正しい答え

多聞

正しい答え

※この作品はフィクションです。実在の人物や団体とは一切関係ありません。


「話の展開がすごくいいですよね。二人が声を交わす瞬間は必ずくる、そう信じたくなります」

 そうなんだよ、と大きく頷いた。繁田(しげた)は的外れなことを口にしないので、提出前に見せる相手としてはちょうどいい。

「ただ、ちょっと気になった部分があって……」

 珍しく言いよどむ姿に、柿谷(かきたに)は少し苛立ちを覚えた。意識的に口角を上げて、感情を面に出さないようにする。

「どの辺り? 遠慮せずに言ってくれていいよ」

「あの、あえて言うならですよ? 主人公とヒロインを、光と闇に例えているところは安直かなと思いました。キャラ的にはぴったりなんですけどね」

 それは比喩だ。主人公とヒロイン=光と闇だと書いたつもりはない。

「ああ、それは正しい読み方じゃないな。あくまでも比喩として書いただけなんだ。二人が光と闇というわけじゃない」

 ここまで説明しても、まだ繁田は納得した顔をしない。

「それは分かるんですけど……。でもこの描写とか、明らかにそうじゃないですか?」

 繁田のスマホに表示されていたのは、主人公の笑顔を描写した部分だった。「木々からこぼれる光のよう」と書いたところだ。

 だからといって、主人公イコール光というわけではない。険のある目つきにならないよう気を配りながら、繁田の顔を見る。

「そう読めなくもないけどさ。でも違うんだよね」

「あと、ここもそうですよね」

 繁田は柿谷の言葉を聞くことなく、自分のスマホを眺めている。覗きこむと、「漆黒の闇のようなドレス」という文章が目についた。ヒロインがパーティーに赴く場面だ。ため息をつきたい気持ちををこらえて、

「あのね、これは単にこの色のドレスが似合うだろうと思って書いただけなんだ」

 と返すが、繁田はしっくりこない表情を浮かべた。

「それって、イコール闇ってことじゃないんですか」

 柿谷はゆっくりと首を振る。繁田は「うーん」と唸ると、ソファにもたれかかった。

 光と闇。ラストにも関わる重要なテーマであることは確かだ。繁田の言うように、光のような主人公、闇のようなヒロインと読めなくもない。問題は、柿谷がそう意図して書いたつもりはないということだ。

「柿谷さん、また怖い顔してますよ。眉間に深い皺が」

 柿谷は人差し指で眉間を伸ばすと、慌てて笑顔を作った。

「怖い顔なんてしてないよ! 繁田の言う通り、光と闇の描写が多いな、と考えてただけ」

「まぁ、自分はそう感じたってだけなんで。あれだったら聞き流してください」

 聞き流せと言うなら、始めから言わなけりゃいいのに。柿谷は内心の苛つきを感づかれないよう、アイスコーヒーを一気に啜った。

「いやいや、貴重な意見ありがとう。ちょっと手を入れてみる。また晩に送るからよろしくね」

 柿谷の言葉を聞いた繁田は、嬉しそうに頷いた。こうなったら絶対比喩だと認めさせてやる。


 パソコンに向かうこと数時間。だいぶ文字数が減ってしまったが、もういいかと諦めて繁田にファイルを送る。どうせすぐ返事はこない。柿谷は布団の上に身を投げ出した。心地良い疲労感に任せて目を閉じていると、LINEの通知音が聞こえた。

『お疲れさまです、繁田です。作品、結構削られたんですね。今ざっと読んだ印象なんですが、直す前の方が面白かったかもしれません。これ、描写がほとんどなくなってますよね? さすがに寂しい印象が拭えないです』

 柿谷は『了解』とだけ返すと、再び横になった。先程とは種類の違う疲労感が押し寄せてくる。この数時間の作業は何だったのだろうか。目の上に腕をのせる。作品と向き合う気力は、もう残っていなかった。

 布団の上に放りっぱなしにしていたスマホの画面が光った。ぽつぽつと繁田からメッセージが届いている。柿谷は既読を付ける気がせず、通知欄をただ眺めていた。

『偉そうなこと言ってすみません』

『書き直した方も別に悪くないんじゃないかな、と思います』

『でもやっぱり、元の方が面白いのかな』

『……正直、よく分からなくなってきました』

『今の自分に、柿谷さんの作品を読む資格なんてあるんでしょうか』

 いくら何でも深刻に受け止めすぎだ。柿谷はアプリを開くと、めったに押さない通話ボタンをタップした。

「もしもし? 柿谷さん? 何で電話なんか……」

「どうもこうもないよ。何、もう読んでくれないの」

 疲れからか、いつもより乱暴な口調になっているのが分かる。繁田は戸惑っているようだった。

「……だって。自分の不確かな意見で、柿谷さんの作品が駄作になるのは嫌なんです。俺、そこまで責任持てません」

「いいよ、別に。責任なんか持つ必要ないよ。誰もそこまで求めてないし」

 柿谷の言葉を聞くと、繁田は軽くため息をついた。

「柿谷さんはそう言いますけどねぇ、俺が普段どれだけ戦々恐々としながら意見を言ってるか知らないでしょう」

「知るわけないよ。そんなこと思ってたの? もうちょっと気楽に読めばいいのに。繁田の意見を全部聞いてるわけじゃないんだしさ」

 電話の向こうで絶句した気配がした。

「えっ、そうなんですか?」

「そうだよ。いつもは都合のいい意見しか採用してない。今回が特別だったんだ」

「……それならもう、俺の意見なんか要らないですよね。これからは一読者として読ませてもらいます」

 明らかにテンションが低い。柿谷は思わず「そんなこと言わないでよ」と口に出していた。

「アドバイスは? アドバイスくらいならしてくれるよね」

「しません。俺がアドバイスすると駄作になっちゃいますよ」

 そんなことないよ、と言いながら、柿谷は説得の言葉を探していた。このままいくと貴重な読み手を失ってしまう。

「じゃあもう感想でも何でもいいよ。時々小説送るからさ、何か反応くれたら嬉しいんだけど」

「情に訴えかけるような口調はやめてください。言いましたよね? 俺は柿谷さんが書く面白い作品を、純粋な気持ちで楽しみたいんです。余計なことを考えながら読みたくないんですよ」

「どうしても?」

 我ながら未練たらしいなと思いつつも、柿谷はそう聞くことを止められなかった。

「どうしてもです。感想がほしいんだったら、プロの作家になってください。そしたら感想でも何でも送ってあげますよ」

 何かふっきれたのか、繁田はさっぱりとした声で無茶なことを言った。「本気じゃないよね?」とも聞けず、柿谷は呆然としているしかなかった。

「そうだ、ちょうど柿谷さんにぴったりの文学賞があるんですよ。この作品、展開は面白いんだし、ちょっと手直しして送ってみましょうよ」

 どうやら本気らしい。感想ほしさに作家を目指すのも馬鹿らしいが、このまま諦めるよりはいいだろう。

「……分かったよ。そのかわり、俺が本当に作家になったら絶対感想送ってくれよ。直筆でだぞ!」

「もちろんいいですよ。愛憎こもった俺のファンレター、楽しみに待っててください」

 柿谷は苦笑いをしながら電話を切った。画面を見ると、早速文学賞の詳細が送られてきていた。

 賞に出すためには、まず「光と闇」の描写をどうにかする必要があるだろう。比喩とするべきか、しないべきか。繁田の言っていたことを思い出しながら、人物描写を一つひとつ書き直していく。

 もう柿谷が繁田に意見を聞くことはないだろう。しかし、繁田になったつもりで読むことはできる。都合の悪い意見を時々採用しながら、夥しい文字の列に目を落とした。

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