第28話 傾慕

「じゃあ、また明日ね」


 私は別れの挨拶を告げ、明日香ちゃんと鏡島貴志の返事を聞きながら通話を切る。

 画面から消えた彼らの顔が、少し名残惜しい。

 明日も会えるというのに、可笑しな話だ。


「ふふ」

 ベッドに倒れ込み、今日の鑑賞会を思い出す。


 明日香ちゃんは、センスが良い。

 まさか小学生の選んできたアニメに泣かされる事になるとは、思ってもみなかった。


 そういえば、今日の鑑賞会で鏡島貴志が一番初めに泣き出したのは可愛かったな。

 彼はとことん捻くれている癖に、偶に真面目で素直だからドキッとする。

 これが明日香ちゃんの言っていたギャップ萌え、というやつなのだろうか?


 私が彼をお人好しだと言ったら、母の躾が脳にこびり付いているだけだと、彼は心底不服そうな顔で評していた。

 でも、私はアレが彼本来の性質だと思っている。


 彼は出会った頃から、いつでも面倒くさいといった風を装ってはいたが、なんだかんだ言って私たちの事を気にかけていた。

 本当のところ、私や明日香ちゃんを心配していたのだろう……なんて、流石に美化し過ぎかな?


 ベッドから立ち上がり、鏡山君ノートを机に開く。

 もう夏休み入ってから三冊目に突入しているのは、少し自分でもやり過ぎだと思っている。

 でも、友達になったあの日から余計に優しくなった彼にも責任はある。


 そんな益体も無い事を考えながら、一番新しいページを開く。


 今日は、何を書こうかな?

 記憶の糸を手繰りながら、少しずつボールペンをノートの上に走らせる。


――鏡山君ノート――


 今日は、明日香ちゃんの持ってきたアニメの鑑賞会をした。


 鏡島貴志はキャラクターの家庭環境に感情移入したのか、すぐに泣きだしていて少しだけ可愛かった。


 私たちの邪魔にならないよう即座にミュートにしたのが、いかにも彼らしくて思わず笑ってしまった。


 恥ずかしそうにしていたので少々申し訳なく思ったけれど、珍しい反応を見る事ができたのは良かった。


 アニメを見終わった後に彼はペラペラと感想を言っていたが、ちょうどノイズが大きくなっていたせいで良く聞き取れなかった。


 それなのに、彼がやけに勝ち誇ったような顔をしているから、指摘して欲しくて敢えてやっているのだろうかと本気で悩んだ。


 明日、初めて鏡島貴志を交えて明日香ちゃんの勉強会をする。楽しみだ。


―――――


 こんなもんかな。

 自分の書いた文章を読み返す。


 ……なんか、可愛いっていう表現恥ずかしいな。

 ボールペンで『可愛かった』という文を、『良かった』に書き換える。


 ……よし。

 今日の分を書き終えた私は、十日分ほどページを遡りつつ軽く読み返す。

 鏡島貴志が褒めてくれた事、鏡島貴志の性格考察、鏡島貴志の妙な癖の事、鏡島貴志のよく使う論法、鏡島貴志の良かった反応の事、鏡島貴志の好きな食べ物の事、鏡島貴志のトラウマの事、鏡島貴志の好きなキャラクターの事、鏡島貴志のよく使う文房具ブランドの事、鏡島貴志が嬉しそうだった時の事……。


 見返すだけで自然と笑みが浮かんでくる。

 全部、大切な思い出だ。


 それに、明日は鏡島貴志初参加の勉強会だ。

 過去も未来も、こんなに幸せでいいのだろうか?


 ……本当は、こんな幸せなんて許される訳が無い。


 家族を、友達を、殺した怪物の癖に幸せになるな。

 私は、あの儀式の日に友達の代わりに死んでおくべきだった。

 こんな事にかまけていないで、さっさと自殺した方が社会の為だ。

 周囲の人間に甘えるな、そんな資格は私には無い。

 悲劇のヒロインぶって人の優しさに付け込んで、恥ずかしくないのか。


 自らを非難する声が、頭の中をグルグルと渦巻く。

 昔から、何か幸せを感じたり感動したりすると良くこうなる。


 でも、私は本当のところ幸せになる事に罪悪感なんて覚えてはいなかった。

 捕食の瞬間の記憶が無いせいで、自分が怪物だという事を知ってはいても、実感はできていないのだ。

 だから、私の自責の念などというものは、とっくのとうに風化している。


 今の私に残っているのは、自分が薄情な人間では無いと思い込む為の、自慰にも似た自罰。いや、それすらも最近は感じる頻度が少なくなった。


『もう、昔の友達なんてどうでも良い』


 儀式の日に出たこの言葉が、結局のところ私の本音なのだろう。

 こんな私の本性を知ったら、明日香ちゃんはどう思うかな? 

 幻滅されるだろうな。

 少なくとも、今みたいにお姉ちゃん扱いはしてくれなさそう。


 鏡島貴志は……それでも変わらずにいてくれる気がする。

 彼は母親からの期待がトラウマになっているせいか、人に期待しない。

 だから、彼はきっとどんな私でも友達でいてくれる。


 少し、気持ちが軽くなる。


 私は彼の事をどう思っているのだろうか?

 ふと、そんな疑問が浮かぶ。


 前に彼を捕食しかけてしまった時に、初めて自覚した好意。

 あの時は、この感情が友愛だとか、感謝だとか、そういった類のものだと思っていた。

 でも、本当にそうだろうか?


 客観的に見て、私の鏡山君ノートは異常だ。

 いや、以前書いていた嫌なところノートも異常ではある。

 でも、アレは人を好きにならないようにする為という目的の元、必要に迫られて書いていたものだ。

 それに比べて、鏡山君ノートは完全に趣味で書いている。


 ここで、実は作っていた明日香ちゃんノートも同じくらいのペースで更新されていれば、私がそういった性質の人間であるという事になるのだが……生憎と、明日香ちゃんノートは一冊目の三分の一ほどしか埋まっていない。

 私が鏡島貴志に特別執着している事は、客観的に見ても明らかだ。


 ……これが、恋愛感情なのかな?

 でも、小説で良く出てくる、見ているだけで胸が苦しくなるなんていう現象は、私には起きていない。


 他の人は、どうやって自分の好意が恋愛感情なのかを判断しているのだろう?

 だって、それが初めて覚える感情なら、それと判断のしようがない。


 そのまま悶々とベッドの中で考え続けていたが、答えが出ないまま夜は更けていった。



+++++



 日光を瞼の裏で感じ、目が覚める。


 机の上に乗った鏡山君ノートを見て、昨夜の思考を思い出す。

 なんだか、真面目に悩んでいたのに急に恥ずかしくなってきた。

 どちらにせよ、私が怪物である限りは恋なんて夢のまた夢だ。


 私は足早に洗面所へ向かい、軽く身だしなみを整えた。


 まだ黒崎さんとの情報交換会まで時間があるし、朝食もしっかり作ってしまおう。


 冷蔵庫を開き、中身を確認する。

 今日は、そんなに大したものは作れ無さそうだな……。


 私は、もうすっかり慣れてしまった一人分の食卓を完成させる。

 焼いた食パンの上に乗っているベーコンエッグは、なかなかの出来栄えだと言えるだろう。


 前に明日香ちゃんに振舞った時も好評だったし、もし色々と問題が解決したら鏡島貴志にも何か料理を食べさせたいな……。


 そうだ、一緒に料理をしても楽しいかもしれない。

 彼はあんまり料理が得意なイメージは無いけれど、実際のところはどうなのだろう?


 そこそこの出来のベーコンエッグを、誇らしげに見せつける彼の姿が浮かぶ。


 昨日変な事を考えたからだろうか?

 少し照れ臭くなってきたので、私は自分を誤魔化す様にトーストに噛みついた。


 そのまま余計な事を考えずに朝食を最後まで食べてしまい、食器洗いと軽い掃除まで済ませる。

 もうすぐ情報交換会の時間だ。


 パソコンを立ち上げ、通話アプリを起動する。

 黒崎さんはいつも通り、既に待機していた。


 どうやら黒崎さんは、私の命を利用して蘇生の儀式をしようとした事を後悔しているらしい。

 そもそもその娘さんを殺したのは私だというのに、本当に善い人だ。


 私はいつも通り少々気まずく思いながら、黒崎さんとの通話を開始した。


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