第3話 熱中症

  『エルサ’ズサンド』はビオラのお気に入りのサンドイッチ専門店だ。

 商会ギルドを出て大通りを少し歩いたところにある赤い看板にパン、トマト、レタスの絵が特徴的なお店だ。

 店の売りは30種類にも及ぶメニューの豊富さである。

 店主の試行錯誤の結果であるのだろう。

 

 ビオラはほとんどの味を知っている。

 その中でもお勧めしたいのは『タマゴサンド』『ハムレタスサンド』そして『夏季限定ミカンサンド』である。

 

 タマゴサンドは茹でた卵を潰し、マヨネーズで和えたシンプルな物。

 しかし、ビオラが気に入っているのはタマゴの量である。

 握ってしまえばあふれ出てくる黄色い具にそのままかぶりつくのがたまらない。

 そして、味付けは複雑だ。マスタードと塩コショウ、少量の牛乳、アクセントにレモンでさわやかさを演出。

 ここまでわかるのは、ビオラが通い詰めている証であるが、再現は未だに出来ない。


 ハムレタスサンドもまたこだわりが有って好きだ。

 ハムと言えば豚のロースハムを使った物をイメージしがちだが、この店はパストラミ、牛のハムだ。

 パンは多すぎるくらいバターが塗られ、しゃきしゃきのレタスの水分を弾き、水っぽくない。

 塩漬けのパストラミのしょっぱさとバターの甘味がほどよく合わさっている。


 そしてビオラのとっておきはミカンサンドである。

 パンの上に敷かれた白く柔らかいヨーグルトクリーム。

 その上に乗せられた柑橘はヨーグルトの酸味と相性抜群。

 このサンドは夏限定であるので、大工には不評であるが、ビオラは必ず買っていく。


 アランは何人かの弟子がいる。

 先日は話した時は8人と言っていた。なのでそれぞれ10個づつをバケットに詰めてもらう。

 夏場は食中毒の危険性から持ち帰りは断っているようだが、目の前で働いている大工への差し入れと説明すると快く承諾してくれた。

 

「大銀貨3枚です」


 ビオラは金貨袋からお昼用の金貨を店員に渡す。

 カウンターに置かれたラタン製の籠を持つと、アランの仕事場へと向かった。


 ◇


「大きいわね」


 目の前に広がる建設予定地とコンクリートで出来た基礎。

 若い大工が設計図を片手に墨出し作業に追われている。

 その様子は賑やかで、ビオラは微笑ましくそれを眺めていた。


「お、早いじゃねーか。ビオラ」


 砂色の髪に筋肉質な大男、アラン・オルランディがご機嫌に手を振っている。

 布をテントにして日陰を作った下で設計図と睨めっこしていたようだ。


「アランさん、『雷魔石』の新規獲得ありがとうございます」

「アレッシアから聞いたか。どうよ、まだまだ『雷魔石』は終わっていねーぜ」


 アランはどうも雷魔温水器の件を気にしているようで、精力的に提案してくれている様だ。


「これは、お礼というか差し入れです」


 先程のサンドイッチの入った籠を手渡す。

 アランは中を覗き込んで眉を顰める。


「おい、またミカンか。仕事中は味が口に残るんだよ……」

「仕事中、この味を忘れられないなんて羨ましいですわ」


 アランの文句を皮肉で返す。

 こういうやり取りはビオラが小さい頃からのことだから、アランは笑って、作業中の弟子たちに声を張る。


「よーし、お前ら休憩だ。我らが女神が差し入れを持ってきてくれたぞー」

「やったー!」

「げぇ……、またミカンサンドだ」

「俺、タマゴ」


 弟子たちがそれぞれ籠からサンドイッチを取っていく。

 ビオラはそれを眺めながらあることに気付いた。


「アランさん、お弟子さんって8人では?」


 先日、話をしたときはそう聞いていた。

 しかし、今テントに入ってきたのは5人であった。

 アランの表情が険しくなるのを見て、ビオラは目を眇める。


 職人の世界では人の入れ替わりが早い。

 それは、労働環境が肌に合わなかったり、持っていた理想との乖離、身辺の環境の変化などが挙げられる。

 ただ、アランの様子を見るにそういった感じはしない。


「熱中症で病院送りだ。3人とも」


 体温が上がり、体内の水分と塩分のバランスが崩れ、体温調節機能が働かなくなる症状。

 軽い物ではめまいや立ち眩みなどを起こし、重度になると意識障害、最悪死に至る。

 夏場は温度上昇が激しい王都ではよくある症状である。


「幸い、意識はあるし、命に別状はねぇ。だが、数日安静にしなきゃいけないらしい」


 この世界には点滴といった便利なものは無い。

 安静にし、ミネラルなどの栄養を補給して療養しなければならない。

 人手の減少は、現場の速度の減退だ。


「本当に容赦ないぜ、王都の夏は。対策しても気休めにしかならねぇ」


 ビオラは辺りを一瞥いちべつする。

 水の張った大きな桶や風魔石かぜませきを利用した小型の送風機などが置かれている。

 現場の棟梁としてできることはやっている様だ。


「魔導具でなんとかできればいいんですが……」

「ははは、そうだな。なんだったら、リュドナイの野郎が研究している空調調和設備をここに置いてくれ。そしたら解決だ」


 リュドナイという名を聞き、先ほどのやり取りを思い出す。

 ビオラは少し眉を寄せた。


「あれは室内設備ですから、屋外だと意味ないですよ」


 ビオラは手に持ったハムレタスを齧る。

 レタスがしゃきりと心地よい音を鳴らす。



「でも、体にそれを付けたら面白いかもしれませんね」


 

 ビオラの頭に浮かんだ小さな設計図。

 それの完成形まで妄想し、にやりと笑った。

 これは、魔導具師としてのビオラの顔である。

 なにせ、彼女は魔導具の開発が大好きであるから。


「いいのが思い浮かんだか?」

「はい、夏が終わるまでには試作機を」

「おう、楽しみにしてるぜ」


 ビオラとアランはお互いの顔を見て笑いあう。

 悪戯でも思いついた子供のような顔であった。


「アランさん、それで住宅設備の相談ってのは?」

「そうだ。飯を食べた後でいいから見てほしい」


 アランはミカンサンドを一口に入れ、険しい顔になった。

 実は、このミカンはとても苦くて酸っぱいのだ。ビオラも最初はグレープフルーツではないかと疑ったほどである。

 しかし、その苦みと酸っぱさは時間が経つにつれ、「また食べたい」と切望してしまう。

 まるでジャンクフードのように。


 ビオラはここのミカンサンドが大好きであった。

 だから、持ってきた籠の中にアラン以外の弟子たちが残したミカンサンドを嬉しそうに頬張っている。


 どうやら、「また食べたい」とは個人の見解のようだ。

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