姉妹の危機

 だが今のがソリティアだとすると少しおかしい。

 俺とソリティアは知り合いで、商売上のパートナーだ。

 商会の次期会長ともされる彼女がそんな相手に対して、挨拶の1つもなしに立ち去るだろうか?

 向こうはローブで顔が隠れていたが、こちらはそうではなかった。

 俺がヒトゥリだと気づいていたはずだ。

 だとすれば、あれはソリティアではないのか、それともビジネスパートナーに挨拶もできない様な理由があるのか。


 今すぐ追いかけたいが、問題が1つ。

 俺のすぐ後ろに立つシャルロだ。

 部外者の彼女を連れて行ってソリティアは事情を話してくれるだろうか……。

 いや、シャルロは警備隊長という肩書があるし、秘密警察という裏の権力も持っている。

 いざという時に役に立ってくれるだろうし、連れて行こう。


「シャルロ、ちょっとついて来てくれるか」


「え? 何だい急に。私はこちらの話を聞いてほしいんだけど……もしかして今ぶつかった人物についてかな」


「流石鋭いな。道中説明するから、追いかけよう。見失いそうだ」


 俺は人混みに紛れていくソリティアの後を追いながら、シャルロに自分の感じた違和感を説明した。

 聖堂の前に着いたソリティアが立ち止まったので、俺達は彼女を建物の影から観察していた。


「……少し根拠は薄いけど、今の彼女が怪しいのは確かだ。それが王都随一の商会の幹部となれば、なおさら話を聞くべきだろうね。彼女は誰かを待っているみたいだ」


 シャルロは黒く薄い長方形の機械のような物を取り出して俺に渡した。

 携帯電話のように見えるが、微かに魔力を感じるのでこれも魔道具の一種なのだろう。


「それは音を中継する魔道具だ。といっても君の持っている方は、音を受け取る事しかできないから気を付けてくれ。音を送るのは私の『音操作』スキルが必要になるから、君はここで大人しく待っていてくれ」


 シャルロはソリティアの方へと歩く。

 ソリティアに近づいてから、そういえばシャルロは有名人じゃなかったかと不安になったが、その心配はいらなかったようだ。

 どういう事か、先ほど俺と歩いていた時は鬱陶しいくらいに集まっていた視線が、今は一切向いていない。

 これも彼女の秘密警察としての技術だろうか。

 聖堂の彫像の元に立っていたソリティアの近くまで来たシャルロは、そのまま彫像を挟んで反対側に立った。


「やあ、フィランジェット商会次期会長ソリティア・フィランジェット様。ローブで顔を隠して散歩とは穏やかじゃないね」


 しばらくすると渡された魔道具から声が流れた。

 話しかけられて振り向いたソリティアの反応から考えて、音のラグはなさそうだ。


「貴方が…貴方が妹を攫ったのですか? 妹――プラムをどこに、プラムは無事でしょうね! もしもプラムに何かあったら……」


「っと、振り向かずそのまま話してください、ソリティア様。……思っていたよりも深刻な事態みたいだ」


 シャルロは独り言か俺に言ったのか、そう呟くと再びソリティアに話しかけた。


「まず1つ勘違いを訂正しておきますが、私は誘拐犯ではありません。王都警備隊隊長のシャルロです。街で見かけた貴女の様子がおかしかったので話かけました」


 遠目からシャルロが警備隊の紋章を外して彫像に置き、ソリティアに見せたのが分かった。

 ソリティアがそれを拾い、確認し、ため息をついてからシャルロに返した。

 

「そう……でしたか、失礼しました。口を滑らしてしまったのでお分かりだと思いますが、昨夜妹が何者かに攫われました。今朝になって犯人から手紙が届き、私1人でこの聖堂に身代金を渡しに来るように言われました。警備隊や騎士、冒険者などに助けを求めれば妹を殺す、とも。なのでどうかこの件は警備隊の皆さんには知らせないでください」


 ソリティアがローブの下から袋を取り出した。

 大きく、広い袋だ。

 あの大きさに金貨が詰まってると考えれば、相当な金額だ。

 金を渡したとして誘拐犯は大人しくプラムを返すだろうか。

 シャルロも同じ事を考えたのか、ソリティアに質問した。


「分かりました。この誘拐は警備隊には持ち帰らず、私とこの場に居合わせているもう1人だけで対応します。プラム嬢の引き渡しは何処で行う予定ですか?」


「私が金貨を渡した時に、受け渡し役と別の者がここから見える範囲でプラムを開放するそうです。……シャルロさん、どうか犯人の確保よりも、妹の無事の確認を優先して頂けるかしら」


「分かりました。それでは我々は犯人に勘づかれないよう隠れています」


 シャルロは立ち上がり、こちらに戻ってきた。


「ヒトゥリ君、話は聞いていたね? プラム嬢を連れてくる犯人が何処に現れるか、ある程度予想はつく、二手に分かれてより近い方がプラム嬢の保護、遠い方が金貨を持って逃げる犯人を取り押さえるんだ。けど、プラム嬢の保護が確認できるまで、金貨を持つ方には接触しない事、分かったね?」


「了解だ。俺は聖堂側で待っていよう。シャルロは大通りの側で待機してくれ」


 シャルロと別れた俺は通り掛かりにソリティアに目配せをしながら、聖堂に入った。

 この世界の創造神を祀る聖堂、この王国ではなく神聖国ラプサル=アバディの建築家の手による宗教施設。

 その厳かな建築の入口の柱の陰に身を潜め、ソリティアを見る。


 握りしめる拳に不安を感じ取れながらも、目だけは前を見据えている。

 妹が攫われたと言うのに気丈な物だ。

 しばらく彼女の様子を伺っていると、1人の男がシャルロがそうしたように彫像の反対側に立ち、一言何かを言って聖堂に入っていく。

 通りが掛かりに顔を見るが、どうにも認識できない。

 何かのスキルか魔法で認識阻害を受けているのだろうか。

 背格好も大きなコートやブーツのせいで曖昧だ。

 男の後に、ソリティアも聖堂の中に入った。

 遠くに待機するシャルロを見ると、こちらを見て頷いた。

 外側はシャルロに任せて、俺は中に入ろう。


 どうやら聖堂の中で引き渡しを行うようだ。

 だとすれば、プラムの解放も聖堂の中から見える範囲で行うのか。

 最悪金貨は取られてもいいだろう。

 あの姉妹の仲の良さを考えるに、金貨と妹の身柄は天秤にすら乗らないはずだ。


「それで、妹は何処です。プラムをこちらに引き渡すまでこの金貨は渡せません」


「安心しろ、お前の妹はあそこだよ」


 男が聖堂の外を指さすと、聖堂から見えるアパートのような住宅の一室、その中で1人の男と少女が並んでこちらを見ていた。

 男の手には刃物が握られ、少女に添えられている。


「プラム……! 早くあの子を解放しなさい!」


「おっと待てよ、金が先だぜ。その袋の中身を確認するまでは、お前の妹は解放できないねえ。何事にも信用が先だぜ、ソリティア様」


 男は軽薄な口調で促すと、ソリティアは袋の中身の金貨を見せた。


「これで良いでしょう、さあ妹を解放しなさい」


「はあ? 何ってんだ、金をよこしな。そっちが先だ」


「妹を解放したら、この袋を渡すわ」


 引き下がらないソリティアに男はため息をついて、コートの中に手を入れた。


「今俺の手には魔道具がある。合図を送るだけの簡素な物だが、これであそこにいる男に合図を送ればどうなるかな? 賢いお嬢様なら分かるだろう?」


「くっ、なんて卑怯な……。聖堂でこんな事をするなんて、貴方には必ず罰が下るわ!」


「へ、誰のだよ? 神なんて言うなよ、俺は神を信じちゃいない。でなければ、こんな聖堂で身代金要求なんてしねえよ……。さあ俺は短気なんだ、早くよこせ。手元が狂っちまうぜ」


「……あまり商会を舐めない事ね。商会の手はこの王都全域に渡っているわ。私達から逃げ切れるなんて思わないで」


 ソリティアは苦々しい顔をしながら、男に袋を渡した。

 俺もこの位置からでは、男の手に握られた魔道具を壊す事はできない。

 望みはシャルロが、プラムを解放してくれる事だが……。

 シャルロはもう移動しているようだ。

 俺はこのまま男を追いかけるか。


「ありがとうよ。お嬢さん。顔の分からない相手をどう探すのか、楽しみに待ってるぜ! 妹さんは他の奴がここに連れてくるよ。そこで待ってな」


 聖堂から出ようとする男の後を、柱の陰から抜け出してこっそりつける。

 『消音』で一応音は消していたが、俺が持っていた『熱感知』などの感知系のスキルを持っていたら俺が隠れていた事はバレていた。

 こういう時のために、もう少し隠密に使えそうなスキルを磨いておけばよかったな。


「ヒトゥリ君、聞こえているかい?」


 聖堂から出たタイミングで、持たされていた魔道具からシャルロの声がした。

 このタイミングで話しかけるという事は、プラムを保護できたのだろうか。


「ああ、どうしたシャルロ。こちらは金貨を受け取りに来た男を追跡している……ああ、そうだ、こちらからは聞こえないのか」


 大人しく魔道具から発せられるシャルロの声に耳を傾ける。


「こちらで保護したプラム嬢なんだけど……どうやら背格好の似た別人のようなんだ。どうなっているんだ一体……」


「別人、どういう事だ。そこにいるのはプラムじゃないのか? この男は捕まえずに追った方がいいのか?」


 俺は混乱して、遠くを歩く男を見つめる。

 ふらふらと歩いた男はこちらを、いや、聖堂の方を振り向き笑った。


「……ッ!」


 嫌な予感がする。

 男はコートの内側からおもむろに魔道具を取り出して、起動した。

 微弱な魔力が発せられたのを感じた。

 男はこのまま逃げるだろうが、仕方がない。

 優先順位はソリティアの安全の方だ。


 俺は聖堂に向けて全力で走った。

 そして嫌な予感は的中した。

 爆音と共に聖堂の柱が爆発した。

 連鎖的な爆発と共に屋根を支える柱が消えていく。

 聖堂が崩壊するまで、もはや数秒の猶予もない。

 多少目立つが使うしかない。


「『跳躍』……からの『噴炎』!」


 いつの間にか再習得していた『跳躍』で群衆を飛び越し、空中で『噴炎』による加速。

 空を切る弾丸のように、俺の体は聖堂に向け発射された。

 ドラゴンの形態の最大速度には及ばないが、十分人間の限界速度だ。

 これで間に合ってくれ……!


 俺が聖堂の中に入るのと、崩壊は同時だった。

 瓦礫がソリティアの真上から落ちてくるのを見て、肝が冷えた。

 ソリティアが神に祈るために跪いていなければ、俺よりも瓦礫が頭に当たる方が早かっただろう。

 結果から言えば俺はソリティアを助けられた。

 その代わり、瓦礫は全て俺の体にのしかかったが。


「よっ……と」

 

 上に落ちてきた瓦礫をどかして、立ち上がる。

 石造りの聖堂の屋根は重かった。

 咄嗟に『竜人化ドラゴンスケイル』で身を守っていなければ、人間態の俺は死んでいただろう。


「間に合ってよかった……。怪我はありませんか、ソリティアさん」


「あ、ありがとうございます。ヒトゥリさん。炎で飛んでくるなんて、今のが『竜魔術』……ヒトゥリさんが直接使っているのは初めて見ましたが、『属性魔法』による炎とも違う使い方ができるのですね」


 ソリティアに手を貸して立たせる。

 そうか、ソリティアは俺が『竜魔術』を使える事を知っているから、目の前で使っても問題はないのか。

 そんな事を考えながら、辺りを見回すとあれほど荘厳だった聖堂がただの瓦礫の山と化していた。


「そこの御仁! 大人しくしてもらおうか!」


 まるで拡声器でも使ったかのように遠くまで響く大音量。

 驚いて思わず身構えてしまいながらも、振り向くと全身鎧に身を包んだ、熊のような巨躯を持った騎士が仁王立ちしていた。

 兜を被っているせいでくぐもった声の中に含まれる高音が、声の主がかろうじて女性の声だと判別させる。

 そのまま呆気に取られて硬直していると、女騎士はまた大音量で吠えた。


「吾輩はセルティミア・カルシノ! セラフィ王国騎士団長である! 何故この場にいるのか、何故爆発の前に聖堂に駆け出していたのか、答えてもらおうか!」


「いや、それは……」


 ソリティアの方を見た。

 セルティミアの質問に答えるには、この誘拐事件について説明しなければならない。

 しかしプラムの安全が確認できていない状況で、説明なんてできない。

 俺が言い淀んでいると、セルティミアは大きな槍を他の騎士に持ってこさせた。

 

「言えぬと言うのなら、捕縛し吐かせるまでよ! 覚悟しろ!」

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