第42話 濡れた靴下
前を行く相合い傘。相手は鬼柳ちゃんの彼氏なのだろうか。彼氏がいると聞いた事はなかったけれど。でもまあ考えてみると、こちらから聞いた覚えもなかったな。しかし何だろうね。浮足立つと言うか。何とも言えない感情が湧き上がる。
見てはいけない物を見てしまったような感覚だよ。気付けば自然と距離が近付いていたので、歩くスピードを緩めて距離を保つ事とする。
ぼくはいま、不自然な動きをしているのだろうな。だがどうやら傘のおかげで身を隠せそうだ。いまこの時だけは雨でよかったと、そう思った。
イケメンが持つ赤い傘は、ふたりで入るには幾分小さそうだった。彼の持つカバンが、だいぶ濡れているように見える。傘は鬼柳ちゃんの方に寄っている。どうやら彼は優しい好青年のようだね。
いったいぼくは、どの立場から見ているのだろうか。自分でも良く分からなくなってきたよ。そんなぼくが見守っているとは露知らず、ふたりの赤い傘は下駄箱へと吸い込まれていった。
ぼくはタイミングをずらそうかと、校門前ですこし佇んでいた。ぽつりぽつりと降っていた雨は、いつの間にやら雨足が強くなってきている。冷たく降り続く雨だ。ぼくは靴下が濡れる不快感にすこしだけ耐え、下駄箱へと向かった。
雨の日の下駄箱はとても混雑している。それぞれが雨具を片付けたり、靴下を履き替えたりと大渋滞だった。人口密度が高いせいだろうか。熱気がこもり、ムワンとしている。
空いていたスペースで傘の雨を落としていると、天真爛漫な笑い声が聞こえてきた。声の元を辿ると一組の男女が仲睦まじく、それはそれは楽しそうに登校してくるのが見える。
「あははっ。おっかしー。あれ? ここ二年じゃん。やだー。ちゃんと言ってよねー」
パシパシと彼を叩き、彼女は明るく笑っている。彼の方も何だか嬉しそうだった。
「もう、楽しすぎて、こっち来ちゃったじゃんかー。じゃあ、またね」
そう言って彼女は三年の下駄箱へと向かっていく。三年生だったのか。彼女がぼくの横をすり抜ける時、ふいに目が合い、にっこりと人懐っこい笑顔を見せてくれた。つられてぼくも笑顔になってしまう。そんな愛嬌のある素敵な笑顔をしていた。
手ぶらで去っていく彼女の後ろ姿を見送り視線を戻すと、一緒にいた彼からの視線を感じた。
「俺の女に手を出すな」
と言わんばかりの顔をしている。まるで狂犬のようじゃないか。そんなつもりはないんだけどな。
面倒はごめんだ。
そそくさと下駄箱から離れ、教室に向かう事にした。廊下を歩いていると、先ほど見た顔がそこにあった。
教室の窓越しに、鬼柳ちゃんはこちらをじっと見ていた。目があったかと思うと、鬼柳ちゃんは視線を下に落とし、しばらく見た後ふいっとあちらを向いてしまった。
なんだろう。ぼくの裸足に上履き姿が、お気に召さなかったのだろうか。靴下履かない系の人に怒られるよ。
とは言ったものの、その後の授業は足元がスースーとして、とても落ち着きやしなかった。ぼくはやはり靴下履く系の男子だったようだ。
それとも目ざとい鬼柳ちゃんは、ぼくが後ろにいた事に気付いていたのだろうか。まっすぐ登校すれば、靴下は濡れなかっただろうにと推理した──とか。まさかね。
あれから数日、時々、登校中の鬼柳ちゃんを見かけはしたけれど、例のイケメン彼氏は一緒ではなかった。
何だったのだろう。雨の日だけ現れる彼氏。ワンナイトラブみたいなもの何だろうか。ワンレインラブとでも言えばいいのかな。
ぼくが再びイケメンの姿を見るのは、もう少し後のことだった。見るタイミングとしては最悪だったのだろうと思う。何せイケメンの彼が告白する場面だったのだから。
その日は晴れだった。雨が降ってれば良かったのにな。傘があれば、そんな場面も覆い隠せただろうに。
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