スタンボットーSTANBOTー
荒木倫太朗
ep.1 「The Catcher in the Rye」
「退屈」。そう言って、人生をあきらめるほど長くは生きてないけれど、今から一生懸命になろうとすら思わない。窮屈なこの田舎町で他人のやさしさで何とか生き延びている自分が恥ずかしい。
顔も、声も、何も知らない両親を知りたい、会いたいとは思わない。でもそれは可哀そうだと憐みの視線がチクリと背中に刺さって痒い。でもその憐れな少年を演じるから生きて行けるわけであって。やっぱ俺、ダサいよね。
たった一人の親友とガラクタだらけのガレージで機械をいじりながらの毎日。同年代の子供たちは学校に通い、勉強と色恋と友情に青春を見出す。
ああ、羨ましくて仕方がない。人間、自分が持たないモノを欲する気持ちを抱くのは仕方がないけど、やっぱり自分の人生を楽しく生きていきたい。
だから、だからこそ。って、俺は思うんだ。窮屈なこの町から出ていく術を知れたなら、気が向くままに、行けるところまで進んでいこう、ってね。
※※※
「おい。その部品はダメだって、グズで使い物にならないって言ったじゃん」
「でも、動くからよくない?」
一見、問題の無いように見える部品を片手にアズサは首をかしげる。使えるではないか、と。その視線を無視して首を大きく横に振り、それをひょいと取り上げながらランドラックは全く同じ部品を差し出す。
「いやいや、同じでしょ」
苦笑を浮かべ、友人のこだわりに半分呆れながらも同意する。仕方がない、こいつがそうしろと言うのだ。
「全然、まったくもって違うよ」
二つを並べ、違いを説明される。まぁ、何回聞いても覚えるつもりはないんだけどな、と思いつつ話しを聞くフリをする。
コイツも面倒な性格の持ち主だな。と右の耳から左の耳へと興味のない情報の音が通り過ぎていくのを感じながら再確認する。類は友を呼ぶとは、正に、自分とランドラックのことだろうなと。
「————ってことだから、シャッタ社のパーツを使うわけ。わかった?二度目だよ?」
何度目だろうが、何千回、何万回目だろうが覚えるつもりも、理解するつもりはミジンコない。
「とりあえず、修理は終わったし、試運転しなよ」
「・・・わかった、とりあえず森を一周してくる」
ランドラックの提案で修理を終えた電動オフロードバイクに跨る。ヘルメットをかぶり、マウントパーツに携帯を差し込み、エンジンキーを回す。機動音と共に携帯に車体データが転送され現在のステータスが画面に一目でわかるように映し出される。
「気を付けて」
ランドラックにサムズアップで返答し、アクセルを捻る。先ほどとは違う、スムーズな加速。モーターから発生していた異音は消え去り、新緑の初夏の風景が視界に入り込む。風に揺らされる木葉のさざめきと速度四〇キロで空気を切り裂く刺激が心地よい。
整備されていない場所を駆ける快感はアスファルトの上を常識人ならば卒倒してしまいそうな狂気で走り貫ける、それとは違う気持ちよさ。スピードの麻薬ではなく、壁を乗り越えていくことで得る達成感に近い心地よさ。
「いくぞおおおおおおお」
でも、俺はそれだけで満足はできない。整備された道を、速く走るための場所を速く走れるのは当たり前で、かといって、整備されていない道の無い所を慎重に踏破していくのも物足りない。
速く、もっと速く。俺の限界まで。
ネジの外れたとしか思えない速度で森を駆けるアズサに野生動物が気圧される。鳥は羽ばたき、小鹿が駆け、小魚が跳ねる。自然豊かな雑木林を貫く一本の砂利道を走るバイクは加速していく。道とは思えぬ、その筋を誰よりも速く駆け抜ける。
速度による陶酔、アドレナリンの分泌がされる。狂ったようにアクセルを捻る。限界でうなるモーターの異音は風切り音でかき消される。
前だけを、一秒先を凝視する視界の淵が暗闇に支配されそうになると、アズサの視界は一気に広がる。すべてが視える。その感覚が心地よい、その心地よさから生まれる不気味な笑み。
一瞬の、その、心を満たすスピードの中、広がった視界の端に一本の筋が通る。光る玉が空を掠める。
無心でアクセル開度を全開にしていた状況で、光る飛翔体を視界の淵で確認した時、アズサは急制動を行った。
「あれはなんだ?」
率直な感想を口にした。考え込むと独り言が出てしまうのは多くの人の癖だと思う。
空を凝視する。幸いにも雲一つない快晴の昼下がり、飛翔体を見つけるのは簡単だったが、入り込む太陽光がまぶしい。隕石だろう。その思考はやはり正しく、地表に近づくにつれてだんだんとそれは大きく見え、好奇心と興味が湧いてくる。
墜ちて行った方角にバイクを走らせる。すると、なぎ倒された木の幹がいくつもあった。その先に立ち込める土埃に顔をしかめながらも、木の幹が倒れる先を目指して歩く。
せき込みながら目に映るシルエットはキツネのいたずらか、タヌキの変身か、と疑ってしまうものだった。横たわる巨人の影の上にいるのは長髪の女のコの人影。
ああ、これは夢に違いない、白昼夢ってあるんだな、そんな感想を抱いていると、立ち込めていた煙が収まっていく、見える距離まで近づくアズサの目に映った光景は、一先ず、自分が化かされていないことを証明するものだった。
雷に打たれたような衝撃が走る、ってこんな感じなんだな。初恋ってこんな感じか。初めての恋を意味する感情に一種の感動を覚えた。自分でも恋はできるんだ、と。
白い外装パネルの十メートルはあるだろう、横たわる人型ロボットの上であくびをする、その非現実的な、空想科学物語のワンシーンのような画。どきんと、胸が跳ねる音が聞こえる。
金色の長髪と雪ほどに白い肌、加えて驚くべきは碧の双眸がこちらを真っ直ぐ見つめる。
刹那にも感じる、短い時間、見つめあう二人の距離を少女が躊躇なく詰めてくる。
物珍しそうにアズサの顔を覗き込む少女に腰が抜けて倒れこむアズサ。彼の頭はパンクして、正常な思考が出来ない。脳が理解できるのは可憐な少女が目の前にいる事実のみ。
少女が無造作にアズサの頭をなでる、
「あ、あああ・・・・・」
声にもならないうめき声と、燃えてしまいそうなほどに赤く染まった顔面、そこに近づくきょとんとした表情の真っ白い少女の顔。唇同士が触れ合ってしまいそうな、ゼロにも等しい距離に耳までも赤くなってしまう。
ダメだ、ダメだ、と気を取り直し、後ずさりしながら距離をとり、立ち上がる。
「そ、それは、君のロボットなのかな?」
白いロボットを指刺し、平然とした態度を装うにしては大きな声量で少女に問いかける。声を聴き、意思疎通ができると理解したのか、ぱっと明るくなった表情にもう一度頬を赤らめる。
「わかんない、ほしいの?」
「え?」
予想外の返答に思考が停止する。欲しいと言えば欲しい。ロマンの詰まった機械が無料で手に入るなんて夢のような出来事に違いはない。それにしても、わかんないって。・・・・
「うん、いいの?」
「いいんじゃないかな、困る人はいないでしょ」
アズサと対照的にハキハキと元気のよい少女はぐいぐいとアズサとの距離を詰めていく。これ以上引くわけにもいかなくなったアズサは後ろに下がろうとする足を地面から離さないように体に命令する。動くな、と。
カッコつけるのも大変なんだと言ったランドラックの言葉を実感する。実際にやってみるとむつかしいな。
「じゃあ、もらっていいかな?」
「好きにすれば?私は奥に行くから、バイバイ」
アズサに興味を無くしたのか、踵を返し森の奥へとその少女は消えていった。あっけにとられながらも、一つの心残り。名前、聞くの忘れた・・・・・
※※※
ランドラックのガレージに戻ろうと思い、バイクに跨るも、キーを回しても反応がない。仕方なくランドラックに電話をかけ、トラックで拾ってほしい旨を伝える。
「おいおいおい、これってスタンボットじゃねえか!」
鼻の穴を大きく開いて興奮している様子に若干ひきつる笑顔で少女とのやり取りを簡潔に述べる。まあ、もらっていいらしいの一言で片ついてしまうのだが。
「とりあえず、代わりのバイクは持ってきたからガレージに戻って工具を持ってきてくれ。分解してトラックに積んで持って帰える」
「わかったけど、分解できるの?」
分解はできないことはない。それは当たり前だ。ただパーツに戻すだけなら誰でもできる。ジグソーパズルをバラバラにするのは赤子でもできる。それと同じだ。アズサの言う分解の意味とは、分解後の話を含んでいる。
「とりあえず、ブロック毎にするだけだから」
ランドラックのどこからか湧き出る謎の自信に違和感を覚えつつも、代わりのバイクで工具を配達し、ブロックごとに分解をしたスタンボットと言うらしいロボットをガレージに運び込む。すべてのパーツを運び終える頃には太陽の半分が山脈の裏側にまわり込み、紫に焼けた空が一日の終わりを告げようとしていた。
「にしても、スタンボットをいじれるとはなぁ」
同い年とは思えないその台詞に本日二度目の違和感を感じる、いくら何でもジジ臭いぞ、と。
感慨深いと白い装甲の人型ロボットに見惚れるランドラックの横に立つアズサはそれと一緒にいた少女のことを考える、いや、考えてしまう。頭から離れない白い肌と碧眼が美しい少女は一体どこからやってきたのだろうか、名前は何と言うのだろうか。
「キモイ顔すんなよ」
ランドラックの否定できない悪口に、負けじと反撃をする。
「そっちも、ぼーっとロボット見てるじゃん、キモイ顔で!」
何が気に入らないのか、きつくこちらを睨みつけてくるアズサよりも十センチほど上からの視線を額で感じる。そして長い付き合いの経験から推測されるこれからの苦痛に一つため息が漏れる。
「ロボットじゃなくて、スタンボット!スタンボットな!」
呼び方にそんなに重要な意味があるのか、そんな疑問さえも許さないランドラックの屈強な意思。かっこいいだろ?そう言わんばかりのドヤ顔にあきれながらも、なるほど、と相槌を打つ。
「で、スタンボットって何なの?」
「そりゃ、軍事兵器だよ、武器ってこと。簡単に言うと人が乗れるロボットで戦うわけよ。これは武装を装備してなかったけどね。にしても、見たこのない機体だな。各関節の独特な形状から考えるに新型のスタンボットで間違いなさそうだけど、そんな情報はなかったしなぁ」
「じゃあ、軍の持ち物ってことでしょ?そしたらトント基地の機体ってこと?」
「いや、違うと思う。そしたら空から落ちてきた意味が分かんないし、近くに女の子がいたのもおかしいだろ」
ランドラックの至極真っ当な見解にぐうの音も出ない。だとしてもそんな物騒な代物はガキの俺たちが扱っていいものでは無いことは確かなはずだ。
何やら独り言を言いながら外装パネルを外し、導線のいたるところにテスターを当てて白いスタンボットの状況を確認する。物騒なモノに手を出してしまったな。その後悔が無いと言えばウソになる。だが、これも暇つぶしの一つだと思えば案外楽しい経験になるかもしれない。そうアズサは思った。
※※※
「よし、アズサ、予備動力での起動マニュアルに従って操作をしてくれ」
「了解」
数日間の悪戦苦闘を強いられながらもコックピットらしき空間を発見した二人はその空間の隅に置いてあった辞書と見間違えるほどの分厚いマニュアルを見ながら起動実験を行うことにした。
「外部電源による整備。動力を切り替え、ブースターケーブルで外部電源との接続後、メンテナスモードでの起動を行うこと。メンテナスでの起動は三九ページを参照せよ・・・」
マニュアルを読み上げながら指示通りの操作でスタンボットを起動させる。起動させれば、内部コンピューターのデータから機体情報を確認できる。そのランドラックの推測通り、機体のステータス情報が湾曲した、球体の内側のような壁面に映し出されていく。モニターは生きているらしい。
「うーん、炉が壊れてる、それにOSもこの機体の制御をするにはお粗末としか言えないね」
自分のパソコンをケーブルで接続し、白いスタンボットのデータを読み取る。数字が苦手なアズサにとって設計が~、ソフトが~、オーエスが~、と言った脳みそを使うメンテナスは大が付くほど苦手であり、嫌いだ。
吐き気がするんだ。そう伝えたら困ったものだ、とランドラックは肩を落としてしまった。そんなんじゃあ、メカとして、メカニックとしれ生き抜けないぞ、と言われたのは覚えている。改善する気はない。
「とりあえず、STDを並列に繋いで、安定性と出力を向上させよう。あとはOSの修正だね。もちろん、俺だけじゃ難しいだろうけど、アズサと俺の二人ならできると思う」
満面の笑みで大きく首を縦に振る親友の姿にチョロいな、と、詐欺師じみた感想を抱き、口元が吊り上がってしまうのを必死に抑える。まだまだ子供だな、アズサ。
一方のアズサはランドラックに必要とされている事実に喜びを爆発させながら、新しいおもちゃに胸を躍らせていた。ありがとう、神様!
※※※
「テトラ少尉、貴官にはこれで降下してもらう」
大した情報の無いまま、敵の兵器を改造したというソレに乗って、大気圏に突入しろと言われたときは乙女の極意を忘れてしまうほどに暴言を吐いてしまった。
命令は絶対なので従わない選択肢は存在しえないのだが、あの狭くて、汚い人間ばかりの船から脱出できる点については両手を天井に突き出してしまった。
地球を似せて作られたらしい移住船から抜け出して、自然豊かな森の中で狩りをしながら日々を過ごすのも、町で小さなパン屋さんを営むのも、良い。
誰かに敷かれたレールを走るのはもう、うんざりだ。だから、いっそのこと死んだことにしてもらってこの星の住人とし悠々自適に暮らそうと決めた。
ああ、あと恋する乙女になるのもいいと思った。
この星に落ちてから一か月、多くのことがあった。結局、森で狩りをしながら生活するには知識が足りず、かといってパン屋を営む資金はない。そもそも、パン生地の作り方すら知らない。
だから、墜落現場にいたパッとしないガキんちょのガレージを見つけた時は、情けないが助かった、とすら口に出してしまった。
パッとしないガキんちょこと、アズサはやっぱり子供っぽくて、落ち着きがなくて、考えなしの行動に振り回されて痛い目を見てしまう。距離を取ろうにも、なぜか懐かれていて厄介だ。
でも、もう一人の青年は違った。アズサよりも十センチほど高い長身と手入れのされた黒髪と四角い眼鏡。冷静で、知的なその双眸に恋に落ちた。多分、アズサよりも一つか二つ年上なのだろう。ランドラックと呼ばれる彼に惹かれた。だから、アズサといても苦ではなかった。だって、彼が、ランドラックが近くにいるのだから。
ランドラックとの距離が縮まっている気がした。
隣で見る笑顔は素敵で、ふと優しく差し伸べてくる右手を頼るのが恥ずかしかった。今までの生活はこのためにあったんだろうな、とすら思える、甘酸っぱい青春の一ページ。大切に胸の奥にしまっておこうと思った。
だから、彼の告白を聞いたときは一度耳を疑い、聞き返してしまった。もちろん返事はイエス。こちらこそよろしくと伝えた。
※※※
「ねぇねぇ、やっぱりテトラって、かわいいよね」
アズサの当たり前の質問を聞き流しながら、自分の愛しい彼女のテトラを見据える。ああ、そうだな。吊り上がる口元がアズサに見えないように手で隠す。やっぱり、俺のテトラは可愛いなと。
スタンボット共に空から降ってきた少女は何も覚えていなかった。テトラと言う自分の名前以外の自分の情報は持ち合わせていなかった。そんなかわいらしい少女を護ってあげたいと思うのは漢としての本能で、それ親友とはいえ頼りないアズサには任せられなかった。惚れた女は奪うもんだ。そう豪語する父の教えを実践したところ、すんなりと、少し恥ずかしそうに俺の想いを受け入れてくれたテトラが大好きだ。
「あとは、調整だけでしょ?」
「そうだよ」
アズサの言う通り、例のスタンボットは各関節のアクチュエータの微調整を残すのみとなっていた。素人が丸々一か月かけて施した改修は民間人とは思えないクオリティに仕上がっていた。
新機構の関節に適応していないOSを修正。STDを並列に接続し、核二つをV時に配置することで出力の向上と安定性を高めたVツインシステム。高機動戦闘下での直観的な格闘を可能にする半マスタースレーブ方式の採用と言った具合の先進的かつ前衛的な機体が完成してしまった。
「で、誰が乗るの?」
テトラの質問にランドラックは唸り、考え込んでしまう。反対にアズサは元気よく手を上げる。小学生の授業参観みたいなそのアズサの様子にくすくすとテトラが笑う。
「おれおれ!」
ランドラックがそれを制する。ランドラックは考えていた。テトラの記憶を取り戻したいと、自分のルーツを知らないなんて悲しすぎる。だから、過去を取り戻そう。どんなにつらい過去でも、俺が一緒に受け止める、支える覚悟が彼には有った。だから断言するのだ、彼女が乗るべきだ、と。
「いや、テトラだ」
「わたし?なんで?」
「記憶を失ったとはいえ、適性がある人間がパイロットになることは自然では?」
アズサもテトラが乗るのは筋が通っていて分かりやすい。とは思う、だが、本人曰く記憶を失っている。自分の出自はわからず、わかることは名前とアイデンティティに関係のないと思われる知識のみ。それだったら、あぶないことに自ら首を突っ込むことはオススメしない。
思い出したくないから、記憶を封印したのだ。それがたまたま外部からの衝撃をきっかけにしただけに過ぎない。つらい過去ほど呪われた物はないのだから。自身の経験上、記憶をほじくり返すなどあってはならない。片想いの相手を護る。その信念を貫くアズサ。
二人の話し合いは平行線のままただ時間だけが過ぎていく。冷静に無邪気な少年を演じるアズサ。彼女のために熱く正論を語るランドラック。聞き分けの無い親友に苛立ちを覚えるのは当たり前だ。
それはテトラにとって信じられない光景だった。親友の二人がケンカ。それも殴り合いの応酬。その発端が自分の彼氏になるなんて。
ランドラックが引き下がらないアズサの頬に一発、平手を放った。テトラはあっけにとられて、口をぽかんと開けてその場に立ちすくむ。
アズサもビックリとした表情で、それでも、黒い双眸は揺らがない。意識を変えて、臨戦態勢に、闘いに意識を転換する。リーチで劣るアズサだが、あえて距離をとる。相対するランドラックも眼鏡を外して、ツナギの第一ボタンを外す。
——久々だな、しかもお前からとはな、ランド!
ふたりのケンカを初めて目の当たりにするテトラが口を手で覆う。信じられないと、とも取れるその表情。
恐怖か、驚愕か、はたまた興奮か、どうしてその顔なのかはランドラックにはわからない。
安全な距離まで下がろうと、後ずさりするテトラに机がぶつかる、その衝撃でレンチが落下を始める。カランと軽い音がゴングのように二人には聞こえた。
「っしゃああああああ」
音と同時に突っ込むアズサ、それに対して、重心を低くして構えるランドラック。懐に飛び込もうとするアズサとリーチを活かしたカウンターを狙う両者の思惑は双方に伝わる。アズサは胸中で叫ぶ。
——いつもそれだな!!
短い右ストレートが打ち出される、その一瞬だけ後に長い左ストレートが打ち出された。
「あまーい!」
アズサの宣言に動揺したランドラック。こちらの攻撃が先だろう?その疑問はすぐに消える。
いつもより、若干長い距離での右ストレート、に見せかけた予備動作。腰の回転とストレートのパンチの軌道を修正し回転へと力を変える。腰で溜めた力を一気に放出し繰り出す、空中回転蹴り。狙うは顎、かかとを顎に打ち込むべくして練習を重ねた必殺技は上体を反らすも、確実にダメージを与える。
「そっちこそ!」
アクロバットな必殺技には確実な一発をお見舞いしてやろう。そう思いついたランドラックは前方に残された利き手の左と利き手の右を入れ替えながら、反らした上体を前に戻す。両利きのランドラックが織りなすりロングリーチのストレートの連打は強烈だ。着地を狙った右ストレートは完璧なタイミングでアズサへと撃ち込まれたが、狙い過ぎたタイミンによってガードされた上、近過ぎる距離のため威力は低かった。
吹っ飛ぶアズサは膝をつきそうになるが何とか耐える。ルールは一つ、拳で膝を着かせた方が勝ち。
さぁ、共に一撃ずつ喰らった。距離はゴングが鳴る前とほぼ同じ。
「「第二ラウンドだ!」」
※※※
両者が戦いを止めたのは十分後だった。
「これで、五六勝五四敗三分けだな」
ランドラックの普段とは違う熱いその顔を拝むように見つめるテトラだったが。いや、そんなにケンカしてるんだ。と呆れてしまう。毎日一緒に居ればケンカぐらいするよ。そう言いながら眼鏡をかけるクールなイケメン彼氏に見惚れてしまう。やっぱり、わたしの彼氏はかっこいいんだと、世界に胸を張る。
自分の彼氏が私のために戦ってくれた。それだけで十分だった。助けてくれない大人たちと蹴落とそうと敵意を向ける周囲の子供たち。そんな環境で生き抜いたテトラにとって、助けてくれる男の子は魅力的だ。
「それで、テトラを乗せるのかよ」
アズサはつまらなそうに天井を見上げる。やはり完璧な右アッパーが決定打だったのだろうか。顎を抑えながら水を飲む。不意にこちらに視線が送られ、テトラは慌てて返事をする。彼氏に投げよう、安直な思考が修羅場を産むのはどこの世界も一緒だった。
「わたしはどっちでもいいよ。ダーリンがいいなら」
「は?」
「「あっ・・・」」
つい、ほんとに意識せずに、出てしまった。かっこいいなんて考えていたからだ。図々しいガキんちょの相手に疲れたからでも。告白を断るのがめんどくさいからでもない。それだけは本当。
「とりあえず、テトラが乗るんだね、」
そう言い残してガレージから出て行ったアズサの背中は小さくて、ランドラックが呼び止めようにも言葉が見つからないまま時間だけが過ぎてしまった。立ち竦むランドラックと去り行くアズサは対照的だった。
修羅場じゃなくて良かったとテトラはへなへなとしゃがみ込む。
スタンボットーSTANBOTー 荒木倫太朗 @osamu-15
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