第16話 最終兵器
壇上へ向かって歩く。
ただ、それだけのこと。だというのに、彼女は体育館中の視線をかっ攫っていった。それは先生達の視線であっても例外じゃない。
おまけに男か女かすら関係ないらしい。誰もが息を呑み、彼女の姿を目で追った。その姿が壇上にみえたところで、ため息を漏らすひとも居たほどだ。
そんな注目の的である中原紗奈は、ぼくよりひとつ年上の中学三年生。だと、司会役の先生が説明してくれた。彼女も全国大会への出場が決まったらしい。
もちろん、陸上部とは別口だ。
ピアノ奏者として全国大会出場を決めた。大会とは言わないのか。ピアノコンクールと呼ぶ方が、より相応しいかもしれない。
ダメだね、どうにも音楽には疎かった。
みんなに倣い、ぼくも中原紗奈に視線を注いでみる。視線が重なることはなかったけれど。うん、なるほど。これは確かに、とひっそり納得する。どこからどうみようと紛うことなき美しい人だった。
全校生の注目を浴びようとも凛とした姿勢は崩れない。大会に出るほどだ、人前はお手の物なのかな。すぐ隣へと並ぶ陸上部の面々とくらべてみても、じつに堂々としたものだった。
想像するのは、ピアノ演奏する彼女の姿。華やかなドレスを身に纏い、大勢の観客の前で甘美な調べを奏でる姿はとても神秘的に思う。画になるだろうなと容易に想像できる。
正直、ぼくに音楽の良し悪しは分からない。音楽の成績は中の中だし、クラシックを流せばすやすやとよく眠れる。気持ちよくぼくが歌うと、なぜかみんなは耳を触りだす始末だった。
ギターに憧れた時分もあるけれど、はじめて触った折に指が痛くなった所で早々に諦めた。お陰さまでぼくの中じゃあ、音符は未だにおたまじゃくしのままだった。
たぶん、カエルになる未来はもうやってこないんじゃないかなと思っている。
そんな音楽と無縁の世界を生きるぼくでも、一度くらいは彼女の演奏姿を拝んでみたいなと思うほど、魅力的な想像になった。
でもさすがにどうにかしてまでと思ったわけじゃない。そうだったらいいなと軽く思う程度だったけど、その想いはすぐに現実となる。
翌日、ぼくは教室で頭を抱えて悩んでいた。はて、かつてこれほどまでのピンチに直面したことがあったろうか。
いや、あったかもしれない。
こんなピンチくらい、ぼくは幾度となく乗り越えてきたじゃないか。もっと自分の力を信じてあげたらいい。己を鼓舞し、目の前の問題と真剣に向き合う。すなわち、それは──。
卵焼きから食べるべきか。それともやっぱりウインナーを先に食すべきか。
すっかり行き先を見失ったお箸が弁当箱の上をウロウロと彷徨う。ぼんやりと考え事をしていたせいか、うっかりペース配分をまちがえて白米が多めに余っちゃったのだった。
ぼくとしたことがとんだ失態だ。まったく、困ったものだよ。
さて、どう攻めるか。やはりここはウインナーには肉としての誇りと尊厳を胸に、先陣を切ってもらうとして──。
いや、待て待て。
この局面だ。ウインナーは、ぼくにとってのリーサル・ウェポン。登場させるのはまだ時期尚早じゃないか。のこる白米を卵焼きの両肩にまかせるのは、ちと荷が重い。
いや、卵焼きのポテンシャルを信じるんだ。
と悩みは尽きなかった。こうみえてぼくも遊んでいるわけじゃない。ただいま魅惑の謎作りの準備中なのである。まるで嘘のような話だけど、嘘じゃあない。
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