第8話 三次代官所役人襲撃事件

 与作が浅田屋での仕事を終えて帰る途中での事であった。

 晩秋の肌寒い夕闇の中、犬笛で鉄を呼び寄せる何時もの場所より少し手前の家並みが途切れる辺り、やっと大八車が通れるくらいの道の真ん中で、大勢の人垣が見える。

「こんな夜更けに何事かいな」

 近づいて見ると、二人が倒れて横たわっているではないか。近くの町医者らしき者が、救急の手当てをしている様だ。

 四、五人の役人がその周りを忙しく立ち回わり、其れを野次馬根性丸出しで遠巻きにし、近辺の百姓や通りがかった町人達がざわざわと小声で話しながら見物をしている。

 そこへ丁度、風呂敷包みを小脇に抱えながら、帰りがけの与作が出会したのであった。

 その直ぐ横を通り過ぎ様とした時

「こりゃ、ワリャ何処を通とるんなら、あっちから回れ!」

「すみません。向こうへ帰りたかったもんですから」

「オウ、そりゃええが何処から帰って来たんなら!」

「はい、代官所の直ぐ近くからです」

「ほうか、此処へ来る迄に怪しげな三人組に出会わんかったか」

「いえ、別に誰とも会いませんでしたが」

 と答えると、役人は御用提灯をこちらに当てながらしげしげと顔色を伺っている。あっ、この間抜け面なら一切、関係無いかと云う様な顔つきで

「分かった。早ういねえや」

 与作は一瞬、この役人野郎、何ちゅ物言いをしゃがると思ったが口には出せない。立ち去り掛けながら、駄目もとでこの役人に聞いてみた。

「何か遭ったんですか」

「事件が有るけいワシ等が来とるんじゃろうが、馬鹿たれ!」

「すみません」

 そう話している時にも役人の口から酒の臭いがするではないか。

「小半刻前にな、ワシ等の同僚二人が何者か分からんが覆面の三人組に襲われて切られてな、瀕死の重傷を負うとるんじゃ」

「金品も盗まれとる様じゃ」

 其処に別の手付役人が血相を変えながらやって来た。

「コラー、ワリャ何をつまらん事を町人にベラベラ喋っとるんなら!」

 上司の一喝に下っ端の手代役人は小さくなっている。

「すみません。私の為に申し訳け有りません」

 と与作はすぐに頭を下げた。

 其れから怒鳴った役人が

「ええか、お前も誰か怪しい奴か、不審な動きをする奴を見つけたら、早う代官所に知らせいよ。分かったな」

「じゃが所詮、百姓供には無理な頼みか」

 如何にも高飛車な役人の物言いに一瞬ムカッと来た。

「何でワシが怒られにゃいけんのじゃ」

 与作も犯罪者扱いをされた様で腹が立った。いくら百姓町人と云えどもこんな言い種は無かろうにと口にはつい出さないが憤慨していた。

 何はともあれ、事の成り行きを見届けてやるかと、少し離れた田んぼのあぜ道へと移動した。

 御用提灯の薄明かりの中、暫く立って眺めていた。そこへ後ろ足に何かぶっかった。びっくりして振り返って見ると、何と鉄ではないか。

「どうした。鉄ちゃん、まだ呼んどらんのに何で此処へ来たんじゃ」

 声は一切出さずに嬉しそうに顔を擦り寄せ尻尾を目一杯振っている。

 さらに左足に今度は玉が寄って来た。

「オイオイ、何じゃ、玉ちゃんも来とったんか」

 小さな声で「ニャーン、ニャ〜ン」と鳴いている。

 後は鉄と玉が一緒になって戯れあっているが決して声を発しない。

 この現場は洞穴から程近く、多分、与作がもう帰って来るであろうと道端に出て待っていた。その時に、切りつけられた時の叫び声と血の臭いで、いち早く駆け付け、木小屋の陰から仲良く見ていたのだ。

「よしゃ、丁度ええとこに来たな。役人供が帰った後から宝探し遊びをやるか。鉄ちゃん、玉ちゃん、ええな」

 途端にこの声を聞いて、やろうやろうと地団駄を踏み出した。

「野郎等はワシを全く小馬鹿にしおったからな、目にもの見せてくれるわ」

 そうと決めたからには

「腹が減っては戦に成らんからな、今から飯を食いながら奴等がやる事を見物しとこうや」

 鉄も玉も、普段は帰ってからご主人様と一緒に晩飯を食べるのだが、今は田んぼのあぜ道に、浅田屋の女中が何時も仕事帰りに、残り飯を包んでくれる弁当を広げて並べていた。

 小さかった子供の頃、親たちの野良仕事の茶飯し時に同じ様に一緒に食べるのが美味しかったのを思い出しながら、箸になる物を探しに一寸離れた。 

 処が、その隙に鉄と玉か全部平らげてしまったではないか。

 山中を走り回って、よっぽど腹が減っていたのであろうか。

 振り返って見ると竹の皮だけになっていた。此の当時は弁当は柳行李に詰めて入れ持ち歩いていた。其れに手っ取り早くには、竹の皮にむすびと漬物を添えて包んでいたのである。

「オイッ、ワシのが無いじゃないか」

 鉄も玉も申し訳けなさそうな顔をしているが

「オイシカッタヨ、デモコレカラガンバルヨ」と云う顔をしている。

「そうか、腹が減っとったか、ええよ。ワシは今食わんでも死にゃせんよ」

 両方の頭を撫ででやると、満腹感と同時に本当に嬉しそうな表情をしているではないか。

 食べ終えて一休息がてら見物していると、やがて、近くの農家で納屋か其処等の戸板を外して来たのであろう二枚持ち込まれた。

 その上に布団を敷き負傷者が乗せられ、役人に協力して百姓達が両角を持ちながら町に向かって運んで行った。

 後は御用提灯の明かりも無くなり野次馬も家路につき、何時もの暗闇と静けさを取り戻していた。

「鉄ちゃん、玉ちゃん、誰もおらん様になったで、ぼちぼち始めるか」

 腹一杯になったし、俄然やる気になって来た。

 空には薄ぼんやりと三日月が出ている。与作は夜目が利くので此れくらいの暗さなどとんと気にならないのだ。

 早速、血が染み込んだ場所に鉄と玉が駆け寄ると、強烈な嗅覚を働かせ出した。

「何か手掛かりになりそうな物を捜してくれるか」

 与作も腰を屈めながら辺り一面に目を凝らしていた。

 治療に駆け付けていた町医者によると、かなりの出血ではあるが二人供、急所を外れとるから生命に別状は無かろうと言うとったな。じゃが、此れだけ地面に染み込んどるのを見ると、相手も必ず返り血を浴びているに違いあるまいとブツブツ呟きながら田んぼの中を歩き回っていた。

 鉄と玉は役人達が探索していた範囲より遥かに広く臭いを嗅ぎながら走り回っている。

 そして鉄が何やら咥えて来た。

「オウ、鉄ちゃんそりゃ何じゃ」

 与作の目の前に落としたのだ。

「印籠じゃないか」

 普段、こんな処に侍が大切な印籠を落とす訳がない。此れは斬り合いの際、落とした犯人の物に違いない。手に取って見ると血が付いている。

「鉄ちゃん、何処に有ったか教えてくれるか」

 すると、畦道を超えて行くと此処だよと足で引っ掻いた。落ちていた処には、もみ合った様な足跡が幾つも点在していた。刈り取った稲株の田んぼは柔らかくてはっきりと残っている。その中には異様に大きな跡がある。

「こりゃ背丈が六尺以上ある相当な大男じゃないか」

 と察しが付いた。

「鉄ちゃん有難うよ、物凄いええ物を見つけてくれたな」

「役人供もドジよのう。此れをよう見つけきらんとはなぁ、じゃが仕方ないことよ、ワシ等は夜目が利くが、提灯の明かりだけではそこら辺が見える訳じゃ無いからのう」

 次に玉も草叢の中から何やら咥えて来た。

「オゥ、玉ちゃんも見つけたか」

 其れは、相手を斬った時、刀の血のりを拭き取って投棄てた懐紙であった。

「玉ちゃん、ようやったな」

 与作に褒められて、頭や首筋を撫でられて喉をゴロゴロ鳴らしながら目を細めて大喜びをしている。

「よしゃ、此れで充分じゃ、今からいくぞ」

 与作のこの一声に、鉄も玉も此れから大好きな宝探しが出来るとぴょんぴょん跳ねている。

 証拠の品を手拭いで包んで懐に入れるとゆっくりと歩きだした。

 与作が先程、浅田屋から帰って来た道を町中に向かって進んで行く。辺りは真っ暗で出会う人とて全く無かった。

 鉄も玉も血の臭いを嗅ぐ様に鼻を地面に擦り付けながら行くのだが、此れが結構速いのだ。天気も良く臭いをかき消す風も無い。

 段々と家並みが続き出したが、まだ道の両側は田んぼで今は秋の収穫を終えて稲はでも無く、所々で藁や枯れ草を焼いた跡から煙が燻っている。

 この辺り迄来ると農道が夫々と交わり与作が何時も通う道とは違ってきた。

 其れから細い一本道を北に進んでいると、やがて小さな小川と並行している場所迄やって来た。

 此処らには二箇所の水車小屋が有る。普段は低い溝からほんの少し高い農耕用の田んぼに水を引く為に利用している。なだらかな三次盆地の田畑の中には十箇所は有るであろう。此の時期になると水は要らないので収穫された穀物を水車の力を利用し、つき臼で脱穀したり粉にするのである。カタカタ、コトコト音を立てながら勝手に仕事をしてくれる。

 三次盆地は独特の地形で、中国山脈の奥深く高い箇所に有りながら可愛川、馬洗川、西城川の他、支流が流れ込み江の川という一本の大きな川となり日本海に流れて行くのだ。此れ等の川が農耕用の田地より大分低い処を流れている為に、はるか上流から用水路を使い水を確保しなければならない。そうした独特の地形の為に水車が必要だったのだ。

 与作はこの辺りを何時も配達や雑用で隈なく歩いているので地理には詳しい。

 水車小屋を少し行くと、板二枚程の小さな二枚橋と地元の人が呼んでいる場所にやって来た。

 草葺屋根の小さな小屋が有り、水辺に足場を板と丸太で作っており溜まり場なのだ。日頃、此処は春、夏、秋と百姓達の野良仕事の合間に小休止する処だ。鋤、鍬や手足を洗ったり茶飯を軽く食べ、子供達は小川で小魚を追い込んで獲ったり、しじみを漁ったりしている。

 与作も暑い時期には、配達がてら此処へ来ると顔を洗ったり、川に足を突っ込んで涼を取っていた。

 その時、たまたま、鉄が喉が渇いたのか、水辺に顔を近づけて水を飲みだした。其れを見ていた玉も下りて来て飲もうとした時、突然、目の前の草叢に飛び込んで行った。続いて鉄も後から走り込んだ。

「オイッ、何が有るんじゃ」

 すると玉が何かを咥えて上がって来た。そして与作の前に来るとポトっと落とした。

「オオッ、こりゃ財布じゃないか」

 手に取り上げて広げて見ると中身は空っぽだ。当然といえば当然だが

「お粗末な物入れじゃのう」

 暫くして、鉄も引き返して来た。

「鉄ちゃん、今度は何じゃ」

 口に咥えている小銭二枚と小さく丸めた紙切れをその場に落とした。

 中を広げると証文らしいもので宛名書きが有る。

 よく確認して見ると所属部門らしき事が書いて有るが、与作には詳しい事情が分からない。多分、三次城内にあるものと察しが付いのてある。

 此れで財布の持ち主が特定出来るであろう。

「役人が言うとった金品を盗まれたと云うのは、此れじゃあないかのう」

「よしゃ、よしゃ、鉄ちゃん、玉ちゃんようやってくれるな、有難うよ」

 褒められ頭や首筋を撫でられ大喜びをしている。とに角、ご主人様に喜ばれる事をしたくて堪らないのだ。

「多分、間も無くで奴等の処へ行き着くで。もうちょい頑張ってな」

 田んぼ道から段々と家並みが続く町中に入って来た。

 日中、御用聞きで走り回っている与作の縄張り範囲である。まだ、眠りに就く時刻ではなく家々には障子越しに明かりがもれてくる。町中には通りを照らす街灯や店先の門提灯があり結構明るい。

 このまま通りを歩いて行くと何せ大きな狼犬と猫連れで、誰かに見られたら与作がすぐに浅田屋の丁稚とバレてしまう。盗っ人被りの様に手拭いを顔に巻いて足速に駆け抜けようとした。

 その時で有る。

「鉄ちゃん、玉ちゃん隠れろ!」

 通りの大分、向こうから丸浅印の提灯を持ちながら二人連れが此方に向かって来るではないか。何と浅田屋夫婦である。

 確か今夜は近くのお寺さんの寄り合いがあると云っていたがこの時間に帰宅していたのだ。

 慌てて細い路地裏に逃げ込むと目の前を通過、幸いにも気付かれる事もなく

「鉄ちゃん、玉ちゃん、あの人が与作の仕事場のご主人様だよ。この前に助け出してくれた長襦袢の美和様の両親だよ」

 処が、鉄も玉も顔を見合わせながら、其れは先刻、承知済みだよと云う顔をしている。

 長襦袢の臭いを嗅いだ時、美和と一緒に暮らしている両親の生活臭と云うものが染み付いているのだ。動物達は一様に人間を容姿で判断するのでは無く、臭いが一番の決めてなので有る。

 向こうからこっちに歩いて来る時には既に気付いていたのだ。

 何と如何に凄い嗅覚を互いに持ち合わせている事だろうか。

 浅田屋夫婦が通り過ぎると又、キョロキョロしながら進み出した。鉄は相変わらず地面に鼻を擦り付けながら歩いて行く。

 この頃には流石に玉は歩く道筋からは臭いを嗅ぎとる事は出来なかった。与作の懐の中で気持ち良さそうにじっとしている。

 如何に狼犬の鼻が凄いか只々、感心しきりであった。

 やがて浅田屋の前を通過して行く。

 先ほど、帰った夫婦は門灯を消して中に入り玄関戸は固く閉ざされていた。

 商店街を進んで行くと四ッ角に来た。其れを左に曲がると城勤めをする多くの武士が住む通りに入って来た。かなり大きな門構えで長い塀の有る屋敷が並んでいる。

 与作はこんな住まいの処に犯人が潜んでいるなど全く半信半疑であった。

 そして一段と大きな白壁造りの門構えの正面玄関の前にやって来た。

 すると鉄が其処で立ち止まったではないか。玉も懐から飛び出した。そしていきなり固く閉まっている大きな扉を引っ掻きだすではないか。

「オイオイ、此処は全然違うぞ!何処でどう勘違いしたんじゃ」

「血の臭いを嗅ぐ方法を間違えたんか。犯人の奴等と被害者のものとごちゃごちゃになっんじゃ有るまいな」

 然し、執拗に鉄と玉が引っ掻き続けるが入り込む隙間は無かった。

 この時刻には門番は居ないのであろう。

「分かった、分かった、今日は此れで帰ろうな。ワシが明日にも確認を取ってみるからな」

 無理矢理、其の場を離れる様に踵を返して、やがて我が家を目指して走り出した。玉は流石に疲れたのか与作の懐に入ったり、鉄の背中にしがみ付いたりしながら時折少し歩く程度であった。

「ラーちゃんが待っとるから早よう帰ろうな」

 + とに角、ご主人様と一緒に道行きするのが、嬉しくて、嬉しくて堪らないのだ。


 翌朝、三次代官所では大変な騒動になっていた。昨日の役人襲撃事件を、いの一番に知った家老が城から駆け付けており、物凄い表情で評定所の入り口に控えていた。

 まだ昨夜の事件の事を何も知らず、のんびりと出仕していた役人達は思わぬ遭遇に度肝を抜かれた。

 睨みつける様に立っているので、出仕して来た者は急に姿勢を正し

「お早う御座いほます」

 然し、返事が全く返って来ない。

 そして、日頃立ち入る事のない白砂を敷き詰めたお白州に全員呼び集められた。

 もう此れだけで皆んな自分達が犯罪者気分にさせられてしまったのである。

「オイ!お前等、何たる無様な事を仕出かしたんじゃ。取り締まる側の役人が襲撃されるなんぞ、聞いた事もないぞ。ほんまに阿呆か。日頃からお前等、 何をしとるんなら。今朝みたいにダラダラ出仕しとるから、こう云う事になるんじゃろうが」

「斬り付けられた野郎等は、よう歩けん程に酔っ払い、前後不覚にも何も覚えとらんと云うじゃないか。何をふざけた事をやっとるじゃ」

「オイッ、我等、近日中にも犯人を取っ捕まえんと承知せんぞ。分かったか代官!」

「其れにな、此れは日頃、代官所に恨みの有る奴かも知れん。食い詰め浪人を含めて街道筋を徹底的に網を張れ、絶対に取り逃すな」

「分かりました。即ぐに緊急手配を致します。必ず二、三日うちには犯人供を挙げてみせますから」

「馬鹿野郎!今日中にも取っ捕まえる覚悟でやらんかい!」

 家老は顔をゆで蛸の様に真っ赤にしながら、言いたい放題、喚き散らすとサッサと帰ってしまった。席を立った後のお白州は暫く茫然自失状態であった。

 家老は朝早くに比叡尾山城から代官所迄歩いて出向いて来たのだが何せ遠い。

 還暦の坂を超えており、山坂を何とか歩いて到達したのであった。此れでは帰りの登りの急坂を上るのはとてもじゃないが無理だ。

「オイ、門番、ワシャ、帰りはとてもじゃないがよう歩るかん」

「如何ように致しましょうか」

「馬か駕籠にするか」

「馬はお辞め下さい。急坂で振り落とされる怖れが有りますから」

「それなら駕籠にするか」

「今は此処の担ぎ手が居りません。町の駕籠屋で宜しいでしょうか」

「おおぅ、何でもええ」

 家老はつくづく思った。「ワシもそろそろ隠居かのう」

 家老が帰って暫くすると場内のあちこちから騒めきがし出した。

 散々、嫌味を垂れられ怒鳴り捲られた代官は我に返ると、今度は家老の二番煎じをやりだした。

「お前等、家老の言われた事をよう聞いとったか。何が何でも近いうちにケリを付けるんじゃ」

「今から各班に分かれて要所、要所を見張れ。そして聞き込みを徹底的にやれ」

「とに角、三次中を隈なく探索するんじゃ」

「そいでな、犯人を逮捕した者には報奨金が出る様に家老に掛け合ってやる。それに関わった班には出世にも影響するかも分からんぞ」

 この一声に、「ウオゥー」と歓声が漏れて一気にお白州内が高揚して来た。

 この時ばかりは代官も必死であった。日頃は商売人との胡散臭い繋がりで悪評が立っており、この事件が仮にでも未解決に終われば、完全に自分の首が飛びかねない。

 事件の早期解決を目論んで飴と鞭作戦に出たのである。

 この代官の言葉を聞いた面々は俄然やる気になり、各班に分かれて対策を講じ夫々、競争する様に情報収集に飛び出して行った。

 然し、此の事件に関しては非常に厄介な問題があった。

 そもそも、事の発端は町外れの寂しい一本道で斬り付けられた事に有る。事件が発生した夜はかなり遅い時間で有った。

 その為に代官所の役人も少人数しか詰めていなかった。通報が有って出っ張ろうとした時は行きてが無く、急遽、敷地内に住む手代役人を呼び寄せる事になったのである。中には仕事を終えて一杯飲んでいる者もいた。

「オイッ、済まんがうちの奴等が、誰か知らん奴に斬られたらしいんじゃ。一寸、手を貸してくれんか」

 声を掛けられた下っ端役人は、逆らう事も出来ず渋々ながらも承知し現場に駆けつけた。其の時には、辺りの町医者が応急手当をして止血処理を施し二人の命に別状は無かった。

 半分酔っ払った様なあてがい役人には、現場検証などどうでもいい事で現状をチョロチョロと立ち回っただけで有った。こんな調子で証拠の確証が取れる訳がない。

 聞き込みに回るのにも、暗く寂しい一本道で余りにも目撃情報がなく犯人逮捕の手掛かりとなる物証が少ないのだ。

 斬り付けられた二人の役人は居酒屋で深酒をし、更に知り合いの自宅迄行ってご馳走になる梯子酒を重ねていた。帰りには前後不覚に陥いる程の酩酊ぶりで、帰りの夜道を何度も転げて着物が泥だらけの有様であった。

 そうした体たらくの時、後を付けていたと思われる三人組に襲われたら一溜まりもない。

 二人供、後から袈裟懸けに切られており、全く立ち向かう気力も失せていたのだ。幸いにも急所を外れたのか、わざと外したのか刀傷を負っていたが生命に別状は無かった。

 戸板で町医者に運び込まれた時も意識はあったが、何を聞かれても一切覚えておらず、二人供に

「分かりません。何がどうなったのかさっぱり分かりません」

 を繰り返すのみであった。証言者が此れである。

 更に、事件の時に出っ張った役人は御用提灯の届く狭い範囲しか検証しておらず証拠となる物が何も見つかっていなかった。

 早朝に他の役人が、治療をして貰っている町医者宅で襲われた時の様子を聞くと

「確か犯人は三人組だとは覚えておりますが、特徴は全く記憶に有りません。其れに暗いうえに覆面をしておりましたから」

 此れでは全く取り付く島が無い。雲を掴む様なもので探索に動き回る役人達も何から手を付けていいかさっぱり分からなかった。

 だが、如何に有ろうとも絶対に事件を解決せねばならない。

 下っ端役人は代官から檄を飛ばされているので血眼になり何が何でも手掛りを得ようと必死であった。

 其れに代官の言った、魅力的な飴が目の前にちらついており、出し抜いてやろうと精力的に街中に駆けて行った。

 先ず、一番に家老の言った街道筋の手配に各班は動いた。

 出雲街道を中心に馬洗川、可愛川、西城川、江ノ川に沿ってある主な道筋に緊急の検問所を設けて、蟻の這い出る隙の無いほどに見張り、如何なる通行人といえども立ち止まらせて情報収集に当たらせた。

 街中では医者、薬屋から刀鍛冶屋、各商店、さらには日頃から怪しげな浪人者の住まい、飯、蕎麦屋とありとあらゆる処に聞き込みに走った。

 夜は夜で犯人供が屯しそうな居酒屋、蕎麦屋、一膳飯屋、女郎屋等やら、隈なく探索に入った。

 無論、与作のいる浅田屋にも朝から晩迄入れ替わり立ち代わり違った役人が訪ねてくる。傷を負った怪しい奴が薬を買いに来ないかと気にかけているのだ。

 結局、この日は朝から夜中にかけて探索したにも関わらず、何一つ手掛かりを得る事が出来ずに徒労に終わってしまった。

 翌朝、各班の幹部連中を前に代官が血走った目をしながら怒鳴りまくりだした。

「お前等、昨日、何一つ手掛かりを掴んどらんらしいのう。大の男が仰山おるのに何をしとるんなら!」

「上里、もう一寸、厳しゅうに徹底してらやらんかい」

 次席迄へも八つ当たりを始め出した。

「申し訳有りません。皆んな一生懸命、探索をしておるんですが、何とか今日中にもどんな小さな手掛かりでも見つけ出し、逮捕に結びつける様に致します」

「なぁ、皆んな!」

「オウ!」

 威勢のいい掛け声と共に飛び出した迄はよかった。

 だが、この日も全員探索に走り回ったが何一つ手掛かりを得る事が出来ず、無駄足に終わってしまった。

 何日も派手に役人があっちゃこっちゃ聞き込みに走り回り、厳しい検問をするものだから事件の噂を誰一人として知らない者はいなかった。

 今迄、町人、百姓達に対して威張り腐していた役人供に「罰糞よ」と口に出しては言わないものの皆んな心の中ではほくそ笑んでいた。

 そんな町人に対して今回は恥も外聞も無く、頭を下げて目撃情報から遺留品発見に協力を求めていた。

 探索に走り回わる役人供にも段々とイライラが募り出して来た。

「あの粟屋や上村は何をしとったんなら、ボケ〜としゃぁがってからに」

「奴等の為に朝から晩まで走らされてからに少々報奨金を貰うてもあゃあせんぞ」

「其れに何なら、百姓野郎が武士と一緒に飲むなんざ。ちょいと灸をすえちゃれや」

 と中には直接、文句を言いに行く馬鹿もいた。

 然し、駄目なものは駄目であった。

 その日の夕刻に帰って来る役人達は焦燥感一杯で疲れきっていた。

 各人、詰所に帰って来て報告し合っている最中に、突如、鬼の家老が飛び込んで来のである。

 その場に居合わせた役人達は皆、血相が変わった。

 口々に驚きの表情と共に小さく「アッ!」と叫んだ。

 だが、代官を始め皆んなを見回しながら何故か雷が落ちない。

 日頃からは考えられない柔和な顔で口を開いた。

「実はな、今回の事件の事を殿様が知ってな、大変心配しておられるのよ」

「お前は茶瓶の様に即ぐにカッと熱うなって怒鳴り散らすが、其れでは代官を始め皆んなが萎縮してしまうぞ。其れよりは柔おう言うて励ましてやってくれんかと言われてな」

「其れに犯人逮捕のあかつきには報奨金をとらすとのお言葉じゃ」

「ワシもお灸を据えられたが、犯人を捕まえる迄は皆んな気を引き締めてやってくれるか。ほんま、宜しゅう頼むぞ」

 家老が立ち去った後、代官と次席の上里はお白州の横の部屋に詰めていた。

 因みに家老の事で有るが、今回は比叡尾山城からの往復は駕籠を使っている。

 自分も登城する為の不便さをつくずく思い知らされたが、此の時代頃から山城は廃れる時に来ており、三次の殿様に度々、町中の便利な程近い処に移転する様に進言していたので有った。代官所のある辺りが立地的に特に良いと思ったのである。何せ、現在の位置関係は一里以上も離れているのでどうにも遠いのだ。

 この後、家老が隠居して数年経った頃から徐々に移転計画が始まっていた。

 中世から戦国時代末期に掛けて四百年、国人領主三吉氏十五代に渡り続いた難攻不落と言われた比叡尾山城も、幕を閉じることになるので有る。

「毎日毎日、どいつもこいつも走り回っても何で一つも手掛かりが掴めんのかのう。こんなにも証拠を残さん犯罪など今までに経験した事がないぞ」

「そうですね、何か捜査方法を間違えているんですかね」

「今一度、現場第一主義に戻って再吟味して見ますか」

「そう言われてみると、最初、現場に立ち会った野郎等からは、何一つ手掛かりになる様な報告が無かったわな」

「現場で争った足跡の足形も取っておらんかったな」

「然しよ、斬られた粟屋と上村じゃが何であんな遠い寂しい処迄行っとったんじゃ」

「はあ、奴等の言うのには、始め町中の居酒屋で飲んでおりましたが、たまたま其処へ知り合いが入って来て、それから暫く一緒に話しをしながら飲んでいたそうです。場が盛り上がり、更に延長しませんかと云う事になり、一緒に三人で田んぼ道を酔っ払っいながらフラフラと気が抜けた様に歩いていたので、何処迄来たか全然分からなかったと言っとりました。大きな家で暫く飲んでおり、泊まって帰るかと言われましたが遠慮が有り帰ると云ったそうです。どうやら其の後に襲われたらしい様です。

「とに角、明日にも早朝立ち会って見ましょう。幸い事件以来、雨も降っておりませんから何か分かるかも知れません」

 翌朝、上里は二人の役人を伴い襲撃現場を訪れた。

 辺りは事件があった事など、ほとぼりが冷めており何も感じられず、のどかなものであった。

 然し、上里を始め鑑識係は全く真剣であった。小道や田んぼの中を小さな針をも見つけん程に目を凝らし、這う様に探していた。

 前回は提灯の届く範囲しか調べていなかったが、段々、前に進むとあぜ道から一尺程低い田んぼの中の刈り取った稲株の間に大小、七、八歩の入り乱れた足跡が残っているではないか。

「上里様こんなものが残っとります」

 小さい方は斬り付けられたどちらの跡であろう。お互いに五尺そこそこしかないからだ。だが大きいのは背丈の高さ六尺は有るかると思われた。

「此れだけの大男は、三次の町にもそうそうおるもんじゃない。ましてや刀を使うとなると限られてくるぞ」

「そうですね、今迄の経験では一番大きなものですね」

 足形を採取すると上里はかなりの確信を得て

「オウ、ご苦労じゃったのう。此れは重要な証拠になるでえ」

 二人の鑑識を先に帰らせた自分は、現場に程近い二人がご馳走になった知り合いの家を訪ねる事にした。

「御免、誰かおられか」

 大きな屋敷の中庭で声を掛けた。暫くすると

「どちら様でしょうか」

 お内儀が顔を覗ぞかせた。

「拙者は三次代官所の次席を務める上里陽三郎と云う者じゃ」

「事件以来、御宅には毎度に渡り大変ご迷惑をお掛けしている様で申し訳けない。配下の者が行なった失礼な態度と言葉を聞いて、ご主人には非常に嫌な思いをさせてしまった。重ね重ね申し訳けない、この通りじゃ、謝る」

 何度も頭を下げたのである。

「上里様、もうお辞め下さい。わざわざのお越し本当に嬉しゅう御座います。此のお声を聞くと主人も心から喜ぶと思います」

 お内儀はおもわず涙が頬を伝って溢れ落ちた。

「今は、出掛けており留守をしております」

「そうか、そりゃ止む終えんのう。ワシは帰るが宜しゅう云うとってくれるか」

「上里様、一寸、お待ち下さい。お話ししたい事が御座います」

「実は昨日、訪ねて来たお役人様には主人が散々嫌みを言われ、我みたいな百姓が何で代官所の役人と一緒に飲んどるんならと、散々怒鳴られておりました」

「実は上里様がお越しになる迄は、私はずっと口を噤んでいる気持ちでしたが、今、宜しいでしょうか」

「何なりとどうぞ」、

「事件が有った夜、私は犯人のうちの一人の顔を見ているので御座います」

「其れはなしてですか」

「あの晩、粟屋様と上村様と主人が客間で飲んでいる時、私が漬物を取りに外の味噌部屋に行きました。其の時に壁の外でこそこそ話し声が聞こえたのてす。

 こんな夜更けに誰かいるのかと部屋の隙間から覗いて見ると三人の男の人が居ました。でも暗闇で二人の顔は分かりませんでした。そして「出て来るのをよう見張っとれ」と云う声が聞こえました。声は其れだけであとは立ち去りました。其れから暫くして私はもう一度、こそっと味噌部屋に入って行き外を見ると石垣に腰掛けておりました。其の時、顔ははっきりと見ました。若い方でした」

「昼間見ても分かりますか」

「勿論!」

「其れと暗闇で顔までは見れませんでしたが三人のうち一人は異様に大きな男で御座いました」

「有難う御座います。本当にご協力感謝します」

「いえ、どう致しまして、少しでもお役に立てれば光栄で御座います」

 上里はつくづく寄り道をして良かったと意気揚々と代官所に引き上げて来た。

 そうしている時に、城から使いが来たのだ。

「家老が代官様に城に捜査状況を知らせる様にと、呼び出しを掛けておられますがどうしましょうか」

「分かった、即ぐに顔を出すと伝えてくれ」

 使いが帰った後、代官は狼狽えながら上里を捜している。

「オイッ、次席は何処へ行った」

 他の役人に聞き回っていると

「確か、今しがた帰られました。鑑識の方ではないですか」

「お前よ、一寸、呼んで来てくれんか、詰所迄な」

「分かりました」

 暫くすると上里は足速に駆け込んで来た。

「オイ、上里よ、愈々、城から直接呼び出しがかかったで。ワシャどうすりゃええんじゃ」

「有りのままの現状を報告すればいいじゃないですか」

「でものう、何も掴んどらんしのう」

「大丈夫ですよ。下の者を信頼して下さい」

「じゃが、ワシ一人じゃ心細いのう。一緒に来てくれんかのう」

「分かりました。お供致します」

 代官と上里は急遽、馬で登城した。

 城に上がると家老が待っていた。

「遠路、ご苦労じゃったのう」

「ご家老様こそ、何度も大変だったでしょう」

「ワシャ、ほんま死ぬかと思うたよ。こんな遠くて高い山ん中は考えにゃいけんのう」

「オウ、そりゃええがどうなっとりゃ。あれから前へ進んどるか」

「ハア、毎日、鋭意、探索に皆が走り回っております」

「ほうか、ほうか」

「然しじゃのう、犯人はとっくの昔に三次の地を離れて他藩に逃げ込んとるじゃないのか」

「出られない様に常に監視を厳重にしておるのですが何故か手掛かりがないのです」

「食い詰め浪人をもう一度よう当たってみいや」

「分かりました」

 其処へ次席の上里が口を挟んだ。

「ご家老様、一言、宜しいでしょうか」

「オウ、何じゃ言いたい事があるか。そちは志和地から来た上里じゃったのう。言うてみい」

「はい、有難う御座います」

「此の事件の犯人は食い詰め浪人の犯行でも無く他藩の者の仕業でも有りません。必ず町の中におります。従って網を張る必要は有りません」

「何!どおしてなら!」

「ワシが言うとる事が間違っとると申すか!」

「お前の意見を言うてみい」

「はい。粟屋と上村は寂しい山の麓の一本道で襲われております。普段なら夜の夜中に此処らは誰も通りません。此の先は狭くて険しい間道に続いており、仮に犯人が金銭強奪目的であればこんな所迄来てわざわざする事はないでしょう。やるのであれば町の中のある程度明るく即ぐに逃げ易い処で狙うでしょう」

 其れに何で武士を二人も襲撃しますか。幾ら酔っ払っていたといえども二本差しです。必ずや反撃に遭います。わざわざ自分の身の危険を冒してまでしないでしょう、又、金銭目的であれば銭が有り弱そうな者を狙いますよ。ですから食い詰め浪人説は当たりません。仮にやっていればとっくの昔に其の足で遠くに逃げていますよ」

「其れならば他に何が有る」

「今は確約出来ませんが怨恨がらみではないでしょうか。何れ近いうちに結論をお出しします」

「お前は、絶対にそう言い切るのか」

「私もそう申し上げる限りは覚悟を決めております」

「分かった。其方の言葉を信じよう。とに角、事件を解決する事が一番じゃ」

「代官よ、ええ配下がおって心強いのう。互いに頑張ってくれぇよ。お殿様も気に掛けておられるからな」

「絶対に早急にケリをつけますから」


 一方、各班の役人達は毎度同じ様なやり方で町中を走り回っていた。

 今日も相変わらず浅田屋へは、一日中、足繁く役人が顔を覗かせた。

 余りにもしつこく来るもので、下っ端の丁稚供がその都度対応させられていた。

 与作も遅い昼飯を済ませてから玄関先に出て打ち水をしていた。

 そこへ先般の現場で出会した小生意気な役人が二人連れでこっちに向かって来るではないか。

「あの野郎、又、来やがったな」

 昼間よく見るとさして世代的に変わらない。

 ワシも歳がいった捻くれ丁稚じゃが、奴もまだ見習同心みたいなものであろう。

 丁稚といえば幼さが残る子供髷で、親元を離れて店に住み込みで朝から晩まで働かされる。ほんに僅かばかりの給金で修業がてら使われていたのだ。

 与作はといえば浅田屋に入る迄の二年間は剃髪して専正寺さんの伴僧を勤めたが現在は町人髷である。

 然し、幾ら腹が立っても所詮は身分上は丁稚である。

「お役人様、今日も残念ながら、いいお知らせがないんですが」

「そうか、やっぱり無駄足だったか。面倒かけて済まんのう」

 あれぇ、どしたんじゃ、何時もの空威張りが出んじゃないか。さては代官所中で相当行き詰まっとるなと与作は感じた。其れと事件の夜に顔を合わせていたのだがよく見ておらず、こちらに全然気付いた様子がない。

 すると忽ち次に行く場所が無いのか、その場で立ち話をし出した。

「オイッ、こんな調子だったら褒美処か皆んなで責任を取らされるで」

「どうなるですかね、アァ~」

「迷宮入りにでもなってみいや、代官も新任の上里様も完全に処分されるで」

「この間、嫁をもろうたばっかりじゃろうが」

 途端に何気なく聞いていた与作は、上里様の名前が出たのでびっくりして問い返してみた。

「すみません。宜しいでしょうか」

「何じゃ」

「上里様とおっしゃいましたが、志和地のお方ではないでしょうか」

「そうじゃ、それがどうした」

「私も志和地ですから」

「ほうかほうか、じゃったらお前も協力して助けてあげてくれ」

「分かりました。出来るだけ頑張ります」

「お前も調子のええ奴じゃのう」

「えへへへ」

 此れを聞いた与作は急に元気が出て来た。

「よし、明日はワシが非番じゃから、皆んなを連れて山の中から出て来るか。喜ぶじゃろうのう」

 本日も無事仕事を終えると帰る道すがら明日の対策を練りながら走っていた。

 一本道を進み何時もの辺りで鉄を呼んでみた。

 向こうから一目散に駆けて来るのが見えるではないか。すると玉も競走する様につけて来る。

「玉ちゃんも来てくれたか、有り難うな」

 お互いが挨拶していると頭の上から

「コンバンハ、オカエリヨーサクサン」

 何とラー助まで来ているではないか。玉と遊びがてら昼間に別荘迄来ていたのだ。

 今は暗くなっておりカラスは鳥目で有ろうと与作は思っていたが近場は見えるので有ろうか。

「ラーちゃん、見えるんか」

「オメメアル」

 此れには与作も嬉しくて大笑いであった。

 忍者一家は明日が与作の休みである事をよく知っている。嬉しくて迎えに来たのだ。

 翌朝、何時もより遅く迄寝ていたがもう外では鉄、玉、ラー助が集まって会合を開いている。今日の作戦でも練っているのであろうか。

 与作も昨夜のうちに「比熊山の物の怪より」と云う書簡を作成していた。

 気を遣って与作を早く起こさない様にしていたが、目覚めた気配を感じて皆んな中に入って来た。

 目を擦りながら大欠伸をしていると鉄も玉も同じ仕草をしているではないか。

 此れも動物に移るので有ろうか。そしてラー助が部屋中を飛び回りながら大騒ぎをしている。

「一寸、待っとれよ、今から朝飯と弁当を作るからな」

 朝飯を食べ終えると全員の弁当を作り柳行李に詰めて風呂敷に包んだ。其れを他の荷物と一緒に鉄の大きな背中に括り付けた。

「よ〜し、鉄ちゃん、玉ちゃん、ラーちゃん、今からこの前の続きをやりに行くぞ、出発進行!」

「エイエイオー」

 ラー助の勇ましい掛け声にドタバタドタバタを繰り返している。

 今日も皆んな元気が良い様だ。朝霧の立ち込める山道をのんびり歩き出した。

 玉はちゃっかり与作の懐の中から気持ち良さそうに顔を覗かせている。

 ラー助は何時もながら少し飛んでいっては待ち、偵察がてら目を光らせてくれている。

 多分、何処の飼い犬や猫にしても、ご主人様と一緒に居たり行動する事が如何に楽しいものであるかが分かるで有ろう。其れに人間の幼児みたいな知能のラー助にとってみれば、正に遠足気分なのだ。

「どうせ、ワシ等が行っちゃらん事には絶対に解決出来んのは分かっとるからな」

「宜しく頼むよ」

 と一声掛けると「ウォ〜ン」「ニャーン」

 更に頭上から「エイエイオー」

「ほんまにラーちゃん、何処で覚えて来るんじゃ」

 最初の頃は、美和様誘拐事件の際、浅田屋親子を気違い扱いにし、浪人者二人を有耶無耶にし葬り去ってしまった、三次代官所に捜査協力をするつもりは更々無かった。

 然し、現在は代官、次席とも入れ替わっており、前の悪代官は厳罰を喰らい処分されている。その時に、上里様は昇格していたのだ。

 その為に今は全く高揚した気分なのだ。

 昨日、小生意気な役人が言っていた、上里様の為にも事件解決をしてあげなければ、絶対に処分を受けさせてなるものか。

 子供の時代、可愛がって貰った大恩あるお方に、こんな時こそお役にたたなければと心に念じ、代官所を目指して山道を進みながら奮い立っていた。

 一旦、別荘に立ち寄ると

「オイッ、此処で一寸の間休憩してから行くからな。此れから先が愈々ほんまの勝負じゃ、皆んな頑張ってな」

 この一声に、段々と目が輝きだした。

 此処に隠しておいた財布と印籠と血の付いた懐紙を袋に入れ、更に昨夜書いておいた小さな紙きれを詰めると

「ヨ〜シ、今から出発じゃ。この前の処から始めるぞ」

 洞穴から出て直ぐの処が現場であった為に傍に人家が無く、前の夜中の時の様に、一通り皆んなに臭いを嗅がせた。

「分かったな、じゃ行くぞ」

「ワシワシランゾ」

「ハハハ、ラーちゃん、今は知らんでもええぞ」

 与作は此処から先は昼間で有り、知り合いに顔を見られては不味い。

 頬被りで誰にも分からない様にしている。臭いを嗅いで行ってくれる鉄には首に縄を括りつけ与作が握っている。玉は少し離れた後から付いて来させている。一緒に歩くとどうにも目立ちすぎるからだ。

「鉄ちゃん、この前の続きが出来るか」

 鉄の顔色を伺うと、当たり前よ、とばかり自信満々の表情だ。

「何と頼もしい奴ちゃな、有り難うよ」

 でもこのやり取りは玉には気づかれない様に、こそっとやった。

 そうしないと妬けて即ぐに駆け寄って来るからだ。

 ラーちゃんは相変わらず上空をぐるぐる旋回しながら見張ってくれている。

 やはり今日もこの前と同じ様に二枚橋迄やって来た。

「愈々、近くにやって来たぞ。水でも飲んで休んで行くか」

 この前の時、財布や受取証文、小銭を見つけてくれた場所だ。するとラー助も舞い降りて来た。

 そして突如、与作の方を向いて何か水の中を見ろと言っている様なのだ。

「何じゃ、ラーちゃんどうした」

 板の洗い場の下の川底は腰の深さまで有ろうか、結構ある。

 与作が腰を屈めて中を覗いて見るとキラッと光る何かが見える。

「ウーン、何じゃろう。でも深いなぁ」

 与作が躊躇しながら皆んなで並んで覗き込んでいると

「バシャ!」

 鉄がいきなり飛び込んで潜ったのだ。

 そして光る短い物を咥えて上がって来た。

「オゥ!そりゃ小柄じゃないか」

 ラーちゃんには高い真上から陽の光で水の中からキラッと反射するのが見えたのだ。此れは、犯罪に拘る誰の物かは判断が付かないが何かの役に立つで有ろうと

「ラーちゃん有り難うさん」

 と頭を撫でてやった。

 そして其れを見ていた鉄と玉が近付いて臭いを嗅いでいたが

「ワウーン、ワゥ〜ン」「ニヤーン、ニャ〜ン」と何か訴える声をあげた。

「ウン、此れも犯人の物か」

 この前の時は深い水の中に有ったので臭いが全然しなかったのだ。

 その時、びしょ濡れの鉄がいきなり身震いをしだした。

「コラー、すなやぁ、向こうでやれや」

 玉もラー助も怒っている。皆んなビチャビチャだ。

 でも水遊びをしている様で何故かお互いが嬉しくて堪らないのだ。

「然し、お前さんらは物凄い忍者一家じゃのう」

 其の場で一段落を終えるとやがて又ゆっくり進み出した。与作は休みの日だ。すれ違う通行人の中には何時も見知った顔が何人もいた。

 なかには大きな狼犬を連れて地面に鼻を擦り付けて歩くものだから、もの珍しくて振り帰る人が何人もいた。

 本通りに入って来ると愈々緊張して来た。前方に浅田屋の看板が見えて来ると

「鉄ちゃん、知らん顔をして行けよ」

 用心しながら店先を覗き込む様に通り過ぎると幸いにも誰も顔が見えないではないか。

「其れ行け、其れ行け、見つからんぞ」

「よかったのう、鉄ちゃんバレずに済んでホッとしたで」

 もし、奉公人達に出会していれば、頰被りをしていても与作の身体付きで絶対にバレていたで有ろう。

 そして走り込む様に直ぐ近くの四つ角を左に回り込んだ。

 やがて例の大きな門構えで白壁の塀の側にやって来た。

 そして鉄が立ち止まり、離れて付いて来ていた玉が駆け寄って来た。

「玉ちゃん、済まんな、この前は疑ってごめんよ」

 嬉しそうに「ニャー、ニャー」鳴きながら与作の足に身体を擦り付けている。

 此の建物は三次代官所なので有る。

 役人達が幾ら捜しても犯人が見つかる訳が無い。斬り付けた犯人が、何食わぬ顔をして毎日探索に加わっているのだ。

 三次代官も可愛げがなかったが、此奴等は更に悪い野郎だ。

「許さん、絶対に許さん!」

 何時迄も、長居は出来ない。即ぐに役人に見つからない様に奥まった路地に身を隠した。

 其れから、屋根の上から見ているラーちゃんに手招きをして降りて来させた。

「ラーちゃん、今から一仕事頼むから一寸、待っててな」

 与作は其の場で昨夜書いておいた書き付けに新たに文を書き加えた。其れに先程見つけた小柄を包み直した。

「よしゃ、ラーちゃん出来たぞ。今から奥の誰も居ないお白州の庭先に此れを落としてくれるか」

 与作はお白州を指差して落とす仕草を見せると

「マカセトケ」

 何時もの、お師匠さんの物真似だ。ラー助が此れを言って今迄に頼まれた事を一度も間違えた事が無く、言われた事が殆ど理解出来るのだ。

 小さな袋を爪で引っ掛けると屋敷の奥の方に飛び立ち上空で旋回している。

 其れが与作にも鉄、玉にも見えるのだ。

「ラーちゃん頑張れ!」

 そして落とすのが見えた。

「ヤッター、ヤッター」

 皆んな声を出さないが大喜びをしている。


 一方、お白州の横の詰所では、仲々、手掛かりを掴めぬ事に業を煮やした代官が歯ぎしりをしながら

「おい、お主は家老の前で大啖呵を切ったがほんまにケリが付けられんるんか」

「ワシも一蓮托生で始末されるんじゃないじゃろうのう」

「お代官、近日中に絶対に解決して見せますよ」

「ほんまかいな」

「然し、何でこんなにも犯人はぼろを出さんのかのう。家老が言う様に奴等は三次の町を抜け出しておってみいや、完全に迷宮入りじゃで」

「弱気は禁物ですよ。私を信じて下さい」

「一寸、お代官、休憩しましょうか。厠へ行って来ます」

 上里は頭を冷やしがてら外の空気を吸っていた。暫くしてから戸を開けて中に入ろうとした途端、庭先に大きな「ボトッ」

 と砂にめり込む音がし何やら落ちて来た。

「オイッ!上里、今の音は何なら」

 代官が障子戸を開けて飛び出した。次席は縁側から裸足で砂地の上に飛び下りると其れを拾い上げた。

「そりゃ何じゃ」

 上里は袋を広げて中身を一つ一つと取り出し其の場に並べ出した。

 上から見つめていた代官が駆け下りると

「おいおい、こりゃ凄いもんがあるでぇ」

 財布、印籠、小柄、其れに血の付いた懐紙が有る。

「何じゃこりゃ」

「もしや此れは。奴等、財布を盗られたというとったな」

「オイッ、上里、こりゃ即ぐに町医者の処へ行って確かめて来いや」

「分かりました。大至急、行っ来ます」

 取り急ぎ其れらを別の袋に入れ替えて駆け出す準備を整えた。

「処でな、此れを投げ入れた者を見とらんし、其れに逃げる足音も聞かなんだよな」

「私も即ぐに辺りを見回しました。其れに木戸には閂が掛けて有りますから中には誰も入られません」

「其れにしても、此の袋を外から投げ入れるのは絶対に無理じゃぞ」

「こりゃ空を飛んで来たんか、あり得ん事で、不思議な事が有るもんよのう」

「お代官、とに角、私は行って来ますから」

「宜しゅう頼むぞ」

 上里は正面玄関から駆け出して行った。

 その頃、与作達はラー助の仕事を見届けてから其の場で休憩をしていた。

「上里様は気付いてくれるかなぁ、見てくれりゃええんじゃが」

「此れから帰る途中で昼飯を食うぞ」

 と言うと皆んな嬉しそうな顔をしている。

「まぁ今日は此れくらいでええか。よしゃ、ボチボチ帰るとするか」

 立ち上がり頰被りをし、鉄の首縄を手にして路地を一歩踏み出した途端

「一寸待て、隠れろ!」

 正面木戸から急ぎ飛び出した誰かが此方に向かって来るではないか。

 速足に目の前を通り過ぎて行く横顔を見ると、何とあの「おっちゃん」ではないか。

 この前の役人の話しによれば、次席に出世したという事だったが、さては袋の中身を見てくれたで有ろうと直感した。

「よかった、よかった、見てくれたんじゃ」

「よし、鉄ちゃん、ラーちゃんよ、あのおっちゃんが何処へ行くか付けてくれるか」

「ワシと玉ちゃんは此処におるからな」

 鉄もラー助も非常に頭がいいから与作が言った事が理解出来るのだ。

 鉄は付かず離れず後を追いだした。ラー助は何時もの様に上空から監視してくれている。

 上里陽三郎は、代官所を出てから即ぐに誰かに付けられているのに気付いていた。さすがに藩内随一の遣い手だけの事はある。

 全く背後を振り返らず、気配だけで感じ取っていたのだ。さてはこの間の襲撃犯なのかと暫く様子をみながら歩を進めていた。だがそう間隔が空いていないのに不思議な事に相手の息遣い、衣擦れの音、足音が一切しないのだ。

 陽三郎は、此奴は相当出来るなと身構える体勢を整えていた。

 然し、幾ら歩けども全く殺気が感じられないのだ。寧ろ心地良ささえ感じる。

 代官所を出て直ぐに南の方へ路地を駆けて行き二つ通りを抜けると、町医者の看板が見えてきて上里は其処に駆け込んだ。

 結局、付けられている間、相手が何者であるか全く分からなかった。

「よし、多分、帰りも同じ事をするじゃろうから確かめてやるか」

 と子供のような悪戯心が生じていた。

 此の医者は浅田屋の得意先で何時も薬を卸したり、奉公人達が怪我をした時などにもお世話になっており、与作は御用聞きでしょっちゅう顔を出していたのだ。

 町医者に入ると、先ず順庵先生に挨拶をした。

「先生、この度はご迷惑をお掛け致しまして誠に申し訳け御座いません」

「いえいえ、此方は仕事ですから気にせんといて下さい」

「夜分にわざわざ遠くの現場に出向いて頂き感謝致しております」

「然し、何であんな寂しい様な処で襲われたんでしょうかね」

「多分、後を付けられていたんじゃないかというとりますが」

「目的は何ですかね」

「物盗りですか其れとも怨恨ですかね」

「どう云う事ですか」

「其れはですね、つまり斬られた二人の傷の具合ですよ。背後から袈裟懸けに遣られておりますが、普通なら叩っ斬られると死につながる様な傷口なのですが、どうも今度のは撫で切りにした様なのです。つまり、殺す意思までは無かったのではないかと思われるんですよ」

「仮に 物盗り野郎に襲われたのであれば完全に斬り殺されたでしょうよ」

「いやぁ、先生、素晴らしい見立て、色々と参考意見を誠に有難う御座います。必ず早急に犯人逮捕に結び付けますから」

 早速、上里は治療を受けている二人に声を掛けた。

「具合はどうじゃ、随分と顔色がようなっとる様だのう」

「有難う御座います。お陰様で生きている実感をしみじみ味合わせて頂いております。此の度は私達のドジで皆さんに大変、ご足労をお掛けしておる様で誠に申し訳け御座いません」

「そんな事は気にせんでもええから、ゆっくり休んどればええんじゃ」

 二人は床に寝ていたが起き上がって話しに応じている。

「オイ、無理をせんでもええぞ」

「いえいえ、此の方が楽でええんですわ」

「処でな、二人に見て貰いたいもんが有るんじゃ」

 と言いながら、袋から、財布、印籠、小柄、血の付着した懐紙を取り出して目の前の畳の上に並べた。

「此の中で何か心当たりの物が有るか」

 すると、いきなり粟屋が声を上げた。

「アッ!其の財布は私の物です」

「何処に有ったんですか。無論、中身は無いでしょうね」

「あぁ、空っぽじゃ、悪いけど中身は抜かれとる」

 当の粟屋本人は残念そうな顔になった。

「今の処はまだはっきりせんが多分一本道辺りではないかと思われるんじゃ」

「何でそんな処に」

「多分、犯人が逃げて行く途中で金子だけを抜いて、後は投げ捨てたんじゃないか」

「其れとな、此の印籠と小柄に覚えはないか」

 二人は互いに其れを手に取りながら粟屋が口にしだした。

「多分、此の印籠は新任の奥村さんのもんじゃないですかね。新しく来られて今迄には一度も話した事も無く、面識も有りませんのではっきりしませんが、一度だけ居酒屋で座敷に座っている時、目にした様な気がします」

「分かった、帰ってから早速確認を取ってみる」

「其れと小柄に見覚えはないか」

「其れは全然分かりません」

「よしゃ、此れだけで十分じゃ」

 帰りがけにもう一人の上村が聞いてきた。

「処で私の財布は見つかってはいないのでしょうか」

「うん、残念ながら今の処、報告が上がって来とらんのじゃ」

 上村は情けなそうに肩を落としながら

「親の形見に貰った大切な物で、皮革の財布だったんですが」

「とに角、二人共よう教えてくれた。後はゆっくりと養生して体を治してくれ。吉報を待っとれよ」

 上里が町医者での聞き込みには結構手間どった。ずっと外で待っていた鉄とラー助は「ハラヘタナ」と高い木の上から鉄に呼び掛けている。だが何の事やら分からない。ラー助は直ぐ近くにある柿の木に飛んで行き熟柿をついばんでいる。

 そして一個を咥えて下りて来て鉄の前に落としたのだ。

「ラーチャン、アリガトデモイラン」

 カラスは雑食で何でも食べれるが犬はそうはいかない。然し、互いが心が通じており忍者用語で話せるのだ。

 其の時だ。鉄の耳が急に立った。ラー助は空から町医者の玄関先を見ると鉄の処に飛んで来た。「デテクル」

 ようやく中から上里が出て来た。怪我をしている二人が見送りに出ているではないか。

 鉄には即ぐに分かった。「あの時に倒れていた二人だ」

 斬られた傷が痛々しそうで有ったが歩くのには支障なさそうだ。

 別れの挨拶を済ますと、一目散に代官所目指して突っ走りだした。

「よし、此れでかなりの目処が付きそうじゃ」

「オウ、さっきの続きが有ったな。思い切り走ってやるか。ワシの足には勝てんぞ」

 然し、とてもじゃないが鉄に勝てる訳がない。人間の三倍以上は悠に速いのだ。陽三郎は何度も角を曲がって駆け抜けるとゼイゼイ、ハァハァと荒い息をしながら代官所の玄関に飛び込んだ 。門番がたまげて

「上里様、どうされましたか、水でもお持ちしましょうか」

「大、大丈夫じゃワシは、一寸、悪戯をしたのよ」

 と大木戸の隙間から外を覗いている。

「やっぱりだな」

 門番が何が有ったんですかと問いただすと

「いや、何もない、何もない。こっちの遊び心よ」

 陽三郎は、正面から出て行く時に路地裏の奥に人間と動物がいる気配を感じ取っていた。帰りに又、此の場所に入って行く黒い狼犬を見届けたのだ。

 そして間も無くして路地から出て来ると南の方に向かって犬と猫と飼い主で有ろう、走り去って行くではないか。頰被りをした後ろ姿を見て陽三郎は叫んだ。

「やっぱりな、有難うよ」

 だが、空を飛び、ラー助が鉄と一緒に付けていたとは陽三郎には全く分からなかった。

 さすがは忍者一家で有る。

「鉄ちゃん、さっき行ったとこへ案内してくれるか。其れから先は河原に降りて皆んなで昼飯じゃ」

 飯と聞いたらすぐ分かる。飛び上がらんばかりに大喜びをしている。

「メシ、メシ!」

 来た時と同じ様に頬被りをして各自離れて歩いている。帰りは浅田屋の前を通る事も無く少しは気楽で有った。

 鉄とラー助は先程訪れた町医者の前に来て此処だよと教えてくれた。

「ラーちゃん、有難うな。お白州に知らせる大切な仕事をしてくれたから、上里様が処分される事無く、後は絶対に犯人を捕まえてくれるよ」


 代官所に取って返した上里は、早速、事の次第を代官に報告した。

「財布は間違いなく粟屋の物でした。其れと印籠ははっきりと確証が有る訳ではないですが多分奥村の持ち物ではないかと言うとります」

「よし、分かった。早速、奥村を呼んでみるか」

「其れでは、今、何処におるか捜してみます」

 役人達は今日も朝早くから探索の為、東奔西走しており昼休憩に帰って来る迄見つける事が出来なかった。

 代官は事を現時点では穏便に収める為に内密に呼び出した。

「奥村よ、毎日、毎日、探索に走り回って貰いご苦労さんじゃのう」

「云え云え、此れもお勤めで御座いますから。処で私に何用でしょうか」

「実はな、一寸教えて貰いたい事が有るのよ。此の印籠はお主の物か」

 次席が近寄り手渡された印籠を手にするなり

「此れは私の物です。何処に有ったんですか。四、五日前に何処かに落として失くしておりました」

「そうか、実はのう、この間の事件現場の近くに落ちとったらしいんじゃ」

「えっ、何の現場ですか」

「粟屋等が斬られた事件の事よ」

「私はそんなに遠い処へは行った覚えが有りませんが」

「其れなら、印籠を拾った誰かが持って行って投げ棄てたとでも言うんじゃな」

「そうとしか考えられません」

「此の印籠には少しじゃが血痕がこびりついとる様じゃ」

「私には何の事やらさっぱり分かりません」

 後は代官が何を聞いても奥村は知らぬ、存ぜぬの一点張りで、とんと埒が明かなかった。

「分かった、分かった。忙しいのに呼び出してすまなんだな。昼からも大変じゃろうが探索に頑張って協力してくれるか、宜しく頼むぞ」

「分かりました」

 奥村が立ち去ってから代官と上里が詮議を始めていた。

「オィ、此奴は限りなく黒に近いのう。印籠を何処に落としたか分からん言うとるがどうも怪しいで。暫く様子を見て泳がしておくか」

「まさか、脱藩はせんじゃろう」

「そうですね、確証を掴む迄はそうしましょうか」

「又、明日の朝に二人に聞き込みに行って、何でもええから思い出す様に頑張って見てくれぇや」

「そうしてみます」

「処で上里よ、不思議な事が有るもんよのう」

「突然何んですか」

「お主が出た後にな、袋を引っ張っとったら中から小さくたたんだ紙きれが落ちたんじゃ、其れが此れよ」

 代官から手渡されたのを一読してから、頭を捻りながら、信じられないと云う表情をしている。

「この最後に書いてある(比熊山の物の怪より)とはどう云う奴ですかね」

「そんな事を聞かれてもワシに分かる訳がなかろうが」

「考えてもみいや、ワシ等、探索専門の大勢の役人が何日掛けても何にも犯人逮捕の手掛かり一つよう見つけんのに、此奴は昼間見た様に克明に全部知っとる。上里が現場に駆けつけて調べた足跡にしても此奴はその時、現場で事件を見とった様に知っとる。背丈六尺の大男までもじゃ」

「・・・」

「真っ暗な夜中じゃぞ。逃げて行く犯人の足取り迄、綺麗に寸分違わず分かっとる。天から証拠の品をお白州に投げ込んだ事と云い、此奴は化け物か。まるで生きた物の怪の様じゃのう」

「何はともあれ、敵か味方か分からんが、天から重要証拠を与えて貰った限りは早急に決着を付けねばならんのう。其れがワシ等の務めじゃ」


 次の日の朝早くにも例によって二人組の役人が浅田屋に聞き込みにやって来た。

「朝早くから御苦労さまで御座います。今迄の処、店に変わった犯人らしき者は現れてはおりません。仲々、協力出来なくて申し訳け御座いません。何か有れば即ぐにでもお知らせ致しますから」

「オゥ、すまんが宜しゅう頼むでぇ、邪魔したなぁ」

 下っ端役人供は完全に行き詰まっているのか、えらい殊勝な態度である。

 応対した与作は

「フフフッ、代官所の奴等まだ難渋しておるのか。だがもうじきにケリがつくじゃろうよ」

 やはり、与作の読み通り其の日の夕刻頃に、何時もつるんで行動している二人が評定所に呼び出されていた。

 此の日の朝、上里は治療を続けている町医者の所に駆けつけた。

「度々、朝早うに来て済まんのう」

「とんでもない。私等の為に代官所中を煩わせて誠に申し訳け御座いません」

「多分、お前達への聞き込み調査は此れが最後になるであろうよ」

「よく心して思い出してくれんか」

 そう言われた粟屋と上村は全く真剣な表情となり正座した。

「オィ、そんなに緊張すなや。楽に座れや」

「いえ、横になっておるよりこっちの方がええんですわ」

「ほうか、其れなら気楽に聞いてくれるか」

「あのなぁ、印籠じゃが粟屋が言うとった様に奥村のもんじゃったよ。奴は四、五日前に落としたと云うとるんじゃが、何処かは全然知らんととぼけとる様じゃ」

「粟屋よ、何処に有ったと思やあ」

「私にはとんと見当がつきません」

「お前が斬り付けられた直ぐ近くに落ちておったのよ」

「当番の皆んなが駆け付けた時には辺りが暗うて御用提灯の明かりも届かず見落した様じゃ。じゃが役人ではない誰かが拾うて代官所へ届けてくれたんじゃ」

「奥村に聞いてみると、現場周辺には一切、行っとらんし他に拾った奴が其処らへ落としたんじゃないかととぼけてやがるのよ」

 其処へ何か思い出した様に粟屋が叫んだ。

「一寸、待って下さいよ。そう言われてみると思い当たる節が有ります」

「其の時、奴は覆面をしており顔は分かりませんでした。じゃが身体の特徴がはっきり思い出せました。奥村さんは大柄な体格で六尺は有るでしょう。道場で同僚との稽古で一度だけ遠目に見た事が有ります。その時、木刀を構える姿勢が常に右肩上がりでした。襲われた時には私は全く足腰がフラフラで最初は正面を向いていましたが、あぜ道に蹴躓いて後ろ向きになった時に斬り付けられたと思います。刀を抜く間も有りませんでしたがチラッと見えた時にやはり右肩上がりでした」

 そしてもう一人の上村も何か思い出した様だ。

「私も少し思い出せた様です。斬り付けた奴は背丈が五尺そこそこで目の高さがほぼ一緒でした。足元がおぼつかなくて下ばかり見ていましたが、どっちかの足か分かりませんが少し引きずっていました。

「ほうかほうか、大分記憶が蘇ったか、さすがお役人様じゃのう」

「冗談を言ってからかわないで下さいよ」

「いやいや、お主達が本来の姿に戻ってくれて此方も嬉しいのよ」

「処でな、お前が対峙した足の悪い野郎に心当たりがあるか」

「はい、記憶している奴の着物の柄から間違いなく名前がはっきりと言えます」

「よしゃ、分かった。其れともう一人については誰か分かるか」

 と聞かれると全然知らないと頭を振った。

「まぁ此れだけ情報を得りゃ充分じゃ。二人供有難うよ」

「とんでも御座いません。何卒今後も宜しくお願い致します」

 と話すと上里は席を立ち後は順庵先生の処に顔を出した。

「先生、昨日は大変貴重なご意見を頂き有難う御座いました。お陰で近日中には完全に解決するでしょう。誠に心強い限りで御座います」

「何の何の、私の拙い話でも参考にして頂ければ幸いです」

 町医者の処で話しを聞き終えると代官所、目掛けて急ぎ足で駆けていた。今朝は心地よい追跡者が後から着いて来ない。何処となく一抹の寂しさを感じていた。

 だが何故か「有難う」を口ずさみ口笛がついて出た。

 詰所に戻って来ると既に代官は出仕していて上里の帰りを待ち侘びていた。

 とに角、事件解決の目処がつき、事態が急転した事で子供の様に、はしゃぎまくり嬉しさを隠し切れなかった。

 然し、上里が帰った時は其の態度は表さなかった。

「オウ、朝早うから御苦労さんじゃったのう。どうじゃ奴等は少しは思い出したか」

「はい、確実に犯人を絞り込む事が出来ました」

「そうかそうか、分かったか、ようやってくれたのう」

「其れじゃ、最後の詰めに取り掛かるか」

「代官、一寸、待って下さい。此れから最後の二つの証拠固めをして来ますから」

「小柄と血の付いた懐紙の事か」

「そうです」

「其れならばワシが一つ解決しちゃたでぇ」

「えぇ、そりゃ何ですか」

「懐紙の事よ。勘定方に行って確かめるとな、此れは三次城に納めとる専用の物じゃと云うとったで。透かしが入っとるらしいんじゃ。ワシ等には全く分からんかったよ」

「其れはお手柄ですね」

「おいおい、からかうなや」

 でも代官は非常に嬉しそうな笑顔でご機嫌であった。

「最後のもう一つを宜しく頼むで」

「分かりました、今から早速当たってみます」

 代官所を出た上里は三次の町に有る刀剣商を訪ねる事にした。小柄は大小の刀に付随した物で当然、拵えが一体で有る。其れを無くした侍は当然有り合わせの物を急遽求めるで有ろう。其の為には必ず刀剣商にやって来るであろうと二軒有る店を聞き込みに入った。

 先ず、最初の立ち寄った店は馬洗川の河原の直ぐ近くで有った。此処は以前に八幡山城にいる頃、与作と三次の町に一緒に出掛けて来ていて、何時も帰りに待ち合わせをしていた処なのだ。此処の石垣の上に座ると懐かしさが込み上げてきた。

 そして此れからも又、因縁の繋がりが生じるのではと川の流れを見つめながら感慨深いものがあった。

「よしゃ、先ず此の店から当たってみるか」

 看板には竹澤屋とある。年代物の表札が掲げて有った。

「ご免、ご主人は居られるか」

 其の声を聞いて奥から店主が顔を覗かせた。

「此れは此れは、次席様、よくお出で下さいました」

「オイオイ、何でワシを知っとるんじゃ」

「其れは何時も遠目で拝見させて頂いております。今日は例の件で御座いますね」

「そうじゃ、毎日毎日、迷惑を掛けとる様で誠に相済まん」

「とんでもない、少しでも情報が有れば即ぐにお知らせ致します」

「処でな、此の小柄を見て貰いたいんじゃ」

 と次席は懐から包みを取り出しチラッと見せたのである。

「次席様、此処では都合が悪う御座います。此方にお出で下さいませ」

 と言い、奥の部屋に案内をした。そして席に座るなりいきなり一声発したのである。

「其れは多分、上川様の物でしょう」

「ご主人よ、何で手にも取らず、見聞きもせんのに其れが分かるんじゃ。いきなりたまげるじゃないか」

「其れは小柄の拵えを見た時に即ぐに分かりました。大小二本と小柄は一体となっており、二つとして同じ物は有りません」

「じゃ、何で上川の物と断定するんじゃ」

「次席様、自らお持ちになったと云う事は並々ならぬものが有るでしよう。本来ならば商売人にも守秘義務というものが御座います。然し、此れが犯罪がらみとなれば別で今、はっきりと申し上げます」

「其れは襲撃事件が有った翌日に、どっかに落としたと言ってうちの店に来られました。同じ様な物は有りませんが、とお答えすると構わん何でもええと店に有る物をお持ちになりました」

「其れから例の騒動が有って以来、顔を見せてはおられません」

 話し終えてから次席が目の前に差し出した。其れを手に取って見ていたが

「間違いなくあの方の物です。私の目に狂いは有りません」

「ウ〜ン・・・」

 其処へ、話している最中に、毎度の如く聞き込みの役人がやって来た。

 主人は店先に出て丁寧に応対していた。

「然し、此の男は何者なんじゃ、半端な人間じゃないぞ」

 竹澤屋は、何時も情報が提供出来ず申し訳けないと丁重にお断りをして帰ってもらった。

「済まんな、迷惑を掛けて。でも此れが最後にするから」

「然し、ご主人よ、お主の刀を見る目には恐れ入ったよ。有難う、有難う」

「とんでもない、少しでもお役に立てれば何よりで御座います」

 次席はいきなり訪ねて来た店で、自分と世代的に差して変わらない齢なのに此の慧眼振りに驚いた。

「何時頃から此の商いをしとるかのう」

「ハイ、先代が無くなってから引き継いで五年そこそこで御座います」

「其れでこれか!」

「処で話しは変わるが、お主は地の生まれ育ちではないな。何処のなまりか分からんが瀬戸内の方か」

「左様で御座います。備前の國の生まれです」

「まさか備前長船では有るまいな」

「正しく其処で御座います。子供の頃から吉井川の側で育ちました。何時も目の前を砂鉄舟が行き交いしており川岸を追いかけたものです。私の家の直ぐ側迄に舟が着き砂鉄の袋を運び入れており、其れは大層賑やかなものでした。

 でも私は刀鍛冶では有りません。父は此の地では長船四天王と言われておりましたが長男が跡を継ぎ、私は四男坊でした。父らが大槌、小槌を打つのを見て育ちましたから普通の人より刀を見る目は御座います」

「何でこんな山ん中へ来たんじゃ」

「ハハハ、嫁の都合でこうなりました。婿養子ですよ」

「然し、凄い筋の人間が此の地におってくれたとはな。今迄、何も知らんかったよ。お殿様もきっとお慶びになられるよ」

「確か、時折やって来られる尼子国久公のお腰の物は長船と聞いた事があるが」

「はい、その通りで代々、尼子のお殿様筋で御使い頂いているとの事です。其れは父の作と聞いております」

「ご主人よ、ワシは今日来て良かったよ。こんな幸運に恵まれるとは思いもしなんだよ。是非共に今後、お主の慧眼を発揮して貰えんかのう」

「有難う御座います。是非、喜んでご協力をさせて頂きとう存じます」

 代官所に戻ると早速、事の次第を報告した。

「小柄は竹澤屋の証言によると、間違いなく上川の物でした。其れも事件後の翌日に無くしたと代わりの物を求めて来だそうです。拵えを見て即ぐに分かったそうです」

「フゥ〜ン、餅は餅屋だのう。凄い!」

「然し、此れも又、凄い事よ」

「何の事でしょうか」

「天から落としてくれた証拠の品よ。全部、奴等に関連した物ばかりじゃないか。どうしてあっちこっちに有った物を一箇所に集められるんじゃ。化け物以上の寧ろ神業じゃぞ」

「上里、まさかお主が関わっとるんじゃ有るまいのう。何時も冷静に涼しい顔をしとる」

「とんでもない、私は常にお代官の命令、指示に従っておるだけですから」

「ほんまかいな、どうも信じられん」

「処でのう、次席よ、ぼちぼち奴等を呼んで始めるかのう」

「最初は取り敢えず誓約書を書かせてみるか」

「お代官、其れはいいですね。此奴等かなりしぶとそうです。特に奥村は一筋縄では行きそうに有りませんからね」

「明日の朝、皆んなが出っ張った後やりますか」

 翌朝、二人は内密に評定所に呼び寄せられた。

「次席、私等、何で此処へ呼ばれにゃいけんのですか。今、直ぐにでも大切な役目があるというのに」

 と奥村が口をとんがらかせて文句を言った。

「そうか、済まんのう。手っ取り早よう済ますけ付き合うてくれんか」

 其処へ代官が入って来た。

「オウ、忙しい時に来てもろうて済まんのう。他でもないがお主等に聞きたい事有ってのう」

「今度の事件の事でかなりの確率でお主等が関わった形跡があるようなんじゃ」

「そんな馬鹿な、私は全く関係有りませんよ」

「私も同様で何の事やらさっぱり分かりません」

「そうか、そうじゃろうのう。何も関係無いと言うんか」

「其れなら、はっきりと誓約書が書けるのう」

「お代官、其れこそ何ですか。始めから疑いの目で見られているじゃないですか」

「じゃが何も悪いことをしていないなら素直に書けるよな」

「其れこそ必要ないじゃないですか」

「私は始めから真面目に務めております」

「じゃがのう、お主等は三次代官所の役人だぞ。並の人間とは当然違うぞ。だったら、三次藩の御定法に従うのが当然じゃろうが」

「其れが嫌なら即刻、辞めて貰う。何処へでも行くがいい。好きな様にせい!」

「上里!ワシャ帰るぞ」

「お代官、一寸、短気を起こすのは辞めて下さいよ」

「此奴等も人生、先は長いんですから」

 其の一言に上川は顔色が変わってしまった。だが奥村はしぶとく全くの無表情で有った。此の男は三次藩のある属城の四男坊で帰る処が有ると思っているのだ。

 だが、代官は本当に席を立ち帰ってしまった。

「オッ、ほんまに帰ってしまわれたな。然し、気にすなよ。後は上手く取りなしておくから」

「じゃが、一筆は書いとってくれよ」

「其れから探索に加わってくれるか。宜しく頼む」

 奥村も上川も次席の声に救われたので有ろう。ホッとした表情で一筆書くと出掛けて行った。

 其処へ次の間の部屋で様子を伺っていた代官が入って来た。

「オイ、上里、効いたのう」

「いやぁ、仲々の役者振りで恐れ入ります」

「そりゃええが明日にもケリを付けるか」

「そうしましょう。何時までも引っ張っとったら経費ばかりが掛かりますから」

「幸い、粟屋や上村も順調に回復しているようですから。奴等も気にしとったんですかね。撫で切りで良かったですよ」

「其れともう一人の奴をどうしますかね」

「分かっとるんか」

「はい、知っとります」

「此奴は何もしとらんよのう」

「たまたま、偶然にも出会い利用されただけのようですが」

「見習いじゃったな」

「一寸だけお灸を据えてやるか」

「其れがいいでしょう」

 二人は詰所での詮議を終えると、一服していた。 そして事件解決の目処が付いた事で非常事態を解除するための許可をもらう為に城に知らせなければならない。

「オイ、上里よ、ご家老に報告に上がらにゃいけんのじゃが 誰が行きゃ」

「私はまだする事が仰山有りますから、代わりの者を行かせましょう」

「よしゃ、ほんなら直ぐに書状を書くから持たせてくれるか」

「分かりました。馬でやらせると、午前中のうちには済むでしょう」

 城では代官の報告を受けた家老が、急遽、お殿様に知らせに上がったようだ。

 そして、何と家老が老体に鞭打ち馬で詰所に駆け付けた。

「何遍も来とう無かったが又、顔を出したよ」

「代官よ、報告に有る事はほんまの事か」

「はい、全く其の通りで御座います」

「ウ〜ン、身内同士のいざこざじゃったか」

「まぁ、ええ事じゃないが穏便に済ましちゃらにゃいけんかのう」

「じゃがこれだけ藩内を騒がせたからのう。お灸を据えといちゃれ」

「其れとな、上里よ、ワシがいらん指図をしたが為に混乱させてしもうた。悪かったな。此の通りじゃ」

「ご家老様、とんでも御座いません。あの時は止む終えない事です。ご指示に間違いは御座いません。結果的にこうなっただけですから」

「おおそうか、すまん、有難うな」

「処で今回の褒賞金の事じゃがな、身内の事ゆえに大ぴらには出来んでのう。皆んなに一時金上乗せで堪えてくれんか」

「其れはご家老様、有難いお言葉で皆んなに成り代わりお礼を申し上げます」

 家老は余程嬉しかったので有ろう。道中が辛いとも言わず帰って行った。

「其れとですね、若い新田の事ですが、一応は面通しをして貰いましょうか」

「おお、三人目の奴はあの男じゃったか。あの晩、誰か見たもんでもおるんか」

「そうです」

「よしゃ、即ぐに来て貰うか。誰か迎えに行かせえや」

「お内儀さんですから出来れば駕籠でも、其れと帰りに何か手土産でもあれば」

「分かった。然し、お主は細やかな配慮をようするのう」

 本日も 朝から相変わらず出掛けて走り回っている役人達。まだ事情を何も知らず、腹を減らして代官所に帰って来た。其の時にはお内儀さんも駆け付けていた。出迎えた上里は

「度々お手を煩わせて申し訳ない。遠いのにすみません」

「何をおっしゃいます、上里様、先般は有難う御座いました。貴方様の温かいお言葉に、主人は感激して泣いておりました」

「イヤァ〜、其れは良かったですね。こっちまでも嬉しくなりますよ」

「処で、ぼちぼち帰って来ようりますので、こっから見とっ貰えますか」

 小部屋の戸を少し開けてジッと見つめていた。

 四、五人が班ごとに腹を空かせて帰って来た。その中に若い男が二人連れで話しながら現れると

「あの人ですと指を指した」

「有難うございます」

 上里は、小部屋から覗いて証言してくれたお内儀さんに、丁寧に礼を述べるとともにお土産を持たせ帰ってもらったのである。

「早速、誰にも分からん様に新田を呼んでみるか」

 昼飯を食べ終えた後で一休憩をし厠に立とうとした時、新田は声を掛けられた。

 何事かと先程の詰所の横の小さな部屋に入ると、代官と次席が座っているではないか。

 途端に直立不動の姿勢になってしまった。

「おいおい、そんなに緊張すなや、気を楽にしてまぁ座れや」

 と言われた新田は安堵の表情を浮かべながら畳の上に座り込んだ。

「処でな、お前は何処の生まれじゃ」

「はい。私は廻神村で御座います」

「何い!やっぱりのう」

「どう言う事でしょうか」

「実はな、ワシは今朝、‘‘お前の近くに神と名のつく村で生まれた奴がおらんかな。其の者には近頃災難が降りかかっとる,,と大明神様からお告げが有ってな」

「知っとるかな、比熊山大明神様じゃ」

「私は田舎の出ですから知りません」

「其れが言われるのには、此の近くで神と名の付く処は神杉と廻神との二箇所しかないんじゃ。ほいで次席に調べてもろうたら新田、お前しかおらなんだ」

「ワシはこの歳になってから信心のお陰でよう見えるになってな」

「近頃、お前、なんか不幸や不信な事はありゃせんか」

 と聞かれた新田は一瞬、ドキっとした表情になった。然し

「いえ、別に変わった事は御座いませんが」

「じゃがのう。此処より南東の方角に斬られてもがき苦しむ二人か三人の姿が見えたんじゃ。お前よ、何んか関わっとりゃせんじゃろうのう」

「いえ、ワッ、私は其の様な処には行っておりませんが」

「其れならええんじゃが、神のお告げが間違っとったんかのう」

 代官は暫く瞑想する様な振りをしながら間を置いて次の言葉を告げた。

「処がな、先程、事件が有った近くに住む人が来て

「何時までも解決しないのに自分だけが口を閉ざしているのは心苦しい」

 といって代官所へ駆け付けてくれてな。其れがお前が仕事から帰った時にバッタリ出会ってな。互いに顔は知らんわな」

「あの晩の人です」と知らせてくれたんじゃ」

「やっぱり因縁というものは怖いもんよのう」

「此れも大明神のお引き合わせじゃで」

「お前らはあの晩三人で粟屋と上村を付け回っとたな。処が連れの知り合いの男に思わぬ場所迄引っ張られて行き、更に時間が経った為に新田は見張りをさせられておったよな」

「その時、お前は真っ暗闇の中で、座って待っとった石はな、墓石じゃったんじゃ。自分の背中に何かが引っ付いて両手を肩から前にぶら下がっておったのに気が付かんかったか」

 代官が此処まで話していると突然、新田が泣き喚き出した。わんわん大声を出しながら

「だから悪い事をしたら物の怪に懲らしめられるとおばあちゃんが言っとったが、やっぱり出て来たじゃないですか」

「お代官様、後は何もかも白状致します」

「おおう、そうかお前は純で正直な奴じゃな」

「じゃが心配はすな。物の怪はもうお前には取り憑いちゃおりゃせん」

「あの後、斬り付けた二人に乗り移ったんじゃ」

「此の度はお前のした事は無理矢理利用されたじゃけ、大明神様から天罰を下される事は無いぞ」

「いいえ、私は悪い事をしました」

「そうかそうか、じゃが心配するな。物の怪様は堪えて下さるよ。代官所も何もかも追求は一切せんから」

「後は話しは次席が聞いてくれるから正直、皆、話すんじゃぞ」

 新田は泣きじゃくりながら「済みません」「済みません」を繰り返し頭を畳の上に擦り付けていた。

 そして次の日の午前中に奥村と上川がお白州に呼び出されていた。

「お代官、なんで私等が此処へ来なけりゃならんのですか」

「毎日、毎日足を棒にして走り回っておりますものを」

「おう、そりゃご苦労じゃのう」

「そりゃそうと上川よ、今、足と言うたがお主は足のどっちかが悪いんか」

「はい、子供の頃、崖上から落ちて左脚を骨折して今も少し引きずっております」

「其れが何か、関係が御座いますか」

「おう、二人共よう聞け!単刀直入に言う、お前ら今回の事件に全て関わっておるじゃろう」

「何で私等が関係あるんですか。証拠を出して下さいよ」

「そうですよ。私は何もしておりません」

「お前らがした事は比熊山の物の怪様が全てお見通しじゃ」

「何を子供騙しみたいな事を代官は言われますか。馬鹿馬鹿しい」

「そうか、其れなら今から言う事をよう聞いとれ」

 代官は昨夜のうちに「比熊山の物の怪より」をよく精読して記憶したので有ろう。

「お前等は最初に居酒屋で二人で飲んでおったわな。ご機嫌でおった時に粟屋と上村が入っきたのよ」

「其れが衝立一つの即ぐ隣じゃった。互いに顔は見えん。其れから暫くして酔いが回って来ると愚痴や悪口が出始め出したんじゃ。そこに奥村の事が出始めてな。あの野郎は新入りの癖に威張りくさしゃがるじゃの、ワシ等の手柄を横取りしたじゃの、属城の殿様の弟じゃのと、偉そうにしやがる、とに角言いたい放題じゃたのよ」

 ええ加減、頭に来たお主は懲らしめてやるぐらいの気持ちで外に出てから襲おうと思ったのよ。処が暫くすると名主みたいな奴と一緒に出て来てしもうた。此れじゃ無理じゃと二人になるまで付けて行ったのよ」

「えらい遠く迄、行きゃがるのうと思い今日は諦めようとしたが、どっちかが行くゆうたんじゃろう」

「そのうち襲撃現場の近くの大きな家に入って行くと其れこそ大分待っとった。

「後は例の襲撃じゃ。其の後はお主等は急ぎ足で一本道を掛けて行き二枚橋の処まで駆けて来た。そして、洗い場で刀の血糊を洗い落とし、その時、物取りに見せかけて盗った財布から現金を抜き後は草叢に投げ捨てた。

 上川はその時着物の裾が乱れとったので帯を結び直したのよ。そしたら帯で引っ掛けて洗い場に屈んだ時に小柄を溝の中に落としたんじゃ。しまったと思うたが暗くて深くてよう見えん。諦めて帰ってしもうた。朝のうちに代わりを竹澤屋に買い求めに行っとるな。其処から先は別々に違ごうた道を通り代官所の宿舎へ帰ったな」

「おい、此処まで言うて何か違ごうた事が有るか」

「そんな事は何の証拠にもなりませんよ。単なる作り話しですよ」

「そうかまだ証拠不足と言うか」

「それじゃ粟屋と上村に証言さすか。奴等、記憶がかなり戻ってな。奥村の右肩上がりの癖や、上村が上川の脚を引きずる特徴を思い出したよ。そしてその時の着物の柄までもな。現場に残されとった大きな足跡な奥村のと、ぴったし一致したよ」

「・・・」「・・・」

「まだ、足らんか」

「・・・然し」

「奥村!、我の部屋の天井裏から上村の皮革の財布が見つかったぞ」

 次の瞬間緊張が走った。奥村が

「ギャアー!」

 と大声で叫んだ。

 そして短刀を鞘から引き抜いて胸を刺そうとしたのだ。

「コラッ!」

 目の色が変わるのを見ていた次席は離れた距離にいた為、小柄を引き抜くと奥村の右手首を目掛けて投げ付けた。

 怒鳴られ、たじろいた一瞬、短刀がポトリと前に落ちた。

「馬鹿野郎!何をしゃあがる!命を粗末にすな!!」

 二人はガックリ首をうなだれて観念し、白砂の上に飛び下り土下座をしたのである。

「奥村!、つまらん考えを起こすな。お殿様の気持ちが分からんのか」

「お前等を決して処分をされようとは思ってはおられんのだぞ。二人には将来ある若者じゃ、寛大な処置をと言われとるんじゃぞ」

「二人共、決してつまらん考えを起こすでない、分かったか!」

「其れとな、粟屋と上村も近く復帰出来る見込みじゃ。本人等も自分達が悪かったと反省しておるんじゃ」

 奥村と上川は小さな声で「はい」とこっくりと頷いた。

「お前等、一日だけ牢屋に入ってよう頭を冷やせ。明日には解放してやる。お殿様を有難いと思え!」

 代官は、迷宮入りをするかと思われる様な襲撃事件を、其れこそ訳の分からない比熊山の物の怪の力を借りて解決する事が出来た。

「まぁ、何でもええ、ケリさえ付けばこっちのもんよ」

 と馬の尻を叩きながら意気揚々と家老の待つ比叡尾山城を目指していた。

「オオゥ、代官、よう来たのう。この度はご苦労じゃったのう」

「有難う御座います」

「お殿様も事が解決して大変お喜びになっておられるよ」

「そりゃええが、今度の事件解決には比熊山の物の怪が活躍したと町の評判になっとるようじゃがどう云う事かいのう」

「其れに付いては私もよう分からんのです」

「実は、あっちゃこっちゃ投げ棄ててあった奴等の証拠の品を拾い集め袋で 代官所の中庭に落としてくれたんです。外から投げても絶対に届きません。不思議なことがあるものです」

「フゥーン、そうじゃったか。然し、ほんまに物の怪なんぞおりゃせんじゃろうが」

「然し、何れにしても人間のした事でえ。心当たりは無いのか」

「そういえば次席がと思い問い詰めました。じゃが自分は全く知らんと云うとります」

「然し相当関係しているとも思われます」

「其れとご家老、是非共お殿様の耳に入れたき儀が御座います」

「何ぞええ話しでも有るんか」

「はい、実は事件解決に走り回っております頃、次席の上里が刀剣商を訪れ話しをしている時、ここの竹澤屋の主人が備前長船の生まれである事を知りました。

「何! そりゃ初耳じゃ。してその者は」

「長船四天王と呼ばれる代々の名工で、国久公のお腰の物は父親の兼光作だそうです。本人は今、故郷を離れて此の地に住まいし、今は刀鍛冶では有りませんが刀に関しては凄い慧眼をしているそうです」

「そりゃそうじゃろう。おい!、一寸、待っとれ、お殿様に進言してくる」

 と言いながら席を立った。

 戦国時代と云われる此の当時、備前長船から輩出された刀は武家、武士の間で垂涎の的であった。

 ましてや、国人領主ともなれば殿様の象徴、誇りとして名のある物を携えかったのである。

 そして家老が満面に笑みを浮かべながら駆け込んで来た。

「あのな、是非共、次席が竹澤屋の主人を伴って此処へ来てくれんかと言っておられるんじゃ。大変、お慶びになっておられる」

「分かりました。帰りましたら即ぐにでも申し伝えます」

「其れからお殿様がな、喜びついでに、今度の犯人二人に付いて罪一等を減ずる措置を講じてやってくれんかと云うお言葉じゃった 」

「此奴等はまだ若い、此れから将来ある若者じゃとな」

「分かりました。今後二度と此のような不祥事を起さぬ様藩内の引き締めを図って参ります」

「そうかそうか、宜しゅう頼むぞ」

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