この世界の真実は

詠月

この世界の真実は

 窓に叩きつけてくる雨。暗くなった室内。


「あーあ、雨だ……気分下がっちゃうよ」


 カーテンを開けて外を眺めた明日香が、うんざりしたように言った。


「美空もそう思わない?」

「あ、うん……そうだね」


 聞かれて私は曖昧に笑った。

 チクタクと机の上に置かれた時計が時を刻む。

 その音がやけに大きく室内に響いていた。


「ふわあ……暇だよー」


 しばらくして、明日香はソファに座ったままウトウトとし始めた。

 その様子を私は黙って見つめる。

 不意にガタン、と家のどこかから音がして私は振り返った。


 何か落ちたのかな。


 そう思って確認しようと足を向けた時。


「……美空?」


 さっきよりも暗い声に私は動きを止めた。

 振り返れば眉をしかめる明日香の姿。


「ねえ……どこに行くの?」

「何か落ちたみたいだから確認しようと思っただけだよ」


 そう答えれば今度は泣きそうに眉を落として。


「そんなのいいよ。それより、お願い。私から離れないで……」


 怖いから。


 そう呟く明日香を無視することなんてできなくて。

 私は頷き足を元の位置に戻した。

 とたんにえへへと笑顔になる明日香。

 罪悪感で胸がいっぱいになって、私はそっと息を吐いた。



 ……こんな風に、明日香を変えてしまったのは私だ。



 私が事故に遭った日から。明日香は変わった。

 私を失ってしまうんじゃないか。

 そう不安になって、怖くなって。

 心配性になった。


 一緒にいて、と。傍にいて、と。

 そう言うことが増えた。


 もちろん事故は明日香のせいじゃない。

 信号無視の車が突っ込んできて、私は逃げられなかっただけ。

 でもその日は明日香の誕生日だった。明日香との待ち合わせに向かう途中で私は事故に遭って。

 そのことに明日香は責任を感じてしまったらしかった。私の親から連絡を受けて、泣きながら病院に駆け付けてくれて。ずっと私の手を握っていてくれたらしい。


 私は彼女に、幸せな誕生日を悪夢に変えるプレゼントを送ってしまった。

 そのことが辛い。


 ……私が、明日香を変えてしまった。


「美空? どうしたの、ぼうっとして」


 明日香がソファの隣に立つ私の顔を心配そうに覗き込んできた。


「体調でも悪い?」


 心配させちゃダメだ。

 私は首を振った。


「……ううん、大丈夫だよ」

「そう? よかったぁ」


 幸せそうな明日香。


 ……でもごめん。


 私はぎゅっと手を握り混んだ。

 爪が食い込むくらい。

 強く。


 ……今日こそは、言わなきゃ。


 チクタクと時を刻む音と、ザーザーと窓へ叩きつける雨の音がする。

 もうあの日から二ヶ月。

 そろそろ丁度良い時期だろう。


 明日香に。言わなきゃ。言わなきゃ……


「でね、私がその時……って、おーい、美空? 聞いてる?」

「え、あ……」

「もー、聞いてなかったの? 仕方ないなぁ」


 笑顔の明日香に心が揺れる。


 私は……


 言わなきゃ。

 言えない。

 言わなくちゃ。

 言っちゃだめ。


 相反する思いが胸の中でせめぎ合う。


 耐えられなくて明日香から視線を逸らした。

 代わりに視界に入る時計。

 私があの日、明日香の誕生日プレゼントにと持っていた時計。


「あ、時計?」


 明日香が私の視線を辿ってそれに視線を移す。


「ほんといい時計だよね。私のお気に入りだよ! 美空、くれてありがとね!」

「っ……」


 大切そうに時計のラインを撫でる彼女の姿を見て、私は決めた。


「……明日香」

「んー? どうしたの?」


 にこにこと振り返る明日香。


「……話したいことがあるの」


 そう切り出せば、彼女は首をかしげた。


「そんなに改まってどうしたの?」


 心の底から不思議そうに、そう尋ねてくる。

 私はグッと唇を噛んだ。


 これからまた、彼女を傷つける。

 でも、それでも、言わなきゃ。

 言わなきゃいけないんだ。


「……私ね、」


 じっと次の言葉を待つ明日香。

 チクタクと時を刻む音。

 ポツポツと窓へ当たる雨の音。




「――もう死んでるよ」




 明日香はキョトンとしていた。

 パチパチと瞬きを数回して。


「……ふっ、あは、あははっ!」


 笑い出した。


「どんな重要なことなのかなって思ったら……ふふっ、そんな冗談通じないよー? あははっ」

「冗談じゃない。嘘じゃないよ」

「いやいや、それは無理があるって」


 信じようとしない明日香に、私は黙って窓へ歩き出した。

 彼女はさっと顔色を変える。


「美空……? 離れないで……」

「明日香」


 ゆっくりとカーテンに手を掛け、私は振り返った。


 チクタクと時を刻む音。


 不安げな彼女を安心させるように。けれどこの真実を受け止められるように。

 そっと微笑む。


「ごめんね……目を覚まして」


 勢いよくカーテンを払った。

 溢れ出してくる光。

 雨上がりの太陽が暗かった室内を光で満たしていく。



 ――次の瞬間、世界は変わった。



 眩しい、と目を細めていた明日香が大きく目を見開く。


「……え?」



 時計が止まっていた。


 あれほどうるさかった音は止み、それどころかぼこぼこに変形してしまっている不格好な時計。

 そしてそこにこびりついている、すっかり乾いた赤黒い模様。


「な、何で……?」


 時計が。時計が。

 そう呟きながら明日香はそれに手を伸ばして。


「っ……あっ……いっ……!」


 頭を抑えその場にうずくまった。


「嫌っ……いやっ、嘘だ!」


 頭をブンブン振り、嫌だ嫌だと繰り返す。

 その様子は苦しそうで私の胸も締め付けられるように痛んだ。


 でもやめちゃいけない。



「明日香……」

「いやっ! 嫌だ……嫌だ、美空は生きてっ……助かって……っ!」

「私は助からなかったよ。目の前で見てたでしょ?」

「見てない! 嘘だ! だって美空は、今……!」

「もう一度よく見て、明日香」



 恐る恐る顔を上げた彼女の視界に映るのは、すっかり変わり果てた室内。泥棒でもやってきたかのように物が散乱し、荒れた部屋。壊れた時計。


「ぁ……」


 さっきまでの“幸せ”な“いつも通り”の光景はなかった。


「明日香は受け入れられなかったんだよ。だから作った。今まで通りの世界。時計は明日香に渡す前に壊れちゃったじゃない。私だってそう。今見えてるのは明日香が作り出した幻影だよ」

「……そん、なぁ……」

「ごめんね……でも、目を覚まして」


 お願い、と彼女を抱き締めるように包み込む。

 当然、実態のない私の手は彼女に触れることなんてできなくて。


 手は彼女の身体を通り抜けた。

 じわっと明日香の瞳に雫が生まれていって。




「っ……あぁぁぁぁぁぁっ……!」




 必死に私の身体にしがみつこうとする明日香。


 触れられない。

 そう実感して。


 叫ぶような彼女の声を聞きながら、私はぎゅっと目を閉じた。



 ……ごめん。


 ごめんね、明日香。

 でも、これが明日香のためなんだ。


 いつまでもこんな世界にいちゃいけない。

 受け入れて、どうか前へ進んで。



「ごめんね……明日香……」



 もうそんなわけないのに。


 自分の瞳から涙が溢れ落ちたような、そんな感覚がしたんだ……


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この世界の真実は 詠月 @Yozuki01

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