丁稚奉公と忍者一家(改訂版)

犬山猫三

第1話 与作の生い立ち

「与作!何をとろとろやっとるんじゃ。さっさと掃除を済まさんかい!」

「昼飯を食わさんど」

「へへへ、すみません」

 毎朝の様に、三次の町の商店街は、各店前の清掃から一日の始まりとなる。

 下っ端丁稚の与作は、隣近所の商店街の丁稚仲間と、店の前の道を雑談しながら掃き掃除をし箒を振り回すものだから、番頭さんから何時も怒鳴られっ放しである。

「こりゃ、こっちへ来て早よう大八車を引き出して来んかい。雨が降るかも分からんから菰の用意もしとけよ」 

「はい、分かりました」

 薬種問屋、浅田屋の商いの始まりは、薬の卸と、店頭での小売部門が有り、夫々の担当者は、猫の手も借りたい程のてんてこ舞いの忙しさである。手代や丁稚は頭ごなしに呼び付けられ、こき使われていた。

 与作は毎日毎日、雑用を上の者から命じられても素直に真面目にコツコツとこなしていた。

 浅田屋に奉公が決まった時、主人夫婦は朝礼訓示の場で

「此の度、採用した与作は百姓の倅で三男坊の、要らん子じゃと言われとったらしいんじゃ。志和地の庄屋さんに頼まれてのう。うちへ来て貰う事にしたよ。無学文盲じゃが、素直で馬鹿が付く程、真面目じゃ言うとったよ。一生懸命勤めると云うから可愛いがってやってくれんかのう。げに、要らん子と云うのは冗談でぇ、親にとってみりゃ、皆どの子も可愛いものよ。大番頭以下、指導鞭撻の上、宜しゅう頼むで」

 続いて奥様も無愛想な表情で

「与作は毎日、志和地から通うと云うから相当体力が有るんでしょう。どんどん遠慮無く鍛えてやって下さい」

 上得意の庄屋の山田屋の世話でも有る為で有ろうか、かなり雇用条件が良かったのだ。通常、手代や丁稚は、始めから浅田屋の大広間で雑魚寝の詰め込みで住まわせられるのが原則である。その為、一日の見境いが無く、朝から晩迄、何かと働かさせられていた。

 今迄の奉公人は長年に渡って辛い修業を経て、丁稚奉公から手代、番頭と出世し、上手くいけば出店を持てると云うのが当たり前の習慣が有る。

 だが与作の場合は、何の都合か知らないが通いを許されていた。其れを特別扱いしゃぁがってと、他の奉公人は面白くない、口には出さないが心の中では反発していた。

 どんな経緯で、庄屋の山田屋と浅田屋との採用条件の取り決めが有ったかは、奉公人の誰にも分からない。其れも、月に何度も非番の日を設けてくれていたのだ。

 其れ自体の事に付いては、与作自身もはっきりとは分からなかった。

 本来ならば、こんな取り決めなど一奉公人の都合で許されるなど有り得ない事だったのだ。

 多分、此れは以前からの浅田屋と庄屋との関係に原因が起因しているものと思われた。其れを薄々知っている奥様は、半ば、やけ気味に奉公人達の前でこき使えと発言している。

 其れを快く思わない他の連中は、何時も嫌がらせをして来たが、そんな態度にも与作は何処吹く風で有った。然し、与作には信念が有った。

 毎朝晩、片道ニ里半の道を早駆けし、何時も、誰よりも早く一番先に店に顔を出し、仕事納めも一番最後まで奉公していた。瀬谷から垰を越え青河を抜け可愛川沿いを下るのだ。街道筋で比較的なだらかな道であったが何せ遠い。

 今迄に何度も同じ道を、おっちゃんにくっ付いて行っていた時は面白半分で楽しかった。だが、いざ毎日通うとなるとそうはいかない。

 採用される時は、若さと体力に任せて、あゝは言ったものの段々と疲労が蓄積してきだした。たまの休みの日などには泥のように眠っていた。(因みにこの泥(でい)という言葉、古い中国のことわざで海にすむとされる空想上の生き物で骨が無いことから陸に上がると(どろ)の様に形を保て無いことからぐったりとして眠った様な状態になる事を意味する)

 朝はとも角、夕方の仕事納めが不規則なのだ。他の通いの奉公人達は、ある程度、定時に帰宅出来たが丁稚達はそうはいかない。与作以外は店の中に住み込みで居るから何かとこき使われる。そうした時には特に、与作には嫌がらせで狙い打ちされるのだ。手代程度の奴からも、つまらぬ用事を押し付けられ、帰りがけの足を引っ張られ、真夜中に帰宅するのは毎度の事であった。

 そんな与作を見かねた家族は、たまの休みの日に、いくら百姓仕事の手が欲しくても昼過ぎまではそっとして寝かせておいてくれた。

 親父はどうにも可哀想と思ったのか

「お前がそこまで疲れとるのを起こして、百姓仕事を手伝わせるのは気の毒じゃ。住み込みになる様に頼んでみるか」

「じゃが、お前の性格じゃったら、うんとは言わんじゃろうのう」

「今更な」

「其れならもう一寸、近い所から通えや」

「何処にそんな処が有るんじゃ、うちに三次の町に親戚があるではなし、他に下宿する程、給金は貰うとらんし」

「与作よ、ワシが昔、炭焼きをしとった小屋が有ろうが。小さい頃におまえを二、三度連れて行った事が有るで。あこから通うてみぃ、間道伝いに行くと一里は近いで。お前も暫くは独りもんじゃろうが、住むのには困らんぞ」

「そうか、あこなら物凄う近いわ。小さい頃に、すぐ峠の上に駆け登って三次の町をよう眺めとったなぁ。比叡尾山のお城が目の高さにあったよ。其れに夜は泊まって飯を炊いて食べて楽しかったなぁ。囲炉裏で焼いて食べた丸干し、スルメの味が今も忘れられん」

「其れなら、ワシが明日行って見てから段取りを付けちゃろうか」

「ええんか。ほんまに、すまん」

 何せ親父は百姓仕事の傍ら大工を生業としている。

 やはり持つべきは親で有る。

 与作が毎日実家から勤め通いをしている間に、二間四方の小さな小屋に、内装を施し外に風呂や厠まで付けてくれた。材料はいくらでも有る。何せ自分の持ち山だ、綺麗に造作をしてくれた。

 其れから四、五日して

「与作、今晩からあっちへ寝てもええでぇ、一通り住める様にしてやったぞ」

「もう出来たんか。早やいのう」

「風呂だけは二、三日は待てや。塗り土がよう乾いとらんからのう」

「早速、今晩から使わせて貰います」

「皆んなしてやってくれたんじゃろう、有難う」

「そうじゃ、母さん、兄貴、其れにハナちゃんも喜んで手伝どうてくれたよ」

「風呂釜まで重いのに遠くまで担いで上がってくれたんか。何から何まで有難うございました」

「小屋へ住んだらな、ワシ達の百姓仕事の事は全然気にすなよ。とに角、浅田屋の仕事の方を真面目にやってくれ」

「有難う、親父」

 そう言われた短い礼の言葉に、父親は目に一杯涙を溜めていた。やはり、息子が親元を離れるのが父親として寂しかったので有ろう。

 余談だが、後年になって与作が三次藩になくては成らない存在になった時、庄屋の山田屋さんの過去帳を見せて貰った。其の時、山田屋と浅田屋との関係を知る事となった。

 其れによると浅田屋の主人は婿養子に入っている。    

 代々、女系家族で男子に恵まれなかったのだ。当時、浅田屋には娘二人がいたが嫡男がおらず、養子を迎える事となった。其の時、志和地出身の男で後継者に入ったのが、丁稚奉公から長年辛抱をして、当時の店主に気に入られたのが今の主人なのだ。

 其の人は、与作と同じく百姓の倅で次男坊で有った。

 育った家は貧しく田畑は無くて山田屋の小作人で有った。此の男は子供の頃から真面目な働き者でいい性格の人間で有った。処が父親が酒癖の悪い男で、何度も役人の世話になっており、其の度に、牢からの引き取り保証人に庄屋の山田屋さんが何時もなってくれていたのだ。

「お前がそう云う人間じゃったら、子供達が何処からも認められんぞ。働き口が無くなるじゃろうが」

 と、こんこんと諭され以降は一切の酒を断ったので有る。其れが長く続き、此れなら大丈夫だろうと、庄屋さんの世話で次男坊を浅田屋の丁稚奉公に送り出したので有る。

 三次から可愛川を西南に遡る事、二里半の処に志和地が有る。

 現在、此の地は可愛川を挟み毛利軍と尼子軍が支配しており、互いが対峙している要衝の地であった。だが、其処に昔から住んでいる百姓達にしてみれば、安芸、備後の国境には関係が無く、与作の実家は両方の地に田畑、山林を所有していた。庄屋に次ぐ資産が有った。

 然し、所詮は百姓で有る。子沢山の上に年貢の取り立てが厳しく、何時迄も生活が苦しかった。

 与作は三男坊として生まれ、小さな頃から農家の手伝いとして重宝されていた。だが何れは独立しなければならない。当然、跡取りの長男が財産を引き継ぐ時代で有ったからだ。

 此の時代には、学問をする処や其の機会すらなく、田舎者で貧乏暮らしの百姓達は、無学文盲のまま一生を終えていたのが殆どで有った。

 与作は小さな頃から、人懐っこい性格で隣近所からも可愛いがられていた。

 専正寺の住職さんには特に懐いて、何時も頭を撫でられて、子供ながら大喜びをしていた。

 因みに、与作の兄妹や隣近所の子供達で、寺に寄り付こうとするものは誰も居なかった。

 子供にして見れば、仏像や建物の雰囲気が不気味で、お坊さんの袈裟掛けの衣装も怖かったので有ろうか。

 月に一度は有る、お寺での法話集会に、近隣のお年寄り達の大勢が説教を聞きにお参りしていた。其の時は、何故か与作もお婆さんと何時も一緒に出掛けて行く。

 今日もお婆さんの手を引いて

「早よ行こ、早よ行こ」

 と急かすので有る。

「ハナちゃんも行こ」

「嫌!」

 然し、子供の与作にとっては説教など分かりもせず、全く興味が無く目的が他に有ったのだ。法話が始まっても全くじっとしている事が無く、あっちこっち移動しながら天井を見上げていた。

 其処に描いてある多くの絵を見るのが好きで、上を向いて自分の手で絵取りながら頭の中に叩き込んでいた。

 そして和尚さんの説教が済むと、奥様が小さな包みを幾つも持って来て

「今日、お参りしてくれた子供さん集まってね」

 与作も一列に並び、皆んな夫々お菓子を受け取っている。其の度に、和尚さんと奥様が全員の頭を優しく撫でていた。

 与作は此の両方が嬉しくて、毎度、欠かす事無くお参りしていたのだ。

 貧しい農家育ちの子供達にとって当時は、お菓子を口にする事など、お祭り、盆、正月以外には殆ど無かったのだ。まだ与作の家は恵まれた方である。お婆さんが説教を聞きに行くには、何がしかの賽銭か、お米を供える事が出来る大百姓であったからだ。其れが小作人の身分であれば到底かなわぬ夢であった。

 与作は貰った物は、自分だけで食べるのではなく持ち帰り兄妹に分けていた。

 特に妹のハナは大喜びで、よく自分の物迄やっていた。

 其のうち与作は、法話が無くても何時の間にかお寺に顔を出すのが習慣の様になりだした。

 というのも、与作はお参りしていても法話そっちのけで長い廊下や広い前庭を走り回るのだ。ある時、庭の石畳を走っている時滑り転げたのだ。其処には多くの落ち葉が風に吹かれて舞っている。

 膝小僧を擦りむいて血が出ているではないか。其れを見つけた奥様は庫裏に連れて入り手当をしてくれた。

「与作ちゃん痛くない」

「うん、これくらいなんともないよ」

「よかった。大した事なくて。でもごめんね。落ち葉を綺麗に掃いとけばよかったのに」

「うちもね、段々身体が弱ってきて庭掃除が大変なのよ」

 見れば毎日落ちる葉っぱが山の様に溜まり、庭はモグラの穴でデコボになっている。

 此れを治療をしてもらいながら見ていた与作は、何時もお婆さんが言っている「物を大切にせえよ、人の為になる人間になれよ」という言葉が頭をよぎったのである。

 ここが与作の賢いところだ。

 翌日から、小さな身体でびっこを引きながら、わら草履を履いて楽しそうに田んぼのあぜ道を駆けてくる。門の前に来ると一礼して中に入り、嬉しそうに広い庭掃除を誰に言われる事が無くても自然にする様になりだした。終わるとさっと帰って行く。

 全く、人懐っこい性格で、和尚さんや奥様と顔を合わせるとニコッと笑い

「おはようございます」

「お早うさん。今日も来てくれたんか」

「へへへぇ」

 掃除が終り帰りがけに奥様と顔を合わせると

「又来るね」

「母さん、与作はえゝ性格をしとるなぁ」

「ほんに可愛い子ですね」

「こんな子は今時珍しいよのう、他の子や大人迄もが、寺の建物や雰囲気を気味悪がってあんまり寄り付こうとせんのにね」

 段々と日を重ねるに従い

「和尚様、奥様、何か他に与作がする事は有りませんか」

 お寺さん夫婦も段々と歳を重ねて来ており、足腰も大分弱ってしまっていた。

 その為、与作の優しい言葉に何時しか甘える様になっていた。

 何時も全く無料奉仕でやってくれて、何も要求する事が一切無いのだ。

 和尚様や奥様が体具合が悪い時など、鐘を突いたり、買い物の使い走りをしてくれたり、法事、法要の知らせにあっちこっちに連絡に行ったりと、とに角、じっとしている事が無い。

 其れが習慣のようになり、和尚様も段々と甘える様になっていた。

 専正寺としては小僧さんとして面倒を見て上げたい。だが檀家も少なく雇うほどの金銭的な余裕がないのだ。

「与作よ、何時も済まんな、世話になっとるのに何もしてやれなくて」

「とんでもない、何も要りません。ただ、与作は和尚様の顔を何時も見ているだけで幸せなのですから」

「泣かせる事を言うな」

 と目頭を拭ったので有る。

 だが、お寺さんには、しょっちゅう檀家の誰かがお供え物を持って来てくれる。

 其れを必ず与作にお裾分けをしてくれていた。又、盆、節季には僅かながらも心付けをしてくれていた。

 子供の成長は早い。此の頃になると和尚様や奥様から見ると、日に日に大きくなっている様に感じられ、ただ与作をこのまま何も習得しないままで、大人にしていいものかと自責の念に駆られていた。

「お父さん、与作の事ですがね」

「おう、お前の言わんとする事は分かっとるよ」

「与作は何れ世の中の為になれる男じゃ。ワシも今、其れを真剣に考えておるところよ」

「与作はね、何時もお父さんが読経している時、箒を持ちながら近寄って来て、口裏を合わせる様に一緒に唱えていますよ」

「ほうか、其れは気が付かなんだな」

「何時も何かを吸収しようと一生の懸命な様ですよ」

 そうした日々の生活が続いていた時の事で有る。

 昨夜から降り続いた雨も朝方に止み、何時もの様に与作が顔を覗かせた。

 広い庭先の掃き掃除を角から角まで綺麗に済ませた後、砂地の上に箒の柄を逆さにして何やら書いている。

 本堂の横にある案内板に檀家の皆さんの為に書き付けが貼ってある。その書いてある文字をじっと横眼で見つめながら書き写しているのだ。書き順は出鱈目だが何やら文字らしい様だ。たまたま高い本堂の廊下から暫く様子を見ていた和尚は

「与作、何をしとるんじゃ」

「あっ、和尚様すみません」

 と言いながら慌てて掃き消した。

「怒っとるんじゃないよ」

「あのう、此処に貼って有る、和尚様や奥様の書いた、法話案内板の字を見よう見真似で地面に書いておりました」

「お前は学問が好きなのか」

「はい、特別好きと云う訳では有りませんが、興味は多いに有ります。でもしたくてもね、貧乏百姓の倅でお金も無くて、どうしようも有りません」

「そうか、そんな事を気にしとったんか」

「よう分かった。与作よ、お前は何時も善意で寺の為に無料奉仕をしてくれとる」

「お前は、何れにせよ、世の中の役に立てる人間に成れる男じゃ。今からでもええから、ワシの手の空いている時は何時でも来なさい。教えてやる」

「えゝ、本当にいいんですか」

「ほんまじゃ」

「うちには本を買うお金も無いんですけど」

「ええから、ええから」

「でも心配で」

「ワシはな、嘘と髪はゆうた事が無いよ」

 と言いながら自分のつるつるの頭を一撫でしてニッコリ笑ったので有る。

「処でな、与作よ、門前の小僧習わぬ経を読むと云う諺が有るんじゃが、まさかワシが読経しとるんを覚えとるんじゃ有るまいのう」

「はい、ほとんど諳んじております。何時も和尚様の口調に合わせてお唱えをしています」

「やっぱりな」

「ただ、文字の書き方や意味が全然解りません」

「そりゃワシにもよう分からんがな」

 と笑いながら

「よし、其れなら写経をやりなさい。精神修養にもなるし、何と言っても多くの文字を覚える事が出来る。お手本をやるから」

「えぇ、本当にいいんですか。有難うございます。早速始めます。其れと和尚様、もう一つ欲しいものが有るのですが宜しいでしょうか」

「ああ、何でも云ってみな」

「実は、掃除をした後、最後に捨てている蝋燭受けに溜まっているカスを頂けないでしょうか」

「何んにするんじゃ」

「寄せ集めて練り直し又使います」

「ウ〜ン、そうか。いいよ、いいよ。夜にも勉強するつもりか」

「昼間は百姓の手伝いが有り仲々手が空きませんから。其れに自分の好きな趣味もやりたいですから」

「何んじゃ、其れは」

「へへへ」

 と笑いながら話さなかった。

 和尚様は早速その晩に、与作の事で今日話した事を奥様に告げた。

「おい、母さんよ、ワシャ此れから与作の為に学問を教えちゃろうと思うとるんじゃがええかのう」

「お父さん、其れは非常に良い事を思い付きましたね。私もいずれ何かの方法を考えておりました」

「そうか、賛成してくれるか」

「与作はな、既にワシが何時も読経しとるのを聞きながら全て諳んじる事が出来るんじゃ。其れこそ類稀なる才能じゃで」

「必ずや世の中の役に立つ人間になれる男じゃ」

「私やお父さんが具合が悪い時でも、常に喜んで手助けをしてくれました。ほんの少しでも感謝の心を込めて恩返ししてやりましょうよ」

 ー寺子屋はいつの時代から始まったのかー

 室町時代後期の頃から下級武士、町人、農民の子供達を近郷近在から集めて、学問を学ばさせる為に知識、教養の有る僧が教師として寺で始まったものである。こうした世の中の流れに、与作は丁度いい機会で専正寺の一期生となったのである。備後の地に於いてはお寺さんの最初の事であった。 

 与作は、この時分から負けず嫌いではなく、徹底した凝り性で道を極めなければおれない性分なのだ。和尚様が本堂で多くの檀家を前にして法話をしている間、お婆さんに一緒に付いて来た小さな与作は、真剣に天井絵を指差し絵取りながら描いており、ちゃんと頭と心の中に書き留めている様であった。

 此奴は小さいながら、並の人間ではないと和尚様は其の時から感じていた。とに角、観察眼が鋭いので有る。

 案の定、其れから寺に出入りして数年し、庭を掃除する様になってから何時しか、竹箒で白砂の上に絵を描く様になっていた。

 今日も何時もの様に法話集会が有るのだが、寺にお参りに来た檀家の人達が、縁側の上に集まって庭を眺めている。

「何と落ち着いた見事な絵模様ですのう。専正寺さんも、ええ事を始めましたのう」

「ほんに気が休まりますね」

「飛び石と植え木と綺麗に調和しておりますね」

 其れから本堂で法話が始まる前に、お年寄りの一人が砂絵の事について尋ねた。

「御院家さん、庭が見栄えの有るものになりましたのう」

「ははぁ、ありゃワシじゃないよ。そんな絵ごころは残念ながら持ち合わせとらんよ」

「何時も掃除をしてくれとる与作が川砂を板木川から持ってきては描いたのよ」

「へぇ〜、あの子がねぇ」

 写経をやったり、読み書きを、昼夜、暇を見つけては

 お教えてくれる和尚様も与作の吸収の速さには驚いていた。学問を教える前から既に、お手本の中身を全て諳んじているくらいだから、進歩が速いのは当然かもしれなかった。

 其の頃には、仲の良い妹のハナも、学問を学ぶ与作に多いに興味を持っていた。

 与作は何時も離れの納屋の小さな部屋を寝床としていた。家族が多い為、母屋に雑魚寝の状態で蝋燭をつけてまで勉強する部屋が無かったのだ。

 お寺から貰った蝋燭の灯りの下で、手本を読み書きしている処にハナがやって来た。側に座り込むと

「今度は何を教えてもろうたん、うちにも教えてえや」

「どしたん、ハナちゃんも勉強したいんか」

「うん、お兄ちゃんが毎日嬉しそうにしとるのを見ると羨ましいんじゃ」

「よしゃ、今度から真面目に覚えて来て復習がてら教えちゃるぞ」

「ほんまぁ、其れならどっちがよう出来るか競争しょうや」

「そりゃええがな、ハナちゃん、よその人には和尚様から学問を教わっている事を言うなよ」

「うん、分かった」

「家族のものにもあんまり言うまあで」

「分かったよ。二人の秘密じゃね」

「へへへ、頑張るぞ」

「うちもよ」

 こうして与作が和尚様に教わった事の予習復習の口伝てによる、耳学問、目学問で二人の相乗効果が倍加し一気に吸収していったのである。

 ある時、こう云う事があった。昼間に和尚様から一寸づつ教えて貰った与作が帰るのを待ち構えていたハナは、其れ迄、寺の門外で近所の子達と広い寺の周りを駆けっこをしたり、かくれんぼをして遊んでいる。

 それから兄妹で田んぼ道を歩いて帰りながら、声を出しあいながら読経するのであった。

「ナマンダブ、ナマンダブッ、キミョムリョジュ二ョライ、ナムフカシギコ・・・」

 野良仕事をする人や、行き交う周りの大人達は、何と変わった兄妹じゃのうと、すれ違いざま、振り返りながら、半ば変人扱いであった。

 だが、この当時、与作が和尚様から学問を教わっているなど、村人達が誰一人として知る者はいなかった。

 ましてや、無学文盲の両親や兄貴にしてみても、与作はしょっちゅう、寺の為に、掃除や使い走りばかりさせられていると思っていたのである。

 唯一人、本当の事を知っていたのは仲のいい妹のハナだけであった。

 処が、其れも暫く時が経つと今度は

 孔子の「子日く、学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや」

 と論語を喋り出すものだから、村人達はたまげまくり、この兄妹への見る眼が段々と変わってきた。

「おいおい、与作もハナも気違いどころか天才なんじゃないのか」

 と言われ出して、いっぺんに評判が反転したのである。

 だがハナは、学問を学ぶ為に、寺の門をくぐる事は絶対に無かった。お寺さんが怖いと云う気持ちと、自分が百姓の娘で有り、此の時代は女性が学問をするものでは無いと言われており、田舎育ちのハナにとっては尚更の事であり自覚が有ったのだ。

 あくまでも与作からの口伝てでの習得であったが、ハナは、此れこそ断トツで能力が優れていたのかもしれない。

 与作がお寺さんを辞める二年くらい前から算盤の弾き方を教えてくれだした。

 そろばんと呼ばれ室町時代に中国から伝来したもので珠を動かして計算する道具のことである。

 和尚様は基本は分かるのだがどうにも鈍臭いのだ。

「オイッ、ワシャこりゃどうにも手に負えん、坊主に算盤事は似合わんよ。ハハハ」

 と豪快に笑い飛ばした。

「与作よ、こりゃお前の頭なら簡単に理解出来るじゃろう。自分で鍛えてくれぇや」

 と計算が苦手な和尚様が算盤二本と手本をくれた。

 其れを家に持って帰って来た。

 早速、その晩に練習がてら小さな机に向かい独り悪戦苦闘していると

「どしたん、苦虫を噛み潰したような顔をして」

「ウ〜ン、珠がええがに動かんのじゃ」

「お兄ちゃん、一寸かわってみて」

 ハナは与作から取り上げると

「こんなもんはらくちんよ」

 ハナに苦労しながら手本通りに一通り教えると、瞬く間に習得してしまった。

「どしたんじゃ、何で簡単に分かったんじゃ」

「へへへ、其れはね、買いもんに行った時にお店のおじさんに、ちょっとずつ教えてもろうとったんよ」

「其れにね、和尚さんに貰った他の本にやり方が書いてあったんよ」

「どおりでか」

「うちはね、ほんもんの算盤が無いから頭の中と指先で動かしとったんよ」

 和尚様が算盤を二つくれたのも、とうの昔からハナの実力をお見通しだったのだ。

「お兄ちゃん、うちにも算盤をもろうたんね」

「そうじゃ、お前等で競争しながら鍛えてみぃと和尚さんがな」

「嬉しい!礼を言うといてね」

 暫くして一月もしない間に与作は

「こりゃ敵わんわ。ハナ先生、此れからはご指導の程宜しくお願い致します」

「へへへ、うちが先生か」

 互いに読み上げ算をやるのだが

「兄ちゃん、遅い、もっと速く!」

「待てや、ワシャ、付いて行かれん」

 与作と向かい合いながら、競争する様に読み上げ算を言い合い、凄い速度で珠を弾く様になっていった。

 ハナは朝から晩まで算盤を離さないのだ。何せ、和尚様から頂いた大切な大切な宝物なのだから。

 二人の精進のお陰で与作も相当に速いのだが、とてもじゃないが敵わない。

 とに角、もらった手本に忠実で確実に一段一段と駆け上がり、与作より一足先に頭の中でパチパチ珠を弾き出し、もう暗算の域に達していたのだ。

 志和地には五軒程の小さな雑貨屋、食料品店、衣料屋があった。

 其れらに、たまに母親や与作が買い物に行く時などは必ずハナが付いて来た。

 与作と一緒の時は、お経を唱えたり、孔子の論語を歩く道すがら口ずさみ、又、数字を読み上げながら互いに暗算しあうのだ。

 お店に一緒に買い物をしている時など一瞬で計算してしまう。

「おばちゃん、幾らね」

「一寸、待ってよ、私しゃ頭が悪いから手間が掛かるんよ。ええとね、ええとねぇ七十三文よ」

「違うよ、ハ十文よ。おばちゃん、七文の損よ」

「有り難うね、ハナちゃんは正直者だね」

 以降はどの店も行く度に商店主はハナに頼りきり

「ハナちゃん幾らになった」

 と聞くと

「五十二文よ」と即座に答える。

「有難う、二文負けとくよ」

 店が立て込んで忙しい時などは、他のお客さんの分までも勘定計算してあげていた。

 算盤などは一切使わず全て頭の中で瞬時に解答してしまう。

「ハナちゃんの頭はどうなっとるんじゃ」

「ほんま、凄いのう」

 居合わせた他の客から拍手が起こった。

 一緒に来ていた与作は帰りがけに

「ハナちゃん、ワシは算盤では絶対に勝てんよ、どしてそこ迄出来るんじゃ」

「和尚様から頂いた算盤で、何とか手本に書いてあるような暗算が出来んかと思うたんよ。出来る人が孔子の国の方にはおるんでしょ」

「それにしてもハナちゃん凄いなぁ」

「うちは此れが性に合うとるんよ、好きこそ物の上手なれと言うじゃない」

「生意気な、もう和尚様に習った諺を使いやがって」

「へへへ」

 本当に仲の良い兄妹であった。

 与作は専正寺の和尚様にも可愛いがられたが、更に其れ以前から、近所の下級武士の小さな住まいにハナと一緒に遊びに行っていた。自分の子供の様に可愛がって目を掛けてくれ色々な事を教えてもらっていた。

 お侍様は八幡山城の警備担当でもしているのか、一人者で全く質素な暮らしぶりで、少しの田畑が有り自分が食べる程しか収穫が無いで有ろう。

 そんな男の六畳二間の小さな住まいに、人懐っこい与作は何時も上がり込んでいる。

 今日がたまの休みの日であることを知っていて、オンボロ玄関戸を開けると

「おっちゃん、何しょうるんね」

「おお、与作か、まぁこっち来いや」

「丁度ええとこへ来たな」

「どしたんよ」

「ゆんべな、城で祝い事があってな、紅白饅頭を貰ろうて来たから全部持って帰ってもええで。ワシャ甘い物は苦手じゃ」

「えゝ!ほんま、有難う。うわ〜美味そうじゃ」

「与作、ワシは昨夜、遅そうまで飲んどったから二日酔いじゃ、昼迄寝とくでぇ」

「なんぼでも寝ときんさい。貰って帰るよ、有難う」

 早速、家に持って帰るとハナが飛び付いて来た。

「わぁい、饅頭じゃ!」

 数が多く有り全員が食べるのに充分であった。

 与作の家族は、何時も子供を可愛いがってくれるお侍さんの為に、小さな田畑の世話を殆ど見て上げていた。春先の田起こしから田植え草取り肥料やり、其れに稲刈りから秋の収穫迄もだ。おっちゃんは武士らしく無くて、百姓一家と全く気軽に付き合ってくれていた。

 昼過ぎに与作が外に出て見ると、目が覚めたのか畑に入って鍬を持って草取りをしているではないか。

「ハナちゃん、行こ、手伝っちゃろう」と小さな鍬を持って駆けつけた。

「おっちゃん、有難う」

「おっちゃん、饅頭、美味しかったよ、ハナも草を取るね」

「有難う、有難う、お前達は優しいのう」

 小さな畑だが、子供の手でも捗るものだ。

「おい!、与作、ハナちゃん。ワシの一日仕事があっと言う間に済んでしもうたで、どうしてくれる」

「ハハハ、猫の額程の広い畑じゃのう」

「与作よ、今日は天気がええけ鬼ヶ城の方へ釣りでも行ってみるか」

「行こ、行こ、道具はこの間揃えとったからね、ミミズを掘って来るよ」

 二人並んで釣り竿を肩になだらかな道を、おっちゃんは二日酔い冷ましがてら歩いていた。周りは田植えが済んで一段落し青々とした風景が広がっている。

 仲良く歩く様はまるで親子の様であった。

「おっちゃん、腰に差しとる竹筒は何ね、笛ね」

「こりゃな、吹き矢よ。後から見せてやるか」

 今日は何時もの二本差しではなく此れを腰にしている。

 家から小一里くらい歩いて、やがて川幅も狭まり岩場の険しい渓流釣りの場所に到着した。

「与作よ、ここら辺で始めるか」

「よし、どっちが大きいのをぎょうさん釣るか競争じゃ、負けんよ」

 此の場所では山女魚がよく釣れ、塩焼きにすると非常に美味しいのだ。

 おっちゃんは自分で料理をするのが苦手で、ちょくちょく与作の家に来ては、調理をして貰っていた。その礼に皆んなが食べれる程、多くの魚や他の材料を買って来てくれるのだ。

 夫々、離れた急流の岩場に釣り糸を投げていたら

「与作、一寸、来てみ」

「どしたん」

「今から丁度ええもんを見しちゃろう」

 与作は言われて釣り竿を岩場の隙間に差し込んで呼ばれた方に近寄った。

「今から吹き矢の使い方を教えちゃろう」

 急な足場を少し登った処に松の木が有る。

「静かにしとれよ。あの高い木の上に雀が止まっとろうが」

「うん、おるおる」

 足音を忍ばせて斜め下に来た。袋から矢を取り出し竹筒の中に差し込んだ。

「よう見とれよ」

 そして身体を固定し、筒先がぶれ無い様に松の木の又に筒を置き口を当てて狙いを定めた。

 プッと一瞬音がした。すると雀に命中し落ちて来た。

「凄い!おっちゃん凄い!」

「ざっとこんなもんよ」

「教えて!与作にも教えてよ。おっちゃん、此れ何流」

「何ぃ、こんなもんに流派なんかありゃせんよ。しいて言うなら無手勝流かのう」

「やっぱり有るじゃないか」

「帰ったら吹き矢の作り方から伝授しちゃるよ」

「有難うね、是非共よ」

「そりゃえゝが与作よ、今度、三次に行く用事が有る時に一緒に付いて来んか」

「行く行く、連れてって」

 釣り糸を垂れながら、おっちゃんと与作は釣りそっち除けで雑談にふけっている。

「おい、ごちゃごちゃ話しばっかりしとったが、ちったぁ釣れたか。賑やかにしとるから魚が逃げてしもうたで」

「そうじゃね、今日は引き分けじゃ」

「帰るとするか」

 釣果の無いまま二人は鬼ヶ城を後にした。

 其れ以降、与作は三次に行くのを約束して以来、丁稚奉公に上がる迄に何十回と同行したで有ろうか。 二人共、健脚なので比叡尾山城や代官所、其れに各商店の有る町中で用事を済ませて往復するなど、二人にとっては、一日中の行程で有り楽に済ませてしまうのだ。

 小さな八幡山城には、さしたる数の城勤めの侍は居ないので有ろう。

 三次の町中に、使いに走らせる人員が足り無かったのではないのか。

 其処で与作ならと目を付けたので有ろう。その当時は与作はまだ子供で、城の事情を知る由も無かった。 

 おっちゃんが城主の弟で三男坊で有る事が分かったのは、ずっと後の事である。多分、一人二役も三役もこなしていたので有ろう。

 其処へ、与作は何も文句も言わず喜んで遠い処へも付き合ってくれるので、全く渡りに船だったのである。

 とに角、与作が居てくれると重宝するのだ。

 三次の町に出掛けて行った時は、おっちゃんは必ず代官所に立ち寄り色々な打ち合わせが有るのであろう、結構時間が掛かった。何の用事か子供の与作にとってお侍さんのする事は一切、分からない。ただ与作は仕事を任せられている事だけが嬉しいのだ。

 其の間に与作は、八幡山城で必要な事務用品、什器備の品を書いた紙を持って各店を回って仕入れ、小さなビクを背負いながら、其の中に買った物を入れている。

 其れに時には一段と遠い畠敷の比叡尾山城におっちゃんが一人で駆けて行く事もあった。その時は一日中をかける時間を要していた。何もかもやっていれば、とても一日中走っても間に合わないで有ろう。

 こんな時にも、与作は一緒に帰るまでの間を退屈する事も無く、巴橋の河原に下りて写生をしたり、川面を泳ぐ鵜の動きを観察していた。此れは後に三次の馬洗川で始めた鵜飼という鮎取りを始めるきっかけになったのである。

 とに角、おっちゃんの手足となって動いてくれるので非常に助かった。

 一緒に出掛けて行く最初の頃、与作は、全く読み書きが出来ず、相手の商店に書き付けを渡して読んで貰っていた。だが回を重ねる毎に其れも解消され最後の頃になると、使いの報告書は恐ろしいほど几帳面に整理して書かれ、其れもお手本に有る様な綺麗な字で記載されており、此れは同時期に和尚様から受けた教育の賜物で有った。

 与作が一通り役目を済ませると後は楽しい昼飯だ。おっちゃんは何時も駄賃に昼飯代をくれる。一銭飯屋で

 は多くのおかずが並んでおり、普段に家で食べた事の無い物が食べれるのだ。

 三次の町に出て来る度に決まって太田食堂に立ち寄るのだ。

 最初に店に入った時、小さな子供が来たので店主も訝った。だがそのうち何度も訪れるので話す様になりだした。朝早くに志和地から出て来て買い物を済ませ、此れから夕方に掛けて帰ると言う。

 其れからは、毎度の様に無料で帰りのむすびを包んで持たせてくれた。

「おっちゃん、有難う」

「何の、何の、こまいのに大きなビクを背負うてご苦労じゃのう。気を付けて帰れよ」

「何時も志和地の城のお侍様と一緒に来て、三吉のお殿様の城や代官所で用事をしている間に買い物して回るんじゃ」

 与作は子供心にも店主の親切が身に染みて嬉しかった。

 そして飯代を払ってもまだ十分に余るので、駄菓子屋に立ち寄って親兄妹に饅頭や菓子まで買って帰れる。家族の喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。

 さらに少し余ると、ハナに小遣いをやり自分も貯金をしていた。

 時には、ハナは与作が三次から帰って来るのが待ちきれず、一人で歩いて半里程ある峠の上に迎えに来る事が度々あった。てっぺんから見ていると遠くから、おっちゃんと与作がビクを背負いながら坂を登って来るのが分かるのだ。

「おっちゃ~ん、お兄ちゃ~ん」

「おう、ハナちゃんが迎えに来とるでぇ」

 一気に坂を駆け下りて来た。すぐにお土産を抱えて嬉しそうに小走りに駆けて行く。

 一度だけこう云う事も有った。五月晴れの穏やかな日に迎えに来ていた。だが帰りが何時もより一刻ほど遅くなってしまい、待ちくたびれたハナは、峠に有る小さな草葺き屋根の下で眠り込んでしまった。小さな娘が、赤い鼻緒のわら草履を履いたままで有る。幸い悪い人間に合わなかったから良いようなものの、おっちゃんや与作は見つけてたまげていた。

 この青河峠は見通しも良く、上と下に直ぐ人家が有り、山賊が出没する場所ではないがやはり心配なものだ。

 其れ以降は二度と来させない様にしていた。

 時には、おっちゃんは八幡山城で使う馬を購入に、二十日に一度、馬洗川の土手下の河原で開かれる家畜市場に出向く事も有った。その為に、与作に一緒に来てもらおうと乗り方を教えてやろうと家の前に馬を連れて来た。

「ごめんくださいよ」

 おっちゃんの一声に、母親が何事かと戸を開けて出て来た。その途端

「うあー!」

 と驚きの声を発した。

 直ぐ目の前に大きな馬が二頭がいるではないか。

「すまんすまん、びっくりさせて」

「上里様、たまげた〜」

 其処へ与作とハナが出て来た。

「おっちゃんどしたんね」

「ハハハ、与作よ、今度、馬を仕入れに松原の家畜市場に行くんじゃが付き合うてくれんかのう」

「えぇ〜、でも馬に乗ったこたぁ無いよ」

「大丈夫じゃ、今から教えちゃるから付いて来んか。板木の方へ行ってみようや」

「分かった、ハナちゃん行って来るよ」

「兄ちゃん、落ちんようにね」

 この時代になると農耕する為の牛馬を全国各地で取り入れて、農業仕事の効率化を図る様になり出していた。然し、田畑の少ない貧しい農家では夢の又、夢で有った。ただ人手の数だけで米の収穫作業をする為に、何時迄も辛くてきつい百姓達で有った。

 今度、購入に行こうとする馬は、主に軍事馬や早馬として活用する為のものだ。馬といえば通常武士が乗るものであり、町人百姓が乗る事は到底有り得なかった。

 家の前から馬の手綱を引いて板木川沿を歩いて上った。毎度よく行く渓流釣りで通る道だ。やがて人家が見えなくなった辺り迄やって来た。

「与作よ、ここらへんからボチボチやるで」

「ほんまに乗れるんね。ワシャ心配じゃ」

「大丈夫、大丈夫、与作の運動神経なら、難無くこなせるよ」

「先ずな、馬に乗る心得として一番大切なものは何か分かるか」

「さぁ~、全然知らん」

「馬に対する愛情じゃ。とに角、此れが大切なのよ。其れに依ってお互いの信頼関係が生まれるんじゃ、常に優しい心で接しちゃれ。そうすると必ず応えてくれる」

「其れから手綱さばきじゃ」

「乗るのはなんちゅう名前ね」

「八助よ。与作、ビクビクするな、堂々としとれ」

 小さな与作は見上げる様に馬の顔を見つめながら

「八助、宜しく頼むな」

 と言うと、おっちゃんが高い鞍の上に、抱え挙げてくれた。

「ワァ、たかぁ」

「大丈夫、大丈夫、与作なら十分やれる。乗ったら先ずたてがみを撫ぜちゃれよ、此処が馬の一番敏感なとこじゃ」

 言われた与作は其れをやると八助は応えてくれ「ヒヒ~ン」といなないた。

「よし、今からゆっくり行くぞ」

 こうしてゆっくり進みながら手綱の引き方、鞭の使い方まで並行して走りながら教えてくれた。

「常に優しい声を掛けちゃれよ」

 運動神経抜群の与作の事、帰りにはおっちゃんの後を早駆けして付いて来る程になっていた。

 

 又、この頃から後に掛けて、与作は百姓仕事の手伝い以外に毎日色んな事に取り組む様になり出した。

 おっちゃんに教えて貰った吹き矢の製作から使い方を自分だけの山の中の城で練習していた。さらに一番集中したのは剣術の鍛錬で有った。

 日頃、おっちゃんが庭先で木刀の素振りや真剣での居合い、立ち回り稽古を何時も縁側に座って眺めていた与作は、常に自分がやっているつもりで、身振り手振りしながら頭の中に叩き込んでいた。

 其れを山中に入り、そっくり真似をしながら反復練習をしていたのだ。

 刀など有る訳もなく、自分で樫の木を削り小刀の長さに作り、常におっちゃんの倍以上は繰り返していた。

 だが、さすがに剣術だけは手ほどきを受けたいとは言えなかった。与作は所詮百姓の倅で必要の無い事なのだ。身分が違い過ぎる。

 然し、何か有った時に護身に役立てればと軽い気持ちで始めた事だった。

 だが、ここでも道を極めなければおれない凝り性という病を発症してしまった。

 大小二本差しが叶わずとも、せめて小刀なりともと。

 一度だけ与作は父親に厳しく怒られた事が有る。

「与作、お前は、よう棒切れを振り回して剣術の稽古みたいな事をしとるが絶対に辞めえよ。なんぼう、おっちゃんが可愛いがってくれる云うても相手はお侍様だぞ。所詮、身分が違い過ぎるんじゃ」

 以来、内緒で暇を見つけては山中に入って自分の城で練習を繰り返していたので有る。

 専正寺の和尚様に趣味を聞かれた時、笑ってごまかし答えなかったのは、此れらをやっていたからだった。

 何を見込んで百姓の子を重宝する様になったか、子供の与作に理由など分かる筈がない。

 片方が侍で有り、与作は百姓の倅で身分の違いが有り過ぎる。おっちゃんは城まで来いと言ってくれたが絶対に上がる事は無かった。特に父親は承知しなかった。

 三次の町から買って帰って来た物はおっちゃんの家か、城に上がる麓の階段の下に小屋が有り、其処へ何時も置いて帰っていた。其の後は門番らしき人が引き取りに来ていた。

 其れから与作も段々と成長し、何時の間にか世間並みの元服年齢を優に超えていた。

 其の頃になると与作は、専正寺にとっては小僧さん処か剃髪し法事、法要、葬儀が有る度に御院家さんの伴僧で付き従う様になっていた。和尚様や奥様が具合が悪い時や所用が有る時などは他の寺の援軍に迄駆け付けていたのだ。

 そうした時、部落の常会が庄屋の山田屋さん宅で有った。十五、六軒の農家、小作人が集まり村の相談事で話し合いをしていた。其れが済むと、日頃、仲の良い庄屋と与作の父親が何時もの様に一杯飲みながら、長話しを始め出した。

「奥さん、何時も何時も遅うから迷惑を掛けて済みませんのう」

「ええですよ、うちのも毎度楽しみにしとりますから」

「ゆっくり付き合うてやって下さい」

「有難うございます」

「処でな、親父さん、又、今年も年貢米の供出の手伝いをして貰えんかのう」

「あぁ、ええですよ、毎年の事じゃ」

「そりゃええが、互いに歳を重ねようるが大丈夫か」

「何の、まだまだ一俵は楽にさげるで、じゃが来年は分からんですよ」

「ハハハ、来年の事を言や鬼が笑うわ」

 差しつ差されつご機嫌で飲んでいる時、庄屋さんに与作の事で話しを持ち掛けた。

「じつは、うちの与作の事なんですがのう。ボチボチ独り立ちせにゃいけん歳になりましてな」

「ほう、もうそういう歳になったんか。早いのう」

「何時も、うちの前の道を、よう城の三男坊と三次へ往復しとったのう。最近は馬で行き帰りをしとるのを見たで」

「百姓の倅が、城の侍と並んで馬に乗るなんざ考えられん事で。それも城主の弟とじゃ」

「そりゃそうと、最近は専正寺の伴僧をしとる様じゃが辞めてもええんか」

「この間も、うちの親戚の葬儀にも来とったで」

「其処なんですよ。住職さんは、何時迄もうちで引っ張っとったら、与作の将来の為にならん。ワシも妻も寂しい思いをするが、可愛い息子の旅立ちじゃと思うて気持ち良く送り出してやりたいと言うてくれたんですが」

「よし、分かった、何れ此処らで決断せにゃいけんじゃろう」

「此の近くにはないが三次の町なら何とかなるでぇ」

「いやいや、何処でもええですよ」

「じゃが、今迄の百姓の倅と云う事でええ処は忽ち無いで」

「構いません。丁稚奉公からでも一からやらせますから」

「よしゃ、分かった。早速当たって見ちゃるわ」

「処で親父さんは知っとるかいのう」

「何の事でしょう」

「与作の事じゃ。あの男はとんでも無い才能の持ち主じゃと、お寺さんが言うとるのよ」

「嘘でしょう、ワシ等夫婦にそんな子供ができる訳が有りませんわ、ハハハ」

「冗談じゃ有りゃせんよ。色々勉強を教えてやったが、そんなに長い年月じゃ無いのに、今じゃ教える事がのうなってしもうたと住職が言うとるのよ」

「じゃから葬儀で読経をしとっても伴僧の方が目立っとった。御文章など一切使わずに最後迄お勤めをしとるのよ。ワシも見とったで」

 其れに算盤も凄い腕前らしいんじゃ、もっとも算盤ではハナちゃんにはかなわんらしいよ」

「何せ、実際に珠を弾かずに全部頭の中でパチパチ計算するらしいんじゃ。其れも物凄い速いのよ」

「何じゃ其れは」

「此れは、お隣りの明の国では暗算と云うんじゃ」

「類い稀なる才能よ」

「そういゃあ、ワシの倅達も算盤はよう出来とったな」

「そりゃ凄いじゃないですか」

「兄弟二人が廊下でな、算盤の上に足を乗せて滑っとったわ。其のうち珠がバラバラに弾けてしもうてな」

「いっぺんも計算に使うた事は無かったな、ほんまアホよ」

「ハハハハ」

「へへへ」

「おお、そうじゃた、親父さんよ」

「何でしょうか」

「ハナちゃんの事じゃがな、今度から、うちの庄屋仕事から村の行事の計算事迄、やって貰える様に頼んでくれんかのう。うちの嫁はどうにもそう云う事が苦手でのう、とんと埒が明かんのよ、ワシは全く出来んし」

 其処へ奥様が熱燗を持って入って来た。

「見て見いや、女房も計算がよう出来ん云うて、神経衰弱になってしもうて頭が白うなっとろうが」

「何を言うてるんですか、此れは歳のせいですよ」

 と笑いながら

「此処へおってもいいですか」

 と座り込んだ。

「でも、まだハナは若いし読み書きが、ろくすっぽう出来んでしょうが」

「う〜ん、何も知らんのは親ばかりじゃのう」

「お寺さんから教わったのを、与作がハナちゃんにみんな叩き込んどる。読めない字なんか有りゃせんよ」

「ちゃんと、給金を払うちゃるよ」

「私からもお願いです。今度、挨拶に行ってもいいですか」

「使いものになりますかね」

「親父さんはほんま井の中の蛙じゃのう。村中の者は皆知っとるで。店に買い物に行っても瞬時に暗算しょうるのよ。これこそ天才で」

「こっちの方は大丈夫ですよ、要領は私が教えて上げますから」

「有難うございます。きっとハナも喜ぶことでしょうよ」

 其れから三日後に庄屋さん自らが家に訪ねて来てくれた。与作は専正寺の用事で、ハナは志賀神社の秋祭りの巫女の舞の練習で出掛けていた。

「庄屋さん、わざわざお越し頂きまして誠に有難うございます」

 母親がおいこを背負って野良へ草取りに出掛ける処であった。

「忙しいのにすまなんだな」

「とんでもない、お父さんは其処で石垣を積んどりますから一寸呼んで来ます」

 おいこを下ろすと母親は前の田んぼに大声で叫んだ。

「お父〜さん、庄屋さんが来られましたよ」

 其れに気づいて帰って来た。

「いゃあ、庄屋さん、この間は有難うございました」

「何の、何の、与作の事で来たんじゃが肝心の本人が居らんのう」

「はぁ、お寺さんの用事じゃ言うとりましたが」

「其れならええんじゃが、与作の事で奉公先を一応決めて来たで。明日にも与作と親父さんが挨拶がてら顔を覗かせてやってくれんかのう。三次の薬種問屋の浅田屋じゃ。主人夫婦には話しを付けて有るからな」

「ほいじゃが、浅田屋では丁稚奉公からじゃで、ええんか」

「とんでもない、与作には此れが一番いい事なんです」

「与作の頭の良さならすぐに出世するじゃろうて。浅田屋の主人も代々養子でな、今の男は実は百姓の倅で確か四男坊じゃったが、うちの小作人だったのよ。辛抱して認められて潜り込みおったわ、此奴は貧乏で全く学問はしとらんかったが偉ろうなったもんよ」

「ワシは与作の事をな、百姓の倅で無学文盲のアホじゃが、人間だけは誠実で真面目で正直者の将来伸びる、鍛えがいの有る男じゃと云うとる、後は本人次第じゃ」

「有難うございます。全くその通りです。なまじっか学問が出来ると調子に乗せてはいけません。一から何もかも勉強 させんと、其れに何も出世せんでもええですから、少しでも皆んなに好かれ、世の中に役に立つ人間になってくれるのが一番です」

「そりゃええがのう、ワシは浅田屋にとんでもない事を言ってしもうとるかも知れんのよ」

「そりゃ何事ですか」

「ワシは今年の米の作柄状況と年貢を納める石高に付いて報告に比叡尾山城に行って来たんよ。其の帰りに浅田屋に与作の事を頼みに寄ったんじゃ。浅田屋にしてみればワシは上得意の筈じゃ。其れに先代からの事も有るしのう」

「奥座敷に上げて貰ろうてな、段々酒が進み出して気が大きゅうなってな、多分、浅田屋に無理難題を仕掛けたんじゃないんかのう。はっきりは覚えとらんのよ」

「親父さんの百姓仕事の人手の事を思うて、こっちから通わせいとか、十日に一日は休ませとか言うた様な気がするんじゃ」

「まぁ、面接に行った時、よう聞いてみてくれえゃ」

「最後にワシャ完全に酔うて寝てしもうてのう。帰りに駕籠を仕立てて貰うたよ」

 次の日、与作は父親と一緒に手土産を持って浅田屋を訪ねた。朝も暗いうちに出発した。

 与作であれば小走りに駆けて行くのだが、何せ連れは歳でゆっくりと休み休みである。青河に抜ける垰の坂道ではこりゃ先が思いやられると、一日駆けて往復するかとの気になっていた。

 だが垰から船所に掛けてはなだらかな下りで、かなり早く歩ける様に振りが付いている。

「大丈夫か、無理せんでもええよ。いけにゃワシ一人で行ってもええよ」

「いいや、今日はお前の晴れの門出の日じゃ、絶対に行くで」

「有難う」

 店先にようやく到着したのは己の下刻、見知った顔が何人もいる。専正寺やおっちゃんの使いで、何度も店の前を通ったり直接 薬を買い求めに店の中に入っていたが、ご主人夫婦には直接面識はなかった。二人で玄関を入ると

「いらっしゃいませ」

 の声が響いた。すると何時もの様に番頭らしき者が出て来て

「毎度有難うございます。よくお越し頂きました」

「一寸、すみません、今日はお客じゃ無いんです。面接に来ました」

「何じゃ、今度入る予定の丁稚か」

 と途端に態度が変わった。親父と一緒にいるのにこの態度で有る。

「こっちへ来いや、今、ご主人を呼んで来るから」

 早速、店の奥まった部屋に入り暫くすると主人夫婦が出て来た。面接の為に軽く挨拶を済ませた。

「この度は息子の与作の事でお邪魔させて頂きました。何卒よろしくお願い致します」

 と親子二人は頭を下げ御礼の物を風呂敷包ごと手渡した。

「何の何の、こちらこそよろしく」

「処で庄屋の山田屋さんの紹介だが、誠実で真面目な性格じゃと聞いとるが、辛い事もぎょうさん有ると思うが勤まるかのう」

「毎日、志和地から駆けて来ると聞いとるが大丈夫か。うちは夕方遅うまで仕事か有るでぇ」

「はい、体力には自信が有ります。でも今日は疲れました」

「おい、おい、 そんなこっちゃ駄目じゃないか」

「いいえ、私では有りません。今日、親父と一緒に歩いて来ましたが、まともに帰れるかどうか気の毒で気苦労しております」

「優しい奴じゃのう」

「分かった。決めた、明日は気の毒じゃからから三、四日後からでもええから来てくれるか。母さんもええな」

「私も何の異存も有りませんよ」

「有難うございます。今後共しっかり怒って指導してやって下さい」

「宜しゅう頼むぞ」

「はい、お店の為に貢献出来る様に一生懸命頑張ります」

「処でな、ワシも女房も全然知らんかったんじゃが、さっき番頭が言うのには与作は、今迄に何度もうちの店に来てくれて、其れも大量の薬を買うて貰ろうとったらしいのう」

「何時も、八幡山城の受け取りや、志和地の近在の寺々の名で発行しとった様じゃが、与作は其れ等とどんな関係が有るんじゃ」

「エヘヘ ~ 」

「与作は坊主頭じゃ寺へでもおったんか」

 再度、ニコニコと笑ってごまかし何も答えなかった。

 こうして与作の丁稚奉公人生が始まったので有る。

 帰りの道すがら父親は

「お前と並んで歩くなんぞ、此れが人生、生まれて初めての最後ではないか」

「うん、そうじゃ。婆ちゃん子じゃったからね。でも今日は有難う、今迄長い事お世話になりました」

「よかったのう」

 肩を並べて歩く父親の横顔をチラッと見ると目に一杯涙を溜めていた。照れくさいのか話しをそらし

「オウ、そりええが腹が減ったのう。どっかで飯を食うて帰ろうや」

「ウン、そんなら何時もおっちゃんと来とってお世話になっとった一膳飯屋に寄って行こうや。直ぐ近くじゃ」

 飯時の忙しさが済んで一段落を終えた中にはいると

「いらっしゃい、おやまぁ」

「何時もお世話になり有難う御座います」

「何の何の、そりゃええが今日はとしたんじゃ二人連れで」

「オヤジさん、今度、浅田屋さんで採用が決まったんですよ」

「ほうか、それで挨拶に来たんか」

「そうです」

「お目出度うさん。お父さんよかったですね」

「有り難う御座います。その節は大変息子がお世話になりました」

「何の、こちらこそ」

「まぁゆっくりしていって下さいや。料理は好きな物をとって下さいよ」

 親父はおかずが一杯並んでいる飯屋などで生まれて此の方食べた事がない。

「与作よ、考えてみりゃお前は何時も、こうしてええもんを食わして貰うとったんじゃな」

「へへへェ」

「そりゃそうじゃろうて、何せ八幡山城のお殿様の弟君と一緒じゃったからな」

「ええ!おっちゃんはそんなに偉い人じゃったんか」

「知らんかったんかい。お前もお目出度いやつじゃな」

 厨房の中では親子の話しを聞きながらニコニコ笑っている。

 ご機嫌で食事を終えて、親父か勘定を払おうと立ち上がった。すると店主はピシャリと

「いりません。此れはワシからのお祝いです」

 と言い更に包を持たせてくれた。

「親父さん!」

 与作は今迄にお世話になって懇意にしてもらった事に涙が溢れた。

「浅田屋で落ち着いたら又寄せて下さい」

「あぁ、何時でも遊びに来て下さいや」

 食事には大満足であったが次の関門が待っている。

「然し、ワシは何時以来かのう。久し振りに志和地から二里半歩いて来たが、帰ろうと思うと気が遠うなる様なが与作は毎日出来るんか」

「ああ、全然平気よ」

「そうよなぁ、お前は小さい頃から専正寺さんや、八幡山城主の弟の三男坊さんから可愛いがられて三次迄何度も往き来しとったからな」

「其れとな、今じゃから言うがのう、お寺さんから何時も読み書き算盤と学問を学んだが、もうワシの教える事がのうなったと言うとった。お前は類稀なる才能が有ると褒めてくれたよ。寺の大庭の砂絵もお前が始めたらしいのう」

「だが、決して天狗になるなよ」

「庄屋さんが浅田屋さんに紹介する時にはな、与作は百姓の倅で無学文盲と云う事にしてくれとるからな。此れから一から教わって、正直で真面目で何時迄も謙虚な人間になってくれるか。其れがワシからの唯一の望みよ」

「分かったよ、何時迄も肝に銘じておくよ」

 今日、二人で行った浅田屋は三次盆地の中にあり三つの川が寄せ集まる平地の町中にあった。程近くには三次代官所が有り、代官屋敷から武士が住む多くの武家屋敷が並んでいた。約四百年は続く代々三吉氏の比叡尾山城は此処より東に行った畠敷の急斜面を登った山の上にある。

 本来であれば城の下あたりに住まいが密集して城下町を形成するのである。だがこの城は難攻不落と言われ人を寄せ付けないものがあった。

 その点、生活するのに三次の町は便利が良かった。四方八方の街道筋が集まリ、何本もの川が寄せ集まる為に川舟を利用した漁業、荷物運搬便と交通の結節点で有り三次の町は地の利が良かったのである。一般平民の生活に密着する様に代官所、番屋のお役所が町の真ん中にあった。

 そもそも三次とは日本列島誕生以来地形が変わらず、中国山地の奥深く、盆地の中に馬洗川、西城川、江の川が三つ巴状に集まり、古くは古墳時代から気候も比較的温暖で、農耕をするにも人間が住むのに適していた。周りの丘陵地には多くの遺跡が残されている。

 然しながら、十二世紀の頃、藤原氏の末裔の兼範が近江国から下向し、この地に入って来た頃は名だたる豪族も住んでおらず、小さな集落があった程度である。

 何故にも都から遠く離れて住まう事になったのかは定かではない。

 この当時、息子の兼宗が三吉大夫と称して三吉氏の初代当主となった。

 其れが備後国の国人領主して成長、三吉家代々四百年に渡り、大きな変遷も無く時代とともに人口も増え町並みを形成してしていったのである。然し、所詮は中国山地の山奥だ。

 藤原氏族といえば、日本の飛鳥時代、鎌足を始祖とし長きに渡り栄耀栄華を極め、つとに有名な平安時代の藤原道長の句に

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたるをも  なしと思えば」

 の歌を詠んでいる。

 三次を(みよし)と不思議な読み方だが、更に出雲国に有る木次は(きすき)と呼び変わっている。

 此れは出雲神話の大国主命の時代に出て来る地名だ。果たして三次の地も赤穴峠を越えれば出雲国で大社に近い。いわば奥座敷の様なものだ。比熊山の麓には、やはり大社近くから建立された太歳神社が存在する。其処は清き流れの水の里が見渡せる。これが水良しと呼ばれ、何時の間にかみよしと云われたものと思われる。奥座敷といえば、三次から東に程近い距離に西城という所がある。其処には比婆山が存在し中腹には熊野神社が有り創建不詳とある。

 日本の神々を生んだとされる、伊邪那美命(いざなみのみこと)が葬られている比婆山を遥拝する神社なのだ。  

 こうしてみると、三次の名の云われも、日本古来の神話の世界から名付けられたと思っても何ら不思議ではないだろう。

 翌朝、正午前に庄屋さん夫婦が家に訪ねて来た。与作は最後のお寺さんのお勤めで法要に出掛けていた。夫婦は近くの田んぼの畦の草刈りをしており、丁度、其の時にはハナしかおらす昼飯の用意をしていた。

「御免下さいよ、誰か居られますか」

 と玄関で声がする。呼ばれてハナが手を休めて表に出ると、大きな風呂敷包みを持ってニコニコしながら奥様が立っている。

「あっ、奥様いらっしゃいませ。旦那様もようこそ」

「今、両親は野良に出掛けております、すぐ呼んで参りましょうか」

「ええから、ハナちゃん一寸、話しを聞いてくれる」

「はい」

「この間、お父さんに話しはしていたんですけどね、ハナちゃんの算盤の腕を貸して貰えない」

「えぇ、本当にいいんですか。 でも私は実践した事が無くて出来るでしょうか」

「大丈夫じゃ、頼りないが女房が付いとる」 

 と旦那さんの横車に

「其れは余分でしょうよ」

 と奥様は笑いながら

「要領は教えてあげるからすぐに分かりますよ」

「有難うございます。宜しくお願い致します」

「よしゃ、話しは決まった。此れから祝いじゃ、呼んで来てくれるか」

 と言うと庄屋さん夫婦は勝手に座敷に上がり込み、包みを開けて重箱を並べだした。

「そりゃえゝが、ハナちゃん一寸見ん間にええ娘さんになったのう」

「礼儀正しくて、綺麗になってますよ」

 そこへ、ハナが両親を連れて帰って来た。

「庄屋さん、いらっしゃい、この間はお世話になりました」

 挨拶をしながら家の中に入って見ると宴席が有るでないか。

「なんじゃこりゃ、庄屋さんどしたんですか」

「奥様、此れは何ですか」

「おう、今日は目出度い日でのう。与作もハナちゃんも勤めが決まった事で祝いの席にしょうと思うて作って来たんよ」

「ひゃあ、うちは昼飯は丸干しに漬物だったんですよ、庄屋さん、こんなにご馳走食わして貰うたら罰が当たりますよ」

「えゝから、えゝから昼から仕事はせんで、たまにゃ骨休みでもしんさいや」 

「ハナちゃんよ、熱燗でもつけてくれるか」

「はい、今すぐに」

 ハナは仕事の世話までしてもらい嬉しくて堪らない。更に旨いものには目がない娘だ。こんなご馳走は生まれて初めてで、自宅の座敷に並らぶなど考えもしなかったのだ。其れに大好きな饅頭も有るではないか。しっかりしている様でもまだまだ子供なのだ。

「まぁ、座りんさいよ。皆んなで楽しゅうやろうじゃないか。ハハハ、他所の家に上がり込んで威張る事じゃないか」

「処でお婆さんはどしたんじゃ」

「はい、先程、昼前から与作と一緒に寺に法話を聞きに出掛けました。其れから岡城の方の法事に、与作は行くと云うとりました」

「専正寺さんも気の毒じゃのう、与作がおらんようになったら、年寄り夫婦だけじゃで」

「ワシ等も其れを気にしとるんですわ。まさか、与作がそこまでお寺さんに貢献しておったとは、あいつは一切うちの中では喋らんのですわ」

「お互いにおんぶに抱っこの関係じゃなかったんかのう」

「百姓の倅が、ほんまに、タダで学問を教えてもらい、更に算盤に至っては、ハナにまでお陰があって庄屋さんに雇われる程になりました」

「親のワシが、そのまま知らんぷりじゃったら罰が当たりますわ」

「そんなこたぁないが、此れも親父さんと奥さんの人柄の為せる技よ」

「有り難うございます。でも与作の何分の一も出来んでしょうが、暇を見つけては、寺の役に立つ事をして上げたいと思うとります」

「お寺さんも喜ぶで」

 結局、此の日も宴会の終わる迄に、与作は帰宅する事は無かった。和尚に代わって、出向いた家でお呼ばれになっているので有ろう。

「親父さん、奥さん、今日は与作の晴れの日の見送りが出来んかったがのう、此れからの長い人生、暖かく見守ってやろうじゃないか。ワシらも陰ながら応援してやるつもりじゃ。奴なら必ず世間の役に立てる人間なれる男じゃ」

「有り難う御座います。与作もきっと心強いと思います」

「其れとなぁ、ハナちゃん。此れから嫁入り迄か、其の後も引っ張るかも分からんが、村の為にも宜しゅう頼むよ」

「こちらこそ、宜しくお願い致します」

 翌朝、与作は長い様で短かい間、お世話になった専正寺へ最後の挨拶にやって来た。

 子供の頃から何時も付いて来たお婆さんと一緒だ。

「与作よ」

「なんじゃ、ばあちゃん」

「お前とこうして出掛けるのも此れが最後になるかもしれんのう」

「何を言うとるんじゃ、まだまだ長生きしてよ」

「ワシは、ばあちゃん子でいつも側におったよな。お陰でお寺さんが好きになり、和尚様を引き合わせてくれ、可愛いがって貰い学問を教わったよ。其れに、何時でも人の為になる人間になれ、常に感謝の気持ち持ちなさいと言ってくれた、おばあちゃんの志をワシは引き継いでいくよ。心の中には二人の仏様が居るようなもんじゃ」

「有難うな、嬉しいよ」

 かなりの高齢で八十は超えていたので足腰が弱っており与作が背負って来た。

「此れは此れは、お婆さん、ようおいでなさいました。さあどうぞ」

 と庫裏の方に案内してくれた。

「和尚様、孫が長い間お世話になり有難う御座いました」

「とんでもない、こちらこそ、与作には長い事奉仕をして頂きました」

「ワシも女房も本当に感謝の気持ちで一杯で御座います」

「孫は今度から三次へ丁稚奉公に上がる事になりました」

「其れは又、よかったですね。お目出とう御座います」

「私は今度、三次の薬種問屋の浅田屋に採用されました」

「浅田屋さん云うたら与作に三度ぐらいじゃったか、近在の寺の分をまとめて薬を買いに行って貰ったよな」

「あこは三次一番の分限者でぇ」

「其れでは住み込みで寂しゅうなるな」

「いえ、二里半の道を駆けて行きます」

「毎朝晩か、与作本気か」

 和尚様は笑いながら

「気違い沙汰か、其れは冗談じゃが、う~ん」

「でも与作の力が有れば何事も成し遂げるで有ろうよ」

「与作と付き合うた短い期間に、ワシの教える事が何も無くなった。何れ其の類い稀なる才能が開花する時が必ず来る。其れにな、近い将来、必ず立派な師匠に巡り会えるで有ろうよ。保証する!ワシには見えるよ」

「じゃが世の中は広いよ。学ぶ事は幾らでも有る、それを吸収して世間の為に役立つ人間になってくれ。身分など関係無い、与作になら必ず出来る」

 和尚様の話しを聞いていたお婆さんは感極まって

「和尚様、奥様、有難いはなむけの言葉誠に有難う御座います。与作、よう聞いたか、和尚様の言葉を何時迄も忘れず立派な人間になっておくれ」

「和尚様、奥様本当に有り難う御座いました。此れからの長い人生を無駄の無いようにし、人様の役に立てる様に頑張って行きます」

 別れ際に奥様が

「与作さん、長い間、専正寺の為に尽くしてくれましたね。此れはささやかながら気持ちで御座います」

 といいながら餞別をくれたのである。

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