第7話:さよならよりまた明日

「ただいまー、って誰もいないか」


 まさかこんなところだけはリアルとそっくりだなんて。

 誰もいない清木家の玄関を抜けて、リビングへと歩く。

 花奈さんの両親はどうやら夜桜家の両親と一緒に旅行に出かけている。それも世界一周の旅だ。

 そりゃあ数年帰ってくることなんてないし、何があったって、夜桜兄妹に頼ればそれで済む。

 だけどさ。


「やっぱ、寂しい」


 転生前、というよりも現実でも思っていたことだった。

 社交的なメンヘラ。と言えば自然か。

 ある程度コミュニケーションを取ることはできるものの、一度静かになってしまえば、途端に人恋しくなる。

 寂しいって感情の穴を埋めるために、仕事を頑張ってきたし、あの動画を聞き続けた。

 でもこうやってまざまざと一人ぼっちを味わってしまえば、忘れたい感情がぶり返してくるわけで。


 リビングに座って、寂しさを紛らわすためにつまらないことを喋るテレビに電源を入れる。

 最近はお笑い番組も減ったよね。だいたいトーク番組だけだ。

 なんて思いながら、うつろなる瞳は胸に抱えたクッションと共に天を見上げる。


 一人で連れてこられたこの場所は、確かに暖かい。

 二人は優しいし、檸檬ちゃんだって心強い友達だ。

 でも、物足りない。寂しさはいつまで経っても寂しいままだ。


「ダメだ。寝よう」


 こういう時は寝るに限る。

 テレビの電源を切って、自分の部屋へと戻ろうとした瞬間、スマホから電話の音が鳴り響く。

 その対象は少しだけ驚くべきものであった。


「もしもし?」

「幸芽です。夜分遅くにすみません」

「いーよ、幸芽ちゃんだもん!」


 気遣ってくれたのか、それとも気まぐれか。

 それは分からないけれど、どちらにせよ嬉しい事には他ならない。

 沈んでた心を浮かび上がらせて、彼女の反応を待つ。


「それより、どうかした?」

「……いえ。元気かなと思いまして」

「元気元気! さっきも会ったでしょ?」


 電話越しに少しだけ息がかかる音がした。ため息でもしたのだろうか。

 だとしたら、筒抜けだったのかな。そんなはずはないと思うんだけど。


「なんだか、姉さんは相変わらずですね」

「むぅ。さっきは変わったって言ったのに、今は相変わらず?」

「あ……。そういえば、まだ一日も経ってないんですよね」


 ――そういうことか。

 確かに、わたしにとっても濃密な一日だったと思う。

 だって今日生まれて、推しと幸せな毎日を送れるって考えたらこれほどウキウキすることはない。

 同時に気づく。これは夢の世界なのではないだろうかと。


 ――嫌だな。


 ふと口に出してしまったこぼれ言葉を、幸芽ちゃんは聞き逃さなかった。


「不安、なんですか?」

「あはは。大丈夫だよ!」


 なにが大丈夫なんだか。

 悪い癖だとは思いながらも、いなくなってしまう不安とここに一人ぼっちでいる寂しさと。

 隠すのへたくそだなわたし。もっとうまくやれよ。


「大丈夫じゃない声してますけど」

「何とかなってるんだもん。大丈夫だよ」


 今度は露骨にため息。

 なんだなんだ。呆れているのかい?


「そう言って、抱え込まないでください」

「抱え込んでないない! わたしチョー元気!」


 嘘。さっきまで寂しさで心を震わせていた。

 それでも悟られないようにするべく、わたしは心の防壁を固める。


「本当ですか?」

「信じてよぅ!」

「なら。なんで帰り際、すごく寂しそうだったんですか」

「えっ?」


 そんな顔してた? そんなわけない。あるけど、表に出すことなんて、してないはずなのに。


「また明日があるじゃないですか。なんで今生の別れになってるんだろーって、変だなって思ってたんですよ」

「あはは、そんなわけないよ」


 いつここからいなくなるか分からない。

 突然ここにやってきたわたしが、突然去る、なんてこともあるんだ。

 だからさよならは、できるだけさよならにしておきたい。

 また明日よりも、それじゃあね。さよならそして、またいつか。


 だからいつ最後になってもいいように、挨拶してたんだけど。


「不安ですよね、やっぱり」


 そんな言葉をもらっちゃったら、わたしも困っちゃうよ。


「姉さんは、いま不安なだけなんです。だから心配しないで、なんて言えないけれど。いつの日か安心できるようになりますよ」

「……わたしのこと、邪険にあしらってた割には心配してくれるんだね」

「幼馴染ですから」


 そう言葉を置いて、一拍開ける。


「私は姉さんがどんな不安を抱いているか、想像することしかできません。でも、私たちがそばにいるってことだけは覚えていてください。困ったら、相談に乗りますよ」


 その言葉には聞き覚えがあった。

 何度も繰り返した幸芽ちゃんの動画。

 兄さんを応援していると言う設定で作られたASMR動画。その印象に残っているセリフ。

 そっか。そうだよね。そばにいないように見えて、わたしは一人ぼっちじゃないんだ。


「ありがと。ちょっと心が軽くなったよ」

「ならよかったです」

「さすが、幸芽ちゃんだね」

「こんなの。幼馴染として当然のことです」


 そんなことない。幸芽ちゃんだからやれたことなんだ。

 そんなあなただから、わたしは頑張り切ることができたんだ。


「そういうことにしてあげる。じゃあ寝よっか」

「はい、おやすみなさい」

「うん、おやすみ」


 先ほどよりも寂しさで震えてない指で通話を閉じる。

 不安は取り切れたとは言い難い。結局夢で終わるかもしれない世界なんだ。寝たら、今度は現実世界に戻るかもしれない。

 それでも、幸芽ちゃんの言葉はわたしを救ってくれた。


「ありがとう、幸芽ちゃん」


 ――好きだよ。


 大好きを胸に秘めて。

 起きても、ここにいられるように願って。

 わたしは布団をかぶる。


 どうか、お別れは永遠に来ませんように。

 今のわたしはそう願うしかなかった。

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