第30話 ラボへ戻ろう!

「おはよ~、ユウ。よく眠れたか?」


 和みの宿での夜を過ごした後、僕たちは普段の服装に着替え、また玄関で合流した。みつるはいかにも魔術師らしいローブを纏っていて、また以前のような掴みどころのない雰囲気に戻っていた。

 初めて会った時は、彼の浮雲のような態度を警戒したけれど、友情の芽生えた今となっては、「これが満なんだ」と納得できるようになった。


「うん、だいぶスッキリしたよ」

 僕は、それこそ友人に話すような気軽さで返事をする。

 ――そう、昨日はかなりよく眠れたんだ。


 抱き枕にされていたのは相変わらずだけど、僕に絡まるカオルの腕は、とても柔らかくて、温かくて、まるで子に寄り添う母親のようだった。


(親のいない僕がそう思うくらいだから、よっぽどだ)


 いつもは「絶対に離さない」とでも言うかのような力でギュッと抱きしめられて、彼女の豊満な体で顔を塞がれる息苦しさで目覚めるけれど、今回はそれもなかった。


 もしかしたら、カオルはずっと怖かったのかもしれない。

 世界を敵に回しても、一人で研究を続けて……転移した後だって、最初は一人で旅をするつもりだったはずだ。そんなの、怖いに決まってる。


 偶然ついてきた僕にさえ、本気で入れ込んでしまうほど、カオルは不安を抱えていたんだ。


(でも、昨夜……)


 思い出すのは、布団の中でカオルと交わした言葉。


『僕がカオルを守るよ』


(は……はずかしいっ!)


 よくあんなセリフが言えたものだと自分でも思う。でも、それに対してカオルは僕が知っている中でも一番の笑顔を見せて、それから安心しきったように、いつものカオルに戻った。

 そして今朝の穏やかな目覚め。つまり昨夜の僕は、彼女を安心させられるだけの何かを見せられたということだ。


 僕が自分の意志で、彼女の力になると言ったから、勝手にいなくなったりしないと伝えたから、彼女は安堵したのかもしれない。


 だとすれば、僕はカオルの拠り所になれたのかな。

 僕の存在が、少しでも彼女の不安を拭えるのだとしたら、こんなに嬉しいことはない。

 ——カオルを助けるという意味でも、僕の存在意義を示すという意味でも。



「ん? どうしたユウ、ボーッとして。あ! まさかこのおばさんに何かされたか⁉︎」


 少し物思いに耽っていると、珍しく本気で心配した様子で満が僕の肩を揺さぶった。


「え⁉︎ い、いや何も……」

 カオルのことを考えている最中だったから、という言葉に色々なコトを想像してしまった。

 僕はそれを咄嗟に振り切り、平静を装ってどうにか言葉を返した。


「フッ、危うく一線を超えるとこだったが大丈夫だよ。……あと、おばさんじゃなくてお姉さんな」

 底知れぬ怒りを滲ませながら、カオルも口を挟む。けれど満はそれを受け流し、自分のペースで話を続ける。


「やっぱり何かあったんじゃないか……。まあいいや、とにかく僕はこの辺で失礼するよ。そろそろ馬車も来るだろうし。で、アンタらはこれからどうするんだ?」


「うーん、とりあえずラボに戻ろうかな。いよいよ電力が限界だろうし、入れなくなる前に一旦整理するとしよう」

 カオルは瞬時に怒りを収め、今後の足取りを定める。

 この切り替えの速さも年の功か、さすがは



 僕とマルカもカオルの提案に賛同し、今一度アグトス方面へ戻ることが決定したとき、


「あ゛ーーーーっ!」


 マルカが何かに気づいたような表情で、悲鳴にも似た叫びを上げた。


「うぉあ! な、なに? 大丈夫かマルカちゃん!」


 満を始め、僕とカオルも驚愕の顔でマルカを見る。

 そしてマルカは——


「帰りの馬車の手配を忘れてましたぁ!」


 目を見開き、口を大きく開けてそう言った。


「あっ。……あぁ〜」


 カオルが「そうだった」とこぼし頭を抱える。

 僕も完全に失念していた。

 この世界には、僕たちが使っていたような通信システムは存在しない。こうして旅館でチェックアウトを済ませ、その場で業者に連絡して足を確保するなんてことは不可能だ。ましてここは町から離れた林の中、厩舎なんて都合のいいものは見当たらなかった。


「ううう〜どうしましょう、このままじゃ移動だけで1日以上かかるかも……」


 ラボのバッテリーが限界に近づきつつある今、1秒たりとも無駄にはできない。そんな中で移動手段が歩きだけというのは死活問題だ。


 一体どうするべきか、それを考える時間さえ惜しい。そう思っていると、満が呆れ果てながらも楽しそうに僕たちを見ているのが目に入った。


「満?」

不可解ながら、ほんの少しの期待を込めて彼の方を振り向く。


「そ〜んなことだろうと思った。仕方ない! こっちの馬車に乗りな!」


「い、いいんですか⁉︎」

マルカが目を輝かせ、満の言葉に飛びつく。同時に、満のドヤ顔に磨きがかかった。


「さすがにここで見捨てちゃうとボクの株ガタ落ちだからね。ま、先行投資だよ先行投資。どこかでお返ししてくれ」


 ありがたいことに、満はベストな回答をしてくれた。

 カオルは『お返し』という言葉に心底面倒臭そうな顔をしたけど、さすがに断る道理は無いようだ。


(ナイスだよ満。渡りに船、いや、渡りに馬車だ)



 〜〜〜〜〜


 女将さんたちの見送りを背に、馬車が林の中を駆けていく。

 荷台はかなり大きめで、4人全員とその荷物が乗っても余裕があった。それに内装も豪華で、もはや荷台というよりは客車に近い。やっぱり、満の力は侮れないな。


「正直助かったよ。ここは六道りくどうくんに感謝しておこう」

強気な口ぶりには似合わない、にこやかな瞳でカオルが言う。実際、満がいなければどうにもならなかった。


「なぁに、先輩からの餞別みたいなモンさ。いやー、実を言うとね、ボクも初めて馬車を使った時に同じミスをしたんだ。やはり前の世界とは勝手が違う」

感謝を述べるカオルを横目に、昔を懐かしむような顔をする満。


 そういえば、満はいつの時代から来た人なんだろう。少なくとも今の話を聞く限り、交通手段がそれなりに発達していた時代なのは間違いない。


「それにしても、すごくいい所でしたね〜。またみんなで来たいです!」


 そんな転生、転移者たちの苦労話を、マルカのほんわかした声が切り替える。

 宿での時間がとても楽しいものだったのは、彼女のこの柔らかい雰囲気があったからこそだ。


 しばらくの間、みんなで宿の感想を言い合い、馬車の中には和気藹々とした空気が広がった。


「そう言ってもらえるとウチの上司も喜ぶよ。あのジイさん、けっこう頑張って和風文化を広めたらしいし」


 話が一段落したところで、満がそう言った。


「和風文化……ね。やはりこの世界の発展には、元老院、というか転生者が関わっていると見ていいのだろうか」

 満の言葉に、カオルはすかさず指摘を入れる。


 この世界の成り立ちについての情報は、カオルにとって何より重要なものだ。


「概ねそうだろうな。そのおかげで、アンタたちもこうして滞りなく異世界ライフを送れるってわけよ」


「そうか……」

 同意を得ると、カオルは黙って思考を始めてしまった。


 カオルの予想では、まずこの世界で独自に文化が発展し、カオルの先祖がこの世界を追放されたことをきっかけに、にそれらが持ち込まれたということになっていた。

 だけど現状手元にある情報で推察すると、順番が逆になる。

 実際ここと人間界では文明レベルに差があって、人間界の方が上だ。これに関してはカオル自身も戸惑っていたはず。

 でも、カオルが持っていた本……魔導書ともう一冊……『技術書』。あれには、人間界の科学よりも発達したテクノロジーが記されていた。


(この世界の時間軸は、一体どうなっているんだろう)

 カオルにつられて、僕も頭を働かせる。


 僕とカオルが黙ってしまったから、残されたマルカは少し気まずそうだ。

 それを見た満が、間を保たせるように声をかけた。

 いつもわざとらしく胡散臭さを醸し出しているようだけど、こういう所での気遣いから、彼の根っこにある優しさが窺える。


「マルカちゃんも、この2人についていくの?」


「はいっ! もうお2人は他人ではありませんから。それに、カオルさんとユウくんと一緒にいると、すごく楽しいんです!」


 窓から差し込む朝日が、マルカの黒髪と笑顔を照らす。その姿はとても可憐で眩しくて、カオルですら照れた素振りを見せるほどだった。


「くぁ〜っ、めっっっちゃイイ子じゃん。やっぱりボクの目に狂いは無かったな。うちに欲しいくらいだ。いっそ元老院に来ない?」


「ダメ! あげない!」

「ふえっ、カオルさん⁉︎」


 色々な意味で美しい少女に絆された満とカオルは、それぞれがマルカを独占しようとした。

 カオルはマルカに抱きつき、キッと満を睨む。

 当のマルカは、今の状況に混乱するばかりだった。


 そんな様子を微笑ましく見守っていると、不意に馬車が止まった。どうやらいつの間にか、アグトスまで戻ってきていたらしい。


「っと、もう町に着いたか。どうする? 山まで行ってもいいけど」


「そうだね、時間が惜しいし、お言葉に甘えるとするよ」


「了解」


 満は客車を降りると、御者さんと二、三交わしてから再び乗り込んだ。


「よーし出発だ。昼前には着くってさ」


「おおっ、それは速いですね。重ね重ね、ありがとうございます。リクドウさん」


 マルカに感謝されて、満は得意気だ。

 あからさまに好感度を上げようとするのはどうかと思うけど、彼の気持ちも分からなくはない。

 マルカは何というか、喜ばせ甲斐のある相手だ。素直でいい子だから、嬉しそうにする姿がよく映える。


(でも、マルカがいなくなるのは僕も嫌だなぁ。ごめん満、やっぱり、マルカは僕たちの仲間だ)


 〜〜〜〜〜


「ご利用ありがとうございましたっと。……しっかし珍しいなあ、こんな山に何の御用で?」


「ええ、ちょっとね」


「……?」


 クレイオス山、もとい崎谷薫の研究所に辿り着き、僕たち3人は馬車を降りた。

 この近辺が大陸の端に近いということもあってか、山へ来るような人はほぼいないらしく、御者さんには不思議な顔をされた。


 しかしそれを、カオルが持ち前の魅力で誤魔化す。


 男というのは単純な生き物で、まず美女に弱い。さらにカオルのような絶世の美女がミステリアスな空気を出してしまえば、「ここは余計な詮索をしないのが男ってもんだ」と勝手に格好をつけ、そのままどこかへ去ってしまうのだ。


 この御者さんも例に漏れず、他の町で仕事があるという満を乗せて、サッと馬を出してしまった。


 あまり素性を公にできない僕たちにとって、カオルの美貌は凄まじく強力な武器だ。



「さーて、いそいで整理しよう! モタモタしてると中にいる間に電力が落ちて閉じ込められるからね!」

「なっ⁉︎ 聞いてませんよカオルさん!」

「言ってないもん! ほら行くぞー!」


 僕がカオルに女性としての魅力を感じたのも束の間、彼女は子どものようにはしゃいで、山に開いた洞窟へ駆け出した。


(うーん、黙ってれば本当に美人なんだけどなぁ。……だけど、こういうところもカオルの魅力なのかな?)


 僕は少し残念なお姉さんを愛らしく思った後、暗い洞窟の中を先導するために、彼女の背を追って走り出した。

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