第23話:敗北の味は、ケチャップ味
それから、数日が経過した。
身構えているときには、破滅は来ないもの。
誰かが言っていた言葉だったか。まったくその通りだと、ため息をつかざるを得ない。
「どったん?」
「ううん、なんにもないよ」
一番の危険人物兼愛しのあの子である幸芽ちゃんは、特にアクションを起こしていない。
さらに言ってしまえば、第一級の要注意人物である涼介さんも、なにを言うわけでもなく、いつも通りの日常を送っていた。
あの自称カミサマの言っていることは嘘だったのだろうか。
夢の中の出来事を疑ってしまうぐらいには、今のわたしは注意疲れしていた。
「花奈ちゃん、最近疲れ気味だよねー」
「慣れっこだけどね。はぁ……」
「恋人への気苦労?」
「そんなわけないよ! わたしの愛は疲れを知らんのです」
「左様で」
檸檬さんが意図しているのかしてないのか。レモン牛乳を飲んでいる。
あれって確か地方の飲み物だったよね。なんでこんなところにあるんだろう。
ゲームの世界だから、そういう世界観は崩壊しているのかもしれない。
などと、どうでもいいことを考える程度には、ボーっとしているのかもしれない。
首を左右に倒して息を抜く。
「あ、そーだ! 今日暇? カラオケとかいかん?」
「んー……」
幸芽ちゃんのことは確かに気になる。
でも、疲れをため込んでしまえば、予期せぬ出来事に対応できないかもしれない。
だったら、一つ息抜きということで、檸檬さんとカラオケに行くのも、悪くないだろう。
「いいよ! わたしの美声に酔いな……」
「言うじゃーん! 吠え面かくなよ」
お互いに見つめて、どちらとも言わずに笑いが噴き出す。
「あはは! じゃー、得点対決っつーことで!」
「いいね! 負けたら罰ゲームみたいな!」
「ウケる―! じゃー……」
お昼休みに鳴り響く声は確かに廊下まで届いていて。
「……姉さん」
わたしは知らなかった。
廊下で訳の分からない感情に胸を痛める彼女を。
静かに自分の教室へと去っていく、恋人の姿を。
◇
「檸檬さん、アイドルとかいけるよ!」
「マジィ? 花奈ちゃんも、まぁそこそこいけるんじゃない?」
「酷い……。確かに負けたけどさぁ」
そんなこともつゆ知らず。
わたしと檸檬さんの対決は檸檬さんの圧勝。
だいたい八十点も取れればいい方だろう、と思ってたわたしを上回る九十点台の連打。
目の前がぐにゃりと歪むぐらいには、圧倒的な勝利であった。
「いやー、ゴチになります!」
「どう? わたしにおごらせたハンバーガーは」
「普段の数億倍うまい!」
そうかそうか。おごり甲斐がありますわね。
わたしの六百円をぜひ返していただきたいところだ。
「敗北の味は、ケチャップ味だ……」
「詩的ー! ウケるんだが」
いいもん。これでいい感じに気持ちを落ち着けたし。
これからまた気を引き締めて、幸芽ちゃん対策を続ければいいだけなんだから。
「で、幸芽ちゃんとはどうなん?」
「ぶっはっ!」
ポテトをごっくんとしたあとでむせたから、目の前の檸檬さんに飛び散ることはなかった。
危ない危ない。ってそういうことじゃない!
「いきなりなんなのさ!」
「ごめんごめん! でもやっぱ気になるじゃんか」
気になるって、もしかして最近気まずくなってるのバレてたりする?
「最近ギクシャクしてるんじゃない? ってお姉さん不安だよ」
「いや、まぁ。なんというか……」
幸芽ちゃんが抱え込むタイプだってのは分かってるし、それを人に話そうとしないのも何となく理解してしまう。
一歩踏み込めば、きっと何もかも解決するのかもしれない。
けれど、その爆弾はわたしには分からない。どんな感情を抱いて、どんな言葉を投げかけてほしいか。
これじゃあ大人失格だ。このぐらいささっと解決すべき内容なのに。
「花奈ちゃんってさ。最近妙に大人っぽくなったよね」
「そ、そうかな?」
「うん。精神年齢ちょっと上がったかなーって思って」
それはそうだよ。だって中身が丸々入れ替わったんだから。
「まー、それでも子供っぽいとこはあるけど」
「え、どんなとこ?」
ポテトを口にして「え、マジ?」と何故か言葉にする。
なんだよぉ、分かってますよわたし自身だって。ただ聞いてみたいだけ。
「まー、おごってもらったし、教えたげる」
「ごくり……」
「ずばり、恋に真っ直ぐすぎるとこ!」
知ってた! だってわたし恋愛経験皆無だし!
「だからさ、それを伝えてあげりゃ、いーんじゃねぇの?」
「へ?」
「好きって言葉は、なんだかんだ言われたらドキッとしちゃうもんじゃん」
まぁ確かに。
わたしはまだ幸芽ちゃんに言われたことなかったから知らないけど、想像して悶えるケースはいくらでもあった。
「だから、花奈ちゃんもマジトーンで言ったら、そりゃもう解決よ!」
「……それ、信じていいの」
「試してみる?」
「え?」
檸檬さんは大きな胸に空気を膨らませて吐き出す。
その顔は、真っ直ぐとわたしを見据えて、今から本気の告白を受け取るんじゃないか、という錯覚すらある。
周りの雑踏音が消えて、二人だけの空間になったような、そんな真剣さ。
「花奈ちゃん」
「は、はい!」
思わず生唾をごくりと飲み込む。
今から口にする言葉は練習なはずなのに、胸の鼓動がトクントクンと早鐘を打つ。
口を開いて、まるでそこに思いの丈があるように、言の葉を紡いだ。
「好きだよ」
その瞬間だった。胸の奥のときめきが襲い掛かった瞬間。
椅子を引く音と、誰かが駆けだす音。そして、その顔。
「幸芽ちゃん……?」
ふっと我に返る。
どうしよう。この場面だけ見たら、檸檬さんがわたしに告白するような――。
「花奈ちゃん走って!」
「う、うん!」
嫌な予感がする。これがカミサマが言うお告げだとしたら……。
追わなきゃ。絶対に逃がさないように。先ほどの言葉が誤解であると告げるために。
わたしは脇目も振らずに走り始めた。
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