第74話 嫉妬

「朝食が朝八時って、明らかに早すぎるだろ……」


 鏡島貴志は布団から頭だけ出して、口を尖らせる。


「貴方の生活リズムがズレているの。朝食を食べた直後に二度寝しようとするなんて、聞いた事が無いわ」


「そうだな、俺も聞いたことが無い。つまり俺が今からやろうとしているのは、二度寝では無いのではないか?」


 朝食中もボンヤリとしていた鏡島貴志が、徐々に口を回し始める。


「そもそも人という生物は食後に寝るものなのだ。昼寝だって、夜の睡眠だって、こまかい作業は挟んでも基本は食後に行われるだろう? つまりさ、上梨。昼寝同様、朝食の後にも朝寝が存在しないと不自然なんだよ」


 鏡島貴志はアホな事を言いながら、真剣な表情で私を真っ直ぐに見つめる。


「俺は歴史の闇に消えた朝寝について探る為、今から寝る事にする」


「そこまで言うのなら、別に構わないけれど。私も朝寝の謎を探る為に、朝寝をしている人間の顔を写真に収めたり、観測したりする事にするわよ? そうだ、いつでも朝寝の謎に思いを馳せられるよう、撮った写真をホーム画に設定しても良いかもしれない」


「……いや、アレだ。上梨もそこまで朝寝の謎に関心があるのなら、実際に朝寝を体験してみるべきではないか?」


 鏡島貴志は、焦ったように捲し立てる。

 おや? もしかしたら、そのまま傲然と寝始めるかもしれないと思ったが、流石の彼も寝顔を撮影されるのは恥ずかしいらしい。


「貴方、昨日はあんなに早く寝たのに、そもそも今から眠れるの?」


 私の質問に、彼は気まずそうに目を逸らす。


「いや、正直に言うとそんなに眠くない」


「そう? それなら良かったわ。先に寝られるのは少し寂しいから……」


 昨晩の暴走した思考を思い出す。

 夜はいつも、ああなる。昼よりも夜の方が思考が沈みやすいのだ。

 だから朝の間くらい、鏡島貴志と楽しく過ごしていたい。

 せっかく一緒の宿に居るのに、寂しさなんて感じたくない。

 そんな後ろ向きな理由で、私は提案した。


「ねえ、川釣りをしない? 三百円で道具を貸し出しているとホームページに書いてあったの」


「お、マジか。それなら、俺の釣りの腕前を見せてやるよ」


「貴方が何かを得意としている様子って、あまり思い浮かばないけれど……」


 私の感想に、彼はゲンナリと肩を落とす。


「お前は俺を何だと思っているんだ? 赤子か? あるいはネコ型ロボに泣き付く事で日々を凌いでいる小学五年生か?」


「……彼氏だと、思っているけど」


「いや、そういうのは……ほら、返し辛いから」


 くるくると回っていた口は、急に歯切れが悪くなる。


「私の勝ち、ね?」


 鏡島貴志は、私の勝利宣言にガックリと項垂れた。


「お前は、ここで敗北を認める俺をもう少し有難がるべきだと思うぞ……」


「いつも、ありがたいと思っているわ。感謝の詳細は、鏡山君ノート四巻の三十四ページを参照して……まあ、参照させるつもりは無いけれど」


「参照するつもりも無えよ。そもそも四巻ってなんだ、適当言うな。そんなに書く事無いだろうが」


「…………ええ、そうね」


「なんだ、その微妙な間は」


 本当は嫌なところノートも合わせて七巻冊目に入っているのだが、流石に引かれそうだから秘密にしておく。

 それに七冊目まで行ったのは、明日香ちゃんに沢山の情報を追加で聞いたからだ。

 私だけで集めた情報ではない……。

 私の知らない、鏡島貴志の姿。


「ねえ、指を舐めさせて」


「嫌に唐突だな」


「……別に、少し口寂しくなっただけよ」


 鏡島貴志は困ったような顔をして、私の頭を軽く撫でた。


「釣り、行こうぜ?」


「……ええ」

 何故、彼はあんな顔をしたのだろう?

 それについて考えようとすればする程、思考は口の渇きに塗りつぶされて行った。


 +++++


「凄い……」


 町にいては見る事ができない自然の美しさに、私は思わず立ち止まった。


 水が岩とぶつかり、水しぶきを上げながら下流へと流れて行く。

 日の光を反射しながら音を立てる水には、どこか威厳さえ感じられた。

 正しく、大自然と呼ぶのに相応しい光景だ。


 鏡島貴志も、気持ちよさそうに川を眺めている。


「やっぱ、川の近くだと涼しいな。家に欲しい」


「どういう事?」


「ほら、クーラーって乾燥するだろ? 川ならそういう事も無さそうだし」


「川が部屋にあったら、逆に湿気が酷くなるんじゃない?」


「あー、カビ生えるか。じゃあ、同時にクーラーもつけよう」


「……本末転倒ね」


「まあ、試行錯誤に失敗はつきものさ」


 そんな適当な事を言いながら、鏡島貴志は川沿いに山を登って行く。

 結構な悪路だが、転ばないだろうか?


「あっ……」


 人の心配していたら、私が足を滑らせた。


「うお! 危なっ」


 咄嗟に、彼が私の腕をつかむ。

 もともとそこまで大きく体制を崩していた訳ではなかった為、私はすぐにバランスを取り戻した。


「ご、ごめんなさい」


「いや、それよりケガは無いか?」


「ええ、大丈夫……」


「そうか? でも、さっき足捻ってたろ? 休憩しようぜ、というか俺が休憩したい」


「……それなら、もう少し先に休憩所があるみたいだから、そこで休みましょう」


 旅館でもらった観光マップを開き、鏡島貴志に見せる。

 そして、私達は慎重に山道を登り始めた。


 彼がいつもより遅めに歩いているのを感じる。

 ……優しいな。


 それとも、単に疲れているから遅いだけだろうか?

 鏡島貴志なら、どちらもありえる。

 でも、どちらでも良かった。

 二人きりの時間というのは、それだけで楽しく思えるから。


 私達は、そのまま三分ほどで休憩所に辿り着いた。

 休憩所といっても、簡易的な屋根とベンチだけが設置されたシンプルなものだが。


 ベンチの葉っぱを払って、腰掛ける。

 痛んできていた足が、少し楽になった。


「ちょっと上に自販機見つけたから、飲み物買ってくる。何か欲しいものはあるか?」


「スポーツ飲料系のなら、何でも良いわ」


 彼は了解の意を示し、ノタノタと坂を上って行く。

 やはり、疲れていたのだろう。

 それでもジュースを買いに行くのは、それほどジュースが好きという事なのだろうか?


 私は小さく笑みを浮かべながら、彼を眺める。

 日も照っていて、蝉も鳴いている、いかにも夏らしい。

 今日は良い日だ。


 ……ふと、考える。

 あともう少しで夏休みも終わりだが、この逃亡生活はいつまで続くのだろうか?

 ずっと続いて欲しくもあるが、彼との学校生活も待ち遠しい。


 夏休み明けの文化祭に思いを馳せていると、彼が二本のペットボトルを手に帰ってきた。


「買って来たぞ、これで良かったか?」


「ええ、ありがとう。百六十円で良かったかしら?」


「ああ、それであってる」


 私からお金を受け取ると、彼はさっそくコーラの蓋を開けた。

 汗に濡れた喉仏が上下に動く。

 夏祭りの日を思い出した。

 間接キスの味が鮮明によみがえる。

 あの日に告白されて、今があるのだ。


 私はそっと、彼の喉に指先で触れた。


「がっは、ごほっ……お、おい、止めろ。喉を触るな」


「あ、ごめんなさい、つい……その、気になってしまって」


「つい気になっても飲み物を飲んでいる最中の喉に触れるなよ、暗殺者でももう少しタイミング選ぶぞ」


「べ、別に殺そうとした訳ではないわよ。ただ、柔らかそうだなって」


「その感想もどうなんだよ……」


 彼は警戒したように喉元を隠しながら、再びコーラを飲み始める。

 ……残念。


 私も少しだけスポーツ飲料を飲み、一息つく。

 そして、ひとしきり喋ったら、私たちは再び釣り場を目指して歩き始めた。


 釣り場に近づく程、道が舗装されて歩きやすくなっていく。

 地面が平らになるだけでここまで歩きやすくなるとは……意外な気づきだ。


 そのまま細道に入って、木々の間を歩いて行く。

 まだ昼間なのに随分と暗い。

 木の葉に日が遮られているのだ。


「あ……!」


 視界が急に開け、一気に周囲が明るくなる。

 私達の眼前で、川が静かな音を立てて流れる。

 穏やかな河原は日の光に照らされて、キラキラと輝いていた。


「さっきの激しい川も良いけれど、こういうのも良いわね」


「そうだな、危なく無くて良い」


 そういう意味で言ったわけではないのだが、人一倍ビビりな鏡島貴志にとっては、そこが一番重要なのかもしれない。


 彼はさっそく、釣り道具を取り出して岩の近くに釣り糸を垂らした。

 私も彼に倣って釣り針に餌をつけ、河に糸を垂らす。


 日光の温かさを感じつつ、ボンヤリと待つ。

 鳥の声と川のせせらぎが合わさり、なんとも牧歌的な時間だ。

 ……少し、眠くなるな。


 水面をなんとなく眺める。

 存外、魚は多そうだ。


「おっ、釣れた」


 鏡島貴志は釣り竿を持ち上げ、魚をバケツに入れる。


「早いわね」


「まあ、前に散々練習したからな」


「そうなの?」


「……ああ、柚子の神社にいた時、暇つぶしにな」


 鏡島貴志は、なつかしそうに目を細める。

 きっと、良い思い出なのだろう。


「…………」


 モヤモヤする。

 カサネさんの事とか、色々と思い出してしまった。

 私はあの神社で何があったのか、ほとんど知らない。

 私が聞かなかったから、鏡島貴志も明日香ちゃんも教えてくれなかった。


 どうせなら、今聞こう。


「…………カサネさんは何故、貴方を父と呼ぶの?」


 私の質問に、彼は驚いたように目を丸くする。


「カサネが、上梨にその事を教えたのか?」


「前に明日香ちゃんの家に行った時、カサネさんから聞いたの」


「……なるほど」


 鏡島貴志は考え込むように俯く。

 そして彼は、プライベートな話もあるから、あまり詳しくは話せないと最初に断った後で語り始めた。


「まあ、俺の前世がカサネの父親だったから、父親と呼ばれている……という至って単純な話だ」


 ……違う。

 私が聞きたかったのはそんな話では無い。


「何で……貴方はそう呼ばれる事を許しているの? 明日香ちゃんにだって、父親扱いされるのを嫌がっていた貴方が……どうして」


 どうして、そんな突然現れた女に変えられてしまったの?

 親に対するトラウマを癒されてしまったの?


 縋るように、鏡島貴志の目を見つめる。

 しかし彼の眼は、どこまでも真っ直ぐだった。


「カサネはさ、何百年も生きてる筈なのに、すごい子供っぽいところがあるんだよ。人との付き合い方とか全然わかってなくて、だから俺と柚子の魂を混ぜようなんて無茶苦茶しようとしたんだけど……」


 嫌だ、嫌だ、聞きたくない。

 私の心は、酷くザワついた。

 でも、そんな事とは関係なく彼は穏やかに言葉を続ける。


「カサネは柚子に聞かされていた父親への理想を捨てきれなかった、でも最後は友人の明日香の為に自分の理想の父親を捨てて、凄い奴なんだ」


 鏡島貴志は、真っ直ぐに、真っ直ぐになってしまった瞳で、カサネさんに思いを馳せていた。


「何か、そんなカサネを見てると昔の自分を思い出してさ。でも、大人に理想を抱くばっかりだった俺よりよっぽどカサネは真剣に考えて、生きてて……そんなカサネが報われないのは、嫌だった」


 だから、カサネの父親の振りをする事に決めたんだ。

 そう言って、鏡島貴志は話を締めくくった。


 ……最悪だ。

 私がずっと自分の事で悩んでいる間に、カサネさんは人の為に生きて、鏡島貴志に影響を与えている。

 トラウマと向き合う程の、影響を。


 今後一生、彼の心にはカサネさんが残り続けるのだ。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ……。


 意識が、スッと遠のく。

 何となく夢見心地になる。


 そうか、夢だ。

 フワフワとした意識の中で、何故か確信した。


 夢の中の私は、大きく大きく口を開けていた。


 彼の全部が私で構成されてないのなら、彼の全部を私の構成物にしないといけない。


 私は長い長い舌で、歪んだ自分の唇を舐めた。

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