たわごと日記

詩川貴彦

第1話 津和野のお稲成様

「津和野のお稲成様」


「ええかね。津和野の方に向かって、手を合わせて、お稲成様にお願いするんよ。そうしたら失くしたものが見つかるからね。見つかったら必ずお礼を言うんよ。」

 ワシはえらく落ち着きにな子どもだったので、よくモノを失くしていました。そんなとき母親がワシに教えてくれたのが、津和野のお稲荷様のことでした。


 お稲荷様の正式名称は太鼓谷稲成神社です。つまり山陰の小京都と言われている津和野の街を山の中腹から見守っておられます。表記は「稲荷神社」ではなく「稲成神社」です。

 ワシは還暦を迎えた今でも、モノをよく失くすので、いい歳をして、津和野の方を向いて「〇〇を探してください。」とお願いすることがあります。まったく進歩していない情けないじいちゃんだと自分でも思っています。

 でも不思議なことに必ずと言っていいほど、探し物を見つけることができています。先日もサイフを失くしました。現金は例によってあまり入っていなかったのですが、ポイントカードがたくさん入っていました。ワシは困ってしまって、「ワンワンワワン。」と泣きながら必死で探しました。それから最後の最後に、津和野の方を向いて、お稲荷様にお願いしました。それから自分の行動を思い出して、心当たりのあるところに電話して尋ねました。そしたら「落とし物」として道に駅に届いていて、無事に戻ってきてくれました。

 スマホを失くした時も、お稲成様にお願いしてすぐに見つけることができました。ローソンのポイントカードは、もうすっかりあきらめていたのですが、何度も探したはずのクルマの中にポロっと落ちているのを見つけました。


 数年前のことです。超高齢の父親がインフルエンザを悪化させて緊急に入院しました。お医者さんから

「覚悟しておいてください。」

と言われました。ワシは

「ついにこの時が来たのか。」

と悲しい気持ちになりました。でも父は奇跡的に回復してくれました。しかし、本当に大変だったのは、退院後のことでした。ワシも妹も勤めがあるので、昼間にほぼ寝たきりになっていた父親に付き添うことが難しい状況でした。妹と交代で休んで何とかしのいでいるいる状況でした。それをいつまで続けられるのか不安でした。父親を受け入れてくれる施設が見つからず、妹と二人で途方に暮れる毎日でした。

 ワシはなぜか、父親がかつて津和野に住んでいたことを思い出し、津和野のお稲荷様にお願いしました。

 それから数日後のことでした。今考えても信じがたいことなのですが、仕事が終わって、もう暗くなっている道を、二人で、父親の荷物を取りに病院に行きました。

 荷物を受け取って帰ろうとしていたときのことでした。たまたま通りがかった見知らぬ方(たぶん病院関係者)が、どういういきさつでそうなったのか忘れましたが、なぜか話を聞いてくださり、アドバイスをしてくれました。新しいケアマネージャーを紹介していただき、それからなぜか、とんと運拍子に話が進み、家に近くの介護施設に奇跡的に入所することができました。後日、その方にお礼を言いたくて、妹と二人ですいぶん探したのですが、結局見つけることができませんでした。しかもあの方は誰だったのか、未だにわからないのです。


 昨年5月のことですが、ワシは病気の子ネコを保護して「ボッチ」という名前をつけて飼い始めました。でもボッチは、野良生活が身についていて、あまり慣れてくれませんでした。8月ごろからようやく慣れてくれたので、夜以外は、ゲージから出して家の中で自由に過ごせるようにしていました。

 そして忘れもしない9月30日の夜のことでした。いつもの野良猫が来たので、エサをやろうとしてサッシを開けました。ワシはすっかり油断していたのでした。瞬間ボッチがワシの頭上を飛び越えて、外に逃走しました。ワシは必死にボッチを探しました。いつ帰ってきてもいいように、夜はサッシを少し開けて、エサを置いて待ちました。朝起きて、空っぽのボッチのゲージを見てはため息をつきました。

 ワシが、中途半端に過保護してしまったために、肉球はほにゃほにゃに柔らかくなっていました。ボッチが固い地面を歩けるかどうか心配でした。自分でエサもとることができなくなっているはずでした。ワシは仕事から帰ると、毎晩ボッチを探して歩きましたが、姿さえ見ることもできませんでした。

 ボッチのゲージ、ボッチのエサ皿、ボッチのトイレ、ボッチのお人形。そういうボッチの痕跡を見るたびに心配で心が痛みました。ワシは慣れないツイッターに載せたり、迷子ネコのサイトに投稿したり、とにかくボッチのことが心配で、できることを必死でやっていました。すでにボッチが行方不明になって、1か月が過ぎようとしていまた。秋が深まり始め、朝夕の寒さを感じるようになりました。どこかで震えているボッチを想像して心が痛みました。

 ワシはもう耐えられなくなりました。それで、本当はネコのことなんかお願いすべきじゃあないと分かっていたのですが、藁にもすがる思いで、津和野に行きました。そしてお稲成様に手を合わせました。

 それから一週間後の、忘れもしない10月30日の夜のことでした。突然ボッチが帰ってきました。といっても、外のデッキでエサを食べていました。ワシはびっくりしてサッシを開けて飛びましたが、警戒心が強くなっていて、手にかかりませんでした。それから毎日、エサを食べに来るようになりました。ワシは、サッシを開けたままエサをやり、エサを食べているところを手で捕まえて、部屋に放り込みました。ボッチは部屋の中を走りまわって、なぜか自分のゲージに飛び込みました。

 ガリガリに痩せて毛並みもパサパサになっていましたが、ゲージに中でエサをものすごく食べて、ハンモックに上がって安心したように眠りました。ワシは嬉しくてたまりませんでした。手間がとてもかかるけど、もうこの子を絶対に離すものかと思いました。

 次の日曜日に、津和野に行って、お稲荷様にお礼をいいました。ワシがいつもお参りするのは、旧殿の裏の祠に開いた狐穴のところです。左右に石造りの狐像があります。ワシはこの狐像(の分身)が、ボッチを探して帰り道を教えてくれたように思いました。ワシはいつものように、ろうそくを立てて、油揚げをお供えしてから、狐像にお礼を言いながら頭やあごの下をネコにするようにそっとさすりました。ワシがしたことは、とても罰当たりなことだったかもしれませんが、そうやって心からお礼を言いたかったのです。

 仕事中に失くしてしまった、もう20年ぐらい使っているオメガの時計。クルマのキー。メガネや重要書類?。ワシは何度、津和野のお稲成様に助けてもらったかわかりません。自分の出世のことはお願いしたこともなかったので、まったく出世しませんでしたが、ワシが本当に困ったときは、いつも助けてくれました。

 いつの間にか、毎月津和野のお稲荷様にお参りに行くのが習慣になってしまいました。妻のこと、妹のこと、広島に行ってしまった姪のこと。おかげでワシたちは無事に元気に暮らしています。本当は神社というところは、自分の邪念を払い清めに行くところなのですが、邪念ばかりのワシはお願いするばかりで、本当に申し訳ないと思っています。

 ワシはこう見えても「科学」で飯を食ってきた人間です。だからワシのしていることは矛盾だらけかもしれません。でも、ワシが体験してきたことは、紛れもない事実なのです。ワシはワシの考えを超えた事象の存在について、とても不思議でならないのですが、ワシは歳をとるにつれて自然に対してとても謙虚になってきました。

 それからどんなものにも命を感じてそれを大切にするようになりました。それから、自分に起こる良いことも悪いことも「運命」だと受け止められるようになりました。そうしたら、イライラもストレスもあまり感じなくなりました。ワシはお金はないのですが、まだまだ長生きできそうじゃのうと思います。



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