第60話 ノータッチ
白紙の卒業証書だ。はて、これはいったいどういう事なんだろうか。
「何があったんですか」
視線を移すと中原先輩は乱れた髪を手で掬っていた。その仕草に見とれていると、ちらりと目があってしまいドキリとする。
「君も知っての通り、卒業式で証書を受け取ったんだ。その時にはきちんと、私の名が刻まれていたのをこの目にしている」
卒業式がとくに問題なく執り行われたのは、ぼくも見ていた所だった。
「そして、その筒に証書を収めたわけだ。式典が終わるまでの間、これはずっと私の手元にあったんだ。退場後、私達は教室に戻り担任から最後の話を頂戴する。その時も証書は私の手元、カバンの中にあった」
ふぅむと唸った。いまの所はおかしいと思う所もなさそうだ。視線で続きを促す。
「そこで各自、解散となった。友人と語り合う者、記念撮影をする者、そのまま帰宅する者もいたろうかな。私はひとに呼ばれていたものだから、中庭に向かったんだ」
きっと例の告白大会のことだろう。
……先輩はなんと返事をしたのだろう。だめだねと小さく頭を振る。余計なことを考えている。どうにも集中できてないや。先輩はぼくの動きを見ていたようだけど、特に反応を示さなかった。
「その時、カバンと証書はどこに」
「カバンは教室に置いたままだった。が、教室内にひとはまだ残っていたからな。目立った行動をとる者がいたなら、たちまち誰かの目に触れたろうとは思う」
それは、ゆるい監視下にあったということかな。でも逆に言うと目立たなければ多少の細工が可能ということだ。二つ三つほど小細工を頭に浮かべながら話を聞く。先輩は腕を組み、空を見つめながら続けた。
「中庭でニ十分。いや、三十分ほど経ったろうか。その後は教室に戻ってカバンを手に取った。だがその時に違和感を感じた」
「違和感、ですか」
すこし眉根を寄せ、
「定かではないんだが」
と、前置きする。
「私はカバンの中に、あの筒を入れていたと記憶している。だが中庭から戻った時には、カバンの上に筒が置いてあったんだ」
「そして。中を開けると白紙だった、と」
先輩は静かに瞳を閉じた。
紛うことなき謎の事件だった。ほほう、と頬がゆるんだ。口は自然と持ち上がる。ぼくは密かに驚き、いいや、感極まっている。声に出して叫びたい、叫び回りたい。
ああ、なんてこった!
今回、ぼくは完全にノータッチなのだ。まったくあずかり知らぬ所の話であった。
その上、嬉しいことに今回のことは偶然や思い違いではとてもありえないことだ。卒業証書はただ盗まれただけじゃなく、わざわざ白紙にすり替えてあったのだから。
それこそ誰かが、『意図的に』謎を作ったという揺るぎない証にちがいなかった。
先輩には悪いかもしれないけど、ワクワクを抑えきれそうにない。考えもしなかった、ぼく以外にも謎を作ろうとする人がいるなんて。いったい何が目的なんだろう。
くうう、良いね。唆られる。消えた卒業証書。こいつはぼく好みの謎じゃないか。もう小躍りしたいくらいな気持ちだった。
「何やら、愉快そうだな。守屋君。案外、君の仕業だったりするのかな」
小首を傾げ、覗き込んできた瞳に思わず吸い込まれそうになる。やってもない罪を認めても良いかなと、そう思わせる瞳だ。中原先輩は絶対に警察官になっちゃいけないと思う。冤罪が蔓延ってしまうからね。
「何ゆえ、ぼくが犯人だと言うんですか」
あふれ出す想いに蓋をしながら訊くも、所々漏れ出してるかもしれなかった。
「君は私に卒業して欲しくないあまりに、証書を盗んでしまった、──とか」
ニコリと笑顔を向ける先輩を見ながら、ぼくは思う。薄々感じてはいたけど、中原先輩はひとをからかうのが好きなようだ。
それはぼくも分かっているのに、だけども照れてしまう。焦ってしまう。そして先輩は自分が怒られない事を確信している。尚の事たちが悪い。まったくずるい人だ。
ずるい笑みを浮かべながら言う。
「冗談だ、そう思っていたなら君に頼みに来ていない」
真剣な顔になって真っすぐな瞳で。
「どうか私に解決を見せてはくれないか」
じっと見つめてくる先輩の頼みをだれが断れるのだろうか。そして付け加える。
「期待しているよ、守屋君」
本当に先輩はずるい。
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