第29話 逃げないよ

「い〜いお湯だった〜。 美少年の体も拝めたし、どさくさに紛れてさわれたし!」


「それは僕の前で言わなくてもいいんじゃないかな?」

「ほんとブレないですね〜」


 風景最高だった温泉の初体験を終えて、僕たちは用意されていた浴衣に着替えて合流した。


「おうさブレないとも。 私はいつだって美少年が大好きだ! 特に湯上りなんてもうたまんない!」

「むぐっ」


 火照った体を冷ます暇もなく、カオルに抱きつかれた。

 さっきの続きとでも言うかのように、彼女は浴衣越しに優しく僕を包む。少しだけ水気の残る解けた髪が頬を撫で、その甘い香りについ意識を奪われてしまう。そして何より、暖まったカオルの身体が心地よかった。


「ハフッ、ハフッ、いい匂い! 浴衣も似合ってるよ〜ユウくん。やっぱり君は最高だ!」

「むぐぐぐっ」

「ほんと……ブレないですね……」


 前言撤回、苦しい。



「お、お客様ー、お食事の用意が整いましたので、よろしければ大広間へ……」


「あっ——ハイハイ、わっかりました〜。」


 脱衣所前の廊下でドタバタとやっていたら、通りがかりの仲居さんに苦笑いで声をかけられた。カオルはそそくさと身を離し、笑顔を取り繕うけれどもう遅い。ひどい場面を見られてしまった。


 仲居さんは頬をひくひくと引きつらせながら去っていく。



〜〜〜〜〜

「参ったな、貸し切りだからって油断してた。そりゃ仲居さんくらいいるよね」


「今の人、あの日アグトスの酒場で見たような……ここで働いていたんですね」


 照れ笑いをしながら、案内された通りに広間へ向かって廊下を進んでいた時、マルカが恐ろしいことを口にした。


「えっ、マジで……?」


 カッコーーーーン 。


 静寂の中、筒が石を打つ音が響く。アレは確か鹿威しとかいう装置だ。丸窓の向こうに見えるちょっとした庭園と、水流を受けて歌う緑の竹が実に風流。


 だけどカオルはそれどころじゃない。

 あの日——、サキュバスの能力を解放して”アニキ”を懲らしめた一件以来、彼女は一部の人々から『美人で気品のあるお姉さん』と認識されていて、彼女自身もできる限りそう振る舞っていた。スライムと戦う前に寄った雑貨店でのサービスも、そうした努力の賜物で、地味に恩恵はあったんだ。


 普段の態度を知っている人は何人かいるし、そもそも服装には気品の欠片もないけど、とにかくカオルは頑張っていた。

 それが全て水泡に帰す可能性がある。


「……ま、まあ弟に対してだけデレるお姉ちゃんに見えたかもしれないし? それならむしろ好感度上がるかもしれないし? いざとなれば催眠光線的なアレで……」

「いや催眠はまずいですよ」


(でも、この人のメンタルなら大丈夫か)

なんとなく、カオルならどうにかなるという予感がある。心配するだけムダだ。


〜〜〜〜〜


「見えてきた見えてきた」

床板を小気味よく軋ませながら歩いていると、和を尽くしたこの旅館の中でも一際趣のある、煌びやかな襖が現れた。


「さーてどんな料理が出てくるのかなーっと」


 カオルが軽やかな手つきで襖を開ける。その先には、低めの長机と座布団のセットがいくつも並んだ宴会場が広がっていて、その中心には——


「来た来た。おー、3人とも浴衣似合ってるじゃん」


 六道満が1人、ポツンと座っていた。


「何してるの? 満」

なんとも言えない空気を醸し出す姿がいたたまれなくて、気まずさを感じながらも声をかける。


「何って、ユウが来るのを待ってたんだよ」


「え?」

予想だにしない答えが返ってきて、ちょっとだけ頭がフリーズ。


 そんな僕を見た満は満面の笑みでニカッと笑い、両腕を広げて僕たちを歓迎する素振りを見せた。

 だけど、すかさずカオルがそれを制止し、ペースを握らせないように言葉を紡ぐ。


「ちょっとちょっと、ウチのユウくんをナンパすんな。どうせ一緒にご飯食べようって言うんだろ? この寂しがりやめ」

カオルはため息混じりに腰を下ろし、またも満と相対するように席に着いた。僕とマルカも、それに続く。再び3対1だ。


「いやーそうなんスよ、別に1人でも良かったんだけど、女将さんが『お連れ様も一緒に』って譲らなくてさぁ。まあせっかくだし、もう少し話していきましょうや」


 満は気怠げにそう言うと、部屋の横奥へ向かって「お願いします」と声をかけた。するとゆっくり、そして滑らかに襖が開き、女将さんが姿を見せた。

 彼女は手をついて一礼した後、料理を乗せたお膳を運び始める。その丁寧な仕草は、言葉を失ってしまうほどに美しい。


 そして女将さんの後ろから、数人の仲居さんが続けて入ってきた。こちらの動きもまた洗練されていて、指導が行き届いていることを伺わせる。


 僕は少しだけ、昔を思い出した。


 同じデザインチルドレンの仲間たちと共に、訓練に勤しんでいた日々を。

 状況こそ違うけれど、僕たちもああして教官の後ろをついて回っていた。今となっては懐かしい記憶だ。



「失礼いたします」


 その一言で、過去へ飛んでいた意識が引き戻された。

 言い終わると同時に、机の上には料理が並んでいく。この世界の食材、食文化は分からないけど、料理の見た目は元の世界の和食と変わりない。


「し、失礼しますっ」

カオルのところには、さっき話していた例の仲居さんがついた。


「ありがとうございます」

カオルは自身に対するイメージを可能な範囲で修復させようとしたのか、極めて清廉な態度でお礼を述べた。

 柔和な笑みを向けられた仲居さんが咄嗟に顔を逸らす。彼の頬には、確かな赤みがさしていた。


(幻滅されてなかったんだね)

なんだかこっちまで安心する。マルカの方を見ると、彼女も同じことを考えていたのか、小声で「良かった」と呟いた。


「へぇー、そんな顔もできたのか、崎谷さんよ」


 束の間の安息は、眼前の空気が読めない男によって打ち砕かれた。


「そんな顔?……何のことですか?」


「いやだからその顔だって。あと喋り方。ボクと話す時とは全く違うじゃんか。とても男湯を覗こうとした挙げ句駆け込んでくるような痴女には見えないよ。なあ、ユウ」


 言ってほしくなかった要素をことごとく吐かれる。


「えーと、その……人違いでは?」


「んなわけあるかい。この旅館に赤髪の女は他にいないし、間違いなくアンタだった。つーかさっきまで一緒に入ってたじゃねえか」


 仲居さんの赤に染まっていた頬が、まるでリトマス紙のように青ざめていく。今、彼の中のカオル像は、急速に歪められているのだろう。

 女将さんを含めた他の仲居さんたちも、全員が苦笑いを浮かべている。



 結局、気まずい空気はどうにもならないまま料理が並び終わり、女将さんたちは広間から出て行ってしまった。


「お前、お前ほんっと……ざっけ……ほんっと」

「あはは、ご愁傷様ですカオルさん」


「え、なに? マズいこと言っちゃった? いつもショタコンオーラ全開だし、人目なんか気にしてないと思ってたよ」


「そうだけどさぁ、壊したくないイメージってやつがあるの。……いいやもう、食べよ食べよ」


 珍しくバツの悪い表情を見せたカオルは、心を一転させるように箸を取り、温泉に負けず劣らず湯気を放つご飯に手をつけた。


「——うまい」


「私も〜。わあっ、おいしい! お米がふっくらです!」


「だろぉ? 日本出身の元老院メンバー監修による和食だ。この里芋煮たやつもイケるぞ」


 勧められるがまま、僕も皆に習って食べてみた。


「これは……ッ」

 一見大雑把にも思えるゴロッとした切り口の芋を、甘辛いとろみのあるタレが包み込んで絶妙な舌触りにしている。ホクホクとした食感のリズムが楽しい一品だ。


「お芋おいしい!」

マルカもにっこり。


「米に里芋……なあ、この世界の食材って、やっぱりのやつと同じってことでいいのかい? アグトスで食べたものも、見覚えのある食材ばかりだったし」


 人参、白菜、えのき、そして豚肉のようなものが入った小鍋をつつきながらカオルが問う。

 そういえば、彼女は転移したばかりの頃、『人間界あっちの言語や技術は独自に発明されたものではなく、持ち込まれたものである可能性が高い』と言っていた。食に関してはどうだろう?


「大体同じ。こっちの世界とあっちの世界、どっちが先かはわからないけどな」


「ふーん。じゃあこの刺身も……うん、イケる。これはマグロかな?」


「ああこれ? ゴンドムの刺身」


 魚の名前を聞いた途端、カオルの顔が曇った。対照的に、マルカは「ゴンドムおいしい!」と相変わらずの笑顔。


「ゴンドム……モ◯ルスーツか何か?」


「違う違う、ゴンドムはこの辺で獲れる魚の代表格。当然この世界独特の生き物だっているさ、モンスターがいる世界だぞ?」


「ああ、そりゃそうか、考えてみればその通りだ。まったく飽きないなこの世界は」

 カオルはすぐに落ち着きを取り戻し、二切れ目を口に運んだ。やっぱりおいしいことは確かなようで、次第に笑顔になっていく。


「そうそう、飽きないんだよここは。——そんな楽しい場所で、アンタらは何をしようとしてんだ?」


 僕もゴンドムを食べてみようかと思った瞬間、満の質問によって動きを止められてしまった。

 食べることに精を尽くしていたマルカも、この時ばかりは手を止め、冷や汗を流しながらカオルを見た。……でも口はずっとモグモグしてる。


「まだ教えなーい、私は君たちを信用しきっているわけじゃないからね」

 場の緊張感をものともせず、カオルは箸を休めない。それを受けて、満も仕方なさげに食事へ戻った。


「警戒心強いなぁ、元老院がアンタに好意的なのは本当だぞ? 例外もいるけど」


「それだよそれ、その例外が怖いって言ってんの」


「うーん、あのジイさん頑固だからな〜。でもまあ下手に喧嘩売らなけりゃ大丈夫でしょ! 他の連中も、邪魔さえしなきゃ仲良くなれるぜ」


「ならいいんだが」


 どうにか話は収まったようだ。

 緊張が解けると同時に、マルカはまた勢いよく食事を再開した。


(僕も食べよう)

 そう思い、小鉢に入った卵焼きへ手を伸ばそうとしたその時


「ん? ユウくん全然食べてないじゃないか。しょうがないな、お姉さんが食べさせてあげよう。はい、あーん」


「い、いや普通に食べてるし、今も—」


「あーん」


 圧力、ひたすらに圧力。これは断っても気まずくなるだけだ。


「あむっ……ありがとうカオル」

「うん!」


 恥ずかしいけれど、カオルが満足してるから良し。


「おぉ、いいなソレ! マルカちゃん、ボクにもやってよ!」

僕たちのやりとりを見ていた満が、ついさっきの様子とは打って変わって、ウキウキと便乗した。そしてその結果は——


「え、嫌です……」


 惨敗だった。さすがにこれは辛い。けれど僕にはどうすることもできない。ああ可哀想な満、どうか気を強く持って。


「だぁっははははは! 『嫌です』だって! あっはははははは! ひいーッ!」


「ぁあぁあああぁー、けっこう重いの入ったわ……」


「え、えと! 今のはその、勢いと言いますか! すすすす、すみません!」


 これ以上ないほど鋭い拒絶を喰らい、満は机に突っ伏した。それを見たカオルは爆笑し、マルカは慌てふためく。


 和やかな宿の雰囲気からはかけ離れた席だけど、なんだかみんな楽しそうだ。こういうのも悪くない。


(この世界と同じくらい、この人たちも飽きないな)

 なんとなく、そう思った。



〜〜〜〜〜


「ふうー、食った食ったー」


 なんやかんやと団欒を楽しんでから、僕たちはそれぞれの部屋に戻った。

 あの後ご飯を4杯ほどおかわりしたマルカは、部屋に入るなり布団に倒れ込んで寝てしまった。「満足しました」という感情が伝わってくるような寝顔が愛らしい。


「ドカ食いしてすぐ寝るのは体に悪いんだけどねえ。ま、若いうちの特権だ。それじゃ私たちも寝ようか、ユウくん」


「うん」


 明日からはまた冒険の日々が始まる。体力を存分に回復させるため、僕とカオルも眠ることにした。





〜〜〜〜〜


(寝れないな……)


 灯りを消してしばらく経っても、僕はまだ起きていた。

 仲居さんたちを見た時に思い出したデザインチルドレンのことが、かつての同僚たちのことがやけに頭を過ぎる。


(みんな、今頃どうしているのかな)


 僕はきっと『MIA:作戦行動中行方不明』として扱われているはずだ。通常なら、僕の後任として他のメンバーまたはチームが担当を変わる。だけど当初のターゲットだった崎谷薫も、僕と一緒に消えてしまった。

 その場合、残されたデザインチルドレンたちはどうなる?


 僕たちは元々、第三次大戦の引き金となった女を捕らえるという名目で生み出され、その大義があったからこそ生存を許されていた。


 用済みになった者たちの今後は?


(……いや、用が済む日なんて来ないのかもしれない)


 今までにも、訓練やミッションとして他国間の戦場に介入することは何度もあった。そしてその度に戦果を上げて、という戦力は注目を集めた。

 作られた理由こそ崎谷薫捕獲のためだけど、その運用方法はつまるところ『戦争の道具』だ。


 仮に、カオルを捕らえて世界中にそれを訴えることができたなら、戦禍の全てをカオル1人に背負わせることができたなら、第三次大戦は収束の兆しを見せるかもしれない。

 だけどカオルはもうあの世界にはいない。戦争は泥沼にはまるしかなくなって、デザインチルドレン道具が必要とされる場が増える。


 日本が持つ選択肢は、道具を作る技術で他国に対し有利に立つか、あるいは技術を他国に売り込んで保身に走るかだ。どちらにしても、デザインチルドレンがさらに生み出されていくのは間違いない。


(僕は、何をのうのうと、1人だけ逃げ延びているんだ……)


「眠れない?」

「あっ、ごめん。起こしちゃったかな……」


 あの世界で今も戦い続けている皆を想い、罪悪感に飲み込まれる寸前だった僕を、カオルの声が引き止めた。


「いいや、私も起きてたよ。引っかかることがあってね」


「引っかかること?」


 お互い布団に横たわったまま、静かに話す。


「ああ。温泉での会話の中で、六道は私たちのことを”転移者一行”と呼んだ。だが私は彼の前で『転移』のことを話した覚えはないし、彼自身、ついこの間まで私たちのことを転生者だと思っていたはずなんだ」


「あっ……」

言われてようやく気づく。確かに満はいつの間にか僕たちを転移者と認識していた。どうやって調べた? どうして調べた? 元老院は本当に、友好的な相手なのか?


「神様だとか私のこと嫌ってそうな爺さんだとか、きな臭い情報もある。世界の平和を脅かすつもりはないが、場合によっては彼らを相手に全面戦争なんてこともあるかもしれない。ハハッ、戦争起こしてばっかりだな、私は」


「カオル……」

力なく、悲しげに笑う彼女を見て、僕の中の何かが燃え出した。


「ユウくん、もしもの時は私はなんか置いてさっさと——」

「逃げないよ」

「っ……」


 そうだ。僕は1人で逃げ延びたりなんかしない。僕のミッションは、まだ継続中だ。


「僕はカオルと一緒にいる。僕がカオルを守るよ」


 デザインチルドレンは戦争のためだけの存在じゃないってことを、僕が証明するんだ。カオルとこの世界で旅をして、彼女を守りきる。


 そしてもうひとつ、この世界には、転生者や神様なんていう規格外の相手がいる。うまくいけば、あの世界の戦争を止める方法、みんなを助ける方法だって見つかるはずだ。


 僕はもう、かつての仲間の元へ戻ることはできない。だって、みんなはカオルを殺そうとするだろうから。


 だけど、救ってみせる。


 カオルは守るし、デザインチルドレンも助ける。


「それが、僕の目的だから」


「ユウくん……ユウくんっ!」

「うわっ!」


 カオルがいきなりこっちの布団に潜り込んで、ギュッと抱きしめてきた。その力は普段よりも格段に強くて、それでいて優しくて、僕は面食らってしまった。


「はぁーっ、かっこよすぎ! 大好き! 抱いて!」

「ちょっ、こんなところで……」

「ここじゃなければいいってこと⁉︎」

「いやそういうことじゃなくて……‼︎」



 和みの宿の夜が更けていく。穏やかな寝息をたてるマルカの隣で、カオルの息遣いは荒くなっていく。


 その頃一方、六道満はマルカに拒絶されたことを振り返り、静かに枕を濡らしていた。

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