第17話

 その何日か後、お客さん用に買い置きしておく煙草が切れてしまって、床屋さんは、ついでに自分の分も一緒に買ってくるか、と家を出ました。

 そうしてしばらく歩いて、通りの角を曲がったとき、ふと奥さんと交わした会話を思い出しました。


(植木屋さんの家は、確か、この辺り…)


 …ありました!

 古風な数寄屋門の周りを白壁がぐるりと囲んで、幾種類もの庭木がその上からのぞいている古い家が。

 近づいて、入り口の堂々とした松の大木の下に佇んで見上げながら、床屋さんは、元気なころ、よく店に来てくれた頑固そうな白髪の親方を思い出しました。


(あの方は、本当に昔気質の職人だったなあ…。

 硬い髪を、いつもいなせな角刈りにしておられた。

 ひげも強くて、よく研いだ剃刀で、こう、すっと当たったもんだ。

 …そうか、あの方は、もういないんだ…)


 床屋さんはしげしげと庭木を見渡しました。

 松も、紅白の梅も、塀の上に覗く大小の木は、どれもよく手入れされていて、さすがに職人魂を思わせました。


 

けれど、眺めているうちに、床屋さんの心に妙な違和感が湧き上がってきたのです。


「…待てよ」


 床屋さんは腕を組んで、下を向いて考えました。


(…何だろう、何かおかしい。何かが引っ掛かる。何だろう、これは…)



 しばらくして、はっと気がつきました。


「そうだ、かみさんは確か、親方は長患いだったと言っていたぞ。

 だったら一体、誰がこの庭木の手入れをしたんだろう…?」


 そのときです。

 一筋の鋭い風が吹いてきて、入り口の、まるで主のように古くて丈高い松の木がひと揺れしました。

 大きな木が丸ごと一本、おじぎでもするように。

 そうして、それに促されでもしたように、庭の木々たちが一本ずつ順々に、風に吹かれて大きく揺れていったのです。

 雄と雌の山椒の木も、赤と白の椿の木も、まだそれほど高くない桜、さるすべりの古木、植えられて間もないらしい紅白の梅、柳、しゅろ、そうしてその先にずっと続く、赤い芽のところどころ混じった何本ものカナメモチの木までもが。

 それを見ているうちに、床屋さんの脳裏には、何日か前の雨の日に髪を切ったたくさんのお客の姿が一人一人よみがえってきました。


 

つんつんと硬い髪とひげの老人、

いい香りのする男女のふたり組、

赤と白のスカーフを被った二人のよく似たおばさん、

白い服の若い娘、

赤い花柄のブラウスの、肌のすべらかなおばあさん、

赤と白のシャツの双子のような男の子、

髪の長い線の細い男、

硬い髪を逆立てた若い男、

赤い斑の混じった髪の少年たち…。


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