12「使用人の仕事」(2)


 もう、先程までの造り上げられた親しみやすさも感じない。ひやりと背筋を伝う、この空気は殺気だ。どっかりと地面に腰を下ろしているのはイースだけだ。立ったまま、すぐに動けるのはエイトとエドワードの側のはずなのに、それを許さない魔力の圧を感じる。

「……貴方は、特務部隊の『睡魔』ですね。その節はソウジュがお世話になりまして……」

 そこにはもう演技は必要なかった。陸軍としての口調でそう言ったエドワードから、おぞましいまでの魔力が溢れ出す。溢れ出す魔力が目に見えることはない。だがはっきりとそこにあると認識させる程に、彼から溢れ出る魔力はしっかりと形を成していた。哀しい、深い憎悪の魔力だった。

「ソウジュ……? あー、あのデザートローズの陸軍のオッサン、じいさんの同僚かなんかか? 確かそんな名前やったな。ならじいさん、僕の作品見てくれたん? どうやった? エエ出来やったやろ?」

「貴方には人間の心はないようですなっ!!」

 歪に口元を歪めたイースはまるで別人のようで。エイトとエドワードから距離を取るように飛び退った彼の手には、いつの間にか銀色に光る細身の剣が握られている。エドワードも武器こそ持たないものの、鋭い瞳で受けて立つように構える。

「お、おい! こんなところで何してんだよ! イースもジジイも、ここはスペンサー邸の中なんだぞ!?」

 手入れの行き届いた草花を挟んで向かい合う二人の間に割り込み、エイトはそう声を荒げた。本当に、いったい何を考えているんだと怒鳴りそうになる。

――こんなとこ、誰かに見られたら……っ!?

 そこでエイトはおかしなことに気付いた。庭には数人が出て来ていたはずだ。それなのに今は、人の気配を全く感じない。歩いている者も庭に座る者も、誰もいない。

 その理由は、周りを見渡してすぐにわかった。歩いていたであろう者も、座っていた者も、皆が皆、地面に倒れ伏していた。倒れ込んだままピクリとも動かない。

 ぐるりと庭を見渡していたエイトの瞳が、イースを捉える。彼の口元は歪に歪んだまま。口から零れる涎の代わりのように、その手に握られた銀の剣から雫が滴る。

「誰かに見られる、なんて……僕がそんなミスするワケないやろ」

「エイトさん。どうやら彼の魔力は既に発動しているようです。彼の魔力は『脳の一部を眠らせる』能力です。あの剣――いえ、正確には彼の手からなのですが、滴る液体に触れてしまうと、脳を毒されてしまいます。接近戦は得策ではありません。おそらくもう、邸宅の者は皆、彼の手にかかっています」

「同僚さんの死体、ちゃんと調べ上げたんやなぁ? 自分の手で同僚の頭、調べ上げるんはどんな気分やった? ちゃんと綺麗な断面にしたん? それとも頭蓋骨は溶かして脳を丸裸にしたん? どうしたんか、僕に全部教えてや」

「脳を眠らせるって何だよっ!? それに、誰の話してんだよ!?」

 挑発的な笑みを浮かべるイースの口から、闇に絡め捕られた言葉が零れる。それを自らの耳で聞きたくなくて、エイトは遮るように大声で言った。まるでいやいやをするように両手で耳を塞ぎ、駄々をこねる子供のように、自らが受け入れたくない言葉を拒絶する。だが、いつもは優しい老人が、いつもよりは硬い口調で、そして憐れむように答えをくれる。いつも答えをくれるのは老人だ。こんな時でも、どんな時でも。

「ソウジュはデザートローズの陸軍所属。私の良き友人でした。彼は陸軍の軍人であると同時に、密かに特務部隊にも籍を置いておりました。しかし上の利益関係の、とてもつまらない些細な理由で、彼は特務部隊の中で粛清の対象となりました。その時、彼を粛清したのがこの『睡魔』です。陸軍への見せしめのために、彼の脳の大部分をその魔力で『壊した』。過剰な眠りの魔力により脳の大部分を壊された彼は、ただ前進するだけの、肉の塊になっておりました」

「上の連中が言ってたんやわ。『ソウジュのオッサンは真っ直ぐ過ぎる。歪みを知らない人間は、本当に真っ直ぐは進めない』ってな。その言葉を僕なりに表現してみたんやけど、どうやった?」

「貴方達特務部隊は、いつもそうやって殺して尚、死者を愚弄するのですね。エイトさん。こちらへ。そのサンドウィッチには魔力は込められていないようですが」

「へー、よぉわかったな。そこのエイトくんと約束したからな。僕の邪魔せんなら危害は加えんで。ちょっと面倒やから使用人らには眠ってもらったけど。あ、安心せえや。ほんまにちょっと『眠らせた』だけやから、全部終わったら起きるって」

 歪な口元はそのままに、そう言ってヘラヘラと笑うイースに、エドワードも構えを解いた。友人の仇を目の前にしても、自らの任務のために私情を捨てて合理的な判断を下す。今の話を聞いただけでも頭に血が昇りそうなエイトには信じられないが、どうやらエドワードはイースへの仇討ちを今のところは堪えるようだ。

「貴方の目的は?」

「この邸宅で造られているであろう、合成獣の抹殺。そしてその証拠を持ち帰り、フリン・スペンサーを豪商の地位から引き摺り下ろす」

「なるほど……ならば私達と目的は合致しているのですね」

 エドワードが暫し考えるように黙った。その姿にイースも剣を腰の鞘に戻す。二人の魔力ももう、溢れ出す程ではなくなっている。エイトは足元に残されたままのサンドウィッチには目もくれず、エドワードの元へと駆け寄る。

「うわぁ、エイトくん。そりゃ傷付くわぁ。目的一緒なら、僕と一緒に行こうやぁ」

 勝手に項垂れているイースのことはとりあえず無視だ。作戦の立案はエドワードの役目なので、エイトは彼に従う他にない。昨日までは二人が殺し合わずに仲良く目的の達成が出来れば良いのにと、気楽なことを考えていたが、イースはエイトが考えていた以上に狂った人間だった。

 それは、もしかしたら特務部隊全体に言えることなのかもしれない。軍部のことを何も知らないままだったら、エイトはもしかしたら軍部の全体がそうなのかもしれないと思っていたかもしれない。軍部に所属する軍人は、皆、人の死を愉しむ狂人達だと。

 しかし、それは違うとわかっている。老人は狂っていなかった。そして、自分もこれから狂うつもりはない。

「オレはエドワードの作戦に従う」

「へー……んで? そのエドワードさんはどないするつもりなん? 先言うとくけど、あんまり……時間ないで?」

 イースがそう言ったその瞬間、邸宅から激しい地響きが鳴った。低く響くその音は、地獄の門が開くように長く、そして暗く響いた。まるで獣の叫びのように、エイトには聞こえた。

 地響きの余波の影響か、まるで誘うように邸宅の扉が音を立てて開いた。扉の向こうには豪奢なエントランスが広がっており、そのなんら変わらぬ煌びやかな空間から、確かな殺気がじわりと庭へと流れ出てきた。

「……いったい貴方は、何をしたのです?」

 訝しむようなエドワードの視線に、イースはふっと笑った。これまでの笑みとは違い、まるで自嘲のような笑みだ。

「僕は脳の一部を眠らせることしか出来ん。特務部隊の人間からしたら、欠陥品もエエとこや。やけどな、例え一部でも。上手くやればこんな邸宅、簡単に墜とせるねん」

 彼の声に獣の咆哮が重なる。甲高いその遠吠えが、やけにエイトの耳を刺激した。

「合成前の人間を毒したら、その合成先も毒されるやろ?」

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