魔王さま、今度はドラゴンです!

通木遼平

0.むかしむかしあるところに




 一匹のおそろしいドラゴンがいました。


 硬いうろこにおおわれた大きな体も、大空を舞うためのつばさも、立派な二本の角も、爪の先までも全てが真っ黒で、瞳はおそろしい金色にかがやいていました。


 退屈をまぎらわせるためにドラゴンは自分が暮らす森の近くにある人間の国をおそいます。


 長い間ドラゴンに苦しめられた人間の国の王さまは、国中から腕じまんを集めて、ドラゴンを退治することにしたのでした。


 しかし力も強く、魔法も使えるドラゴンになかなか勝つことができません。


 そんなある日、人間の王さまの前にひとりの旅人があらわれました。


 旅人は言いました。「わたしならドラゴンを倒すことができます」と。


 旅人はとてもみすぼらしく、やせっぽっちで、王さまは信じることができませんでしたが、もう何もかも試してドラゴンを倒せなかったので、旅人に「それなら倒してみるがいい」と言いました。


 その言葉に旅人が着ていたぼろをぬぎすてると、流れるような絹の衣装を身にまとった、雪のように真っ白な髪と、この世のどんな蒼玉よりも美しい瞳をした美丈夫がそこに立っていました。


 その美しいひとの頭には、二本の白銀の角があります。


 王さまや、お城の人たちが驚いている間に、美しいひとはさっと窓から外に飛び出しました。


 あっという間にその人は、一匹の美しいドラゴンとなりました。






***






 黒いドラゴンはいつものように人間の国をおそいにやってきましたが、美しい白いドラゴンが黒いドラゴンの前に立ちふさがりました。


 三日三晩、空には厚い雲が多い、雷や炎が雲の間を走り、ドラゴンの声が響き渡りました。


 やがて夜明けとともに黒いドラゴンがよろよろと遠くの山のふもとへと落ちていくのが見えました。


 「これでもう大丈夫です」とお城に戻ってきた美しいひとは言いました。


 ドラゴンを退治できた国は大喜び。


 それから三日三晩、おまつりをしましたが、いつの間にかドラゴンを退治した美しいひとは国からいなくなっていたのでした。






***






 その日の朝、山脈のふもとの村に住む彼女は森の中の泉に水をくみに出かけました。庭の草花にその泉の水をやると、いつもよりもきれいな花を咲かせてくれるからでした。

 しかしその日はいつもと違い、森はしんと静まり返って、鳥や動物の声はもちろん、風がそっと木々の隙間で内緒話をする声さえ聞こえません。落ち着かない気持ちになりながらも、彼女は泉へと向かいました。


 泉に着くなり、彼女はハッと息をのみました。小さな泉のほとりに、大きな黒いドラゴンが横たわっていたのです。泉はなぜか汚れていませんでしたが、辺りの木々はへし折れ、草花は泥と血の汚れでぐったりと地面にふせっています。そう、ドラゴンはひどいケガをしていました。


 彼女はとてもおそろしく思いましたが、ケガをしたドラゴンのことをほうってもおけず、急いで家に引き返すと、手当につかえるものをあるだけ持ってまた泉へと戻ってきたのでした。


 このドラゴンはきっと、となりの大きな国をおそうというおそろしいドラゴンだろうと彼女は思いました。それでも傷を負ってぐったりとしているドラゴンの、黒い鱗を泉の水で濡らした布で丁寧にふいて、薬をぬり、ドラゴンの目が覚めるまでけんめいに手当をしたのでした。


 泉の水は、やはり少しも汚れません。何か魔法が溶けこんでいるのかしらと彼女が感じはじめた頃、ドラゴンは目を覚ましました。






 黒いドラゴンはあの白いドラゴンに負けたことへの怒りでいっぱいでしたが、自分のすぐ近くに驚きと安心を混ぜた瞳で立ちすくんでいる人間の姿を見つけて少しだけ気がまぎれました。そこで何をしている? とたずねたかったのですが、体のキズが思ったより深いせいか熱が出ていて、声をうまく出すことができません。


 「目が覚めたのですね」と、彼女はうれしそうに言いました。


 それはその黒いドラゴンが、はじめて向けられた笑顔でした。






 お互いにに警戒してはいましたが、彼女はドラゴンを懸命に手当して、ドラゴンも大人しくそれを受け入れました。やがて少しずつ会話をするようになると、同時にこのケガがこのまま治らなければいいのにと思うようになりました。

 だいぶ回復した黒いドラゴンは、大きな体を手当するのは大変だろうと人の男の姿になりました。黒い髪と金色の瞳、頭におそろしい角ははえたままでしたが、とても素敵な人でした。しかし彼女はそんなドラゴンの姿のことより、彼がそこまで回復したことを大いに喜びました。


 彼女はドラゴンを家に連れて帰りました。彼女は家族がいなかったので、同じように家族がいない小さな子どもたちと一緒に暮らしていました。「となりの大きな国が、攻めてくるのです」と彼女はかなしそうに言いました。

 「それで、この子たちはお父さんやお母さんを亡くしてしまったの」と。彼女の家族は病気で死んでしまったのですが、他の子どもたちはみんな親を戦争で亡くしていたのです。

 となりの大きな国はいつも戦争ばかりしている国だったのです。それにドラゴンがとなりの国を襲うたびにもっと国を大きくしてドラゴンを迎え撃とうとますます戦争をするようになっていました。


 彼女と一緒に過ごす内に、ドラゴンは自分の今までの行いを恥ずかしく思うようになりました。それから一生懸命子どもたちを育て、働く彼女をとても美しく思いました。


 ドラゴンは彼女に約束しました。もう、退屈だからと人間の国を襲うのはやめると。彼女が育てている子どもたちのように、親を亡くす子どもをわざわざ作らないために。

 人間の国を襲うより、こうして彼女と一緒に穏やかな時間をすごす方がずっといいと、ドラゴンは思うようになっていました。




 二人は心の底から愛しあっていたのです。






***






 長い時間が過ぎました。ベッドの上にしわくちゃの美しい老婆が横たわっています。その周囲にはすっかり立派になった彼女の子どもたちが悲しそうに立っていました。しあわせな人生だったと、彼女は思いました。

 そのしわくちゃの手を、ドラゴンはそっと握りました。ドラゴンの姿は昔と少しも変わりません。彼は人間よりもずっと長生きで、年を取らないのです。


 「愛しているわ」と彼女は子どもたちに言いました。それから、ドラゴンを見てやさしく微笑みました。「しあわせになって」とも言いました。


 「これで別れと言わないでくれ」とドラゴンは言いました。しわくちゃの手に、そっと口づけを贈りました。「きっと君は生まれ変わる。俺は必ず君の魂を見つけ出すから」そう言うドラゴンに、彼女は困ったような、それでもどこかうれしそうな顔をしました。




「俺の幸い、俺の魂の伴侶、君が何度生まれ変わっても見つけ出して、君をずっと愛しつづけるよ」




 ドラゴンがやさしく握る彼女の手が、そっとドラゴンの大きな手を握り返したのでした。



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