マイノリティを憎ませて

湊賀藁友

マイノリティを憎ませて

 LGBT、性的少数者、マイノリティ。


 時折思い出したようにメディアで取り上げられるそれを見ては、ふ~ん、大変なんだなぁなんて軽い感想ばかりを抱いてきた。

 俺に直接関わりもないだろう話だし、まぁ強いて言うなら差別するようなことでもないだろ、みたいな。

 所詮は他人事。

 ……だったのに。


 あぁ。俺、こいつのことが好きなんだなぁ。


 目の前で楽しそうに話す親友を見て、ふとそんなことに気が付いてしまった。


 高校一年生の時たまたま一番はじめの席が隣だったから、という無難な理由で仲良くなって、結局次の年も同じクラスで、今じゃ親友と呼べるほどに仲良くなって。


 そんな親友のことを、俺は、いつの間にかそういう対象として見ていたわけだ。


 親友(恋愛感情を抱いてしまっている以上そう呼ぶのが正しいかは不明だが、便宜上親友と呼ぼう)は、所謂いわゆる優等生である。

 勉学も部活も無難に、バツとかサンカクを貰わない程度に過ごしている俺の隣で、全部真面目に頑張ってニジュウマルを貰っているタイプの人間。

 人に頼られれば笑って手伝ってやって、でもダメなことはダメと言う。

 こうありましょうみたいな人間の見本をそのまま引っ張ってきたのかとたまに聞きたくなるような、そんな男だ。

 そんな男の親友が何故俺なのかと訊かれれば八割運だと答えるが、謙遜はしない。間違いなくこいつと一番仲の良い友人は俺だ。


 さて。そんな親友だが、言わずもがなモテる。それはそれはモテる。

 まぁ、そりゃそうだろう。

 冷静に考えて顔もそこそこ良くて勉強も出来てスポーツも人並み以上に出来てその上優しいなんて、モテなかったらどんなやつがモテるのか世界に問いただしたい。こんなやつ男でも惚れるだろ。あ、現に俺は惚れてるんだったな。ははは、笑えない。


 俺が親友に恋をしていることに気付いた経緯は我ながら突飛で、『目の前の男が女だったら絶対惚れてたな』『こいつが女だったら休日たまにデートに行って、軽口叩きあって、しわしわの爺さんになるまでそんな日々を送りたい』なんて考えた時に、ふと気付いてしまったのだ。


 あれ、俺今のこいつに対しても同じ事考えてね?


 信じたくないような、信じられないような気持ちで、脳は『こいつが女だったら』という想定から『男のこいつと付き合ったら』という想定に思考を切り替えていて。


 手を繋ぐ……くらいなら抵抗はないな。

 抱きつく……のも別に平気だな。

 じゃあ、キス?……嫌じゃないな。…………っていうか、キスする時のこいつってどんな顔するんだろう。目は瞑るのかな。それとも開けっぱなし?

 キスした後はどんな顔するのかな。目を逸らすのかな。顔を赤くするのかな。それとも幸せそうに笑うのかな。

 …………その対象が、自分なら嬉しいな。


 そんな考えに至った俺は、机を思い切り叩きたいような衝動を抑えて目をぎゅっと瞑った。


 __あぁ。俺、こいつのことが好きなんだなぁ。


 まぁそんな気付きから何か変わったかと訊かれればさしたる変わりはなく。

 運良くと言うかなんと言うか、俺は好きな相手を前に緊張して話せなくなるとかそういうタイプではなかったらしく、表面上は良き友人のままだ。


 どうせ突然同性の親友から「恋愛対象として好きです付き合ってください」なんて言われても困るだけだろうし、せめて高校を卒業して関わりが薄れるまではこの片想いを楽しませてもらうか。


 なんて考えたのが高校二年の秋。

 そしてまたしても親友と同じクラスになった高校三年の夏、そんな日々は唐突に終わりを告げた。


「俺、実は彼女が出来たんだよね」

「…………ふーん、そっか」


 軽くない!?結構勇気出して教えたのに!なんてぎゃあぎゃあと親友は喚くが、残念ながらまともに取り合っている余裕はない。脳内は完全なパニックだ。

 だってこれまでどんな相手から告白されても承諾しなかったこいつが。恋愛なんて興味ありませんみたいな顔してたこいつが。なんてったって突然。


「因みに誰?」

「えっと、同じクラスの橘さん」

「あぁ」


 『橘サン』、といえば、あのあまり目立たないが真面目そうな彼女のことだろう。


「…………なんで突然告白OKしようと思ったわけ?」

「あ、いや、えっと……」

「?」

「……お、俺から、告白して……」

「…………あー。そう、なのか」

「うん」


 そう答える時の真っ赤な、でも幸せそうなそいつの顔を見て、俺はようやく理解した。


 つまり、俺は失恋したわけだ。


「……いいじゃん、おめでと」


 頬が引きる。のどがからからと渇いていく。

 ……俺は今、きちんと笑顔を作れているだろうか。こいつの“親友”として、上手に笑えているのだろうか。


「ありがとう!」


 そう嬉しそうに礼を言うそいつの笑顔は、皮肉にも俺が夢の中で何度も自分に向けて欲しいと願ったものだった。


 ■


「ごめん。来週は橘さんとの約束があるから、別の日でも良いかな?」


 親友が橘さんと付き合うようになってから、そんな断り文句が増えた。そんな嘘をつく人間ではないし、橘さんと付き合うまでは俺の誘いをそこまで断ることもなかったのだから、理由としては本当なのだろう。


 ……でも、何故だろう。

 そう言って誘いを断られる度に、ひくりと喉が引きった。


 前までは、自信を持って俺がこいつにとっての一番だと言えたのに。

 こいつのことを一番分かっているのは俺で、こいつが一番気を許しているのも俺で、こいつが一緒に居て一番楽しそうなのも俺だと、言えたのに。


 なのに、橘さんと付き合うようになってからだ。


 知らない表情をする。

 知らない甘さをはらんだ声を出す。

 知らない部分の人間らしさを見せてくる。

 知らない、知らない、知らない。


 ……そんな幸せそうな顔、俺は知らない。


 いつの間にかもう、あいつの隣は俺の居場所ではなくなっていたのだ。


 その事実がいやに心を締め上げて、まだこの恋を終わらせられていない自分自身を嘲笑あざわらってやりたくなった。


 男同士って時点で叶う筈もない恋なのに、まだ醜く想い続ける気なのかよ。


 ■


 俺とではなく、橘さんと帰るようになった。

 日常の下らない話に、少しずつ橘さんの話が増えた。

 授業中とかふとしたときに、優しい視線を橘さんに送っていることが増えた。


 そういうことに気付く度に、心がじくじくとした痛みにうめく。


 それでも『親友』という居場所まで失くしたくなくて、俺は無理矢理いつも通りに振る舞った。

 親友のことが、好きだったから。


「それで、その時橘さんが__」

「……お前、本ッ当に橘さんのこと好きだよな」

「えっ、あ、……ごめん、彼女のことばっかり話して迷惑だった?」

「いや、別に迷惑ではないけど」


 そう、迷惑ではない。

 ……ただちょっと、つらいだけで。


「……あのさ、」


 多分、取り繕うのに少し疲れていたんだと思う。

 そのせいだ。だから、おかしな質問をしてしまった。


「もし橘さんが男だったとしても、お前は橘さんのこと好きになってた?」


 口走ってから、しまった、と思った。

 だって突然こんな質問、意味が分からないだろう。もしかしたら、俺の気持ちに勘づかれるかもしれない。そうじゃなくても、違和感はあるかも。


 雪崩のように頭を覆ったそんな不安に慌てた俺が「やっぱなんでもない」と言う前に、親友はもう既に口を開いていた。


「うん、好きになってたよ」

「__え?」


 予想していなかった内容を即答されて一瞬思考が止まる。それからコンマ数秒後に動き出した頭は、ぽつりと声にならない思考を絞り出した。


 なんだよ、それ。


 じゃあ、じゃあ俺だっていいじゃんか。

 告白されてから付き合うって決めるようなやつなんかより、俺の方がもっともっとお前のことが好きなのに。

 でも男だから、どうせ叶わないからって全部諦めて、全部受け入れてきたのに。

 なのに、そんな。


 とても親友には見せられないような醜い感情がどろどろと溢れ出して、俺の全身を呑み込んでいく。

 もしも『嫌われたくない』という思考が根底になかったら、今頃俺はこの場で子どものように泣きわめいていたことだろう。

 もう今すぐにこの場から立ち去りたいような衝動に襲われた俺に、親友は続けて口を開く。


「だって、たとえ男でもあの子はあの子じゃん」


 感情が暴れるのを必死におさえて見た親友の目はこちらを見ていて、なのに別の誰かを見ていて。


「男でも変わらないよ。

 誰が見ていなくても黒板を消して、色々なことにまっすぐで、笑顔が可愛くて、好きって言われたら真っ赤になって顔を隠すんだと思う。

 もしもあの子が男だったら、あの子は俺の告白を受け入れてくれなかったかもしれない。でも、俺があの子に恋をすることは、変わらないよ」

「__……は、はは。……そっか……」


 親友のその言葉に、まっすぐな瞳に、思わず笑ってしまった。


 多分お前は橘さんが男でも、そうやってまっすぐに恋をしたんだろう。



 たとえば、俺が女だったとしても、きっとそれは変わらない。



 課題の答えが合ってるか見せ合って、学校帰りに寄ったフードコートなんかで他愛もない話をして、休みの日にはたまに二人でカラオケに行って、俺は変わらずお前のことが好きで、それで、お前は俺のことを好きにはならなくて。


 いっそ俺が男だから好きになってもらえなかったんだって、マイノリティを憎めたら良かったのに。


「……俺、ちょっと便所」

「え、あぁ、いってらっしゃい」


 親友の前では涙を流したなくてそう言いながら立ち上がった俺は、一歩踏み出す前に、振り返って口を開く。



「彼女さんとの結婚式での友人代表スピーチは任せとけよな、バカップル」




 そうして俺の恋は至って普通に眠ったけれど、不思議と苦しくはなかった。

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