15「心の行方」(2)

「それって、デミはどうなるんだ?」

 大事な説明がなされていないのだ。獣の心臓とおそらく頭部を引き剥がす。獅子の身体の部分はもちろん、その上部の山羊の部分の上半身。そこでデミは、『生きて』いるのだろうか。

「獣の身体の器官を引き剥がすので、もう人間の頃の彼女のようにはなりません。言葉を話せず、その醜悪な山羊の頭部で物事を……理解、出来ると良いのですが……」

「あの子の魔力は心臓だけやろ? ならあんな頭、いらんやん。それこそ心臓に身体<人形>繋いで――」

「――あの瞳を見るに、ある程度の感情は脳に移っているようなので、引き剥がすのは心臓だけでなく頭部も必要だと判断しました。イースさんが言うように、心臓だけならばまだいくらでも、『人型』に寄せられたのですが……」

「デッカイ山羊の頭やからな。それにあの声帯やと、出せても唸り声か鳴き声や。まぁ、エイトくんがそっちの趣味なら、啼き声ぐらいは出すかもやけど」

「気持ちを通じ合わせるのはその瞳のみ。それでもエイト。貴方は彼女を『助け』ますか?」

「よぉ考えや。エイトくん。心臓と頭だけの命を繋げるには、生命維持のための装置にずっと繋ぎっぱなしになるってことや。そうなったら彼女にはもう自由はない。もちろんこの獣の姿のままってのもナシやで? それは僕も、このじいさんも命令に反することになるから見逃せへんわ。あくまで『合成獣』としての危険性がなくなった状態なら、持って帰ってエエでって言ってるねん」

 二対、いや三対の真剣な瞳にエイトは晒される。全ての闇を飲み込んだような漆黒が細められ、暗がりから湧き出たような青が同情からか淀む。その瞳に浮かぶ四角からは、無機質な起動音が響いていた。

 目の前の、困惑に揺れる緑と目が合った。思えば彼女の瞳は、ずっとそうやって困惑に揺れていた。緑がかった液体に揺れるその瞳も、そこを突き破って獅子の足でこの地を踏みしめた時も、エイトの前で、その緑はずっと揺れていた。驚愕に、そして――

「デミ?」

「エイト。もう彼女は、人としての喜びを感じることは出来ません。貴方のその愛情も、彼女に真の意味では理解してもらえなくなってしまったのです」

「僕もあんまり、その選択は賛成したないわ。エイトくんまだ若いんやし、エエ女も男もこれからいっぱい――」

「――黙れよ。お前ら二人共……デミの目を見もしないでっ……デミがあんな目をしてるのは、お前らのせいじゃねえのか!?」

 エイトの言葉に、こちらを見る二対の目の質が変わる。全ての闇を飲み込んだような漆黒は鋭いものとなり、暗がりから湧き出たような青は、その口元と共に歪められた。

「なんやな、お前……けっこう鋭いやんけ。自分が来るまで僕らが『何した』んか、わかってもたんや?」

 イースはエイトに向き直ると、犬歯を剥き出しにして笑った。端正な顔立ちの悪い笑みは、人間の根本に恐怖を植え付けるには充分で。それはイースが初めて見せる、人殺しの狂気だった。悍ましい過去の犯行を語った時にすら感じなかった、重く深いその悪意が、鍛え抜かれた身体から滲み出ている。

 銀の剣をだらりと持ったまま、彼は身に着けていた使用人の服を脱ぎ捨てる。下に漆黒の制服を着込んでいたイースの表情は、正真正銘『特務部隊』の顔だった。冷徹で、一切の私情を挟まない。軽薄そうな口元は歪み、そこから流れる言葉には、その意味の奥底に確かな悪意を隠している。

 彼はもう、獣に視線を向けることすらしない。その視線はエイトのみに注がれていた。それは隣のエドワードも同じ。彼等は、わかっているのだ。獣は自分達の脅威になりえないということを。

「……デミに……何したんだよ?」

 『彼女の目』には深い『困惑』と、『恐怖』が映っていた。言うならば、その二つの感情のみに揺れていた。そこにエイトへの愛情等、最初から浮かぶこともなかったのだ。あるのはただ、『人への困惑』と『人への恐怖』。それは獣としては当然の反応で。

 しかしそれを植え付けた者は、この目の前にいる二人なのだ。獣はなにも最初から、人を恐れることはない。そこに恐れを抱かせる、それだけのことをしなければ。

「この獣……あー、デミちゃんと混ざる前な。凄い暴れるからこの培養槽に入ってるんやけど、なんとか暴れさせてフリン・スペンサーごと自滅してくれへんかな思て、これに使う水にもちょっとずつ僕の魔力混ぜ込んでたんやわ。でも全然暴走せんくてなぁ。どうやらずっと眠らされてたみたいやわ。おかげで一か月は時間無駄にしてもた。まぁ、それでも、エイトくんらと会えたから良かったっちゃ良かったんやけど」

「イース、お前……最初からここの存在わかってたのかよ!?」

「まぁ、ある程度はわかってへんと潜入なんて危ないことせんからな。もっとハッキリしてたらそれこそ、最強の狂犬部隊が直接乗り込んで来るぐらいするやろけど。とにかく僕の任務はこの合成獣を無力化してこの施設を破壊することや。当人は逃げてもたけど、それだけやっとけばしばらくは合成獣も造れんやろ。邸宅の改修もせなあかんし、数年大人しくさせといたら、当面の安全は保障される」

「おや、そんな生ぬるいことで上層部が納得するのですか? 彼等の目的はフリン・スペンサーの首と、この施設の記録でしょう?」

「それは、そうやけど……エイトくんに同情するんは本音やし。どうせ僕の目はこの任務までや。それなら『任務の真実』をエイトくんのために、『目を瞑って』無かったことにするんも悪くないわ」

「……フリンのことはどうでも良い。デミをどうしたって聞いてんだ」

 気を抜けば獣のような唸り声を上げてしまいそうになる。やはり自分は獣だと、エイトは改めて思い知った。目の前の緑を見詰めながらエイトは、学生時代に呼ばれた自身の悪評のことを思い出していた。

 幼い頃から体格は、年齢にしては小さかった。だが、その小柄な体躯を武器に、エイトは他者を寄せ付けないまでの強さを手に入れたのだ。例え井の中の蛙だろうが、エイトがその学校内で敵無しであったことは事実なのだ。軍からやってきた講師にもたくさん褒められたのだから本物であろう。

 獅子程の強靭なる体躯も、鷹のような鋭い瞳もない。己にあるのはこの小柄な体躯だけ。鍛え上げた若い肉体と、足りない頭。そして――残骸<引き剥がされたモノ>に手を伸ばす躊躇い。

 エイトはハイエナだと呼ばれていた。しかし、エイトはハイエナではなかった。ハイエナにはなれなかったのだ。彼等のように食べ残された残骸に手を伸ばす、引き剥がされたモノすらも食らう。その光景を直視出来ない。

 憎しみに赤を濃くするエイトを見て、イースの笑みが大きくなる。その表情が全てを語っている。彼の魔力を源とする、残酷な裏切りを。

「液体越しやと埒が明かんから、さっきあの子の理性を眠らせたんやわ。そしたら全然飼い主のこと狙わんくてなぁ。腹立つで。せっかく魔力使っても意味ないんやもん。やから、ちょっと……魔力の枷を強めたんやわ」

「魔力の枷、だと!?」

 イースの魔力は『対象の脳の一部を眠らせる』力がある。その魔力を強めるということは、生命活動に支障が出るのではないのか。

「僕ら特務部隊にとっては、あの子の脳なんて必要ないからな。継ぎ接ぎの技術見れたらそれでエエから、パーツは下半身だけで充分や。やから行動を統率してる頭をクラッシュさせたろう思て」

「そんなことしたら、デミはっ!」

「あー、仮に心が脳にまで到達してたとしたら、あの子の心は壊れてまうやろな。でもな、べつにエエやろ? だってお前はその時、ここに居いひんかった。最初から醜悪な獣の頭やったって言ったら、それでお終いやん?」

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