第5話 初めに言葉ありき

 授業も始まり、週に4日は本学で、週に一度は医学部のキャンパスに向かう、という生活を送っていた。1年前期にはEME(Early Medical Exposure)という専門授業があり、医療の様々な現場を経験(見学)させてもらった。救急車同乗実習という、市の消防局のご協力で救急隊に同伴させていただくような授業もあり、また大学病院の病棟で看護師さんの後ろについてその仕事を学ぶ、という授業もあった。医療がチームとして成り立っていることを学ぶことを目的とした授業であるが、その中で私が強く感じたのは「言葉」の重要性であった。


 この街は広くて、海も山も近いため、一つ一つの消防隊が、広範な地域をカバーしていた。救急車同乗実習では山奥の集落まで20分近く山道を走ることとなり、患者さん宅についたときには私はひどい車酔いで、私の方が救急搬送される患者さんよりぐったりしていたのも懐かしい思い出である。この実習で今でも心に強く残っていることは、頭痛の訴えで救急要請となった患者さんを救急車内に収容したとき、救急隊のリーダーが患者さんに向かって、

 「おばあちゃん、びんた痛いね?」

 と問いかけたことであった。私の地元では「びんた」=「ほほを叩く」ということであり、私はその状況に全くそぐわない「びんた」という言葉が突然出てきたことにとても混乱した。

 「そりゃ、びんたされたら痛いやろ…」

 と、頭の中に「?」が飛び交った。その時には全くわからなかったのだが、その後、カツオ漁・カツオ節で全国的に有名なM市に遊びに行ったときに、食堂で「かつおのびんた定食」というメニューがあり、そのメニューを見てようやく、この地域では「びんた」=「頭」ということを理解した。救急隊のリーダーが頭痛の患者さんに「びんた痛いね?」と問うのは至極当たり前のことだ、ということをようやく理解した。


 病棟での実習は、脳神経外科病棟の看護師さんに指導していただいた。実習中、看護師さんから、

 「ちょっとほかの仕事を済ませるから、こちらの患者さんの様子を見ていてくださいね」

 と、術後数日の高齢女性の様子を見るように指示された。その女性は多弁で、一生懸命に私に何かを伝えようとしているのだが、大変困ったことに、この県で使われているS弁、とくにS弁nativeであるその女性の言葉が全く理解できないのであった。同級生など、若い人たちは「からいも標準語」と呼ばれる、S弁の影響を受けているためアクセントが独特だが、文字で書くとNHKで使われている標準語と一致する言葉を使うので、意思疎通にはあまり苦労しないのだが、地元出身の友人に聞いても、

 「祖父母の言葉がわからない」

 というほどS弁nativeの人の言葉は難しいのだ。だから、目の前で一生懸命しゃべってくれている女性の言葉が、意味のある言葉で私が理解できないだけなのか、術後せん妄であまり訳の解らないことをしゃべっているのか、それが私には区別できなかったのである。


 多くの場合、診察は患者さんの訴えを聞くことから始まり、その訴えから想定される疾患(鑑別診断)を考え、身体診察や検査を行なって診断にたどり着く、というプロセスを踏むのだが、もし患者さんの言葉がわからなければ、診断の最初の段階でつまづいてしまう。この時の私は、まさしくその状態であった。困り果てているところに看護師さんが戻ってこられ、女性の訴えを聞いて、「そうね、そうね」とからいも標準語で相槌を打っておられた。その時の、言っていることを理解してもらえた患者さんのうれしそうな顔が忘れられない。


 かつては、多くの医学生が、医師国家試験に合格後、母校の医局に属して専門研修を受けていた。しかし私はこの出来事があって、

 「私は少なくとも、この県の地方都市では医療ができない」

 と痛感した。少なくとも医療を行なうには、細かいニュアンスまで伝えてくれる、優秀な通訳が必要だと感じた。私が今、生まれ育った街で仕事をしているのは、この強い体験があったからである。


 医師数は冬の気圧配置と同じように西高東低と言われ、近畿、四国、中国、九州に比べ、北関東~東北は医師数が少なく、医療へのアクセスが良くないといわれている。私の行なっている(あえて『専門』とは言わない)何でも内科は、本来そのような医療過疎の地域でこそ必要とされている医療であるが、この言葉の壁を考えるとどうしても二の足を踏んでしまう。患者さんの話す微妙なニュアンスは、その土地の言葉が身に染み込んでいなければ本当に理解することはできないと思っている。西高東低、と理解していながら生まれ育った街で仕事をしている自分自身に、少し罪悪感を感じている。


 明石家さんまさんやダウンタウンをはじめとする関西芸人がテレビで全国的に活躍してくれたおかげで、私の話す関西弁は日本中どこに行っても大体伝わるようになった。これはありがたいことで、日本中のどの場所に行っても、私の話す言葉、出した指示は大きな間違いはなく伝わるであろう。ただ、医師の仕事で最も大切な、患者さんの言葉、その言葉に乗せた思いを私が理解できなければ、医療は成り立たない。医師は、その土地の言葉を身につけてようやく仕事が始まる。私はクリスチャンではないが、聖書の「はじめに言葉ありき」という言葉は真実なのだろうと思う。


 1950~1960年代の集団就職の時代に、おそらくこの県からもたくさんの若者たちが関西にも来たのであろう。時に診察室で、懐かしい「からいも標準語(というか、からいも関西弁?)」に出会うことがある。うれしくなって、患者さんに「どのあたりのご出身ですか?」と聞いてしまい、「先生、解るのですか?!」と驚かれることもしばしばである。医学部時代に地元の方言に触れた時よりも、現在、診察室で「からいも関西弁」に触れる方に郷愁を感じている。

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