第2話 イヌオの生き運

「イヌオの生き運」


 ワシは「生き運」というものが絶対にあると思っています。極めて非科学的な概念だとは思いますが、ワシはうちのイヌオを見るたびにそう思うのです。

 うちの家には「イヌオ」という5歳の体重10kgもある巨大ネコがいます。

 今から5年前の初夏のことでした。ふと気がつくと、デッキで、黒い母さんネコが4匹の子ネコに授乳していました。子ネコはみんな真っ黒でしたが、一匹だけシャム色のネコが混じっていました。お母さんネコとまったく似ていない一匹だけシャム色の子ネコ。とても不思議で目立っていました。

 秋が来て、子ネコたちはうちの車庫に住み着いていて、すくすくと大きくなりました。特にシャムはやんちゃで、走り回ったりエサをいっぱい食べたり、兄弟たちに突っかかっていたりでとても元気でした。

 11月の水曜日のことでした。いつものようにネコたちにエサをやろうとしたら、シャムだけがいません。でもこういうことはときどきあったので、その時は、特に気にもしませんでした。ところが木曜日、金曜日となっても、シャムの姿がありません。ワシは何かあったのかと少し心配になりました。

 土曜日は仕事でした。夕方帰ると、妻が

「シャムが帰ってきたよ。」

と教えてくれました。ワシはデッキに行ってみると、シャムが他の兄弟たちと一緒にエサを食べていました。ワシは「よかったのう。」と思いました。

 日曜日。シャムがデッキでエサを食べていました。でも何かが変なのです。近づくと逃げてしまうので、ワシは室内から双眼鏡で観察しました。すると、シャムは右手を折り曲げているように見えました。足の裏でもけがをしたのかと思いました。けがをしたネコは、足を着くと痛いので、浮かせていることがあるのです。ワシはさらに詳しくシャムを観察しました。すると、シャムの右前足が無くなっているように見えました。

 ワシは心配になって、シャムを捕獲して無理にでも病院に連れて行こうと思いました。幸いにも月曜日は振替で仕事が休みでした。ワシは手網とゲージをもって、完全装備して車庫に行きました。まず車庫の戸をぜんぶ閉めて、シャムが逃げないようにしました。

 シャムは段ボールの箱の中に寝ていました。ワシはそっと近づいて捕まえようとしましたが逃げてしまいました。動物の感というものはすごくて、いつもと様子が違うことを察して警戒心がマックスになっていたのでした。ワシは

「やっぱり捕まえるのは無理じゃのう。」

と思ってあきらめました。でもどうしても気になるので、しばらくしてもう一度見に行ったら、シャムが箱に戻って寝ていました。

「ここで捕まるかどうかはシャムの運じゃのう。」

と思いながら、洗濯ネットを被せたら、意外とあっさりと捕獲することができました。それでも必死で逃げようとするシャムをゲージにやっと入れて、ロックすることにようやく成功しました。ワシは、手も傷だらけで、息も絶え絶えで、ワシの方が先に死ぬところでした。

 それから急いで車に乗せて、なじみの獣医さんのところに連れていきました。シャムの身体から腐敗臭がしていて、身体のどこかが化膿していることが分かりました。シャムはゲージの中で大人しくしていました。最後の力を振り絞って抵抗したようでした。

 病院に着いたシャムは抵抗する元気もない様子で、大人しくしていました。すぐにレントゲンを撮って、詳しく見ると、右前足がひじのところから取れていて骨が二本露出していました。それから残った部分も壊死が始まっていてかなりの重症のようでした。

「肩から脱却するけどええ?」

「はい、お願いします。助けちゃってください。」

「大丈夫じゃから任せんさい。それから〇×▽ごにょごにょ。」

「は?」

「ついでにタマをとるけどええ?」

 ワシは一瞬、何のことだかわかりませんでしたが、ついでに去勢するという意味でした。ワシはつい笑ってしまいましたが、この状況でとても落ち着いて対応してくださる獣医先生を見ていて、「これは助かるのう。先生にとっては、大した手術じゃあないんじゃのう。」というのが伝わって来て、おかげで少し安心することができました。

 イヌオがこんな大けがでも、何とか帰って来ることができたのは、運よく出血が少なかったこと、運よく身体が冷えなかったこと(ここ数日ずっと晴天でした)、カラス等に襲われなかったことなど、いろいろな幸運が重なったからだということを先生から教えてもらいました。それからワシに保護されたことも。

「本当に生き運があるネコじゃね。」

と言われました。


 二週間後、ワシはイヌオを病院に迎えにいきました。あれだけ暴れていたイヌオがAHTのお姉さん抱きかかえられて出てきました。イヌオはすっかりきれいになっていましたが、右前足は肩からなくて、7針ぐらい縫われて糸がついたままでした。抜糸は2週間後だと言われました。

 ワシは仕方なく、イヌオを飼うことにしました。抜糸までというよりも、この先もずっとです。なぜなら右前足を失ったイヌオは、もう野良の世界では生きていけないと思ったからです。カルテを見せてもらいましたが、実は大変な治療だったことが分かりました。先生はやっぱり名医じゃなあと思いました。それからお金を払って連れて帰りました。

 ワシはイヌオのために大きめのゲージ和室に設置して、しまらくこの部屋で飼うことにしました。うちにはすでにラムという本物のシャムネコがいて、その子とトラブルにならないようにと、それからイヌオがまだワシに慣れていないと思ったので、しまらく慣らすためでもありました。

 カルテのイヌオの写真は、ものすごく顔が引きつって写っていました。大けがや捕獲や麻酔や手術などこれまで経験したことがないようなことが、一度に襲い掛かってきたためだと想像するとかわいそうでもあるしおかしくもありました。

 それから、ワシはその時は、ワシには珍しく保険の払い戻しで80,000円も現金を持っていたのでウキウキしていたのですが、治療費に78,000円もかかり、ワシも相当顔が引きつっていたと思います。

 帰ってエサを食べて、二週間後に抜糸に行って、少しずつゲージから出すようになり、いつの間にかすっかりうちのネコになっていました。元野良とは思えないほど、ものすごく甘えん坊になってしまい、ワシの顔を子犬のようにペロペロなめるので「イヌオ」という名前になりました。それから、その当時はまだ標準体形でスマートでしたが、なぜか翌春に、気がついたら超巨大ネコになっていました。

 以上がイヌオの「生き運」です。もし一つでも歯車がずれていたら、イヌオはこんなに巨大ネコになって、ワシの横に転がってグーグーいっていないと思います。ワシは「生き運」のある「イヌオ」から「生き運」をもらいたいと密かに思っています。

 よかったね。イヌオ。




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