第80話 神の子クリス

 相手の心臓目がけて短剣を突き出した。

 しかし、


 ――ィィィン!!


 再び見えない障壁に阻まれた。

 それでもザガンは手を休めない。


 相手がシールド魔術を展開していることはすでにわかっている。

 一度で貫けないのなら、シールドが砕けるまで斬りつければ良い。


「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァァァ!!」


 宝具によって向上した身体能力にものを言わせ、ザガンはクリスの背中を何度も何度も斬りつける。


 しかし、クリスのシールドは想像した以上に硬かった。

 斬っても斬っても、砕ける手応えが感じられない。


 それどころか、攻撃が接触した反発ダメージにより、こちらの手首が先に砕けてしまいそうだ。


「くそっくそっくそっくそっくそっ!!」


 ザガンは私財のほとんどを投じて、フォード領に潜入した。

 そうしなければ、私財どころか命さえ失われるからだ。


 クリスに無力化されて以降、宵闇の翼幹部には命を握られ、取引相手には距離を置かれ、仲の良い同僚にも無視されるようになった。


 ザガンに残されたのは、穴の空いた商店。

 それと、金で辛うじて繋がっている構成員だけだ。


 彼のせいで、ザガンはどん底に落ちた。

 その穴から這い上がるために、こうしてフォード領に攻め込んだのだ。


 ――なのに、なのにッ!!


「なんで、攻撃が効かねぇんだよッ!!」


 ザガンはもはや、半泣きだった。

 その時、クリスがふとこちらを向いた。


 やっと、見てくれた!

 ザガンが歓喜に沸く。

 しかし、


「ちょっと、うるさい」

「はっ? ――グハッ!!」


 次の瞬間、ザガンは猛烈な勢いで後方に吹き飛ばされた。

 何が起こったのかさっぱりわからない。


 まるで壁がぶつかったような衝撃があった。

 ――魔術だ。

 また魔術を使われたのだ。


 それも、彼は詠唱すらしていなかった。


「なんて奴……」


 人を吹き飛ばすほどの魔術を使おうと思えば、大抵の魔術士は詠唱を行う。

 そうしなければ、魔術が機能不全で発動しないからだ。

 あるいはとても低威力になってしまう。


 それを彼は無詠唱で――しかもほとんど一瞬で、魔術を構築してみせた。


「と、とんでもねぇ野郎だ……」


 じと、とザガンのこめかみを冷たい汗が流れ落ちた。

 もし王国が彼を戦場に投入したら、数万の兵をたちまち無力化してしまえるのではないか。

 少なくとも、クリスを止められる者は兵士にはおるまい。

 何故なら宝具を持ったザガンが、手も足も出ないからだ。


 ふと我に返ったザガンは、先ほどの衝撃で宝具を手放したことに気がついた。

 足下を見ると、すぐに宝具が見つかった。

 だがその宝具には――驚くべきことに、いくつもの亀裂が入っていた。


「そんな馬鹿なッ!!」


 宝具とは、悪魔の武器だ。

 この世のあらゆる金属よりも硬く、人間には決して壊せない。

 それに亀裂が入るなど、まずもってあり得ない。


 現実から目を背け、『実は初めから亀裂が入ったようなデザインだったのでは』と思いたくなる。

 しかしそのようなデザインはなかった。


 宝具は間違いなく、疑いようもなく、壊れていた。


「何故宝具が……。いや、待てよ?」


 ふとザガンは、これに似た物語を思い出した。

 それは昔の神話を纏めた、児童向けの寓話の中の一編だ。


 寓話を要約すると、このようになる。


 ――その昔、人間が地上を支配するよりも前の時代、天使は悪魔と戦っていた。

 ――悪魔の強力な力に、天使たちは防戦を強いられていた。

 ――しかし神の血を受け継ぐ天使の青年が現われ、戦況が一転した。

 ――その青年は悪魔が手にした武器を、ことごとく砕いていったという。

 ――武器を砕くことで、悪魔は二度と悪さが出来なくなるのだ。

 ――天使の中で、悪魔の武器を破壊出来た者は、その青年だけであった。


 子ども向けの寓話であるためボカされているが、宝具の破壊はすなわち『悪魔を完全に滅ぼす』行為なのだ。


 何故、悪魔を倒すと宝具になるのか?

 それは宝具が、体を保てなくなった悪魔が力を取り戻すまでの器だからだ。


 その宝具を破壊出来る者は、天使の中で唯一神の血を受け継ぐ青年だけ。

 つまりクリスは――。


「……神の子」


 ザガンは二つの国の占術師の預言を思い出した。

 フォード家に、神の子が生まれるというものだ。


「その預言が、まさか本当だったとは……」


 いや、違う。

 ザガンは首を振る。


「預言がまさか、こんな形で実証されるとはッ!!」


 ザガンの顔から血の気が引く。

 冷静になったザガンは、いまさらおかしな状況に陥っていることに気付く。


(なんだ、この空間は……)


 先ほどは、クリスを殺すことだけしか考えていなかったから、気付けなかった。

 だが落ち着いて観察すると、この空間がいかに奇妙かが理解出来た。


 この世界のどこにも影がない。なのに、光も感じない。

 すべてが真っ白く染め上げられた世界。

 音は響かず、空気の流れもない。


 そう、ここはまるで――、


「天界……」


 聖天使教の言う『天使が住まう世界』によく似ていた。


「そんな、そんなことが……ッ!!」


 宵闇の翼の幹部になると、黙っているだけでも様々な情報が耳に入ってくる。

 有益な情報から、全く意味のわからないものまで、情報は玉石混淆だ。


 それらの『全く意味のわからないもの』が、この状況でバチバチと繋がっていくではないか!


「これが、天の意志……」


 ブルッと、体が震えた。


「まさか……本当に、神の子なのか!? この空間は、神域は、だから展開出来たのか! くそっ、だったらマハ・カマラ如きでは太刀打ち出来るはずがない!!」


 頭を抱えると、クリスが振り返った。

 その顔には、意味深な笑みが浮かんでいた。


「……やっと気付いたの?」

「――――ッ!!!!」


 彼の言葉で、ザガンの体が凍り付いたのだった。





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信頼と安定の勘違いモード

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