第5話 ちょっと、何が起こってるのかわからない

「父上、いらっしゃいますか?」


 扉の向こうからノックとともに次男の声が聞こえた。

 書類仕事に没頭していたヴァンは、久しぶりに顔を上げた。


 肩こりが酷い。

 腕を回すと、バキバキと肩が鳴った。


(昔はゼルブルグいちと謳われたものだが、書類仕事の前では形無しだな)


 ヴァンは苦笑しつつ、次男のヘンリーを招き入れた。


「お忙しい中、申し訳ありません」

「うむ。して、何用だ?」


 ヘンリーの態度から、彼の来訪がが仕事に関係することだと見抜く。

 だが、彼が何故尋ねてきたのかが分からない。


 ヘンリーは領兵団の団長職に就いている。

 家族団らんの時間には顔を合せるが、仕事中はほとんど顔を見ない。

 というのも、領主と団長としての意思疎通を、おおむね夕食時に行っているからだ。

(その時は父と息子として、フランクに接している)


 仕事中に顔を合せるのは、領主が領兵を動かす時――問題があったときだけだ。


「……何があった?」

「はい。一応、わたしが見聞きした情報をそのままお伝えします。ですがとても信じがたい話でして――」

「前置きは良い。簡潔に述べよ」

「はっ!」


 ヘンリーが拳を胸に付けた。


「最近我が領で発生しておりました、盗賊による略奪被害についてです」

「ほぅ?」


 ヘンリーの言葉に、ヴァンは眉根を寄せた。

 もしや、その盗賊を捕まえに行かせてくれと言うのか。


 無論、ヴァンにとっては願ってもない申し出だ。

 しかし領兵は現在、領内の治安をギリギリ維持出来る最低人数しか在籍していない。


 人を雇えるだけのお金がないのだ。

 盗賊の捕縛は良いが、余剰人員がない以上、必ず通常警邏に穴が空く。


(そこをどうするつもりだ?)


「首謀者と見られる盗賊が黒焦げで見つかりました」

「……はっ? いまなんと言った」


 ヘンリーの言葉が一瞬で理解出来ず、反射的に聞き返してしまった。

 しかし、尋ねても彼の口から出てくるのは同じ言葉だった。


「盗賊が、黒焦げになってました」

「何故……いや、黒焦げだと? それが我が領を荒らしていた盗賊だと何故分かった?」

「燃え残った所持品からです。実はこの所持品――武器なのですが、非常に珍しい形をしておりまして、王国騎士団に照会したところ、指名手配中の賞金首のものだと判明いたしました。このことから、わたしはこの黒焦げになった者が、我が領を荒らしていた盗賊と断定いたしました」

「賞金首……」


 頭が追いつかないので整理する。

 賞金首が、我が領を荒らしていた。

 その賞金首が、何故か黒焦げで見つかった。

 それをヘンリーが確保した、と。


(さっぱりわからん)


 ヴァンはため息を付き、ヘンリーに尋ねた。


「何故そ奴は黒焦げになっていたのだ?」

「何者かによって打ち倒されたのかと」

「……魔術か」

「はい。どうも、相当高レベルな火魔術を受けたようです。肉体のほとんどが炭になっていました」

「それは恐ろしい威力だ」


 人間は水分と多分に含んでいる。

 そのため、いくら強い火魔術を放とうとも、簡単には炭にならない。

 せいぜいが、皮膚が焼けただれる程度だ。

(それでも致命的ではあるが)


 その人間を、炭にするほどの魔術である。

 どれほどの魔術士が放った魔術であるか、剣士のヴァンにはまるで想像が付かなかった。


「下手人の目撃情報は?」

「いえ。それが、付近の住民に話を聞いてまわったのですが、突然巨大な火の玉が飛んで来たと口を揃えるばかりで。それ以外の情報は、特にありませんでした」

「……そうか」


 ヴァンは椅子に深くもたれ込む。

 それほどの実力者が、もし盗賊の仲間だったら?

 何らかの理由で仲間割れをして、片方を殺して逃げたのだとすれば?


 恐ろしく高レベルな魔術士がいま、領内に野放しにされていることになる。

 考えるだけでも恐ろしい事態だ。


「して、その炭になった盗賊には仲間が居たのか?」

「いえ。どうやら一人で活動していたようで。仲間が居たという情報は頂けませんでした」

「そうか」

「もし、黒焦げにした者が仲間だったら――」

「ぞっとするな」


 ヘンリーの言葉を引き継ぎ、ヴァンは嘆息した。

 ただでさえ、頭が痛い問題が山積しているのだ。これ以上、問題を増やさないで貰いたい。


「……して、賞金首についてだが、換金の手はずを頼んでも?」

「はっ。早急に国に届け出致します」

「頼んだ」


 これで、ヴァンの懸案事項が二つ解決した。

 一つ目は領内の治安。

 もう一つは、お金だ。

 賞金首のお金が入れば、困窮状態の領地経営にひと息つける。


(これで、ライラの蔵書に手を掛けなくて済んだな)


 ヴァンはほっと胸をなで下ろしながら、窓の外を見た。

 その時だった。


 ――カッ!!


 遠くの空から激しい光が地面に落ちた。

 それはあたかも、天使が舞い降りるかのような光だった。


 しかし、尋常鳴らざる音と地揺るぎが発生。

 ヴァンとヘンリーはしばし、窓の外を見て硬直した。


「な……んだ、今のは」

「…………わかりません。ただ、恐ろしいマナの波動を感じました」

「くっ……!」


 また問題か!

 ヴァンが顔をしかめた時、視線の先で地面から何かが飛び出した。


「…………水か?」

「…………水、ですね」


 それは、水だった。

 水が勢いよく空目がけて噴出している。


 何故水が?

 そもそもあの光はなんだったんだ?

 いま自分はなにを見ているんだ?

 現実なのか? 夢か、幻か……?


 目の前で起こっている事象に、頭が追いつかない。

 まるで理不尽なことばかり起こる夢の世界にでも入り込んだ気分だ。


「何故……」


 その問いに答えられる者は、ここにはいなかった。

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