12「使用人の仕事」(1)
スペンサー邸の朝は早い。使用人の仕事等今までやったことのないエイトは、エドワードと同じく終日、庭の手入れをする『庭師』というポジションを担当することになった。炊事洗濯、掃除等が得意ならばそちらに回される手筈だったようだが、エドワードが気を利かせるまでもなく、壊滅的な家事スキルを披露した結果、なんの問題もなく二人で庭の一部分を担当することになった。
「問題なんて、ありまくりだっての!」
エイトは、悲惨な惨状を共に見ていたエドワードとイースの苦笑を思い出しながら、抱えていた大量の木の枝を放り投げた。投げ捨てた枝が、朝から何往復もして積み上げていた枝の山の上にバラバラと落ちる。
家事なんてもの、生まれてから今まで経験したことがなかったエイトは、見事なまでに家事のスキルも才能もなかったのだった。今まで親の姿を見ていてはいたはずなのに、見様見真似にも形にすらならなかった。
呆れた様子で『せめて皿洗いくらいはなぁ』と言った、イースの力のない笑顔が頭から離れない。エドワードは何も言わなかったが、それでもその漆黒にはいつものような力がないように思えた。彼は庭師としてのスキルを早々に見せつけて、一人で充分だという太鼓判を押されていた。
庭師のスキルだってエイトにはない。だからエイトはエドワードのお手伝い、もとい雑用係として主に肉体労働を担当することになったのだ。今はエドワードが切り落とした木々の枝を、焼却用の材木置き場に何度も往復して運んでいる。斬新なデザインにでもしているのか、えらく木々を切り落としていた。
枝を捨ててエドワードの元に戻ると、彼は作業を中断しており、庭に咲いた花を座って眺めていた。遠目から見たら庭の手入れが終わって休憩している、人畜無害な老人そのもの。いつも優しい、争いごとなんて以ての外な、一般市民にしか見えない。だが彼は、恐ろしく強い軍人なのだ。昨夜聞いた『狂犬部隊』なんてのも、エイトからしたら霞んで見える。
「おや、エイト。お早いお帰りだね」
周りを見渡しても人影はない。庭師は自分達の他に後二人いるのだが、前庭――手入れした草花を砂嵐から守るために、広い範囲をガラス製の屋根が覆っていた。門から入り口まで歩いている時には気付かなかったが、まるで石造りの通路を挟んだこの前庭は、二つのショーケースが並んだように見える――を担当しているのはエイトとエドワードだけなので、この広大な庭に二人しかいないのは極自然なことである。それでもエドワードは警戒して、設定通りの言動を貫く。
「ああ。あんなのオレにとっては朝飯前だっての」
「家事も朝飯前だと良かったのに……」
そう言ってふぉっふぉと笑われて、エイトは思わず設定のことも忘れて老人の頭をコツンと殴った。歴戦の戦士である老人は、設定通りに黙ってその拳を受けている。見える範囲に人がいないにも関わらず、その漆黒の瞳をわざわざ丸くさせる演技まで見せるのだから心配性だ。
「そ、それは言うんじゃねーよ!!」
身内に対しての言葉遣いがあまり分からないが、エイトは手が出てしまった手前、その気恥ずかしさと動揺を誤魔化すように声を荒げた。問題があったら老人からなんらかの訂正が入るかと、ちらりと横目で老人の姿を確認する。彼は「痛たた……」と頭を摩ってから、「エイト。そのすぐ手が出る癖を直しなさい」と至極真っ当な文句を言った。うん、これは多分大丈夫だったんだろう。身内への返答としては問題なしのようだ。
「ご、ごめんなさい」
さすがに手が出てしまったのはエイトが悪いので、素直に謝る。するとエドワードは優しく微笑み、エイトの頭を撫でてくれた。まるで本当の孫と祖父のように。きっと本当に自分に祖父がいたとしたら、こんな風に――いや、きっとこんな穏やかには育ててくれなかっただろう。あの親の親だ。まともに孫を可愛がる保証はない。
「エイトは優しい子なんだから、すぐに手が出てしまうと損をしてしまうよ。お前の言葉には優しさが詰まっているんだから。その拳は人を守るためだけに使いなさい。いいね」
「う、うん」
「家事は時間がある時に私が教えてあげようじゃないか。お友達になったイースくんも、厨房が担当なんだってね?」
エイトの担当を決めるために、炊事の技術を見るために厨房に通された際、料理人の恰好をしたイースがそこにいたのだ。彼はエイトを見た瞬間目を丸くしていたが、更にその後、エイトの壊滅的な家事スキルに更に目を丸くしていた。整った顔の人間に、まさかあんな表情をさせてしまうとは。
「うん。まさかイースが、あんなに料理が上手いなんて思わなかった」
大惨事と言えるエイトの“仕事”の後片付けをさらりと終えて、イースはそのままこの邸宅の主のための朝食を作り始めた。手際良く出来上がっていく料理達は、その見た目もさることながら、とにかく無駄のない作業手順に目がいった。あれは料理が得意、なんて単純なものではない。職人技――プロなのだ。刃物のプロ。
ひやりと、背筋を嫌な汗が伝う。
「……特務部隊は裏側の仕事を請け負う機関です。その任務は主に暗殺が多く、獲物の懐に擦り寄るためにあらゆるスキルを使います。相手との関係が濃密になれば、獲物に毒入りの手料理を振舞うことも容易でしょう。昔、特務部隊の人間と話した時に言っていましたよ。『出来ないことを出来ると言うのは難しいが、出来ることを出来ないと言うのは簡単だ』と」
この時ばかりは軍人の口調に戻ったエドワードの言葉に、エイトはうすら寒いものを感じていた。その存在全てを獲物の暗殺のために研ぎ澄ましている。そんな存在がよりにもよって、獲物の邸宅の厨房を任されている。それは正しく特務部隊の方針の賜物であるのだ。イースがその気になれば、この邸宅全ての人間に毒を盛ることなど容易いだろう。彼は一番最初に、邸宅の主の首を取る算段をつけていたのだ。
「あいつはフリン・スペンサーを殺すつもりなのか?」
「……特務部隊は、南部の軍とは基本的には敵対関係にあります。わざわざ軍との関係を悪化させる危険を冒してまで、豪商の一人を殺すとは考えにくいですが、任務の都合上必要とあればすぐにでも殺せる、ということでしょうね」
「砂漠の国は秘密主義、だからな」
「……まぁ、そういうことですな」
エドワードのはぐらかすような返答が気にはなったが、エイトは敢えてそこで話を終わらせた。視界の遥か向こう側、邸宅内へと繋がる大扉が開いて、そこから話題の人物――イースが現れたからだ。大きなカゴを脇に抱えている。扉からの距離はかなり離れており、エイト達の声が彼に聞こえることはない。その瞳に仕込まれた四角にも、口元を鮮明に映し出せる距離ではないだろう。
軍人の顔からすっかり優しい祖父の顔になったエドワードが、気付いていないフリをしながらエイトに、「こんな豪勢な邸宅の庭を手入れ出来るなんて、腕が鳴るわい」とそれらしいことを言ってくる。イースは真っ直ぐこちらに歩いてくる。まだ距離は遠い。使用人の仕事はどうしたのだろう。もしかして、もう秘密も暴いて――邸宅の主も始末したとでも言うのだろうか。
「エイトくん! 僕、これから昼飯なんやけど、一緒にどう? あ、おじいさん? 厨房でちらっと見たけど、初めましてー。僕、厨房担当のイースって言います。厨房の残ぱ……じゃなかった。余りで弁当作ったし、三人で食べません?」
所属を知っているエイト達からすれば白々しい程のセリフを吐きながら、イースは満面の笑みで歩いてくる。いつの間にか昼の時間になっていたようで、開いた扉から何人かが庭に出てきている。スペンサー邸の昼食の時間は基本的には自由時間とされており、昼食は食堂以外にも庭や自室で食べることを許されているようだ。
イースにはエドワードのことは身内だとしか話していないので、彼からすれば周りにいる同僚と老人に対するカモフラージュのセリフである。そのためエイトも彼に合わせる。エドワードは敢えて知らないフリを演じてくれる。
「エイト。彼は?」
「使用人仲間のイースだよ。昨日……友達になった」
友達という言葉の響きに少し心がどきりとして、エイトは思わず言葉に詰まってしまった。そんなエイトにイースは笑って、「昨日シャワールームでバッタリ会って、話してたら楽しかったんで部屋でも話してたんです。お孫さんを夜遅くにすんません」とフォローする。
「イースくんだね。私はエドワード・ディマーです。孫と仲良くしてくれてありがとう」
「いえいえ。エイトくん、優しいエエ子なんで。どうぞ、コレ。今日の余りの具材詰めたサンドウィッチです」
「これはこれは、気を遣ってもらってすまないね。エイト、いただこうか」
「あ、ああ」
満面の笑みを浮かべるイースのことは、正直信用して良いのか怪しいところだ。エイトは人の嘘に敏感だ。イースは抱えていた大きなカゴを地面にどさりと置く。しっかりと手入れされた庭の草花はちゃんと避けている。そんな細かい気配りが、どうしてか彼の裏側を感じさせる。美味しそうな香りが開かれたカゴから漂うが、エイトの嗅覚はそんな餌には惑わされない。彼の真意を知りたくて、エイトは先に腰を下ろしたイースを見下ろす。
真上に昇った太陽の光が、イースの短い金髪を明るく照らす。その下の青の瞳は、相反するように闇を抱えていた。例の四角は見えないが、まるで裏側の悪意がそのままその瞳に滲み出ているようだった。淀んだ青が、エイトを――いや、二人を見上げる。
「……何してるんや? さっさと座りぃや」
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