第38話 frames per second その4
「いくら動体視力が良くても、見えてなきゃ防ぎようがないだろ? もうちょっとで私に届いたのに、惜しかったねェ〜アドラくん」
「て、テメェ……ますます理解できねぇ……」
顎を押さえてうずくまるアドラの姿は、馬車が進むにつれて次第に小さくなっていく。
尻尾の遠心力に任せて振ったつるはしが見事にヒットしたんだ。彼はしばらく動くことができないはず。
カオルの言うように、彼は惜しくもあと一歩のところで、見事にカウンターを食らってしまったというわけだ。
いや、むしろ、つるはしが「刺さらなかった」だけ彼は幸運だと言うべきなのかもしれない。もっともカオルのことだから、その辺りは調整したと思うけど。
「そ、その姿は……?」
馬車に乗ってから驚きっぱなしのリエフさんが、猫のような目を白黒させながら聞いてくる。彼の部下も、荷台の上のカオルを二度見、三度見。
たとえ獣人であっても、角と尻尾の生えたカオルの姿には意表を突かれたらしい。
「色々説明したいとこだけど、余計な詮索は無しでお願いしますよ。それより、ちょっと馬車止めてもらっていいですか? 今はあいつから情報聞き出さなきゃ」
そう言われ、リエフさんは口ごもりながらも渋々馬を止めさせた。
倒れ伏す刺客へ近づくカオルに続いて、僕も荷台を降りる。
銃は構えたまま、警戒は怠らない。
「さーあ、吐いてもらおうか。フレームレートを認識する力や、それに付随する身体能力、それらをどこで手に入れたのかを! つってもまぁー、どうせ神様から貰ったものだろうがね。あと君ホントに元老院知らないの? あ、そうだ。ついでに聞きたいんだけど『サキュバス』って分かる? もしこの世界にいるなら会いたいんだよねー」
「だから…………
「うぇえええええええ⁉︎」
「っ⁉︎」
朦朧としているはずのアドラは、こちらの予想に反し、すぐさま起き上がった。
僕は、ギャグ漫画チックにたまげているカオルの横をすり抜けて、アドラの足を狙い銃を撃つ。距離にして30m弱、確実に射程内。————しかしそれは、当然とでも言うかのように
「やばいユウくん、一旦戻ろう!」
「う、うんっ」
「クッソ、回復速すぎるだろあいつ! キレイに顎に当てたのに〜!」
余裕も一転、バタバタと逃げるカオルに引きずられて、僕は降りたばかりの荷台へ登る。速攻で戻ってきた僕たちを、マルカが慌てながらも苦笑いで、「あらあら」と迎えてくれた。
登ってすぐ、アドラの方を振り返る。
幸い、アドラは銃弾を避ける時、後方へ移動していた。元々開いていた間隔が、今はさらに広がっている。
カオルもそれを確認して、一時撤退の檄を飛ばした。
「やっぱ出して! お願いしますっ!」
「は⁉︎ あなた何を——」
「しゅっぱぁーつ!」
部下の2人は、リエフさんに指示を仰ぐまでもなく馬に鞭を打つ。もはやカオルのことをリーダーだと思っている状態だ。
馬に申し訳なくなるほどの急停車と急発進で、僕たちはアグトス方面へひたすら逃げる。
リエフさんはカオルに様々なことを問い詰めようとしていたけど、何を言っても無駄だと判断したのか、たてがみをシュンとさせて、膝を抱えておとなしくなってしまった。
「カオルさん、今更ですけど大丈夫なんですかこれ? 私たち割ととんでもないことしてませんか?」
逃げる中、マルカがいつものようなキョトンとした顔——いや、少し引き攣った顔で、「ずっと気になっていた」と心情を吐露した。
カオルがサキュバスとしての姿を
「ハハハ、何言ってんのマルカ。大丈夫なわけないだろ」
————しかしながら、カオルは死んだ目をしてそう答えた。
「は?」
「衛兵に逆らったうえに、顎までブン殴ったんだぞ? 指名手配間違いなし! さあどうするマルカ⁉︎」
「わわわわ私に振らないでくださいよ! カオルさんならどうにかしてくれると思ったから聞いたのに!」
全てを台無しにするような答えを受け、マルカはカオルに掴みかかる勢いだ。
(なんか……いつもこんなやりとりしてるな……)
でも、やっぱり飽きない。それどころか、こんな2人を見ると安心できるくらいだ。
そんな風に思うのは、きっとマルカと同じように、僕も「カオルならなんとかしてくれる」と信じているから。
「だけど策はあるんでしょ?
僕は、自信と希望に満ちた声でカオルに聞く。すると期待通り、彼女は目を光らせて、僕に子どものような笑みを向けた。
「ンッフフ、わかる? わかっちゃう? 聞いたかマルカ、やっぱり理解のある相手には伝わるんだ。君もユウくんを見習うといい」
「は、はあ……」
「察しの通り、こうしてバカみたいに逃げ回っているのは、アドラを油断させて引きつけるための布石に過ぎない。
(それ、リエフさんにも効くんじゃないかな?)
案の定、「ただで返すわけにはいかない」というセリフを聞いたリエフさんは、ビクッと毛を逆立たせて、小動物のようにプルプルと震えだした。とてもライオンの獣人とは思えないお姿。だけどカオルはそんなのお構いなしに話を続ける。
「そして町に踏み入るわけにもいかない。あんな奴に追われてるところを住人に見られでもしたら、今後の活動に支障をきたす。——だから確実に迎え撃つ! この
「了解」
言いながら、もう一度腹這いになって、リロードを終えた銃を構え直す。
カオルの言う通り、アドラはまたも驚異的なスピードで、執念を纏う脚を前へ前へと踏み出していた。
「カオル=サキヤアアアアア! テメーは絶対に許さねえッ!
離れているのに、まるで目の前で言われているのかと錯覚するほどの大声が、空気をビリビリと震わせる。
「ハッハーァ! 私と能力バトルしようって? なかなか熱い男じゃあないか。そういうの嫌いじゃないよ。——だが、勝つのは私だ」
カオルは不敵に笑うと、ポンと僕の肩を叩いた後、リエフさんに向かって「ちょっと手伝って」と言って、何かの作業を始めだした。
僕は足止めを再開するべく、トリガーを引く。
体のどこかにでも弾を当ててしまえば、『アドラを倒す』という目的自体は達成できる。だけどカオルは「自分の能力で」と言った。なら、決着を付けるのは
(だとしても、こっちの方のやりとりは……そろそろ終わりにしないとな)
極限まで的を絞り、アドラが地面を踏んだ瞬間に撃つ。体が浮いている状態なら、少しは避けづらくなる。
けれど、彼は一筋縄でいく相手ではなかった。弾が近づくたびに、最小限の動きで避けてしまう。まるで僕が撃つタイミングや銃の反動、馬車の揺れを完全に把握しているかのようだ。
(せめて、揺れを抑えられれば……)
僕は意を決して、横で見守っているマルカに声をかける。
「マルカ、僕の上に乗って!」
「えぇ⁉︎ で、でも……」
「僕は大丈夫だから。お願い!」
「は、はいっ!」
どうにか勢いで促して、マルカに僕の上へ跨ってもらう。
こうすれば、下から伝わる振動を、マルカの体重で抑えることができる。
期待を込めて、再度トリガーを引く。だけどその弾は、今までよりも遥かにブレた弾道を描いて飛んでいった。
「あぁ⁉︎ ナメてんのかクソガキ!」
「くっ……今度は荷重のバランスがっ! マルカ、もう少し下に! ……もうちょっと下!」
「あ、あの、ユウくん……これじゃお尻が……」
「気にしないで! 気にすると思うけど気にしないで!」
声を大きくして頼むと、マルカはズリズリと動いて位置を変えてくれた。
ちょうど僕のお尻の真上に彼女が跨る形だ。顔は見えなくても、彼女が赤面しているのが分かる。
「よし、だいぶ良くなった! ありがとう!」
マルカを恥ずかしがらせないように、わざとらしくお礼を言って銃を撃つ。
「なっ⁉︎ チィッ」
急激に鋭くなった銃撃に、さすがのアドラも体勢を崩しはじめた。
それでも、避けるのに十分な余裕があることに変わりはない。当てないのは前提としても、『足止め』をするには、いまひとつ届かない。
「仕方ない。マルカ、僕に覆い被さって!」
「
覚悟を決めたマルカは、ガバッと僕に体を重ねた。
僕の背中には、彼女の激しい鼓動が届き、僕の頬には、彼女の荒い吐息の熱が伝わってくる。
(さすがに緊張する……)
18年の記憶を振り返ってみても、こんな経験は存在しない。
あの淫魔に抱き枕にされるのとはまた違った感覚の、初々しさのある密着。
(こんなの、
「ユウくん……重くないですか?」
「え? う、うん! 大丈夫だよ。ちょうどいいくらいだ」
「ちょうどいい……?」
「銃の反動も馬車の振動も、これでうまく抑え切れる」
マルカの声に、少しフワフワしていた体を引き締める。
あとは撃つだけだ。
「わあっ! マルカ何やってんの⁉︎ お姉さんそういうのは許しませんよ! ってか私と代わって!」
指に力が入った一瞬の緊迫感を、後ろから聞こえるカオルの声がぶち壊した。まあカオルなら、この反応も当然だ。——でも
「ダメだ! カオルじゃ重すぎる!」
「ぐがっ……! っ ……!」
マルカに乗ってもらったのは、弾道が動いてしまうのを抑えるため。体のサイズ的に、マルカに乗ってもらうのがベストだったんだ。つまりカオルは適さない、そう、負荷がかかりすぎる。
(……あれ、僕、今なんて……)
「ユウくん……さすがにそれは……」
耳のそばでマルカに囁かれて、ようやく気づく。
僕はただ冷静に、重量のバランスを考えていただけだった。だから今、カオルにも、冷静にそう言った。……言ってしまった。
「ご、ごめんカオル! 重いって、別に変な意味じゃ……!」
振り返ると、ぎっくり腰にでもなったように顔を歪める彼女がいた。
必死に弁解しても、口を出た言葉はもう戻らない。銃弾と同じだ。
そしてそれは、皮肉にも外れることなく、カオルの痛いところを見事に貫いてしまったらしい。
「〜〜〜〜ッ! そうだな! 私は
(は⁉︎)
「ッッッ! 〜〜〜〜! そうですねデカいですね! わかりましたから、さっさと作業に戻ってください!」
なんてことだ。
「ほらほら、ユウくんは私が支えますから。カオルさんは作業続けてくださいよ」
(マ……マルカ⁉︎)
マルカはこれみよがしに、ギュッと体をくっつける。
敵が迫ってきている真っ最中だというのに、言い返すことの方が優先なようだ。
「ざぁ〜んねん、ちょうど作業は終わったよ。ここからは私もユウくんについていよう——と言いたいとこだが、それは君に任せる」
「え? カオルさん……?」
カオルは憎たらしい表情をしたかと思えば、すぐに真剣な目に戻り、後ろのリエフさんに向き直った。
「サキヤ殿、これをどうするつもりですか?」
リエフさんは大きく息をついて、担いでいた袋を下ろす。よく見ると、荷台にはそんな袋が増えていた。
中身は——石炭。さっきつるはしを移したのと同じように、カオルとリエフさんは、隣の馬車から石炭を移していたんだ。
「どうするも何も、ぶん投げるんですよ、コイツを」
「な、投げる⁉︎」
カオルは袋から石炭の塊を取り出し、両手に握った。そして尻尾は、もう一度つるはしに巻き付ける。
カオルがまた荷台の縁へ向かうのに合わせて、アドラの足音が大きくなる。
「来いッ! アドラ=アバローナ!」
カオルは赤髪のポニーテールと白衣をなびかせて、真っ向勝負の構えを見せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます