第8話 キモデブは悪意を止められない!

 明日、10月16日は、文化祭での本番公演だ。

 

 リハーサルでの成功もあって、クラスメイトたちのテンションも高まっている。

 

 そんな様子を、冷めた感じで見ているエージたちだったが、今のところ特に邪魔する気配は無かった。

 

 また、星河への嫌がらせも、最近ではほぼ無い状況である。

 今でも基本ボッチではあるのだが、俺や葛城、遠田などが声をかけることが増えていた。

 

 他のクラスメイトたちも、クラス劇関連のことでは彼女と会話しているようだ。

 

 すべてが順調に見える。

 俺はイジメられていないし、俺の身代わりになっていた星河の状況も改善しつつあるのだ。

 

 さてと、俺もそろそろ帰るとするか。

 放課後、教室内の後片付けを、遠田指令のもと手伝わされていた。

 

 明日の準備のために出たゴミや、衣装、小道具などを教室脇に配置する作業である。

 

 何だかんだとこき使われて、最終的に残っているのは俺と遠田、それに星河だけだった。

 葛城はといえば、歯医者に行くということで、遠田から特別に帰宅が許されている。

 

「それにしても」

 

 感慨深げに、遠田が教室内を見渡して呟いた。

 

「よく頑張ってくれたよ。みんな」


 一番頑張っていたのは遠田だが、クラスメイトたちの頑張りも、十分に誇れるレベルにあったのは間違いない。

 

「そうだよな」

「ぶっちゃけ不安しか無かったんだよね」

 

 まあ、そうだろうな……。俺は黙って頷く。

 

「このクラスって、なんか、変な空気?そういうのあったじゃん」

 

 星河への陰湿なイジメを指してのことだろう。

 星河が少しだけ目を伏せた。

 

「あ、ごめん。ま、辛いのは星河だもんね。まあ、ああいう陰湿なのアタシは嫌いだけど」

 

 そう、嫌いだけど。

 嫌いだけど、個人の力ではどうにもできないのだ。

 

「芝居って、チームプレイだからね。そういう空気が無いならそのほうがいいもん」

 

 そのためにも、彼女なりに慰労会などをして、俺たちに気を使ってくれたのかもしれない。

 

 もちろん、その原動力は、彼女の演劇に対する情熱ではあるのだろう。

 どうしてここまでの情熱を持っているのか、いつか機会があれば聞いてみたいと思った。

 

「でも、ともかく良かった!」

 

 そう言って遠田が微笑む。

 

「わ、私も…、私も良かった。ホントに」


 星河が少しだけ恥ずかしそうに言った。

 

「だから、頑張る」

「フム、頼むよ!名女優!!」


 そう言いながら、ワハハと笑って遠田は帰っていった。

 残された俺と星河は、またも一緒に帰宅したのであるが、やはり会話はあまり弾まなかった。

 

 ただ、星河に、弟がふたりいるということだけは聞けたのである。

 

 ◇

 

 ――翌日の朝。

 

 その日の俺は、少し登校時間が遅れてしまった。

 

 昨夜は、護身術についてネットで調べるのに夜更かししてしまい、少しばかり寝坊したのである。

 

 調査の結論としては、やはり北島さんに紹介してもらった方が良いと考えた。

 文化祭が終わったら、少し落ち着くはずなので連絡してみるつもりだ。

 

 そんなわけで、急ぎ足で教室に向かう。

 

「なんなのよ、これは!!!」


 教室から大きな怒声が響く。

 これは、遠田――だろうか。

 

 俺は、ビビりながらも教室内に入り――、

 

 !!!!!!!!!!

 

 呆然自失とはこのことだろう。

 俺だけではない。

 

 クラスメイト全員が呆然としていた。

 

 そこには、俺たちが一か月かけて積み上げてきた、すべての成果を無に帰してしまう惨状があったのである。

 

 小道具、大道具などの舞台セットは全て破壊。

 衣装も、切り裂かれており、見る影もない。

 

 今からこれを修復することなど、プロでも無い限り不可能だろうという有様であった。

 そして、俺は何だか嫌な予感がして黒板を見る。

 

「ぐっ……」


 思わずギリギリと下唇を嚙みしめた。

 

『アバズレに天ちゅう!!』


 ピンク色のチョーク。

 いつか見た光景と重なる。


 天誅だろうが、クソどもが。

 どう考えても、犯人は明白なのだが、板書だけでは証拠にならないだろう。

 

 しかし、どうやって、誰にも気付かれずに、これだけのことをやれたのか……。

 タイミングとしては、夜中に忍び込むほかないが、校舎のカギが必要になる。

 

 エージやエータの馬鹿どもが、これほど手際良く悪事を働く能力があったのが意外だった。

 

 クズとはいえ、今後も油断できないな、と俺は考える。

 一方の遠田は、悲惨な状態の衣装、セットを前にして、肩をプルプルと震わせていた。

 

「ど、どうするんだ?」


 葛城が、恐る恐るといった様子で声を上げる。

 

「どうするって?」

 

 冷えた眼差しで遠田が葛城を見つめる。

 

「いや、だから、こんなだし……」


 と言って、葛城が唾を飲み込んだ。


「制服で、やるか?」


 現実的な提案ではある。

 だが、それを聞いた遠田は、カッとまなじりを開いた。

 

「舞台舐めんなっ!!!出来るわけないでしょうが」

  

 彼女はまさに、今回のクラス劇に、己の高校生活における全精力を注いできたのだ。

 

 俺たちには分からない、何かとても大切なモノを、これに捧げている。

 

「でも……頑張れば……」


 星河が、おずおずと口を開いた。

 

「はあ?頑張る?頑張れば?いったい星河に何が出来んのよっ!!」

「お、おい、ちょっと、言い過ぎだろ」

「アンタは黙ってて」

 

 夫婦漫才の雰囲気はまったく無い。

 

「だいたいさ、こうなったのも……」

 

 遠田は、黒板を凝視している。

 

 ダメだ。

 

 それだけは、言っちゃダメだ。

 彼女が決定的な一言を投げつけようとしているのが分かった。

 

 止めなければならない。

 これは、絶対に取り返しが付かない。

 

「と、遠田っ…」


 言うな、という俺の声は、遠田の大音量にかき消される。

 

「あんたのせいでしょうがあああああああっ!!」


 遠田が吠えた。

 

 それは、あまりにも悪意に満ちた咆哮だった。

 圧倒的悪意を前にして、星河からも表情が消えた。怯えも、怒りも、悲しみも、その全てを悟らせまいとするかのように。

 

 俺は改めて理解する。

 

 どんなに美しいモノも。

 どれほど素晴らしい出来事も。

 すべて、壊れるのは、一瞬なのだと――。

 

 荀子の言う通り、人間の本来の性質は悪である。

 だから、悪意は止められない。

 

 ◇

 

 結局、俺たちのクラスは、アクシデントにより上演不可という扱いになった。

 

 担任教師は、報告を受けて「そうですか」とだけ答えたらしい。

 リハーサルの熱狂は、もう帰ってこない。

 

 その後、遠田は早退してしまった。

 星河は無表情のまま、文化祭と関わることなく、じっと黒板を見つめていた。

 

 ふと気づくといなくなっていたので、いつの間にか帰宅したのだろう。

 

 葛城はといえば、上級生たちが出している飲食店などに行き、それなりに楽しんだようである。

 

 なんだかんだで逞しい男ではある。

 俺も、そんな葛城に付き合って、あちこち回ったものの、さほど楽しいとは思えなかった。

 

 正直にいえば、早く家に帰りたい気分だったのである。

 

 そんなこんなで、ようやく自分の部屋にたどり着いた俺は、そのままベッドに倒れこんでしまった。


「これが、アイツらのやり方か……」


 コンビニ前にたむろしていたエージたちの嫌な笑みを思い出す。

 結局、クズたちの狙い通りの結果になってしまったわけだ。

 

 こうなると、星河への嫌がらせは、これからまた復活してしまうのだろう。

 許せないクズどもだが、想定できた、いやする必要があった事態だ。


 一方で、遠田に対する感情は複雑である。

 彼女は、動機はどうあれ、俺や星河という厄介者に手を差し伸べてくれたのだ。

 

 だが、肝心なところで、その手を払いのけてしまった。

 期待させてから落とすわけで、高低差がある分、余計に痛い。

 

 俺ですらそうなのだから、渦中にいる星河など、そのショックはより大きいはずである。


 星河も、ある意味、今回のクラス劇に賭けていたのだから。

 だが、何か事情はあるのかもしれない。

 

 単なる演劇への情熱だけで、ああなるものだろうか?

 情熱があるなら、困難な状況にも、全力で立ち向かう姿勢があっても良いと思うのだ。

 

 制服でやる、という葛城の提案に乗っかる手もあったろう。

 もちろん、何かに情熱を傾けたことの無い俺に、とやかく言う資格も無いわけだが……。

 

 いずれにしても、また明日から日常が戻ってくる。

 俺たちの祭りは、終わったのだ。

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