第16話:庇護欲の覚醒
「小腹空いてないか?」
「ちょっと空いたかも」
時刻は十六時ぐらい。お昼と夕方の境目ぐらいの時間帯だ。
当然、お腹は空腹を迎えている。何を食べたいだろうか。ハンバーガーやコロッケ、手ごろに食べられるコンビニのフライドチキンもいいかもしれない。
想像すればするほどお腹が空いてくる。
「何食べる?」
「んー、コロッケにしよ!」
決めた。あの時のお肉屋さんの牛肉コロッケだ。
あれはいい。毎日でも食べたい。そんな気持ちにさせてくれる一品だ。
口の中でじゅるりと唾を飲み込んで、お肉屋さんへと足を運ぶ。
「試着のやつ、ホントに似合わなかったのか?」
「……あー、うん。あはは。ちょっとサイズがね」
もう一つ決めたことがある。
服を買うとき、いつも買っていたものより、ワンサイズ大きいものを買うということだ。
「それは、すまん」
「わ、わたしは気にしてなかったし!」
「いや、それでもだよ。覗こうとしたことは変わりないし」
この人は、本当に……。
謝るべきところはしっかりと謝る。できた男だこと。
こりゃ花奈さんも幸芽ちゃんも堕ちるわけだ。
「そういうとこ、好きな子にしか見せちゃだめだよ」
「は、はぁ?! なんでそうなるんだよ!」
照れちゃってまぁ。
これが幸芽ちゃんに向けられない好意だと思うと、少しだけ寂しくなってしまうな。
「どういうことだろうねー」
「からかいやがって……。って、あれ?」
突如涼介さんの足が止まる。
その視線の先。そこには栗毛のふんわりとした髪の毛。ちんちくりんな身体を身に宿した彼女の名前は、夜桜幸芽その人であった。
ちらりと目線を配らせた幸芽ちゃんが、気まずそうな顔を始める。
「え、どうした?」
「い、いやぁ、うん。こんにちは」
「幸芽ちゃーーーーーん!!」
「うわっ! ちょっと抱きつかないでくださいってばぁ!」
出会いがしら衝突。
数時間ぶりに抱きしめた幸芽ちゃんはちょっと外の匂いがするけど、シャンプーのいい匂いが鼻孔に響くなぁ!
「…………」
「兄さん、ボーっとしてどうしたんですか?」
「……あっ。いや、仲いいなぁと思ってな」
「前も言ってたよねー、それ」
兄公認とはこれはもう結婚してもいいということでは?!
まぁ当たり前と言えば当たり前なんですけどー!
幸芽ちゃんは、わたしの嫁だ。
「なにニヤついてるんですか!」
「いたたたっ! ほっぺつねらないで!」
つねったと同時に、チカラが緩んだわたしからすり抜ける形で拘束状態を解除する。
うぅ、わたしはただ幸芽ちゃんと身体的コミュニケーションを取ろうとしただけなのに。
「それにしても奇遇だな。幸芽は買い物か?」
「まぁそんなところです。兄さんたちはデートですか」
「へ?!」
「そ、そんなことねぇよ! なっ?!」
わたしに振らないでくださいよ。
まぁいいや。わたしにとってはデートじゃないんだし。
「違うよ。デートするなら幸芽ちゃんがいい!」
「隙あらば、くっつかない!」
だってしょうがないじゃないか、一線超えてしまったのだから。
走る幸芽ちゃんを追いかけて、手を掴む。この足が速くてよかった。
「な、なんですか」
「手、つなぎたいなーって思って」
「だから、一言なにか言ってくださいよ!」
「えへへー、つい」
繋いだ手をブランコみたいに揺らして、幸せを確かめる。
幸芽ちゃん、身長が小さいからか、おてても小さいから、触ってて庇護欲を刺激されると言いますか。
「……なぁ、ホントにお前ら仲いいよな」
「そうだけど、涼介さんどうしたの?」
「いや、よくわからないんだけどさ。こう、ここらへんにすごく湧き上がる情動があるというか」
彼は胸を手のひらで押さえながら口にする。
うーむ、その情動っていうのがよく分からないけれど、そういうのを表す言葉を一つ知っている。
「涼介さん、よく聞いてほしい」
「あぁ……」
「それは庇護欲だよ! 幸芽ちゃんを愛でたいっていう!!」
「え?!」
「いや、なんか違うんだよなぁ」
幸芽ちゃんの赤らめた顔が、一瞬に冷めてしまう。
期待外れみたいな言い方、ガッカリしたのだろう。わたしも言っててガッカリしちゃったし。
「近いんだけど、幸芽じゃないっていうか。お前ら二人というか」
「うん?」
「どゆこと?」
「いや、俺もよくわかってないんだけど……。まぁいいか」
それ、まぁいいかでいい感情じゃないでしょうに。
でも涼介さんの気持ち、というのは何となくわからないでもない。
例えば登場人物二人の関係性が尊いときに、胸の奥で何かが沸騰するみたいなことはある。
オタクをやっていれば日常茶飯事だったし、その瞬間、もっとも生きているって感覚を味わえる。
涼介さんもそれを?
でもわたしと幸芽ちゃんで、って。……え、もしかして。
「変な兄さん」
これは口が裂けても言わないほうがいいかもしれない。
幸芽ちゃん。あなたのお兄さんが、もしかしたら……。
想像の範疇は出ないものの、おそらく。多分。涼介さんの気持ちを固有名詞にするのであれば。
――それは、百合男子というものだ。
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