独立紅蓮悪役令嬢 ヴィラネス・レッド・カンパニー

椿 梧楼

第1話 ざまぁが過ぎませんこと?

知力体力気力が横溢なヴァチカニアの名門貴族の子弟が集う、帝国が誇る最高学府のヴァチカニア帝政学園。


その卒業舞踏会は、荘厳にして華麗。皇室主催の公式な舞踏会と比肩する威容を誇る。

それもそのはず今年は第一皇子ザンパーノ殿下が御卒業される年度である。


そして今夜は侯爵令嬢ジェルソミーナにとって、生涯最高の夜となるのだ。

今宵この舞踏会で、ザンパーノ皇子殿下の婚約が発表される。

しかも、帝国の皇族の古式に則り公の場での皇族男性からの求婚という形になる。

その相手は、誰あろう侯爵令嬢ジェルソミーナ、すなわちミーナ自身なのだ。


思えばミーナが婚約者となれたのは、自身の努力もあるものの、父の内政と領地経営の辣腕らつわんの賜物である。

母方は神聖教会に数多くの人材を輩出している賢者の家系だ。帝室から結納の金品も既に頂き、領地も好景気に湧きかえっている。


問題は姉のローザか自分、もしくは大穴で平民聖女ビアンキどちらが婚約するかだったが、未来の后妃が皇帝陛下より年嵩なのはいかがなものかという理由でミーナに軍配が上がった。

平民聖女ビアンキは、教会の送り込んだだから無いとして。


……というのは表向きの理由で、実はローザには結婚できない大きな欠点があった。

身体が微妙に小さく少女のまま成長が止まり、いまだに生理がないのだ。

初見では必ず妹のミーナのほうが年の離れた姉だと間違えられる。姉妹で居るとミーナがローザ嬢と呼ばれることも度々だ。


そういうわけで元よりミーナ一択で、領地を挙げて単に悩んでいるフリをしているだけだったのだ。

ああでもないこうでもないと議論するフリをしながら宴会を開く侯爵領的には、嬉しい悩みだった。


もちろん市井の食堂から市場、酒場に至るまで、分かりきった議論で持ちきりだ。

ミーナがヒロインの恋愛小説も、ローザがヒロインの絵本も現在進行形で刊行されている。

領地にも経済効果が出る、消費も伸びる、ますます豊かになると経済の好循環が巡っていた。


姉のローザは生来少し意思が薄弱気味で、頭脳自体は教授や神官も舌を巻くほど賢明なものの、そもそも蝶々や蜂と遊んでばかりでザンパーノ皇子殿下のことなど気にも留めていなかった。

元々ローザは虫とかなり正確にコミュニケーションが取れているようなのが不思議だった。

今では、ときどき断片的に現れる記憶から、外宇宙生命体の可能性を疑っている。

ところで、外宇宙ってなんなのでしょうか? 意味が分かりませんわ。

今も、鮮やかに青い大きな蝶と毒々しい蜂がローザの指先に留まり攻撃的な羽音を立てている。

この妹のめでたい席でも、あらあらまあ大変……などと計り知れないお喋りとも言えない独り言を、蜂と蝶に相槌を打っている。


そうこうしているうちに、ザンパーノが無機質な足取りでミーナとローザに近付いてくる。

一際目立つ蝶と蜂は何処かへ飛び去り、ローザも

「おしっこ。おしっこ、漏れるの」

と言いながら、いつもに増して子供っぽく会場から走り去る。去り際に耳元で

「手に気をつけて、ミーナ。あとで回収に行くなの」

と言い残して。

もちろん、ミーナはローザの言葉を半分もまともに聞いていなかった。

なぜならば、ザンパーノがついに目の前にやって来たから。

ああ、ザンパーノ第一皇子殿下。ついにお言葉を頂けるのですね!

…………?

ともあれわたくし侯爵令嬢ジェルソミーナは、淑女としてお言葉をお待ちしています!


「ジェルソミーナ、キミとの婚約は無かった事とさせてもらう」

侯爵令嬢ジェルソミーナは、予定とは違う、理解出来ない言葉をたまわった。


どの方向から検討しても、帝政学園の卒業舞踏会という場で、婚約破棄を宣言されたという意味としか考えられない。

婚約者、いや元婚約者であるザンパーノ第一皇子殿下の声は平坦で、目にたたえた光には空虚な失望の色が濃く、それゆえに冷たかった。

『……この目を見たことがある』

今の衝撃で、ミーナの心の中で誰かがゆっくりと鎌首を上げ始めた。

『真紅の毒蛇』という自己認識しか持たない


そういえば、先程急に尿意を催し出て行った姉上が、何かを言っていたのを思い出す。たしか

「手に気をつけるの」

だったか。おかしい、違和感は手ではなく頬に走った。

気を取られた隙に先手を取られた。

放心しているミーナの中の何かは思った。まだ起きてるとは言い難い、そう考える。


この場で熱を持つのは、ザンパーノ皇子殿下に打たれた頬……肩の力を抜いて鞭のようにミーナのあごを的確に振り抜いている。

ザンパーノが見せたのは明らかに平手打ちのようで根本から異質な、今まで全く見たことのない徒手としゅ格闘術だ……衝撃で何が起こったのかわからず、ミーナは糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。


なんの予兆もなく、この場で盛大に公表されるはずだった婚約が破棄されたことか、それとも顎を起点に打たれた頬のせいで頭蓋骨が揺れ、脳神経が一時的に遮断されたためか。

「ザンパーノ様、なぜ……」

ミーナは、やっとの思いでそれだけを口にする。

「理由は、ビアンキ嬢に聞くんだな」


「……えっと、あの……ジェルソミーナ様のご行状については、わたしからご説明いたします」

若干毒気を抜かれた表情で、ビアンキは語り出す。

侯爵令嬢ジェルソミーナの悪行の数々を告発する気に満ち満ちてはいたものの、いま当のミーナは頬を打たれただけなのに、あまりにも異様な倒れ方をしたのを目の当たりにして困惑しているようだ。


ビアンキ。

平民の娘。子供が育たない神聖教会の近くで生まれ育ち、神聖魔法の加護まで受けた聖女とも言われている。

だから平民聖女。

それゆえに平民でありながら、帝政学園に特例で入学した。

低い身分でありながら自由に育った姿がねたましく、そもそもなぜ教会の至近距離に住みながら大人にまでなれたのかが怪しく、ミーナなりに無視できずに辛く当たっていたのは事実だ。


なんでもという噂があると聞いた気もする。何がなんでもその尻尾は捕まえなければならない。

大っぴらに語られることはないが、疑っていたのだ。

それゆえに、ヴァチカニアの未来の禍根かこんの芽を積むという名目で、悪いことだとはほんの少ししか思っていなかった。


しかし……その結果が晴れの舞台での告発と皇子との婚約破棄だった。

詰めが甘かった。

おそらく、自分は一生修道院にでも行くことになるのだろう。家族いや一族の、ひいては領地の面汚しとなった。

ローザ姉様の将来的な婚約にも悪影響が及ぶに違いない。

侯爵令嬢ジェルソミーナはうなだれる。それにしても首から下の痺れがなかなか治まらない。


そして会場外から早足でやって来た礼装に身を包んだ騎士から広がるざわめきと叫び、それを聴きながらミーナは意識を手放した。

蛇は舌打ちを残した。

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