第五週「お面」

八尺様……という話を最近、聞いてびっくりしたんです。

アレっていわゆるインターネット怪異みたいなものでしょう。

実は私も似たような経験があるんですよ。




当時、私の家では毎年夏休みになると、家族で父方の実家に帰省していました。


最寄駅からタクシーで一時間かかるような、すごい田舎の村で電気・ガス・水道は通っているものの、それ以外は何も無いような田舎でした。

父の実家はその村では顔役だったらしく、周囲の家屋から考えると、とても大きなお屋敷でした。


こう話すと大抵の人が、

「夏休みにそんな田舎でのんびり過ごせるなんて」

「川遊びや虫取りで自然と触れ合える」

「親戚がお屋敷に住んでるなんてすごい」

などと羨ましがるのですが……当時、小学6年生の私からすれば、その期間は憂鬱以外のなにものでもありませんでした。


なにせ、父の故郷は既に過疎化が進んでて、田舎での遊び方を教えてくれるような同年代の子供なんていませんでした。

周りにはコンビニどころかスーパーすらなく、屋敷にはエアコンもついていなかったから常に暑いし、テレビは見たことのないローカル局しか流れておらず、他人の家という意識もあり、どこか落ち着きません。


しかも実家に帰ると、父も母も忙しく動き回っていて、私に構う余裕はありませんでした。


今になって思うと、私の父、三兄弟の末っ子だったので、田舎では肩身が狭く、実家で帰省の度にこき使われてたんでしょうね。

田舎の年寄りだらけで、私の次に若いのが母だったくらいなんですから。


そんな訳で誰かと遊ぶこともできず、家族との時間も削られ、ほとんど顔も知らない年老いた親戚との同じ屋根での生活を強いられる「田舎への帰省」というイベントそのものが、私は大嫌いでした。


プールもない、ゲーム機もない、友達もいない。

ご飯も毎日、魚に麦飯や煮物に漬物などで子供の舌にはいささか素朴すぎる。

おやつだって、芋を甘く煮たものや、お団子くらい。

しかも、川も山も危ないからと一人で遊びに行くこともできない。


これなら田舎なんかに帰らず、地元にいた方がマシだと、いつも思っていました。


ただ、その年は少し違いまして、私は朝食を済ませると、雨以外の日は、いつも家から数分離れたお寺に行っていました。


リュックに母に作ってもらったお弁当に水筒、家から持ってきた漫画や雑誌、少しのお菓子を詰め込んで。


「帰りたい」「遊びたい」などと、ぐずるほど幼くはありませんでしたが、母にいつも「ヒマだ」とこぼしていたある日、あそこなら一人でも行っていいと許してくれたのが、そのお寺でした。


そこは古くから放置されたお寺らしく、常在している住職もおらず、参拝する人も、もちろん他に子供もいません。

そこの木陰や石段で、持ってきたお弁当やお菓子を少しずつ食べながら、漫画を読み漁り、夕飯までの時間を潰していました。

いつもひとりぼっちでしたが、他人の家で肩身の狭い思いをするよりはマシで、私は毎日、そのお寺に通っていました。


ある日の夕方、村内放送で「夕焼け小焼け」が流れて、私はいつものように荷物をまとめていました。それが流れたら家に帰るのが親との約束だったのです。


その時、背後で「ぎぃ」と木の軋む音を聞こえました。

振り返ると、風に煽られたのか、お寺の本堂の戸が少し開いています。


ボロボロに朽ちかけ、蜘蛛の巣だらけの汚れた本堂なんて気味が悪く、何度も来ているにも関わらず、その時まで、まるで関心もありませんでした。


ただ毎日、同じような日々の繰り返しだった私は退屈を紛らわせたいという気持ちもあったのでしょう。フラフラと本堂に引き寄せられました。

隙間から一目でぐるりと中を見渡せるような小さなお寺でしたし、中がどうなっているかを、ちらっと見て帰ろう。そんな感じでした。


電気などもちろんなく、夕焼けのオレンジ色の光だけが隙間から堂内に差し込んでいます。隙間から覗くと、古ぼけた木とホコリとカビの匂いが鼻を刺します。


中は暗く、夕日でかろうじて見える床も腐食でほとんど抜け落ちています。

もう少し、光を入れようと戸を開けた時、壁に光るものを見つけました。


それは真っ白なお面でした。

黒ずんで汚れた本堂とは対照的に、曇りのない白い陶器でできたお面でした。

ただ何というか、まったく無表情なお面だったんですね。

ほら、普通、お面って般若とかヒョットコとか結構、表情が豊かじゃないですか。

そこに掛かっていたお面はまったくの無表情で、喜怒哀楽もわからないというか、今日まであんな無機質なお面を見たことがありませんでした。


なんで陶器でできてるって分かったかって?


気が付くと、いつの間にかその仮面を手に取ってまじまじと眺めていたんです。

私は本堂の入口に立っていたはずなのに、気が付いたらその本堂の奥の仮面を手にしていたんです。

戸を開けた記憶も、ボロボロに抜け落ちた床を歩いた記憶もありません。


でも、いつの間にか私の手にお面があったんです。


気味が悪くなって、お面を手から取り落しました。

何かとんでもないことをしてしまった気がしてしまい、慌てて屋敷に帰りました。

ところが慌てて屋敷に帰ったので、リュックをお寺に忘れてしまったんです。


夕飯の前に気が付いて、こっそり屋敷から抜け出しました。

電灯なんてない所でしたが、運よくその日は満月で月の明かりだけで夜道を歩くことができました。

お寺までの石段を駆け上がり、月光が木々に遮られる中で目を凝らすと、本堂の手前に置き忘れていたリュックがありました。

急いでリュックを背負い、寺を後にしようとした時……


「そこで何してる」


身体をびくっと震わせ振り返ると、たった今、上ってきた石段に男の人がいました。

見覚えのある顔でした。屋敷に住んでいる叔父だったか、いずれにせよ名前も分からない親戚だったことだけ覚えています。


「なんでお前がここにいる」


その顔には怒りと戸惑いと焦りが合わさったような複雑な表情が浮かんでいます。


「あん中見たか! あん中見たんか!」


いつの間にか叔父らしき男に私は両肩を掴まれ、怒鳴られるように詰問されていました。私はその剣幕に怯えながら、かろうじて首を縦に振ることしかできませんでした。

その時の表情は今でも忘れられません。血の気の引いた顔って、ああいうのを言うんですね。男の人はそれ以上は何も言わず、私を担ぎ上げると、強引に屋敷まで連れ帰りました。


そこからは詳しくは覚えていません。

私は屋敷の寝室に一人で入れられると、夜にも関わらず、屋敷の中は大騒ぎになりました。大勢の人のバタバタと駆け回る音や、電話越しの怒鳴り声などが遠くに聞こえ、しばらく放置されていました。


一時間は経ったでしょうか。

寝室の襖が開けられ、両親と住職、それと年老いた親戚が何人かそこにいました。

両親は二人とも先程まで泣いていたようで顔は真っ赤で、目元が腫れています。

住職と親戚の顔は……無表情でした。あのお面のように。


母が私を抱きしめ、「今から何も言わずに、みなさんの言うことを聞きなさい。今夜だけだから」とだけ、告げてどこかへ行ってしまいました。

私は急に不安になり、泣き出しそうになりましたが、そこから有無を言わさず、住職と親戚の言うことを強制させられます。


まず、盃に入ったお酒を飲めと言われ、その後、屋敷の庭で一升瓶に入ったお酒を頭から浴びせかけられました。当然、子供ですからお酒の味も、浴びせられたお酒の匂いも、気持ち悪くなるものでしたが、その儀式めいた行動は淡々と進められました。


その後、服を着たまま頭から何度も何度も水を浴びせかけられ、その場で服を着替えさせられました。


住職が傍らでずっとお経らしきものを唱えていたのが、今でも頭について離れません。この歳になっても法事などでお経を聞くと、この時のことを思い出して身体が震えます。


その後、屋敷の広間に通され、中央で正座させられました。


「これから言うことをよく聞きなさい」


先程までお経を唱えていた住職が、その時はじめて私に語りかけました。


「急にこんなことになって、混乱しているでしょう。でも、今夜さえ我慢すれば大丈夫なはずだから」


それから住職は子供の私にもわかるように、ぽつりぽつりと話してくれました。


戦国時代、色んな所で戦があった。

しかし、この辺りは奇跡的にどの戦にも巻き込まれず、平和だった。

ある時、山の向こうで大きな戦があった。

何十日間も続き、大勢が死んだひどい戦だった。

その後、一人の身なりの綺麗な若い女性と、その従者が村を訪れた。

何でも隣県にある高名な神宮を参ろうとしたが、先の戦を避けていたら、予定が狂ってしまったらしい。当初、予定していた宿場が戦に巻き込まれてなくなってしまい、途方に暮れてしまった。そこでこの村に何日か泊めさせて欲しいというのだ。

快く受け入れた村長……つまりはこの屋敷の先祖は二人を屋敷に招いた。


その翌日だった。

この村をよく訪れる行商人が、売り買いしながら、一枚の手配書を配っていた。

先の戦で敗北した大名の姫君が逃げており、それを追っている。もちろん見つけた者には多額の報奨金を出すというものだった。

それを聞いた村民の何人かが昨日、村に訪れた女がそれに違いないと思い、屋敷に勤めていた食事番に毒を持たせた。毒を盛られた女と従者はひどくもがき苦しんだ挙句、死んだらしい。


次の日、死んでいる二人を見つけて、屋敷は大騒ぎになった。

一方、それを聞いた村民は急いで行商人を通して、報告をしようとした。

……が、それは間違いだった。行商人が持ってきた手配書は、一か月以上も前のもので、逃げていた姫というのはとっくに捕まっていたのだ。


では、自分たちが殺したのは誰なのか。それは誰にもわからない。


しかし、身なりからして、どこかの貴族か大名の娘などに違いない。もし、発覚すれば実行犯の首を差し出すだけでは済まない。この村そのものが危うい。


村長もそのことを知り、皆で相談した結果、バレないように死体を処理することにした。着ていた衣服はすべて焼き、身に着けていたものは細かく砕き、土に埋めた。


そして、その死体の……顔を潰した。

鉈や鍬や斧を何度も何度も何度も顔に振り下ろし、およそ人の顔の原型がなくなるまで潰して、切り刻み、死体を山に埋めた。


そして、供養のため、死体を埋めた山に寺を……あの寺を建てたというのだ。


「でもね。あのお面に触ると、その……よくないことが起きるんだ。女の人が迎えに来ると言われている。その顔を見るとどこかへ連れていかれてしまうんだ」


昔話を終えた住職は私に懐中電灯を渡しました。


「いいかい。これから君をこの屋敷の蔵に連れていく。そこで朝までじっとしているんだ。何か聞こえたり、見えたりするかもしれない。でもそれに絶対、応えちゃいけない。蔵から出てもいけない。私たちも朝まで絶対に君のところには行かない」


布で目隠しされると、私は住職に手を引かれ、蔵まで連れていかれました。


「これから鍵を閉めるから、そしたら目隠しを取りなさい」


がちり、と背後で音がしてから恐る恐る目隠しを取ると、そこは真っ暗な蔵でした。


手にした懐中電灯をつけ、足元を照らすと、ゴザの上に小さなちゃぶ台が置かれ、そこに、おにぎりが乗せられていました。そういえば夕飯を食べ損ねていました。

懐中電灯で手元を照らしつつ、おにぎりを食べます。どうしてこんなことになったんだろうと、しくしくと泣きながらおにぎりを頬張りました。

おにぎりを食べ終え、気が付くと、いつの間にか眠っていました。


ところが、ふと目覚めてしまったのです。


時間はわかりません。時計なんてないし、外の様子もわからないんですから。

手元にあった懐中電灯をつけようとして、青ざめました。

せめて少しの光でも、と思って辺りを照らそうとしたのに、懐中電灯が電池切れなのか、まったくつかなかったんです。

何度も何度も懐中電灯のボタンを押しますが、まったく反応しない。


本当の暗闇って経験したことありますか?

あれは怖いですよ。周りに何があるのかまったくわからない。

自分の指先も見えず、自分が自分でいられなくなるような、押し潰されるような感覚。私は自分の膝を抱えてうずくまり、じっと、ガタガタと震えることしかできませんでした。


それからは……意外にも何もありませんでした。


あ、拍子抜けしました?


そうなんです。外から何か物音がするでもなく、呼びかけられるわけでもなく、ただ私はじっと暗闇に耐えていたんです。




翌朝、蔵を開けられ、そこには住職と両親の顔がありました。


一晩中、震え、うつらうつらと眠っているのか、起きているのか曖昧な意識を漂っていた私は疲れ切っていました。


そんな私を母親が強く抱きしめます。

「よかった、よかった」と、私の無事を喜んでくれたんですが……その時に気づいちゃったんですね。


---蔵の天井の一部が壊れ、バスケットボールくらいの穴が空いていたことに。


そして昨夜は電灯なしでも歩けるような、満月だったのに、なんで、あそこから光が入らなかったのかなって。


ずっと……あそこから見てたんでしょうね。私が蔵に入ってからずっと。

私がおにぎりを食べてる時も、私がその後に眠っている時も、そして目が覚めた後も……隙間から光が入らないくらいに顔を近付けて。


あの時、もし懐中電灯の電池が切れてなかったら……そう思うとゾッとしますね。


それからは住職のすすめもあって、父方の実家への帰省はしなくなりました。

もう何十年も帰っていません。直接、聞いたわけではありませんが、親戚もそろって「帰ってくるな」と言うそうです。まぁ、私にはありがたい話でもあるのですが……あんな体験は二度としたくありませんね。

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