第二章 妃選び

12.金色の狼のはなしⅠ




 自分が群れの誰とも違うことに気づいたのはいつだっただろうか?




 彼は森で暮らす狼の群れに生まれた。他に兄弟は四匹いたが、彼は兄弟の誰とも違っていた。餌をあまりもらえず、当然体も小さかった。そして生まれた巣穴を出ると、兄弟以外の群れの狼たちとも文字通り毛色が違うことに気がついた。

 彼は両親を含めた大人たちから完全に無視をされていた。むしろ警戒され、兄弟の近くにいるだけで威嚇され、噛みつかれそうになることもあった。しかし彼はどうしてか、大人たちの牙から逃れる方法を知っていた。


 ごくありきたりな灰色の毛皮を持った狼の群れの中で、唯一黄金の毛皮を持って生まれた彼は、自分が普通の狼とは違うことをいつの間にか知っていた。


 生まれた森に毛皮や牙もなくつるつるとした肌で時々光りながら背中に生えた翅を使ってふわふわと浮いている、鳥ともまた違う生き物がいることを知っていた。

 自分が願えば突風が小さな動物を襲い、腹を満たせることを知っていた。見えない壁を作って大人たちや他の強い獣や鳥から自分の身を守れることも知っていた。


 彼はそれが魔力だとは知らなかった。


 やがて成長した彼は、群れからは完全に追い出され、一匹で生きてきた。相変わらず体は小さかったが慎重で頭がよく、その頃には自分の力の名前こそ相変わらず知らなかったがそれをうまく扱う術を充分に身につけていた。


 彼は食べる物を求めて住む場所を転々とし、やがて人間と呼ばれる生き物が暮らす場所の近くまでやって来た。人間の言葉や行動は彼らをよく観察すれば自然と理解できるようになっていた。他の動物の言葉もそうだ。背中に翅を持つ生き物の言葉も。

 きっかけが何だったのか、いつだったのかは覚えていない――ある頃から彼は人間と同じ姿をとれるようになった。完全に同じではなく、耳や尻尾などはそのままだったのと瞳の色が人間とは違っていたので、フードがついたボロを手に入れそれを身にまとい、自分と同じように盗みで腹を満たしている道端で暮らす子どもたちに紛れて生活をはじめた。

 様々な言葉を聞いて生きるための知識を得た彼は、他の子どもたちよりもうまく食事にありつくことができた。頭がよく、不思議な力を持っている彼を他の子どもたちは一目置くようになり、彼が独りでいる時も自然とその周りに集まるようになっていった。

 彼のフードがうっかり外れて耳や尻尾が見られても子どもたちは気にしなかった。彼らは決して自分たちを仲間だとはおもっていなかったが、その結束は固く、お互いに支え合いながら生きていた。


 しかしある時、彼らが暮らす街を治める領主によって大人子ども関係なく道端で暮らす者たちは一掃されることになり事態は変わった。噂によると、他国の王族が王都を訪れていて、帰りにこの街を通るらしい。そのために今までもたびたび行われていた街中の掃除をより強化することになったのだと……。


 大人も子どもも次々捕まり、どこかに――よほど酷い犯罪に手を染めた者以外はしかるべき施設に――連れて行かれたが、どこに連れて行かれたか当然彼は知らなかった。

 彼は本当の姿と人間の姿を使い分け、追手から身を隠した。彼と行動を共にしていた子どもたちはいつの間にか一人もいなくなっていた。森に帰ればいいのだが、この街は森から離れている。


 それでもじわじわと街のはずれに移動しながら彼は街を抜け出すタイミングを計っていた。金色の毛皮は薄汚れ元の色がわからない。人間の姿になってもそれは同じだ。店と店の間にあるゴミの山の陰に隠れて辺りの様子をうかがう。

 人間たちは興奮したような表情で、みな落ち着きなく街道をうろついている。視線を動かした瞬間、彼の優れた鼻を、人間とも動物とも違うニオイが突き刺した。人間の形をしている腕に鳥肌がたつ。咄嗟に元の狼の姿に戻れば自然と毛が逆立った。注意深く辺りを見渡しそのニオイの出所を探れば、落ち着かない人間たちの視線の先にたどり着く。




 一組の男女が穏やかに露店を見て回っていた。




 ニオイの元は、その男の方だ――それに彼が気づいた瞬間、男が振り返った。男の金色の瞳に脳天を貫かれるような感覚がし、恐慌状態に陥った彼は逃げるべきところなのに反射的に男の方に向かっていた。


 人間たちには何が起きたのかわからなかっただろう。風より速く、牙をむき出しにし唸りを上げて男に飛びかかった若い金色の狼は、しかしあっという間に男につまみあげられてしまった。


「まあ」


 首根っこを持ち上げられ、男の視線まで持ち上げられた彼の視界に、男の金色の瞳とは別の色の大きな瞳が映った。長い睫毛に縁どられたそれが、ぱちりと一つ瞬きをする。


「かわいい子犬」

「子犬じゃないぞ」


 にっこりと笑ってそう言った女に、男が不機嫌に答えた。「そうなの?」と女はおっとりと答えた。


「まだ若いが魔獣だ。俺たちを襲おうとした」

「きっとびっくりしただけよ」


 「あなたの見かけが怖いから」と楽しそうに言う女は、しかし彼女自身はそう思ってはいない様子だった。


「怖がらなくて、大丈夫よ」


 やさしい声。伸ばされた腕。男は汚れた狼の子どもを女に渡したくない様子で「汚れる」とか「危ない」とか理由を並べていたが、やがて押し切られて女の腕の中に唸り声をあげつづける痩せっぽっちの狼の子どもを渡したのだった。






 女の腕に噛みつけばきっと逃げられたと思う。


 しかしどうしてか――本能的には男に対する恐怖があったからかもしれないが――そうする気持ちになれず、居心地悪く彼は女の腕の中でもぞもぞと動いた。汚れた毛皮を撫でる手はやさしく、春の陽だまりのような香りがした。


 男と女は並んで歩き、一台の豪華な馬車へとたどり着いた。そこに乗り込むと、女はやっと抱えていた彼を床へと下ろした。きょろきょろと辺りを見渡している内に女と男は外にいる誰かと何か話し、小さな荷物を受け取って、やがて馬車は静かに走り出す。


「本当に連れて帰るのか?」


 心底嫌そうに男は言った。


「いけない?」


 女は首をかしげると、受け取った荷物の中から大きなタオルを取り出して床にいた彼をまた抱き上げた。


「あなた、家族はいるの?」


 毛皮を女の手とも違う何かが撫でる――女の魔法だった。それから軽い力でタオルで拭かれた。タオルはあっという間に真っ黒になり、毛皮は多少汚れがマシになった。

 女の問いに、彼はうつむいただけだった。それだけで答えは十分だった。「そう」とタオルを動かしながら、女はぽつりと声を落とした。


「それなら、今日からわたしたちが家族よ」

「は?」


 答えたのは男だった。顔は明らかに不満で彩られている。しかし女は気にも留めず、男の名前を愛し気に呼んだ。


「この子も魔族なんでしょう? 人の言葉が話せるかしら?」

「……話せるだろうな。魔獣は普通の動物から転じた魔族だが、人語も話すし人の形にもなれる」

「見て、この子の毛皮、金色だわ。あなたの瞳とおそろいね――わたしのことは、お母様とか、母上と呼んでね。この人はお父様――」

「やめてくれ」


 怒っているというよりあきれているような声で男は言った。


「嫌なの? それなら、彼のことは陛下と呼んでね」


 男は女の膝の上に彼がいることそのものを気に入らないようだった。彼女が馬車の中でできる限り彼の体を綺麗にすると、もう充分だと言わんばかりにまた首根っこをつかみ、彼を雑に床に放った。そして自分は彼女の隣にその大きな体を滑り込ませた。


「そいつばかりかまうな」

「あら、妬いているの?」


 女は楽しそうに言った。


「そうだ」


 男はそう言うと、女の膝を枕に横になった。長い脚に――おそらくわざとだろう――蹴られそうになった彼は、この状況がなんだかよくわからないまま、仕方なく馬車の隅で丸くなったのだった。






***






 馬車が通り抜けた森は、彼が生まれた森とは違った。薄暗く、人や獣とは違うニオイでいっぱいだった。しかし、不思議と嫌なニオイではない――馬車から降りて伸びをし、愛する人に手を差し伸べる男からする恐ろしいニオイとも違う。


 暗闇の森と呼ばれるそこは、星明けの山脈の麓に広がる森だった。その中にこんな国があるなんて彼は知らなかった。ザルガンド――彼と同じ、獣の耳や尻尾を持った者がいる国。

 その“名も無き王都”の王宮にたどり着いた二人は、この国の王と王妃だった。不満でいっぱいの王をなだめながら、王妃は彼を部屋に連れて行く。そしてその間にこの国のことや、彼がいた国の名前――アルディモアという国で、王妃はその国からザルガンドに嫁いできたのだ――を教えてくれた。

 部屋の浴室まで金色の狼を連れて行った王妃だったが、さすがに王妃が自ら体を洗ってやるのは王によって止められた。代わりに数人の男性使用人が呼ばれ、彼はその浴室で泡だらけになり、情けない悲鳴を無視されながらすっかり汚れを落とされた。


 魔法によって乾かされた金色の毛皮は美しく輝いている。彼が獣の姿だとまだうまく人の言葉を話せないことに気づいた使用人に促され、彼は人間と同じ姿になった。用意された服を着て、手前の部屋――そこは王妃の私室だったが、二間つづきで浴室は奥の寝室に扉があった――へ行くと、国王夫妻はお茶を飲みながら彼が浴室から戻ってくるのを待っていた。


「まあ、きれいになったのね」


 王妃が嬉しそうに笑うと、王は明らかに不機嫌そうな顔をした。


「あなたの名前をまだ聞いていなかったわ。何ていうか教えてくれる?」


 王妃は改めて自己紹介をし、王のことも紹介しながら彼にたずねた。何か重い石のようなものを急に胃の中に落とされた気分がした。


「……ない」

「えっ?」

「名前なんか、ない……なんでおれをここに連れてきたんだ? おれをどうするつもりだ?」


 春の陽だまりの香りに気を取られて黙って連れて来られてしまったが、理由が全くわからなかった。王妃はきょとんとして彼を見たが、やがて困ったような笑みを浮かべた。


「どうしてかしら……? そう言われてみると、理由が思いつかないわね。でも、なんだか放っておけなかったの」


 眉間にしわを寄せて、彼は王妃を見ていた。


「名前がないのは不便ね。そうね……シトロン、はどう? あなたの名前」


 重い石は消えてなくなり、彼の腹の中は何かくすぐったい気持ちで満たされた。


「シトロン……」

「あなたの髪の色を見て思いついたの。でもあなたの色は、もっと赤みが強いかしら?」

「シトロンでいいだろ」


 王が横から口をはさんだ。


「そんなに悩むことはない」

「冷たいこと言わないで」


 「根はやさしいから嫌わないでね」と王妃は彼に言った。困惑して国王夫妻を見る彼は、その日からシトロンという名になった。



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