第86話 ノロマなカメ

 ウサギとカメのぬいぐるみを不思議そうに眺めるしーちゃんを、

「ちゃんと謝れてえらいね」

 と鬼柳ちゃんは褒めていた。


「頑張ったしーちゃんに、そのカメをプレゼントしてあげる」


「いいの?」


「うん。その子、ジローって言うの。大事にしてあげてね」


 その名前は受け継いでいくんだね。気付けば鬼柳ちゃんは、こちらを見ていた。思い付いたように訊いてくる。


「守屋くんって、本当は子供好きなんじゃないの?」


「ぼくは──」


「兄ちゃん」


 言葉をさえぎられ、呼ばれた方をふと見てみると、ひとりの男の子が立っていた。


「プロレスしようぜ」

 と言うと同時に、その男の子は突っ込んで来た。


「うぐっ……。みぞ落ちに、頭がっ……」


 男の子はとても楽しそうだ。崩れ落ちたぼくへの攻撃も欠かさない。こいつ、出来る。息も絶え絶えにぼくは言う。


「子どもはきらいだね。容赦がないから」


 その男の子の友達だろうか。別の男の子も楽しそうだと、ぼくの上に乗っかってきた。だんだんと人数が増えてきている。


 ああ……。ぼくは今日、死ぬかのもしれない……。



 佳奈ちゃん達に見送られ、ぼくたちは保育園を後にした。あの後、鬼柳ちゃんが園児たちと遊んでいる間に、ぼくは保育士さんにいろいろと事情を尋ねてみた。


「どうもね。しーちゃんのお母さんはシングルマザーらしいんだよ」


 あの日、公園のベンチで日光浴をしながら寝ていたひとがいたっけ。恐らくそのひとがお母さんなんだと思う。きっと大変なんだろうな。クタクタで眠ってしまうほどに、日常生活をがんばっていた。


「そのコツコツ真面目にがんばるお母さんの姿を、カメに重ねて見てたんだと思うよ」


 寂しかったのだろうか。


「しーちゃんが本当に欲したのは、ウサギでも、カメでもなく、お母さんだったんだろうね」


「ふーん。そうなのね」


 明るく笑う鬼柳ちゃんは、どこかすっきりとした顔をしていた。園児たちに絵本を読んでいた時とは、またちがった顔付きをしているな。そんな横顔を見ていると、鬼柳ちゃんは突如として口を開いた。


「ねえ、守屋くん」


「ん?」


「あの絵本ね」


 きろりと上目遣いで見つめられた。


「本当はわたしに向けて作ったんでしょ」


 おや、気付いたか。


「あはは、ばれた?」


「やっぱりね。何か変だと思ったの」


 実はあの絵本は鬼柳ちゃんに読ませるために用意したんだよね。


 ぼくが読ませたかった内容は、

『悪かったところは深く深く反省して、カメにもきちんとあやまりました』だ。


 あの日、ジローがいなくなった時に真っ先に疑われてしまったのは、ぼくだったからね。してきた事が黒幕だったからとしても、とりあえずで疑うのはやめてもらわないといけない。


「さあ、しーちゃんを見習ってもらおうか」


 鬼柳ちゃんは、

「うう」

 と唸り、どうやら意を決したようだ。ぺこりと頭を下げた。


「理由もなく疑って、ごめんなさい」


「うんうん。分かればいいんだよ」


 ぼくは大仰にうなずいてみせた。とても満足だ。


 鬼柳ちゃんは、

「まったく、回りくどいことを」

 と言い、腕を組んでいる。


「いいじゃないか。ついでに謎も解けたことだしさ」


 快活に笑うぼくにつられたのか、鬼柳ちゃんも笑っていた。


「守屋くんは、ほーんとに捻くれてるね」


「そうかなあ。分かりやすい性格だと思うけどなあ」


 くすっと笑われてしまった。


「そんなんじゃあ、新しいクラスでもきっと苦労するよ」


 ほっといて欲しいね。そうか、もう明日から新学期が始まるのか。


「あ」


 絵本を作っていて、宿題が手つかずになっていたことを思い出した。鬼柳ちゃんの顔色を窺いながら、恐る恐る訊いてみる。


「時に鬼柳ちゃん、宿題はもうやったのかな?」


「うん」


「お願いがあるんだけどな」


 ぼくを見てにこりと笑い、いたずらな視線を向けてきた。


「えー? どうしようかな」


 すこし悩んだフリをして、鬼柳ちゃんは言う。


「真面目にコツコツとがんばった方がいいと思うの」


「あ、ひどい。ノロマなカメじゃ間に合わないことだってあるんだよ」


 鬼柳ちゃんは笑いながら、ウサギのようにぴょんぴょんと駆けていってしまった。ぼくにはもう追いつくすべがないよ。


 まいったね。居眠りでもしてくれないものだろうか。

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