Beerhall Banquet

@kahuhi

日常

「いらっしゃいませ」

カランコロンというドアベルの音とともに、まるで喫茶店かのようにウェイトレスは俺たちを丁寧に出迎える。挨拶をすると同時に、お盆いっぱいにビールジョッキを持ったウェイトレスはアイドルのようにホールを駆け回って行った。

――19××年。石炭業や製鉄業を行い、その他軍事物資を作り出すドイツ第1の倉庫と呼ばれる郊外に位置する某所。機械仕掛けの工場が石炭を燃やし蒸気をあげ徹夜で動き続けるこの街に“バンケット”という名のビアホールがある。毎日そこへ仕事で疲弊しきった体を慰めに行くのが俺たち労働者の唯一の楽しみだった。

そう、ここだけが仕事を ――身分や立場を忘れ、酒を飲み交わし大騒ぎできる癒しの空間だった。

力自慢で軍人のスミスと労働者のウィルソンは互いの力を比べ合い、エロおやじのクリスはウェイトレスのケツを追っかけ、ウェイトレスのジェシカがそれをあしらい、酒豪のアンドリューは酒樽を抱え、タダ飯ぐらいのジェームズは1週間も前から皿洗いをしている。なんてことない日常の光景が今日も変わることなく続いている。俺もその不変の光景のうちの一つだった。


「あれ、今日アリシアはいないのか?」


「うち自慢の看板娘様なら、あそこでマリアの相手をしてるわよ」


カウンター席の端、あそこは女軍人マリアの特等席だ。黒髪ボブで整った顔つきをしたマリアは毎日この快楽ともとれる騒音を肴にして静かに酒を嗜んでいる。マリアがあんな風に誰かと話をしながら酒を飲むだなんてこと俺がここに来て初めての光景だった。そんなマリアの話し相手をしているのは、ウェイトレスのジェシカも言っていた通りこのビアホールの看板娘であり、オーナーであるアリシアだ。言うまでもないが彼女は自分から看板娘の称号を名乗った訳では無い、彼女の持ち合わせた誰もかなうことの無い他を引き寄せるその美貌を構成する銀の艶やかな髪、碧色の宝玉のような瞳、白磁の柔らかい肌などは勿論のこと、その人あたりの良さが彼女を看板娘たらしめているのだ。


「何を話しているんだろうか」


「さぁね。くだらない話でしょ、女の子同士の」


ジェシカが言った。ホールのウェイトレスは6人。どんなにどんちゃん騒ぎをしたとて注文がずっと繰り返される訳では無い。半数働いていれば半数はこうやって酔っぱらいの話し相手になるそれもウェイトレスの仕事のひとつ、決してサボりでは無いのだウェイトレス達は口を揃えてそう言っていた。


「アレクはまだ、アリシアのこと狙ってるの?」


アレク。俺の愛称だ。本名はアレックスというのだがどうやら俺の顔は“アレックス”って顔はしてないらしい。どういうことなのかはよく分からないけれど。


「やめておきなよ、アリシア倍率高いよ? バンケットの客の八割くらいはアリシアを狙ってる。それよりさ、アタシなんでどうよ、アリシアよりかは見劣りするかもだけど、尽くすよ?」


「ジェシカ、酔ってるのか? 俺の酒勝手に飲んだだろ」


「アタシじゃだめなの?」


ジェシカは泣き上戸だ、いっつもこうやって俺の酒を盗み飲んでは誘惑し泣き出す。いつもの事だからと割り切るのは簡単だが、どうやら俺に好意を寄せてくれていることは本心らしいからそう素っ気ない態度も取れない。俺の彼女は時計だけだ。

今日はなんと言って断り慰めようか、そんなことを考えていると、横からスミスの巨体が飛んできてテーブルごと雰囲気を壊した。


「甘っちょろい筋肉してるなぁ! スミス! 鍛え方が足りないんじゃないか?」


「ふん、自分に負荷をかけたトレーニングをしただけだが、お前はこの程度の男だったか? ウィルソン」


スミスとウィルソンは仲が悪い。互いに自分の筋肉が1番だと思っているがために衝突が起こる、そうしてこのビアホールが毎日破壊されていく。それの修復に昼間シラフで作業をしていても、そこでまた喧嘩が起こる。故にこの修復作業は俺たちがやっているのだ。野次が群がる。そうだ! やれ! と歓声が起こり、今日はどちらが勝つか賭けを行っていたりもする。バンケットは1度酒を交えるとなんでもありの無法地帯、この場においてやめろだなんて言葉はナンセンスだ。


「大丈夫か? ジェシカ」


「まぁ、なんとかね」


机が破壊された衝撃音でジェシカの酔いが少し目覚めたのか、酔いが覚めるのがはやいのかは未だによく分からないがジェシカはすぐシラフに戻り呆れた表情を浮かべた。


「これで1978勝1978敗99分け。連勝が続くことは1度もなかったが、今日でこの屈強な筋肉を持つスミスが貧弱な筋肉のお前に引導を渡してやる」


「そんな風が吹けば折れそうな筋肉に俺が負けるはずがないのだ! 今日でまたドロー! そしてこのウィルソンが筋肉の頂点に立つ!」


2人の筋肉バカは雄叫びを上げた。


「というかアレク。アタシたちが座ってたあの机って確か……」


「ん? あ……あいつら死んだかもしれないな……」


無法地帯であるこのバンケットにも一つだけ暗黙のルールがある。それは……


「あなた達?」


「うるせぇな! 黙ってろ!」

「甘っちょろい筋肉じゃ俺たちは止められねぇぜ!」


その声の主の方へ筋肉バカ2人はそんな罵声をあびせて振り返る。瞬間2人の背筋が一瞬で凍りつき、顔が恐怖に染った。


「よくも私のお気に入りの机、壊してくれたわね」


刹那、2人は降伏を示し敬礼した。

暗黙のルール、それはアリシアを怒らせては行けない事だ。俺たちがさっきまで使っていた小さな机は、アリシアがバンケットを開店するにあたって一番最初に作った至上の出来である歴史ある机。使う分には自由なのだが、あの思い入れのある年季の入った机を壊されるとそりゃあ普段温厚なアリシアも怒り出す。このバンケットにおいてアリシアがルール、誰もアリシアに逆らうことは出来ないのだ。

そして何より、強い。あの二人が涙を流し死を覚悟するくらいには。食い逃げしようとしたジェームズはよく死ななかったものだ。アリシアによって裏に引きずり出されその後、ひぃぃ、ごめんなさい!!!! と2人の断末魔が聞こえた。


「案外あの二人って仲良いよな」


「この状況でそんな呑気なことが言えるアレクの神経を疑うよ……」


ふぅ、とため息をついて、手をパンパンと汚れを払うかのように叩いてアリシアは先程までの鬼の形相ではなく、看板娘の天使の笑顔で帰ってきた。恐ろしいものだ。


「よ、アリシア。お疲れ様。これ、どうするんだ……?」


「壊れてしまったものは仕方ないわよ。形あるものはいつか壊れるのよ。片付け手伝ってくれる?」


「仕方ないと言う割には、すごいキレようだったけれど?」


「壊れてしまったのなら仕方ないけれど、壊してしまったのなら罰は必要でしょ?」


「目が……目が怖いって!」


そんな恐ろしいアリシアの目付きに脅え、俺は黙々と机の欠片を集める。ジェシカも一緒にだ。


「そうだ、アリシア。この机相当古いやつだったよな。ふと思ったんだが、お前今何歳だ? 見た目は18かそこら辺だけど……」


「地獄って知ってる?」


「え、あ。なんでもないです」


「レディに歳は訪ねちゃいけないんだからね?」


いやちょっとまて、少し逆算してみよう。確かバンケットがオープンしたのが15年ほど前、その時から少しだってアリシアの外見が変わっていないのではないだろうか……。メイクをしてるかと思ったが、ナチュラルだ。サッと顔の線を整えるくらいのメイク。若くみえさせるためのメイクとかそんなんでも無さそうだ。プロポーションだって肌のハリだってとても30歳以上の女性とは思えない……。

もしかしたら恐ろしいことに気がついてしまったのかもしれない……このことは記憶のそこにしまっておこう。


「あとさ、アリシア。気にしたこともなかったが、バンケットの名前の由来ってなんなんだ? banquet――ドイツ語じゃないだろ?」


「――そうね、banquetは英語。私の母親がイギリスの出身でね。宴会って意味だけれど対して深い意味は無いわ、語感が良かったただそれだけよ」


何故だろう。理由はそれだけじゃない気がした。そんな含みを持たせるような間と表情。そして何より、それじゃあ説明がつかない気がした。ドイツ語でも同じ意味でほぼ同じ読みのBankettって言葉がある。どうしてわざわざ英語のbanquetを選んだのか、母親を思ってというのでは少しアリシアらしくないと思ったからだ。

でも、言わないのならこれ以上言及するつもりはなかった。


「宴会ね……。そのお祭り騒ぎが15年もの間続いてるんだから不思議よね、宴会だなんてまるで1日や2日の騒ぎじゃない」とジェシカが。


「そうね。みんなに感謝しなきゃね

――さて、拾い終わったかしら。ありがとう。予備の机はないからあっちのカウンターで飲み直してアレク、1杯サービスすわ」


「そうするよ。ジェシカも来るか?」


「いや、アタシはそろそろ交代するよ、また暇になったら相手してもらうわ」


「了解」と手を振ると、ジェシカはウェイトレスの仕事へと戻っていった。


「さて、アリシア。1杯奢るよ、話し相手になってくれ。 」


「そりゃまたややこしい事になるわね、奢ってもらわずとも話し相手になら何時でもなるわ」


アリシアはビールを2杯持ち俺のいるカウンター席へと戻ってくる。ここにはワインやシャンパンもあるが、これを飲む人はそう多くはない。酒飲みは雰囲気って物に意外とこだわるのだ。


「それにしてもやるわねアレク。女を取っかえ引っ変えで」


「何度も言ってるだろアリシア。俺は時計にしか興味がわかないんだ、喘ぎ声よりも歯車の音に心惹かれてしまう」


「何度聴いても変わった趣味よねアレクは。それじゃあジェシカが浮かばれる日はまだ遠いなぁ……。それはそうとまだスキマ時間にマシンドールなんてファンタジーみたいなものを作っているの?」


「あぁ、完成はまだ程遠いがいつか完成させてみせる。そして結婚するんだ……。今はどうしてもこの手のなめらかな動きを再現できなくてね……」


「本当に浮かばれないわ……これじゃあ……」


はぁとアリシアはため息をこぼした。それを他所に俺は今マシンドールにかけている情熱を黙々と喋り続けていた。


「そうだ、さっきマリアと話していただろう。どんなこと話してたんだ?」


一通り話尽くした俺は新たな話題を提示した。俺は対して話すのが上手ではないからこうやって小さな話題を沢山連ねていくことにしているのだ。


「本当に他愛のないことよ……ガールズトーク。聞きたいの? えっち」


「んーあ、そういうことならいいよ。いや。なんだ、マリアがあんなふうに話している姿をここに来て初めて見た気がしたなぁと思ってつい」


「マリアおっぱいでかいものね。たとえ機械性愛者メカニカリストの変態さんでも男の子だから気になっちゃうよね、うんうん。」


「違うし、メカニカリスト? よくわからん造語を作り出さないでくれるか?」


「まぁ、ね。本当になんでもないのよ。マリアも少しずつ変わっていってるってことかしらね。」


そうなのかな、そうならいいのだけれど。そうして会話は閉店まで続いた。これが俺たちの変わることの無い楽しい日常なのだ。この日常がずっと続くんだとこの時の俺達はそう思ってた。だが、日常は突然、あまりにも簡単に壊されてしまっていたのだ――マリアの手によって。

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