ネズミだけが知っている転生体験

アカイロモドキ

第1話『B016』

俺の名前はチャールズ、誇り高き血統書付きのシロネズミ様だ。

だけど俺に餌をくれる人間はB016だなんて味気ない名前で呼びやがる。


え?チャールズって名前は誰が付けたかだって?

それはもちろん俺自身だ。カッコいいだろ。

チャーリーって愛称で呼んでくれてもいいぜ。


どうして俺が人間の言葉が分かるのかって?

そんな細かいこと気にしてちゃ、人生、いや鼠生は楽しめないぜ。


俺には人間の言葉以外にも分かることが幾つかある。

まず、ここはダイガクってところのケンキュウシツだ。

ダイガクってのがこの世界には幾つもあるらしい。俺は餌をくれるこの場所が気に入ってるから他所に行く気は無いがな。


次に、俺に餌をくれる人間の名前はカール。指が細くて手先が器用なナイスガイだ。ダイガクインセイってのらしい。カールには俺の心が読めるのか、俺が背中を掻きたい時に決まって背中を優しくなでてくれる。


人間の娯楽も知ってるぜ。四角い板に駒を並べて二人で相手の駒を取り合うゲーム。カールは確かチェスといってたな。板の白黒模様がイカしてるよな。目が悪い俺にもはっきり四角が見える。



そして今、俺がいる場所がまさにチェス盤の上だ。といっても、模様は俺の体のサイズと同じデカさだし、板はどこまでも続いているかのように巨大だ。


突然だけど、もしキミが俺と同じ境遇にあったらどうする?


迷わず一歩前進すると答えたキミ、残念だけどキミの命はそこでお終いだ。


何故って、実を言えばこの俺にもよく分からない。

だけど、奇妙な感覚だけど、感じるんだ。目の前の黒い床を踏んでしまったら、俺はとんでもなく痛い思いをして、そのまま死んでしまうって。

予知能力、って奴だろうか。スゴイだろ。

人間には使えないんだろ。だってカールはチェスで何度も負けている。そのたびに、予知能力が欲しい、っていつも嘆いてるよ。


情けないカールのことはともかく、今は俺自身のことだ。

俺の周りの4枚の黒いタイルの中で、正解は右だけだ。それ以外を踏めば死んでしまう。


論より証拠、まあ見てなって。


俺は右の黒いタイルに移動した。

何も起きなかった。勝利のファンファーレは聞こえてこないが、これが正解だ。


どうだ、俺には確かに予知能力がある。それが嘘じゃないって分かっただろ。


え?まだ信じられない?たまたまトラップに引っ掛からなかっただけだって?


人間ってのは疑り深いね。だがキミの疑問ももっともだ。よろしい、俺が予知能力を遺憾なく発揮するところをもっと見せてあげよう。


俺の周囲に白いタイルがあるだろ。後ろのはさっきまでいたから別として、左右のタイルを踏むとトラップが発動する。正解は目の前のタイルだけだ。


俺は前のタイルに恐る恐る足をかけた。この瞬間、大丈夫だと分かっていても冷や汗をかく。まあネズミだから汗かかないんだけど。


俺の予知能力はこれで終わりじゃない。

次もその次もまっすぐ進める。だがその次の黒いタイルは踏んじゃダメだ。踏めば途端に俺の命はお終いだ。


踏んではいけないことを証明するのは簡単だ。実際に踏んだらどうなるかを見せてやればいい。どうだ、俺の命と引き換えに証明をしてやろうか。

なんてな、ただのマウスジョークだ。


さて、次の道なんだけど、俺の予知能力は左に進めと言っている。左に2つ、いや3つか。


俺は左に3つ進んだところで足を止めた。


さあ、次はどう進むのが正解だ。…むうっ、これは――


おかしい。予知能力はと言っている。だが左右のどっちが道かは教えてくれない。

これはどういうことだ。今まではこっちに進めば正解だと、進むべき方向を確実に教えてくれていたのに。


俺が予知能力に頼り過ぎたせいで能力が使えなくなったのか?

予知能力にも限界があるのか?


――ええい、迷っていても仕方あるまい!ここからは俺自身の度胸で道を切り開くんだ。


大丈夫、予知能力ありとはいえここまで一度も間違った道を歩んではいなかったんだ。

俺ならできる。このチェス盤の迷路を無事に突破してカールにうまい餌を貰うんだ。

カールの手で撫でられながら食べるほうれん草が今から楽しみだぜ。おっとよだれが。


妄想はこのくらいにして、どっちに向かおうか。右か、それとも左か。

さっきは左だったよな。よし、今度は右に行ってみよう。


俺は目を瞑り恐る恐る一歩踏み出した。足が地面に着いたのを確認してから目をゆっくり開いた。

俺の足は黒と白の境界線の手前に収まっていた。


俺としたことが、死に臆するあまり一歩が小さくなってしまっていたようだ。

落ち着け、まずは深呼吸だ。大丈夫、きっとうまくいく。


今度は目を見開いたまま足を前の白いタイルの上にそうっと運び、ゆっくり下ろした。

足が地面に近づくにつれ、俺の心臓のバクバクは大きくなっていった。

少しずつ、また少しずつ足を下げていった。まだ地面に着かないのか。早く着けて安心したいんだけど、このままずっと着かないで欲しいとも思えた。


その時、足の裏に冷たい感触があった。どうやら無事に一歩踏み出せたらしい。

ああ、良かった。なんだ、俺もやればできるんじゃないか。

安心したが興奮は収まらず、心臓の鼓動は依然として早いままだ。


人間にとっては小さな一歩だが、俺にとっては大きな飛躍だ。

だがまだ終わりではない。たった一つ前に進んだだけだ。あと同じことを何回も繰り返さないとゴールにはたどり着けないだろう。いや、そもそもゴールなどあるのか。


――考えていても仕方ない。とにかく今は進み続ける、それだけだ。

興奮が冷めないうちにもう一歩踏み出すことにしよう。よし、このまま前に進もう。


俺は目の前の黒いタイルを堂々と踏んだ。そのとき――



あばばばばばばばば!!



俺の全身に電流が走った。比喩ではなく物理的な電流だ。

俺の体は無抵抗に地面に倒れ伏せた。

そうだ、。間違ったタイルを踏めば強い電流が全身に流れ、心臓が止まって俺は死ぬ。

…電流ってなんだ。


くそっ、俺の鼠生がこんな終わり方であってたまるか!

俺は腹いっぱいにほうれん草を食うんだ!食って食って食いまくって、全身がほうれん草の緑色になって死ぬ、それが理想の鼠生なんだぁ!!



だがしかし、俺は野望を叶えることなくそのまま息絶えた。


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