第61話 訪問者

 せっかくだから演奏していくと言う中原先輩を残して、ぼくは音楽室を後にした。いまは演奏を聞いている心の余裕がない。心が逸る。足取りも軽い。跳ねるようにして歩きながら、悩ませる事はただひとつ。


 それはこの事件を鬼柳ちゃんに話すか、話すまいかということ。


 なにも鬼柳ちゃんの能力を疑っての話ではない。彼女の手にかかったなら、事件は見事解決へと導かれることだろう。でも、忘れちゃいけない重要なことがひとつ。


 ぼくがこの謎作りにはいっさい関わっていないということだ。この一点に尽きる。これは夢にまで見た、ぼくが探偵になれる又とない、千載一遇のビッグチャンスだ。


 いいのかな。いいよね。自問自答が頭の中をぐるぐると駆け巡る。だれかの謎に触れる機会なんて、中々あることじゃない。先輩も期待していると言っていた事だし。


 よし、決めた。


 今回は鬼柳ちゃんにも黙っておくことにしよう。わるいね、おあずけだよ。今回だけだからさ。ごめんねと勝手に断りを入れておく。当人は諸手を挙げて喜びそうな気もするけれど、きっと気のせいだろう。


 さてと、どこから取りかかったものか。


 おそらく犯人は、もう校舎にはいないと思う。盗みを働いてのんびりと犯行現場に残っているとは考えにくい。犯人としては一刻も早く立ち去りたいのが心情だろう。


 もしくは明確な理由でもあれば、残っているかもしれない。例えば困った中原先輩をみてみたいだとか、振られた腹いせに泣く姿を拝みたいだとか、他には、他には。


 ──きりがなかった。


 理由は、いくらでも想像出来てしまう。美人というものは本当に、それだけで罪深い物なんだなと改めて実感する。なら仕方ないやね、理由は後まわしとしよう。


 べつの視点から攻めてみようか。


 先輩の話から察するに、やっぱり証書は中庭に行っている間に盗まれたとするのが落ち着きが良い。いちど現場を見ておこうかなと思い、三年生の教室へと向かった。


 階段を上り、先輩のクラスを思い返す。あら、何組だったかな。たしか前にここを訪れたのはピアノの怪談話のときだった。あのとき三年生の教室に緊張していたぼくが、来月からこの階を使うんだと思うと。


 なんだかそれは不思議な気持ちになる。


 三階の廊下には、まだパラパラと卒業生が残っていた。きっと別れを惜しんでいるのだろう。なんとか思い出せた中原先輩のクラスにも、男女のグループが残っていて会話を弾ませているようだった。


 そっと顔を覗かせると、ひとりの女生徒がぼくに気付く。


「あら二年? なんか用?」


「ええと、中原──」


「ああ、アンタもか。まだいるかなー? 中原は中庭よ。頑張んなー。お姉さん、応援したげちゃうから」


 話し終わる前に遮られてしまった。しかもあらぬ誤解のおまけ付きである。ただのせっかちな人なのか。それとも──。


「……ぼくで何人目ですか」


「えー? ひーふーみー」


 彼女は宙を眺めて指折り数えだし、元気よく手を差し出した。


「ごー! あれ? ろくだっけ?」


「六だよ。お前はほんと記憶力ねえなあ」


 隣にいた男子生徒が答えた。なるほど。それだけ来たなら、対応も雑になるかな。


「中原先輩の机はどれですか」


「何すんのー。 あたしらもう卒業だから。ラブレターなら仕込んでも、ムダ、だよ。少年、お姉さんならもらっといてあげる」


 ニヒヒと笑い出しそうな笑顔。


「実はですね。先輩の卒業証書が──」


 一通りの説明をして、先輩の机に近付くひとが居たのかを聞いてみた。


「いや、俺らずっと教室いたけど。そんな奴みてないよな」


「そうそうー。みんな入り口で聞いて来るから、そのまま中原んとこ行ったしねー」


 先輩の机は廊下からほど遠く、彼らの横を通らずには近付く事も出来そうにない。これまでの時間に五人も先輩を訪ねてきている。その度に先輩の机に注意を払った。そこそこに監視の目は厳しそうに思える。


「そうですか。ありがとうございました」


「頑張んなー、少年。振られたらお姉さんが、なぐさめたげるよー」


 まだ言ってるよ。


 ちゃんとぼくの話を聞いていたのだろうか。そして何故ふられる前提なんだろう。お姉さんの監視の目はどうやらあてにはならないなと、ぼくは苦笑いした。

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