第10話 帝国
ドラゴン、鋭く睨む者が魔王、和也と共に草原に赴く数日前。
廃坑のある村よりずっとずっと東。
人類の領域、40年前魔物から勝ち取った安全圏。
人類最初の国家にして、唯一の超大国。
ヴィセア帝国、にて。
「辺境伯、アークライト・シーザー。国境警備任務に関する報告に参上した」
ヴィセア帝国と魔物達の境界線、人類圏大陸を東と西に真っ二つに割るラインは、通称安全線と呼ばれていた。
安全線の中央、帝国の真西にある紅龍山では悪名高き龍が住み睨みを利かし、人類が隙を見せれば何時でも襲ってくるだろう。
しかし、それを阻止し魔物を水際で塞き止める役目を負っているのがこの男、辺境伯アークライト・シーザーであった。
40年前の人魔戦争時、名も無き傭兵に過ぎなかった彼は勇者と轡を並べ戦場を駆け数々の武功を打ち立てて今の地位に登り詰めた。
帝国建国、そして人類存続の立役者である。
かつて魔物が恐れた姿より、40年も経てば流石に老けているが未だ現役、安全線を守り続けてきた。
60歳を迎えた彼は白髪をオールバックで束ね、年老いた分鋭く深くなった眼光は味方には安心を、魔物には恐怖を撒き散らす。
豪奢な装飾は好まず、勇者より受け継いだ白銀の鎧を常に身に付けていた。
「お待ちしておりました、アークライト辺境伯様。謁見のご用意は整っております」
「うむ」
重厚な扉を開き、皇帝の座する玉座の前に跪く。
勇者を象徴する白と金が貴重となった謁見の間には皇帝と、辺境伯しかいない。
シン、と静まり返る場をアークライトが破った。
淡々と定例の報告済ませる。
「安全線については変わり無く、時折魔物が紛れ込んで来ますがどれも分類は低く、問題無く対処出来ております」
「そうか、それは良かった」
対する皇帝は辺境伯に比べて更に年老いていた。
今年81歳となり、皺は深い。
特に眉間の皺の深さは皇帝の心労と積み上げてきた年月を思わせる。
瘦せ衰え、立つのには誰かの手を借りなければならない程弱っているというのに、瞳はギラギラと燃えて見る者を竦ませた。
ヴィセア帝国初代皇帝にして、人類の支配者。
エール・ヴィセアである。
「加えて、報告を上げたい事が」
「珍しい、申してみよ」
アークライト辺境伯が懐から真紅に輝く宝石を取り出した。
謁見の間の灯りに反射し、燃える様に光を散らす。
「それは、鋭く睨む者の鱗か。何故それを」
「先日、安全線付近に落ちていたところを警備隊の者が発見いたしました」
「安全線、でだと!? 」
皇帝が立ち上がり大声を上げる。
慌てて辺境伯が駆け寄りその身を支えた。
ゆっくりと、また座らせる。
「はぁ……はぁ……誠か」
「はい、間違い御座いません」
「……あの竜が、紅龍山を離れ飛び回っておると」
空気がぐっと重くなった。
鉛のようにまとわりつく圧迫感を、なるべく表に出さないように辺境伯が報告を続ける。
「偵察隊を向かわせた所、頻繁に飛行する鋭く睨む者を確認。そして麓の村でゴブリンやオークを発見した、と」
「……」
「……皇帝陛下。彼の竜が漸く、自らのテリトリーを離れるタイミングが訪れたと、考える事も出来ます」
エルヴィス皇帝は俯き深い深い溜息を付いた。
肺の中の空気を全て吐き出し、魂すら抜け出すのではと不安になる長い溜息。
「人類は、漸く魔物から解放されたのだ……あれから40年、ようやくあの暗黒時代を知らぬ世代が育ってきた。あれを繰り返してはならない、我らが終わらせねばならない……辺境伯アークライト・シーザーよ」
暫くの静寂の後、顔を上げた皇帝は辺境伯に新たな任務を命ずる。
「邪竜、鋭く睨む者を討伐せよ」
普通、和也の世界の常識で考えるならば確証の無い報告、信頼出来る部下とはいえ私見に基づき国が武力を行使するなんて有り得ない。
しかし、この世界では違う。
魔物と言う、論ずる必要の無い敵がいる。
過去何千年にも及ぶ恐怖が刻まれた人類は、魔物に対して過剰に反応する、そのくらいで無ければ魔物から身を守る事が出来ないという経験則からであった。
「かしこまりました」
辺境伯が深々と頭を垂れる。
「必ずや、人類の敵を滅ぼして参ります。勇者の名にかけて」
謁見を終え、外で待つ部下と合流した辺境伯の行動は早かった。
不安気な部下に正確な指示を送りながら帰路に着く。
「警備隊に厳戒態勢を敷くようにと伝えよ、住民らには外出を控え何時でも避難出来る様にとも」
「辺境伯様、攻撃部隊の編成は如何なさいますか」
「10名ほど活きの良い者を集めよ、私が出る」
「な!? 辺境伯様自ら? し、しかし何かあれば……」
部下はそこまで言って、ようやく失言に気が付いた。
何を馬鹿な事を、と周りの者も呆れた視線を送る。
辺境伯に何かある、など有り得ない。
「相手が竜であろうと、魔王であろうと関係無い。今度こそ、確実に葬ってくれる」
握っていた真紅の鱗を見る。
この美しい鱗を見ると、40年前の戦場が鮮明に蘇ってくるようだった。
知らず知らず力が入る。
あの地獄はもう終わらせた。
二度と繰り返すような事があってはならない。
バギッ……
細かい亀裂が無数に走る。
ギ……ギッ……ガシャンッ。
とうとう、鋭く睨む者の鱗が辺境伯に握り潰された、細かい光の粒となって風に運ばれていく。
「往くぞ」
アークライト・シーザー辺境伯。
勇者の所持していた12の伝説の宝具が1つ、不死鳥の鎧を受け継いだ人類最強の一角。
帝国十二勇士の生き残りにして、勇者の義兄弟が魔物の領域へと足を向けた。
「ひゃっほー!! 」
春の息吹に騎乗した和也が森を駆けていた。
限り無く広大に見えた草原を抜け、今は村に続くはずの森をひたすら走っている。
道らしい道なんて何処にも無いと言うのに、まるで風の如く木々の間をすり抜け、根を飛び越えていく。
ビュンビュンと音を立てながらすぐ傍を掠めていく木々に怯え、和也が春の息吹を後ろからぎゅっと抱き締めた。
「やばい! めっちゃ怖いぞ! 」
「おっおおお! はい! 頑張ります!! 」
「なんか勘違いしてない!? 」
顔を真っ赤にした春の息吹が更に速度を上げる。
和也の動体視力が間に合わなくなり、木々の緑と時折見える空の青しか分からなくなった。
「くそー! 高さが低いだけでこりゃ空と変わらん! いやむしろすぐ傍に色んな物がある分もっと怖い! 」
「こーれが! 癖になるのです! 」
「あいつと同じこと言いやがってー! 」
結局、春の息吹も鋭く睨む者も似たようなものであった。
後悔するも、やはり速度は1級品である。
空を飛んでいた時の同じくらい、とはいかないまでもかなりの短時間で戻る事が出来た。
ちょうど夕陽と山が重なり、とても幻想的な光景が広がっている。
「ま、まさか今日中に帰ってこれるとは……ん? 」
猛スピードで駆けてくる和也を見付けたオークのリーダー、鉄の猪が慌てた様子で身振り手振り、何かを伝えてくる。
鉄の猪は巨体からは想像出来ない素早さでこちらに駆け寄り、春の息吹を強引に押し止める。無理やり止められた春の息吹は不機嫌そうに嘶いた。
「ブヒー! ブヒー! 」
「わっかんねえって、なんて? 」
早速、春の息吹を頼ってみる。
通訳として雇った訳では無いが、魔物の言葉が基本分からない以上仕方ない。
春の息吹は頼られた嬉しさから止められた不機嫌を忘れ、通訳を開始してくれた。
「ふむ……ドラゴン、カエラズ、ヒガシヘ、イッタ……!? 」
「はぁ!? ま、まだ何か言ってるな、続けろ」
鋭く睨む者は食事の時間になると何処に飛んで行っていても、必ず帰ってきて和也の隣で食事を取っていた。
喧嘩して別れてしまったが、食事となると機嫌を直すはずだったのだ、何故彼女が帰ってこないのか、何かあったのてはと春の息吹を急かす。
「十二勇士……が!? 」
「分からねぇって! 何言ってんだ? 」
「は、はい! 十二勇士が人と魔物の境界辺りまで来ていた、と……も、もしかしたらドラゴンが捕えられたかも、て! 」
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