第57話 水分補給

 人里から離れるため、しばし飛翔を続けていると、クリスは喉の渇きを覚えた。


「そういえば、ずっとなにも飲んでないや」


 朝食を摂った後、クリスはその足で領兵団の事務所に行った。

 それからずっと付与魔術を使い続けたため、昼食も口にしていない。


 いますぐ空腹を満たすことは不可能だが、水ならどこかにあるはずだ。

 そう思い、クリスは辺りを見回した。


 するとすぐに、川を発見した。


「ん、あれは、なんだろう?」


 川に近づいたクリスは、そこを流れる水の色を見て眉根を寄せた。


 眼下に流れるその川は、えも言えぬ色に染まっている。

 泥なのか、汚物なのか、はたまた動物の血肉なのかが混ざり合った、とても近寄りがたい混沌とした色である。


「はぁ……はぁ……く、クリス様、ここで移動終了、ですか?」

「ううん。まだ移動はするけど」


 折角小川を見つけたのに、これでは喉を潤せない。


(他に川はあるかな?)


 その場でぐるりと辺りを見回す。だが、ここ以外に川は見当たらない。

 フォード領は山と森林の多い土地だ。探せば必ず水はある。だがその探す時間がもったいない。


 気は進まないが、ここで時間を使うよりもマシである。


「シモン、ちょっとだけここで用を済ませていくよ」

「ほっ、それはよかっ――ヒゥッ!!」


 しゅるしゅるしゅると、クリスは地面に向かって降りていく。

 その横で、シモンが股に手を当て、猫のように背中を丸めた。


「ひ……ヒュンってなった……ヒュンって……」


 ぼろぼろと涙を流しながら、地面に蹲るシモンを放置して、クリスは汚れきった小川に近づいた。


「うわっ、酷い臭い……」


 小川の汚れは相当だった。

 もしここの水を飲めば、間違いなく病に罹るだろう。

 近くにいるだけでも、なにか悪いものを取り込んでしまいそうである。


 川が酷く汚れているせいか、まわりの草花も枯れてしまっている。

 土だってボロボロだ。


 当然だが、ここまで汚れきった水をそのまま飲める人間などこの世にはそうそう存在しない。

 なのでクリスはスキルボードを開き、適切な魔術を構築していく。



■魔術コスト:2110/9999

■属性:【光:対毒魔術(アンチドート)】【光:解呪魔術(アンチカース)】【光:解痺魔術(アンチパラライズ)】【光:浄化の光(ピリフィケーション)】【水:清掃(ピカール)】【火:消毒の灯火(サニッシュ)】【土:土壌改善(ゼオライト)】【風:ウインドコントロール】

■強化度

 威力:MAX 飛距離:10 範囲:MAX 抵抗性:MAX 数:MAX

■特殊能力【付与】

■名前【完全正浄化(パーフェクト・クリーン)】



 目に付いた浄化に関係ありそうな魔術はすべて追加した、てんこ盛りな魔術が完成した。


 とにかく、汚い川を安全な飲み水にしたい一心だった。

 これほどキメラな魔術など、他には存在しないだろう。

 他の魔術士が知れば、クリスを叱責するかもしれない。


 しかし、迅速かつ完璧に結果を出せるなら、過程や中身などどうでも良いのだ。

 早速クリスは、組み上げた魔術を発動した。


「〈完全正浄化〉!」


 次の瞬間だった。

 カッとまばゆい光と共に、仄かに外気が上昇。

 風が勢いよく臭気を吹き飛ばし、大地が活力を取り戻す。

 汚れきった川は透明感を取り戻し、枯れた草花が息を吹き返した。


 光が収まったところで、クリスは川をのぞき込む。


「おっ、一発成功かな?」


 見た目も臭いも、普通の川の水と同じだ。

 問題は、これを飲んでも大丈夫かどうか。


「んー、不安だしもうちょっと綺麗にしておくかな」


 水は大地に染み込んでいる。

 一箇所を綺麗にしたところで、大地に染み込んだ水が汚いままなら、綺麗な場所もいずれ再び汚染される。


 なのでクリスは執拗なまでに、〈完全正浄化〉を使用した。


「んー、こんなものかな?」


 魔術の力は理解しているが、安心は理性ではなく感情の子だ。

 心の不安が取り除かれない限り、安心は訪れないのだ。


 念には念を入れて、自身に解毒魔術を重ねがけした。


「クリス様、いまの光は……?」

「川が汚れてたから綺麗にしたんだよ。あれじゃあ、飲み水にも出来なかったからね」

「それで、これですか…………」


 シモンが目を瞬かせながら、辺りを見回した。


(呆れられたかな?)


 ただ水を飲むためだけに、キメラじみた魔術を発動したのだ。

 呆れられても仕方がない。


 だが、渇いた喉を潤すためには、こうする他なかった。

 内心でそう言い訳をしつつ、クリスは恐る恐る水を口に含んだ。


「――ん、おいしい!」


 水の味は、最高だった。

 適度に冷えていて、仄かに甘みがある。

 危険な香りや味は一切なかった。


 安全を確かめると、クリスは水を掬ってごくごくと喉を潤した。


「ふぅ。これでよし、と」

「あの、ええと……クリス様の用事って、これだったんですか?」

「ん、いや、これだけじゃないよ」


 たしかに、先ほどは猛烈に水が飲みたかった。

 ここに用事があったといえば、その通りだ。


 しかし当初の目的は水ではない。

 結界魔術を使いに来たのだ。


 目的はいまだ達成されず。

 現在、太陽は茜色に染まり、山の向こう側に消えようとしている。


「大変だ。急がなきゃ!」

「――ッ!」


 クリスは即座にフライを発動。


「――んあぁぁあぁああ!!」


 シモンもろとも超高速で空の彼方へと飛翔していくのだった。

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