15「心の行方」(3)


「っ! ふざけんなっ!」

 軽薄そうに笑う青に向かって、エイトは拳を叩き込む。だがエイトの拳は空しく空を切り、身体を捩じって避けたイースが、その腕をぐいと抱え込み拘束する。腕を捻り上げられて、エイトは苦悶の声を上げながら無様に地面に押さえつけられる。

「ふざけてんのはエイトくん、お前やろ? あんな山羊の頭、持って帰ってどないすんねん? 人間はな、『相手から人間らしい反応が返ってきて、初めて満足する生き物』なんやで? そんな人の真似事すら出来ん獣の頭を持って帰っても、愛せるのは最初だけやで。僕が言うんやから間違いないわ」

「貴方のその目……やはりあの者の目でしたか……」

「っ……目、だと?」

 どこか納得したように肩を竦める老人には、エイトに説明しようとする素振りはない。あくまで『事態を理解はしたが、詳細までは興味がない』とでも言いたそうなその態度に、エイトは時折走る激痛に耐えながら聞き返す。エイトが隙を見て立ち上がろうとする度に、イースが関節を極めてくるためだ。

「僕のこの目ぇ、キレーやろ? これはな、僕の恋人の目ぇや。このじいさんに殺された」

「!?」

「その節はどうも。とてつもない手練れでしたので、思わず私も本気で相手をしてしまいました」

「そのせいで恋人は、首から下どころか鼻から下が吹き飛んでもうた。それでも非戦闘員が犠牲を出しながら回収してきたのは、そいつの目に映像を記録する機械が埋め込まれてたからや。情報の詰まった脳と目だけになったあいつは、記録の回収のために延命されてた。記録を引き出す“処置”をした後、廃棄処分されるあいつを僕は引き取ったんやけど、ずっと部屋の培養槽に浮かんだままのあいつに、僕は『疲れて』もうた」

「何を問い掛けても応えは返らず、しかしその瞳だけは一人前に感情を映す。そうでしょう?」

「全くもってその通りやわ。じいさんも僕以上にえげついことしおる。脳と目ぇだけになってもても、最初は僕も愛してたで。そりゃそんな見た目になってもても、持ち帰るくらいには真剣に愛してたんやもん。でもな、その姿の相手に欲情は出来んかった。一年も経てば生身を纏った他人に目移り<逃げ>もしたなる。そんな生活を続けてたら、いつしかあいつの目は、僕のことを軽蔑するようになってた。任務で疲れて帰ったら、あいつの目がいつも問い掛けてくるねん。そんなん、耐えれへんやろ?」

 イースの声に嗚咽が混じった。その青き美しい瞳には、無機質な四角が浮かんだまま。その四角から逃げ出すように、感情の雫が零れ落ちる。

「貴方は本当に……特務部隊ですね。決して私情を挟まず、任務を第一に行動出来る。私のことは最初からわかっていたのでしょう? よくも僅かな殺意も見せずに、私の前に立てましたね」

「それはお互い様やろ。それに僕はもう、“吹っ切った”からな。物言わぬ目線に耐え兼ねて、気が付いたらその脳みそを叩き潰してた。もう、自分が何をしたかったんかもわからんわ。だからな、エイトくんは僕みたいになったらあかんねん」

 イースがその青の瞳で、エイトの顔を覗き込んで来る。部屋の照明は白のまま、その白に染まりもしない暗闇に淀んだ青だった。綺麗な色だと出会った時にはエイトも思っていたが、それが今は、どこか哀しくそして暗い。まるでその瞳に落とし込まれた深い憎悪に染まったように。その憎悪はきっと――

「……嫉妬だ」

「へー、お前ほんまに鋭いな。これも全部じいさんの教えか?」

「ほぉ……正解ですよ。エイト。お若いのによくわかりましたね」

 その瞳は嫉妬に満ちていた。それとよく似た瞳を見せつけられた後だから、エイトにもその感情はよくわかっていた。自分にとって一番大切なその人が、どこからともなく現れた他人に奪われていく。そんな現実、耐えられない。でも、今の自分は人の形すらしていなくて……

 嫉妬の憎悪を宿した緑が、目の前で揺れている。それは『エイトへの困惑』だった。鋭すぎる女の勘が、エイトの心に巣食った想いを敏感に嗅ぎ取って、失くした言葉の代わりに問い掛けていたのだ。『何故?』、『どうして?』、『なんでその老人に愛情を抱いているの?』と問い掛ける。

「それは……」

 咄嗟に言葉を紡ごうとして、それがまるで彼女への言い訳のように思えて、エイトはそこで口を噤む。緑の瞳は真っ直ぐエイトを見据えたまま。責めるようにも失望したようにも、その緑を揺らしている。

――オレの言葉はもう、言い訳にしかならないのか?

 愛しい彼女だった。愛しかった。この身に愛を教える男がいなければ、ずっとずっと愛していた。今でもデミのことを愛している。しかしそれは、胸を焦がすような狂おしいまでに求めるこの気持ちとは違っていた。

 彼女は――エイトを求めはしても、エイトを押し上げる存在ではなかったのだ。彼女はエイトの学生生活を救いはしたが、助けはしなかった。

 学内で孤立するエイトの隣で、彼女はいつも一緒にいた。しかしそこに他の輪を繋ぐことは決してしない。彼女はきっと、エイトのことを……独り占めしたかったのかもしれない。

 学内でも登下校中も、彼女はエイトを独占することに成功した。頭が足りないという問題は、勉強以外にも問題があったようだ。自分に友達がいないことはずっと理解していた。だがわざわざ作る必要性は感じていなかった。それは何故か。デミがいたからだ。例え異性でも女友達でも、それは特別な友達であり、唯一無二の、彼女がいればそれで良かった。

 でも、本当は……

 エイトは心の奥底では、友達を求めていたのだろう。だから気さくでまるで兄のような、イースの存在に安心感を覚えた。今ならわかる。その安心は、心の平穏に他ならない。人の心に敏感なエイトが、彼女の心を蝕む小さな嫉妬を、見抜けないはずがないのだから。他の女を排除していた彼女の心に、エイトは気付かないフリをして、そしてそこに微かな疲れを感じていたのかもしれない。

 そして彼女は、思い描く未来のために仕方なく使用人となったのだろう。本当ならばどこかで働きながら、エイトの軍人になるという夢を一番近くで見守って、他の人間を寄せ付けずに、二人だけの未来をつくるはずだった。しかし――

 エイトの目の前に、軍人が現れた。その軍人は老人で、正確には退役軍人だ。デザキアではなくデザートローズの所属ながら、その多大なる功績のおかげで、軍の上層部にも口を利くことが出来る立場にある。彼は約束してくれた。エイトをデザートローズの軍へ迎え入れると。さすがに家族までは難しいだろうが、エイト一人ならば問題はないだろう。

 エドワードはエイトの望む全てを与えてくれる存在だった。軍人という立場も、そこに至るための技術と心得も。そして何より、寂しさを抱えたこの心に深い愛情を与えてくれる。

 それはまだ子供であったエイトの心を育むには充分で。何もかもが未熟なエイトを、エドワードは怒ることもなく包み込んでくれるのだ。そこにあるのは愛情だけ。そこには決して嫉妬はない。醜い独占欲も他者を拒絶する幼き女もいない。

 軍部に所属する人間は、男性が八割だと言われている。それはこのデザキアの街に限ったことではない。大陸全土の都市において、女性の軍人の割合は男性に比べると圧倒的に少ないのだ。それは男女の筋力の差の違いもあれば、単純に命の危険のある仕事に対する意識の違いもある。娘の軍隊入りを諦めさせたという話なんて、腐る程聞いたことがある。また、軍の中でも妊娠の問題がある女性は、長期の遠征に配属しにくいという話もあるらしい。

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