせて有名な話なのだが、元婚約者であったのに君は知らないのだろうな。

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