コミュニケーションについて
明日から、もしくは今日から新学期が始まるという学生の皆様が多いのではないでしょうか。私はそんななかで、ふと、ある授業のことを思い出しました。
あれは国語の時間。論説文でコミュニケーションについてのことが書いてありました。
筆者曰く、この社会の中で圧倒的に「有利に生きている人」が多いのだそう。この有利というのは周りの空気を読み、自分の意見を言おうとしないこと・・・・・・みたいな話だったんです。きっと。
その授業の一環で、先生は「皆さんはこの文章を読んであなたはどちらの方(有利な生き方or不利な生き方)がいいと思いますか」、「意見を言いにくい人が言いやすくなるには、周りはどんなふうであれば良いと思いますか」と、二つの疑問を私たちに投げかかました。
けれども私はその時、違和感というか、疑問をいだいてしまいました。
まず、一つ目の問いに対して。そんなの、私たちに「〇〇すべき」なんていう資格なんてないんじゃないかという疑問。私たちは人様の生き方にどうこう言えるほど偉くもないし、別に誰がどんな選択をしたって、この世界は多分うまく回っていくんじゃないかと思うのです。だって、今までだってうまくやってきたもん。
ちなみに私は有利な───空気を読んで、自分の意見を言わない───生き方を選びます。ただでさえコミュ障で友達少ないのに、さらに衝突して戻れなくなってしまう、、、なんてことがあったらたまったもんじゃありませんから。
そしてもう一つの方には、周りの環境が変わったって、有利な生き方を選んだ人はそう簡単には変わらないんじゃないかということ。
これは私の話になりますが、たとえ、私の周囲にいる人たちが他人でも優しかろうと、親友であろうと、家族であろうと、私はこの生き方を変えることはできないと思います。私には考えすぎなところが多々あって、どんな人にだって必ず「私のこと、〇〇って思ってるだろうな」とマイナスなことを想像してしまいます。だから今まで自分の意見をちゃんと言ってきませんでした。
有利派のみんながみんな私のように面倒臭いとは言えないですけど、やっぱり一定数こう言った人たちはいるんです。
だから周りが変わるんじゃなくて、本人が変わらないと根本的なことは解決しないんじゃないかと思います。
こんな感じで面倒くさいことを考えながら、私は明日の新学期を迎えます。
ただ、思っただけ。 @pianono
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