魔除の指輪

椎那渉

魔除の指輪

 いつもの時間、いつものバスに乗る。通勤時間帯の電車には乗りたくないから、私は行きも帰りもバスに乗っていた。見た目はそれなりに可愛らしい車体に乗り込み、職場近くのバス停まで向かう。定期の値段は可愛くないけれど、片道一時間の道のりが私に与えられた自由な時間だった。職場と自宅の往復ばかりで、浮いた話はひとつもない。帰宅すれば後は夕飯と風呂、寝るだけになり、スキマ時間の寝る前に少し本を読むくらいで一日が終わる。


 今日も同じ一日がきた、そう思うと憂鬱なようでいて案外安心するものだ。変わらない毎日と言うのも退屈だけれど、急に異世界に飛ばされたりいきなり羽振りのいい相手に求婚されるなんて真っ平御免だった。私は世界を救ったりなんてできないし、結婚ですらするつもりが無いのだから。


「すいません、隣…いいですか」

「ええ、どうぞ」


 窓枠に肘を着いて曇り空を眺めていると、停った停留所から乗り込んだ女性に話しかけられる。元より相席するのが普通だと思っていたから、膝上の荷物はそのままに彼女が座るのを待った。

 バスに乗って初めての頃は相席するのも緊張してしまって、こんなくたびれた男が隣に座ったらさぞかし嫌な顔をされるのだろうと覚悟していた。

 それでも現実は優しかった。一言だけ挨拶を言えばあとは無関心、無感情の乗客を乗せてバスは目的地へと走り出す。

 無言で隣に座る人もたまにいるくらいだから、今は別にどうと言うことはなくなった。こちらをチラチラ見る人もいるが、そんな視線は慣れっこだ。


「……あの、」

「冷房弱めましょうか?」

「いいえ、それは…大丈夫です」


 言い淀む彼女へとふと視線を動かすと、左手の薬指に嵌った大きな指輪が見えた。近くに居る者がが既婚者だと無条件になんとなく安心してしまう癖、なんとかしたい。


「……」

「もしかして、貴方」

「私はただのヒトですよ」


 人から見れば人には見えない肌の色に髪の色、生まれついてのオッドアイは子供の頃から悩みのタネだった。

 肌の色は血色が悪く白いばかりで、髪は色の抜けた銀灰色、瞳の色は片方が黒く、もう片方は淡い紅とコスプレイヤーかと間違われてもおかしくは無い見た目らしい。歯並びは悪くないのにギザギザしていて人前で笑えないから、仏頂面でいたらいつの間にか眉間の皺が取れなくなった。実際に何度か出先で声を掛けられたけれども、どれも知らない世界の知らない魔王だったり悪魔の名前だ。そして違うと分かれば相手はがっかりと項垂れる。  

 こっちだってこんな見た目を望んではいやしない。肌を焼こうとすれば火傷のように爛れ、髪染めはすぐに色が落ちるしカラーコンタクトレンズはすぐ結膜炎になる為、普通になることは早々に諦めた。かろうじて眼鏡で誤魔化すも限界があり、人の好奇心は時に刃にもなるのだと知ってからはあえて最初から断ることにしている。まずじろじろと見てきて、その後に口を開く者なら大体ビンゴである。

 今隣にいる女性もその類だと、初めはそう思った。


「ふふ、あなたもそうなんですね」

「?」

「私も、少し占い齧った程度なのに『賢者様』とか『幻の巫女』なんて呼ばれて…こんな見た目だからなのでしょうけど、困ったもので…」

「…なるほど」


 困り顔で話す彼女は確かに「そう」見えた。長い黒髪、切れ長の目、額にはサークレットとか言う細めの金属でできた装飾品が付けられている。何処か異国情緒のあるゆったりとした服装に身を包み、今にも魔法やらを言い出しそうな雰囲気はある。しかし話を聞いてみれば、このサークレットは彼女がまだ幼い頃、ファンタジー小説にのめり込んだ親に着けさせられて以来外せなくなってしまったそうだ。不思議なことに彼女が成長するに連れてサークレットも大きくなり、外そうとしてもびくともしないと言う。  

 占いはほんの趣味で始めたところ、彼女の見た目と的中率がクチコミを呼び依頼が殺到していると言う。何度か病院に行ってサークレットを外科的に外してもらおうとしたが、その度に親には泣かれ職場にも止められて諦めたらしい。

 その仕事場は彼女が務めだしてから突如、業績が右肩上がりだと言う。


「…お互い苦労していますね」

「ええ、そのようです」


 自分と同じく「どうしようもできない見た目」で困っている人がいるとは思いもしなかった。それも周りからは困っているように見えないのが難点だ。そこがお互いよく分かるからなのか、初対面にも関わらず彼女はよく喋り、よく笑った。

 『賢者』やら『巫女』に見えるのは雰囲気だけで、中身は普通の年頃の女性だ。 

 思わず苦笑いを零してしまう。


「その指輪を贈った主も、気が気ではないのでは…?」

「そんなことはないですよ。祖母の形見をこの指につけろと言われて…意味に気づいたのは仕事を始めてからで、今はすっかり魔除けになってます」

「なるほど」


 確かに悪い虫は付かないだろう。彼女の身内は賢いのか賢くないのかよく分からないが、まぁ私には関係のない話だった。そうこうしているうちに私の職場近くへとバスは進んでいる。車内アナウンスが鳴り出して、すぐに降車ボタンを押した。


「次、降りますので…」

「わたしもなんです」

「おや、そうでしたか」


 とりとめのない会話だったが少し…ほんの少しだけ、楽しかったように思う。こんな一期一会ならたまには悪く無い。

 やがてバスが停まり、降車扉が開く音がした。膝上の荷物を持って立ち上がり、彼女の後に続く。どうやら降りる客は私と彼女だけのようだ。


「ありがとうございました」

「お気をつけて」


 いつもの運転手に定期を見せ、タラップを降りバスから離れる。バスはゆっくりと去って行く。先に降りた彼女はあちこち視線を巡らせて、何かを探しているように見えた。


「何かお探しですか?」

「ええ、見当たらなくて

 

 彼女の言葉は盛大な爆発音のようなものと共にかき消された。先程離れたバスの行き先から墨色の煙が上がり、悲鳴と機械が擦れる音が響き渡る。


「………」

「………」


 車の列は渋滞をつくり、クラクションが鳴り響いた。今しがたバスを降りていなければ、そう思うとゾッとする。


「指輪」

「ん?」

「形見の指輪が…見当たらなくて」

「……参りましたね」


 事故現場に彼女の指輪が見つかれば、持ち主を探すために警察は躍起になるだろう。隣に座っていた私にも、もしかしたら捜査の手が及ぶかも知れない。それだけは御免蒙りたいところだ。


「……」


 頭の中でこのまま出勤しようか、それとも彼女の失せ物探しに付き合おうか天秤に掛ける…間でもなく、右手が勝手に動いていた。


「……おはようございます。…えぇ、はい。そうです。そのまま向かおうかと」

「はい、承知しました。では」


 職場に連絡し、職場とは逆方向に歩き出す。彼女はとうに、離れた場所にいたが、こちらを一瞬振り向くと表情が少しばかり明るくなっていた。


「もしかして、一緒に…」

「参考人くらいにはなるでしょう…何ができるとも分かりませんが、一般市民として協力は惜しみません」


 かろうじて笑顔を取り繕う。

 彼女の目にはどう映ったのだろうか。

 ほぼ普通のサラリーマンに過ぎない、魔王の曾孫の成れの果ては。

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魔除の指輪 椎那渉 @shiina_wataru

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