第64話 砥柱

 スマホに耳を当て、俺は黙って呼び出し音を聞く。

 そのまま五コール目を耳にした後、ようやく電話が繋がった。


「……貴方から電話なんて珍しいわね、何の用? 今日は明日香ちゃんと遊んでいた筈でしょう?」


「ああ、さっき明日香は帰ったところだ」

 ついでに言うと、カサネも明日香に付いて行った。

 今日は明日香の家に泊まるらしい。

 俺に憑いているとは何だったのか……。


「そう、今日は少し早いのね。まだ四時だけど?」


 上梨は、少し驚いた様子でそうに言った。

 明日香はいつも、六時の『夕焼け小焼け』が流れるまで遊んでいるから疑問に思ったのだろう。


「まあ、なんというか、今日はあいつの様子が少しおかしくてな……」


「それで明日香ちゃんについて聞く為に電話したの?」


「いや、そこを嗅ぎまわるつもりはない。ただ、まあ、結構辛そうだったから、それを知って上梨が明日香を気にかけると言うのであれば俺は……じゃなくて、その……明日香が辛そうにしていたのを、お前に知っていて欲しかった」

 グダグダになりながら、俺は何とか言葉を紡ぐ……。


 電話越しに、上梨は小さく笑った。


「何が可笑しい?」


「ふふふ、何も無いわ……明日香ちゃんの事は分かった。私も気にかけておきます。それで、その、他に用は無いの?」

 どこか期待するように、上梨がそう問うてくる。

 十中八九、明日のデートの事を言って欲しいのだろう。


「あとは、明日の……デートの、話だな」

 クソ、言葉がつっかえた。

 少し恥ずかしい。


 俺は羞恥心を振り払うように、そのまま言葉を続ける。


「それで、明日はセンユウマートに行くって話だったが、他に行きたい所とかあるか? 他にあるなら、そっちでも良いんだが」


「え? あ、行きたい場所、ね……ええと、その……」


 上梨は、急にしどろもどろになり、もにょもにょと口ごもり始める。


「どうした? 大抵の場所なら付き合うぞ」


 俺の言葉に、上梨は無言になる。

 そんなに言い辛い場所なのだろうか?


 そういえば、近々博物館でミイラ展があるとか叔父さんが言っていた気もする。それに誘おうとしているのか? 

 グロいのは苦手だが、乾燥しているならいけるかもしれない。


 生魚と干物の差異について考察しようとしたところで、電話の向こうからようやく反応が返ってくる。


「…………私の家、に、来て欲しい、わ」


 緊張しているのか、随分と言葉がつっかえている。可愛い。


 しかし、家か。ミイラ展で無い事を喜べば良いのか?

「お、おう、家ね、うん、分かった。じゃあ、明日はそんな感じで」


「声、裏返ってるわよ」


「……うるせえ」

 緊張してんだよ。


 上梨は小さく笑い、俺も釣られて鼻を鳴らす。


 そんなタイミングで、玄関の方から話し声がした。

 叔父さんが帰ってきたのだろう。


 もう用も済んだし、そろそろ電話切るか。


「じゃあ、明日はそのまま上梨の家に行くって感じで良いか?」


「え? ああ、そうか、そうね。明日もセンユウマートに行ったら、貴方は二日連続になってしまうし」


「いや、俺は別に二日連続でも良いけど」


 上梨は、少し考えた後に口を開く。


「……いえ、明日はそのまま家に来てもらって構わないわ。明日香ちゃんの事も聞きたいし」


「そうか、分かった。じゃあ、後で家の場所を送っといてくれ」


 上梨の返事を聞き、俺はそのまま電話を切ろうとする。


「……待って」


「どうした? まだ何かあったか?」


「いえ、用は無いわ。無いけれど……無くても、電話をしても良いでしょう? その、彼女だから」


「そりゃそうだ」

 照れ隠しだろうか? 上梨の声音は、どことなく不遜だった。


 そのまま電話を続けようとすると、一階から叔父さんと女性の話し声が聞こえてくる。

 会話内容までは分からないが、来客だろうか?

 珍しいな。


 逸れた意識を、再び電話に向ける。


「それで、何か話したい事はあるのか?」


「そうね……無いわ」


「……電話切るぞ」


「待って、切らないで。考えるから」


 電話越しに、上梨は焦ったように俺を引き留める。

 なんか、ちょっと明日香に似てきたな。


 上梨が話題を思いつくまで、俺は近くにあった漫画を開いて暇を潰す。

 ペラペラとページをめくっていると、俺の部屋の戸がノックされた。


「どうしたんですか、叔父さん?」

 俺は携帯を手で覆い、返事をする。


「ええ、少し大切な用がありまして。今、大丈夫ですか?」


「ああ、ちょっと待って下さい」


 俺は携帯に耳を当てる。

「すまん、上梨。叔父さんが用事って」


「ええ、聞こえていたわ。電話は切って貰って構わないから、また明日ね」


「ん? ああ、いや、九時くらいに電話しようと思ってたんだが……まあ良いか、じゃあな」


「……あ、ええ、また」


 電話が切れる。

 ……しまったな。

 上梨のあの反応、普通に九時に掛けなおすって言えば良かった。


 俺は少々後悔しながらスマホを置き、叔父さんを部屋に招き入れる。


「それで、大切な用って何ですか?」


「実はですね、今日から数カ月ほど、客人を家に泊める事になりまして……」


「客人ですか?」

 随分と急な話だ。


 叔父さんは俺の言葉に頷くと、横に移動して背後に立っていた人を紹介する。


「こちら、笹原 優さん。オカルト系の部署に所属している警察の方です。以前に何度か捜査協力した際に知り合いました」


 そう言って紹介された人物は、今朝の胡散臭い女性だった。

 顔が引きつる。

 どうやら、相手もこちらに気が付いたようだ。


「君は朝の! 奇遇ですね! 改めまして、笹原 優です。よろしくおねがいしますね」


 そう言って、笹原さんは真っ直ぐな笑顔と共に手を差し出してくる。


「どうも、鏡島です。よろしくお願いします」

 俺は引きつった笑みと共に握手を返した。

 こういうタイプは苦手だ……。


「それにしても、君は黒崎先生のお弟子さんだったんですね! 優秀な訳です。あれ? そういえば今朝いた式神の気配がありませんね? あ、任務中ですか? にしてもここまで気配が薄くなるほど遠くに遣わせるなんて、なかなかできませんよ! 君は警察に興味ありますか? 特別災害対策部はいつも人材不足なんです」


 くるくると表情を変えながら、笹原さんは止めどなく話し続ける。


「いや、あの、俺は別に叔父さんの弟子じゃないです。後、あいつは式神でも無いですし、警察にも特に興味無いです」


「わあ、それは失礼しました! 私、感が鋭いって言われるんですけど、間違えちゃいましたね」

 俺の憮然とした態度に笹原さんはテヘヘと笑い、まるで悪びれる様子は無い。


「二人は知り合いだったようですが、彼の紹介も一応しておきますね」

 叔父さんはそう言うと俺を手で示し、笹原さんに向き直る。


「こちら、鏡島 貴志君。私の甥っ子で、色々あって今はこの家に住んでいます」


「なるほど、先生の甥っ子でしたか!」

 笹原さんは、納得した! とばかりに自分の手をポンと打つ。


 いちいちオーバーリアクションで、見ているだけでも疲れる人だ……。


「では、軽く家を案内しますから優さんは私に付いて来て下さい。あと貴志君、唐突で驚いているでしょうが、詳しい話は夕食時にするので、それまで少々お待ちください」

 俺のゲンナリとした様子を見て何かを察したのか、叔父さんがこの場を締める。

 そして、叔父さんと笹原さんは俺の部屋から出て行った。


 急に静かになって部屋で、俺は一人佇む。

 これから数カ月、俺はこの家でやっていけるのか既に不安を感じ始めていた。

 尤も、不安だろうが不満だろうが、俺はこの家でやっていくしか無いのだが……。

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