第3話 ウェンディ

 三十過ぎた頃だったか、金の尽きた俺は辿り着いた先の小さな町の鉄工所で働くことにした。

 安アパートを借り細々と暮らした。


 ある寒空の晩、外で飯を食おうとレストランに行った時だった。

 席に座りメニュー表を見ていると「……カプチーノどうぞ」とカップを差し出された。

 振り向くと懐かしい顔がいた。


「軍曹! い、いやはや、お久しぶりです」

「ふふふ。お前、確かこれが好きだと言っていたな」

 それは白シャツにエプロン姿のラウル・ダイスン。

「うわあ、で……ですけど、なんで? ここ……」

「そうさ! ジャーーン! 俺の店。女房とこの店をやってる。紹介するよ」


 〝イタリアンレストラン・ダイスンズ〟。

 奥さんは赤毛ですらりと、声の澄んだ可愛らしい人だった。


「ウェンディです。よろしく」

「いやぁ、奥様、わざわざ……よ、よろしく、どうもです。ウィリアムといいます」


 軍曹は相も変わらずの爽やかな笑顔で俺を思いやってくれた。

「カプチーノおごりだぞ。ん? 一人か? 結婚は?」

「はは、まさか。俺なんぞに彼女ができるわけがない」

「うう〜この樽のような腕、俺は惚れ惚れするけどなぁ〜」

「うわ、触んないで軍曹、くすぐったい」

「その短髪、厳つい坊主頭も男らしいしかわいいぜ」


 俺の頭をわしゃわしゃと撫でる軍曹の悪ふざけに奥さんが吹き出してた。

「ウィル。戦争は終わったんだ。もう〝軍曹〟はやめろ。くすぐったいから俺のことも普通にラウルと呼んでくれ」

「は、はい……」

「毎日でも来い。毎日でも飯おごってやるから」



 仕事が終わるとよく俺はダイスンズに入り浸った。

 体がデカいから目立たないように奥の席でひっそりと。


「ウィル。お前もうウチで働け」とラウルがヘッドロックで戯ける。

 俺は笑って「俺無愛想だしこの目つきにこの図体、客もびびっちまうでしょ」と頭を掻く。

「実はもう気にしてる客がいる。奥にいるあの方は用心棒ですか? ってさ」

「ほらー」


 俺たちは笑い、奥さんも楽しげだった。

 幸せな空間だった。

 慈悲に満ちた瞬間だった。

 一つに解けいる時。俺にとって、それは救済だった。



 一日の終わりにラウルが隣りに腰掛け、話を寄せる。

 俺はもっと喋れとも言われたが、聞き上手だとも言われた。


「喋れ喋れ。喋らん者は地獄に落ちるぞ」とラウルが半笑いでウォッカを口に含む。

 今夜は冷えると彼は言って温かいコーンスープを差し出した。

「どうも。地獄へは予約済みです。その分、ここは天国ですよ」

「ふふ。そっか」

 それをふうふう啜る俺の肩をラウルはさすった。

「ウィル。仕事は楽しいか?」

「ええ。冬はあったかいし」

「だな。……手の震えはどうだ? 治らんか?」

 酒を絶ってだいぶなるのにと、俺はまた嘘をついた。

 手の震えは異様に感情が昂った時に起きる。

 あの日の記憶からだ。

 ラウルは初めから何かを察していたが、無粋なことはかない男だった。


「いろいろある。でも、なんかこう溜め込む前に何でも俺に話せよ。俺もこの店買ってこの町来たばっかだしそうそう話せる相手もいない」

「奥さんがいる」

「そだな。もちろん良き妻であり良き相談相手でもある。小遣いもうちょっと頂戴ってな」

「ははは。奥さんは偉い。しっかりあなたを支えてる」

「ああ、こんな勢いだけの男をな。尊敬するぜ。女には敵わない。子供だって産めるなんてすごいよ」

 俺の目を確と見て言うラウルに俺ははっとなった。


「え? まさか……ラウル」

「うむ。どうやら三か月だってよ」

 思わず立ち上がる俺。

 壁の向こうの厨房で食器を磨く奥さんに俺は手を伸ばした。

「お、おめでとうございます!!」

 ちょこんと顔だけ出して、奥さんは満面の笑みで頷いた。

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