神さまのリセット

「先輩ー、なあに書類とにらめっこしてるんですかぁー?」


 背中の白い羽をぱたぱたさせながら。


 お菓子でも食べながら喋っているような口調で、いっこ下の後輩が声をかけてくる。


「……ちょっとね……」


「んー、おっと、これはあれですね、人間界げかいを過ごしやすくするために必要な、漠然とした『要望』をまとめた一覧表ですね……。

 うわー、ずらっと、並んで……、お仕事たいへんですねー」


「勝手に覗かないで……、天使は気楽でいいわよね……。

 はぁ、できることならあなたの立場に戻りたいわ……」


「神さまって、でっかい椅子に座って一日中、のんびりと過ごしていると思っていましたけど、そういうわけでもないんですねー。

 だって、管理する『下界』――人間世界の構築は随分前の神さまがやっていますし、代々受け継がれる『管理者』なんて、やってることは細部をちょこちょこっといじるもの、なんじゃないんですか? 出てきた不都合をその都度、排除する、みたいな?」


「そうね、それはそうなんだけど……、時代は変わっていくものよ。生活も、考え方もね。先代の神様が管理していた時代は百年以上前だもの。その時のやり方が今の人間界に当てはめられるわけじゃないの……。

 上手く回っている社会を乱す悪性腫瘍を取り除くだけなら簡単なんだけどね……、事態はそう単純なものじゃないのよ。

 気に入らないからって排除すると、それはそれで困る層もいる。かと言って、不満部分をそのままにしておけば、出てきた要望は積み重なったままになる……。

 なんにも解決しない結果は、神としての怠慢よ」


「なにをしても不満が出るわけですか……、肯定も、否定も――。頼めばなんでもしてくれると分かっているからこそ出てくる要望なんじゃないですかねー。

 ダメ元でいいからお願いしてみる、って感じで。神頼みに確実性が証明されると、あっちはなんでもかんでも神を頼りにし過ぎるようになってしまいましたからね……。まあ、仕掛けたこっちの自業自得ではありますけど」


「……大々的に神の存在を大っぴらに明かして、要望の全部を叶え続けた弊害がこんなところで出てくるなんて……っっ。でも、要望を無視するわけにはいかないし……、また前みたいな『信仰心がゼロ』の状態に戻りたくないわ……。

 ――だって、具体的には天使みんなからの視線が痛いもの!」


「そうですねー、ちょっと前の先輩は役立たずで、ポンコツでしたからねー。なにもできず、なにも成し遂げない歴代最弱の神さま(笑)なんて言われてましたからね。

 噂どころか喧伝されてましたよー。えへ、あの時はエンタメとして見て大爆笑でした。あの時から比べれば、神さまの威厳を取り戻した手腕は確かに認めるべき実力なのかもしれませんね」


「ほんと? 私、ちゃんと神様できてる?」

「はぁーい、できてますよー、その調子っ」


 両手をハの字にして口元に添え、よっ、と相槌を打つ天使に元気づけられる神様……、


 すっかりと見慣れた光景になってしまっている。


「でも……応援されてもやっぱり今回のこれは難しいと思う……。私利私欲に塗れた要望は当然だけど、ああしてほしい、こうしてほしいって要望が、真逆の場合もあるのよね……。

 どっちを叶えても、どっちも困る、みたいなね……」


「そこは神さまの取捨選択の出番では? どっちかに恨まれるくらいの覚悟はしているはずだと思いますけど……、まさか神さまの立場で、人間一人に嫌われたくない、なんて思ってます?

 できるだけ要望を叶える、というのが神さまの役目なんですから、『できるだけ』から漏れた要望を無理に叶えることはないですよ。無理に叶えて、新しい不満を生み出しては意味がないですし……、下界の人間、全員から満足の判子を押されるなんて不可能ですから」


「でも……、可能か不可能か以前にさ、欲しいのよね……『ありがとう』って言われたい。

 下界の子たちを見て、みんなが笑っている様子を覗くのが、楽しみでもあるし……」


「難しいですって。笑っている人を見て苛立つ人だっているんです。他者の成功を妬む人が必ずいる以上、同じ時間に全員が笑顔でいる世界を覗くことは絶対に『できない』ことなんですよ」


「んー、どうすればみんなが笑顔に……」


「ダメだこの人、諦めるってことを知らないらしいです」


 全ての要望を聞いて成功すれば、全員が笑顔になれるが、必ずそこには制限がかかる障害があるのだ。時間なり、費用なり、大多数が絡めば絡むほど、できることは狭まり、シビアになっていく……、大規模な制作は全てが理想通り、とはいかないものなのだ――。


 関わる人間が多ければ多いほど、多種多様な要望が出揃うことにもなるし……、全員の感性が同じなわけがない。


 好き嫌いもあるし……、個人の妥協が封じられてしまえば、全員の納得を得ることは難しい以上に、不可能だと言わざるを得なかった。


 神とは。

 億単位で出される要望の全てを、誰もが不満を抱かない形で実現させ、納得させること――……と思っているのは現在の神である。


 実際、先代や先々代の神はそこまでの完璧主義者ではなく、不都合を不都合のままにしていた場合もある。納得など二の次だ……いや、もっと下だろう。優先度はかなり低い。


 とにかく、人間がこの先も生きられる環境――制度などを重視して作っていたのだ。全員が満足するよう、世界のシステムを整える、なんてのは、もっと先の話と考えていただろう――。


 ある程度、世界が滞りなく回るようになったからこそ、


 個人の満足に着目する、なんて余裕が見えてきたのだ。


 ……神の人柄もあるだろう。

 もしも、彼女のように、『人間の笑顔が見たい』と思っていなければ――たとえば、今の神に従属している呆れた様子の天使が神になっていれば、個人の納得など度外視して、現在の世界に不用な、悪性腫瘍をひたすら刈り取っていただろう……。


 不満が出ても、「知ーらないっ」とでも投げ捨てて……。そういう思い切りの良さも、神には必要なのだが……、だとしたら信仰心ゼロは改善されなかっただろう――。


 信仰心――。


 まあ、ゼロだったところで、

 天界ここでの周囲からの見る目が変動するだけ、とは言え……。


 なるべく尊敬されたい、と思うのが神である。――天使の上に立つのだ、耳を塞いでも聞こえてしまう陰口を聞き続けるのは避けたいところだった。


「どうすれば、どうすれば…………っっ」


「あちゃー、先輩、まぁーた長い思考に入ってますねー……。

 昔から変わらないんですよね――、こうなると長いですよ、この人」


 天使の頃は、積まれたタスクを黙々とこなしていくことを得意としていたが、それとこれではまったく違う。


 積まれているのは同じだが、要望の一つ一つを叶えていこうとすると、あちらを立てればこちらが立たず、な状況の繰り返しだ……。

 それをどう、全てを立たせるのか……頭が痛くなる難問である。


 いくら神であれ……、――そもそも立場が『神』になっただけで、思考や頭脳は『天使』のままなのだ。立場が変われば新しい能力が得られるわけじゃない……。

 結局のところは天使の延長線上にいるわけで……、神は万能ではない。


 人間界を操作できる『ツール』を受け取っただけなのだ。


 いくら頭を抱えても、一発逆転の解決方法なんて出てくるわけがない。


「ま、悩んでくださいよ、先輩。

 そうやってうんうん唸ることも、神さまの役目でしょう?」



 それから数日間、神さまは悩み、悩んで、悩み抜いた――。


 そして、やっとのこと、結論を出した――目の下に深い隈を作りながら。


 彼女は、閃いた、とばかりに、手をぽんっ、と叩いて、



「不満が出るならなにもしなければいい……――なにもしない、なにも生み出さない、なにも動かさない……、あれ? 人間界って、必要なのかな?」


 考えた。ひたすら考えた――、何度も繰り返して、でもやっぱり、全てを白紙にすることが最善なのだと何度も何度も答えが出てきた。

 ……叶えても、諦めても、代替案を出しても、誰かを贔屓してどちらを否定しても――、どこからか、必ず不満が出てくる。


 全員を納得させることなんてできない。


 不可能なのだ――。

 痛いほど、よく分かってしまった。


 だったらもう…………、全てを壊してしまえばいい。


 納得も不満も、なにもなければそんな『難問』も、出てはこないでしょう?



「――先輩、バカ! そんなことしたらこれまで積み上げてきたものが、」


「ほら、私の選択に、あなたも不満を言い出した」



 見たことがない先輩の目に、ゾクっと震えた天使の背中の羽が、ぼとり、と落ちて――、


「え」


「下界もなくなり、私がいるこの世界もなくなる――白紙なの。世界を白紙にすれば、たぶんきっと、また同じように世界も神も生まれてくるから……。

 ぐちゃぐちゃになったパズルの解き方はね、もう元に戻せないなら、一手ずつ引き返すよりもリセットした方が早いの――。壊して新しいものを買って挑戦した方が、早く解けると思うのよね――って、もう聞こえてないかな……」


 ふわり、と舞う白い羽根を、軽くつまんで。


「新しい世界でまた会えたら――また『先輩っ』って呼んでね……、バイバイ」


 そして、最後に――――『神さま』も消えた。



 ……。


 ――そこまで追い詰めたのは、支配されている側の、人間だった。

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