第2話 莉々の恋心

 午後九時過ぎ。

 俺は着の身着のまま、莉々りりと一緒に外に出る。


 夕飯は済ませていた。

 莉々の帰りが遅くなる原因の一つは、間違いなくこれだろう。


 俺の生活習慣病を懸念してか、年々味が薄くなっていくババアの料理は、若者には味気ないのではないかと思ったが、莉々はいつも喜んで食う。


 っていうか、なんでいつもウチで飯食ってんだよ、コイツ。いいけどさ。


「はー、外に出んの久しぶりだわ……」


「あはは。私も、外に出てる優くん久しぶりに見た~」


 俺の少し前を歩いていた莉々が、くるくると回りながら無邪気に笑う。

 美少女だけあって、そんな二次元のヒロインみたいなことをやっても絵になるわけだが。


 おい、スカート。スカート!


「ねえ、優くん」


「なに」


「手……つないでもいい?」


「はあ!?」


 俺は素っ頓狂な声を上げて立ち止まった。

 こんなでけェ声出すのは久しぶりだ。


 なに言ってんだ、コイツ! ババア以上に、正気か?


 こうしてふたりで歩いてるだけでも、近隣の住民からあらぬ誤解を受けそうなのに、手を繋ごうだって?


 いくらなんでも絵面がヒド過ぎるわ。


 百歩譲ったところで、恋人同士はおろか親子にも見えん。

 遺伝子に格差があり過ぎる。

 親子に見える要素は年齢差だけだ。

 見るからに金の無さそうな俺じゃ、エンコウにすら見えないだろう。


 ……おおかた、美少女の弱みを握って恋人同士の真似事をさせるクズでゴミなクソ野郎ってとこか。


「ね、ダメ?」


「いいわけねーだろ。っていうかお前、彼氏とかいねーのかよ……?」


 ……いなかったらどうだというのか。


「いないよ」


 莉々の答えに、心底ほっとする。


 バカか、俺は。


 今はいなくたって、いずれできるに決まってるだろ。


 こんなに可愛くて、スタイル良くて、俺みたいなゴミクズにも優しい女だぞ。


 莉々は俺みたいな男がどうこうできるような存在じゃない。

 しちゃいけないんだ。


 それなのに、莉々に男がいないと知って喜んじまった。

 自己嫌悪に頭を抱える。


 俺だって、己の分際くらい、わきまえてるよ……。


「いないからこうやって優くんに迫ってるんだよ?」


「あ……?」


「優くん、すきだよ。ねえ、莉々と付き合って?」


「は!?」


 なに言ってんだコイツ!?


 自分のクソみたいな立場を差し置いてドン引きしていると、莉々が腕に絡みついてきた。


「ちょ……おい」


「優くん、真っ赤。優くんって、ホント汚れてないね」


 莉々の言葉に耳を疑った。


 いや、汚れまくっとるわ!

 ギトギトの、ドロドロの、ベタベタだっつの!!


 ツッコミを入れられる雰囲気じゃなかったんで、俺は黙って必死に顔を逸らす。


「ね、優くん……」


 耳元で囁かれ、身体が急激に熱を持つ。

 俺の汗と、莉々の甘い香りが混じり合う。

 

 ヤバイ。

 ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!!


 ぜぇーったいヤバいって!!


「は、離れろ!」


 俺は軽いパニックに陥り、莉々を突き飛ばした。


 俺は人間のクズだ。


 コイツが生まれる前からずっと、あの狭い子供部屋に引きこもってきた。

 自分では一円だって稼いだことがない。社会のお荷物だ。


 家事の手伝いもしねえし、ゴミすら出しに行かねえ。

 今はいてるパンツだって、ババアに毎日洗ってもらってる。


 そのクセ腹は減るし、クソもするし、可愛い女子高生に迫られたらムラムラだってするよ。


 けど……っ。


「まだ犯罪者にはなりたくねえんだよ……」


 莉々が潤んだ瞳で俺を見上げた。


 可愛い。まじで可愛い。

 思わず抱き締めたくなっちまう。


 だが、それは許されない。


 俺が、莉々と同年代の明るくて爽やかで優しくて自信に満ち溢れたイケメンだったら、どれだけいいだろう。


 きっと今のこれだって、さぞかし美しい構図になっていたはずだ。


 だが、実際はどうだ。


 着古したスウェットに履き潰したサンダル、汚い無精ヒゲのオッサンがコイツと見つめ合っている。


 おぞけが走った。おぞましい。あまりにも醜い。

 俺の存在自体が、莉々を汚しているような気さえする。


 俺だって、人並みの人間になれてりゃ、恋愛とかしてみたかった。

 こんな可愛い女と付き合えたら、きっと毎日が夢見心地だろう。


 俺が……俺がこんなクソ野郎じゃなかったら。


 ……ちくしょう。


 俺が絞り出すような声で呟いたとき、眩しい光が俺たちを照らした。


 捕まる、と思った。


 うんと年下の女と密着する罪悪感から、俺にはその光がパトカーのヘッドライトに見えた。


 しかし、


「ゆ、優くん!」


「ハッ……」


 実際は、もっとマズい状況だったみたいだ。

 光の正体は、俺をパクりに来たパトカーじゃなかった。


 乗用車だ。黒いワンボックスが突っ込んでくる。飲酒運転だ。

 進路は、電柱の傍らに佇む俺。


 死ぬな、と思った。


 途端に目の前の世界がスローモーションになる。


 なんか、アレみたいだ。

 俺がラノベでいつも読んでるヤツ。

 トラックに轢かれるとか、通り魔に襲われるとか、とにかく序盤で主人公が死ぬんだ。


 そんで、中世のヨーロッパみたいな世界に行って第二の人生を送る。

 現実から逃げたくて、空想の世界だけでも誰かに認めてほしくて、しょうもねえと思いつつ、読むのをやめられなかった。


「はは」


 あほか。俺みたいなクソが、生まれ変わったところで変われるもんか。


 絶望しきった莉々の顔が目に入る。


 さっき突き飛ばしたおかげで、莉々の立ち位置は車の突っ込んでくる軌道から微妙に外れていた。


 今、俺がもう一度、思いっきり突き飛ばせば、たぶん彼女は無傷で助かる。


「……」


 本来なら、このスローモーションは、走馬燈かなにかを見せてくれるための時間だったんだろう。


 でも俺にはそんな価値のある思い出はない。


 そうだな。最後くらい、誰かのために……。








 なーーーーーーーーーーーーーーんて、この俺が言うわけねーだろうがッ!!


<つづく>

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